| 法隆寺-2 | 
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																			「金堂」は世界最古の木造建造物として世界的に有名です。 
																			 金堂の2階部分は木組みだけで居住空間にはなっておりません。なぜ、2階建てに 
																			 下層の正面(桁行)が五間であるのに上層が四間とは異例であります。なぜならば、 
																			 中門と同じように中央(三間)の幅と脇間の幅の比率は1.5対1となっておりますのは 
																			  
																			大きな荷重が掛かる隅屋根を支える隅木が、斜め45度一方向しか出ていないので屋 
																			 裳階が最初から計画されておりましたらエンタシスの柱にしなかったと思われます。 
																			 金堂の扉は
																			内面の昭和火災の際炎で焼け焦げて炭化した表面を掻き落として、2枚 
																			 本尊が薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来の三如来でこれらは過去の薬師、現世の釈 
																			 金堂は大型の厨子ですから後世のように窓は設けられておりません。寺僧といえど | 
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| 金 堂(裳階付) | 金堂(四天王寺)(錣葺屋根)(裳階なし) | 
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																			 我が国の古代建築で、真屋(まや)と言われるのは、宮廷、神社建築で採用されまし | |
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																			 「基壇」とは基礎となる壇で、寺院建築では基壇をし | 
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																			  法隆寺の基壇の造り方は、建物の底面積より大きめに、硬い地層の地山土(層)まで | 
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| 卍崩しの高欄・人字形割束(四天王寺) | 
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												「高欄」は上層に取り付けるものですが金堂のは下層の屋根上に載っているという建 | 
| 雲 斗 | 雲 肘 木 | 
|  エキゾチックな雲形組物は飛鳥時代の特徴で法隆寺、法起寺、法輪寺の法隆寺関係 | 
| 扇垂木・一軒(四天王寺) | 平行垂木・一軒(法隆寺) | 地垂木・飛檐垂木の二軒 | 
|  屋根を支える垂木の構造は、中国、韓国では地垂木と飛檐垂木の「二軒(ふたのき)」 | 
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													 | 邪鬼(東南) | 
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													 2階建ての建物で1階の屋根に写真の | 
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														おくと2階屋根の雨垂れが1階の屋根の置瓦上に落ると跳ねて飛び散り雨漏りから開 | 
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													 裳階の扉は当初のものと言われておりこの裳階の扉は一枚板に連子窓の連子子(格 | 
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|  彫刻なしの支柱を龍の彫刻付の支柱に元禄の修理で取り替えました。昭和の大修 | 
| 礼拝石(法隆寺) | 転法輪印石(四天王寺) | 
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												 当時、僧といえども金堂内に入堂することは許されませんでしたので金堂の前に設 | 
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 |  山田寺跡の金堂の礼拝石は、完全な | 
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 |  法隆寺の本尊「釈迦三尊像」は発願から | 
|  普通、釈迦の脇侍といえば普賢菩薩、文殊菩薩ですが釈迦三尊像の脇侍は薬王菩薩、   本像の奥行が扁平で背面の細工が省略されておりますのは摩崖仏の技法によるから   釈迦三尊像は一光三尊形式で本来は三尊が一つの光背に納まるものであり当時の光 | 
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													本尊の様式の根源は釈迦如来像(賓陽中洞・ | 
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													られた杏仁豆腐は白い色としているのです。杏仁の現物は丸に近いもので如来の眼の 
													 脇侍ですが光背の銘文は「挟侍」としか書かれおりません。脇侍の名称は鎌倉時代の 
													 
													 仏師の「止利仏師(鞍作止利)」は鞍作を職業にしておりました。なぜ馬の鞍作りの職 | 
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														 法隆寺の建立当初は用明天皇の病気平癒祈願の | 
|  本像が完成した607年当時は、干支の表示のみで年号は使われておりませんから | 
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															 |   「四天王像」は我が国現存最古の遺構です。中世に橘寺より | 
| いきました。 | 
|  「四天王像」はインドで誕生した当時は憤 | 
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| ぐらいの量感がありまるで台座のようにも見えます。 | 
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													 どうして、こんなに行儀がよくおとなしいのかなぜ喜んで乗って貰っていると言う | 
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|   |  平安時代から「吉祥悔過」が盛ん | 
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														ります。   | 
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|  「五重塔」は現存最古の塔で、塔高は31.5mです。 | 
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|  インドの「ストゥーパ」が我が国では「塔」となったと言われておりますが正式には | 
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															     |   塔の柱間(柱と柱の間)は三間が通例です | 
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|  桂昌院による元禄の修理で五重目の屋根を2.6尺(約80p)の嵩上げし屋根勾配を強 | 
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																			四重目と五重目の間に | 
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																	 | 邪鬼(南西) | 邪鬼(東南) | 
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 | 礼拝石 | 
|  先述の露盤には徳川家の葵文だけでしたが垂木の先端には徳川家の葵文と桂昌院の | 
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 | 裳階屋根(金堂) | 
|  裳階の板葺屋根は大和葺という葺き方ですが五重塔の方が板の両端を細工して上下 | 
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			 「塔本四面具」は法隆寺では珍しく和銅四年 | 
|  塑像の材料は近くの場所で採取されるのでただ同然でありますが、大変重く脆いと | 
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															 北面の「涅槃像土」は「法隆寺の泣き仏」ということで有名です。後列のおとなしい群 | 
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																 | 寝 釈 迦 像 | 
|   釈迦如来の涅槃は頭を北向き、お顔を西向き、横臥する姿勢で右手の手枕をします | 
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																 東面は「維摩詰像土(ゆいま | 
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|  西面は「分舎利仏土」の場面で中央にある舎利塔の模作が大宝蔵院の百済観音堂の屋 南面は「弥勒仏像土」です。 |