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愛知淑徳大学教授 斎藤和志 ここでの対人環境という言葉は、やや広い範囲のものを指している。必ずしも対人的な領域に限定せず、ある人の行動に影響を与えるような周囲の状況や出来事を含めて考えている。しかし、その多くは対人関係に由来するものと考えられるので、ここでは対人環境と表現した。対人環境を理解するプロセスにはいくつかの特徴があり、私たちはそれらに影響されて理解している。そして、その理解した内容に影響されて行動をしているのである。ここではそうしたプロセスに対するアプローチの1つとして、社会心理学における「帰属過程」という考え方に焦点をあてて進める。 1.帰属過程とは何か私たちはさまざまな場面でいろいろな出来事の原因や理由を考える。テストの点が悪かったり、大事な試合に負けた場合には、「なぜテストの点が悪かったのだろう」とか「なぜ試合に負けたのだろう」といったように、その原因や理由を真剣に考えるであろう。このような原因や理由を考えるプロセスを、社会心理学では帰属過程と呼んでいる。 前述のような状況は、「原因を考えている」ということが意識化されているので、そのプロセスは明確になりやすい。たとえば、テスト結果について親と話し合ったり、試合後の反省会などをやると、いろいろな原因があるということがわかり、その中でも特にこれが原因だというような判断をしていることがわかるであろう。しかしながら、私たちが行っている原因や理由を考えるプロセスはこのような明らかなものばかりではない。 対人関係においても、相手の性格を推測したり、葛藤の原因を判断したりしている。対人的な葛藤の場合は「なぜ」と真剣に考えることが多いかもしれないが、日常の対人認知ではごく自然に帰属のプロセスが働いていると考えられる。たとえば、電車の中でお年寄りに席を譲る行為を見て優しい人だと判断したり、自分に対してきつい口調で話す人に対して良い印象を持たなかったりする。こうした出来事も帰属過程が関係している。もっと情報を細かく吟味すれば、必ずしも「優しい人」ではなく「人目を気にする人」なのかもしれないし、単に「声や口調に特徴のある人」かもしれない。 2.帰属過程を知ることの意味では、なぜこのような原因をさぐる帰属のプロセスを意識することが重要になるのであろうか。1つの例を考えてみよう。クラスの話し合いで進行役になったA君は、話し合いがうまく進まないので困った。A君は、クラス全体を見回しその原因を探し出すことになる。そして、隣の席の友だちと騒いでいるB君をみつけたとしよう。A君はクラスの話し合いがうまく進まない原因として、情報収集の結果B君というものにたどり着いたといえよう。これが帰属過程の第一歩である。が、これだけでは終わらない。次には、なぜB君は騒がしいのだろうかという原因の推測になる。B君がいつもそうした行動をしているから騒がしいという「B君の性格」に原因を求めるかもしれないし、「運動会や文化祭の前後だからみんな浮ついている」というような状況に原因を求めるかもしれないのである。 ここで、2つの点に注目してみたい。1つは、B君という原因にたどり着くまでの過程である。これは、あくまでもA君が情報を収集した結果であるということだ。たとえば、その状況を別な立場で観察していたC君は、話し合いがうまく進まない原因を「司会の下手なA君」に求める可能性もある。このように、立場によって得られる情報が違ったり、ゆがめて情報を収集している可能性があるという点である。また、同じようにB君の性格という原因を推測する場合にも、「いつも騒がしいか」というような情報や「他の生徒たちはどうか」というような情報によって異なってくるのである。 もう1つの注目点は、その後の行動である。「B君の性格」という安定した特徴に原因があると判断した場合と、「その時の状況」などに原因を帰属した場合では、A君がその後にとる行動はおそらく異なってくるであろう。いつも騒がしいB君に対してあきらめの気持ちを持つかもしれないが、そうでなければ、もう少し注意をするというような行動にでるであろう。つまり、どのような帰属をしたかによってその後の行動に影響を与えると考えられるのである。 ここで重要な点は、「私たちは原因を推測している」ということである。さまざまな情報を得てさまざまな原因を推測するという現実は、ある意味で「本当の原因はなかなかわからない」ということを暗示している。特に、人間関係や社会での出来事はそうした可能性が大きいであろう。しかしながら、私たちは何かに原因を求めるという思考を行っているのである。 3.中学校教育における実践可能性このような帰属の過程について理解することは、大人にとっても難しいことかもしれない。だからといって、子どもにとって無理だということではない。また、帰属過程のような心理的プロセスについて理解することは、直接的な問題解決にはつながらないかもしれない。しかしながら、私たちが日常的に行っている判断や、他者に対する印象などが、多くの要因によって影響されていることに気づき、単純な思いこみや勘違いといった対人葛藤のもとになるような現象を防ぐきっかけになると考える。吉田・廣岡・斎藤(参考文献参照)は、より幅広い観点から心理学を活用した中学校での授業例を紹介している。ここではその中から、帰属過程に焦点をあてた授業例から、生徒に伝えたい要点について簡略に示そう。 (1) 異なる種類の情報が原因の帰属に与える影響 異なる種類の情報というのは、ある人に対する矛盾した情報(たとえば、ある人は良い人だと言うのに対して、別の人は悪い人だと言っている)というような内容の違いではなく、何に関する情報かという問題である。 たとえば、AさんがXという映画に対してプラスの評価をしている場合を考えてみよう。私たちは、ある人に対する情報が与えられると、その人に対する判断は可能になる。つまりAさんがX以外の映画に対してすべてプラスの評価をしていると、Aさんに対して単純な映画好きという判断が行われるかもしれない。これはAさんに関する情報から判断されたことである。また、Aさん以外の人がどのような反応をしているかという他者に関する情報は、異なった影響を与える。みんながXという映画を誉めているという情報は、Aさんに対する判断よりもXという映画が本当に素晴らしいという映画に対する判断に影響を及ぼす。また、いつも同じような判断が行われているかどうかという情報も重要である。いつもと違うという情報は、その時の状況に原因があると判断されるもとになるのである。 このように、私たちが得ている他者に対する印象は、ある限られた情報によるものかもしれない。そうした情報の種類に気づくことが、偏った判断を防ぐことにつながるのである。 (2) 立場の違いが原因の帰属に与える影響 先のクラスでの話し合いの例でも少し触れたが、立場が違うと異なる帰属を行う傾向がある。一般的には、行為者は自分以外の環境要因に、観察者はその行為者の要因に原因を帰属する傾向がある。何かに失敗した時に、当事者はその環境が原因だと言う。観察者は、それをいわゆる「言い訳」のように受け取るが、実は、そうした傾向は自然に生じることだということを理解する必要がある。この傾向は、決して原因が異なるものにあるということではなく、むしろ、観察者は過度に原因を行為者に帰属する傾向があると考えるべきであろう。これは、立場によって得られる情報が異なることに帰因するとも考えられる。「困っている人の立場に立って考えよう」というような言葉を耳にすることがあるが、「他人の立場に立つ」ということは非常に難しいことを示している。さらに、その「他人」がどのような情報を得ているのか、そしてそれをどのように解釈しているのか、その点だけを考えてみても、それがどの程度困難なことなのか想像できるであろう。
参考文献としてあげた本の中で、著者らは「柔軟な心の育成」と「考えようとする姿勢」を強調している。帰属過程という心理プロセスを子どもたちに理解してもらうことは、人間関係における基礎体力のトレーニングに相当すると位置づけている。基礎トレーニングの効果は、すぐに発揮されることはないかもしれないが、「強くしなやかな心」を育成していくことにつながると考えられる。そのために必要なコミュニケーションは、どのような情報を含んでいるのか、どのように受け取ったのか、またはどのように受け取られるのかといったことを、冷静に判断する姿勢であると考えられる。
《参考文献》 |
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