昨日とはうってかわって、わりと感傷的なPrejudice。感傷とSF小説に興味のないかたは読み飛ばすことをお勧めする。
スターウォーズ・トリロジー特別編の上映も終わったというのに、相変わらずスターウォーズのWEBサイトは元気だ。
僕もSFというと、スターウォーズから入門したクチで、もっとも最初の上映のときは小学校にも上がっていなかったから、テレビでしかみたことがなかったけれども。
そんなわけで、小学校の図書室にあった「黒い宇宙船」という本を見たときには心が躍った。児童書向けにかみ砕いて描かれているものの、その迫力は子どもの冒険心をくすぐるものがあった。事実上、初めて自力で読んだ本と言ってよい。
その後同じように図書館にあった「キャプテンフューチャー」などを読み漁るが、僕の心の中で「黒い宇宙船」を超えるものは現れず、結局読むのをやめてしまった。
スターウォーズはとにかくそのスピード感、なにより実写という迫力は、アニメのマクロスで育った僕の交感神経を著しく刺激した。
だが、ストーリィ自体は別段新しくもなんともない、エスコート・ヒロイン・ストーリィで、まぁこれはいまをときめく宮崎駿監督の十八番だけれども、それほど感銘を受けたりしなかった。子どもの頃の僕にとって、理力なんかはどうでもよく、基本的に破壊と人殺しさえ見れれば良いのであって、戦闘シーン以外は特に印象になかった。
しかし、大人になるにつれ、繰り返し繰り返しみるうちに、あの陳腐なストーリィの中で唯一異彩を放っていたのが理力だったことに気が付いた。
そんな話を親父にすると、親父はいつもなら面倒臭そうに話を逸らすところを、ニヤリとして「待ってろ」と言い、書斎から一冊の古臭い本を持ってきた。
その本の題名は「レンズマン」そして作者はエドワード・E・スミス。奇しくも彼は幼き日に胸をときめかせたあの「黒い宇宙船」の作者でもあった。
レンズマンはテレビでアニメ化もされたが、その出来は惨澹たるもので、唯一の成果といえばCGで作られた宇宙船ブリタニア号の斬新なデザインくらいなもんであろう。それまでの「宇宙船=円盤と推進器」というイメージを払拭し、なおかつ宇宙戦艦ヤマトとは全く別のカッコイイ宇宙船だった。しかし、アルフィー作曲の奇麗な音楽と、それを台無しにするかのような目茶苦茶な脚本で、ダメなアニメ映画の代表格とまで呼ばれるようになってしまった。
そのようなわけで、日本ではレンズマンに対する偏見が強いかもしれない。僕がレンズマンの話をしだすと、誰もが胡散臭げな顔をする。まぁ、さいごに「マン」がつくと、貧困な日本人の言語感覚では、真っ先に「○○戦隊」の「なんとかマン」をイメージしてしまうのだろうが、レンズマンは、別に5人の選ばれた戦士ではないし、原色の恥ずかしい全身タイツも着てはいない。ただ、手の甲にレンズと呼ばれる大きな水晶体を埋め込むことを許された(そういう意味では選ばれた)人間のことなのである。
このようなことを言うと古き良きSF愛好家の方にどやされてしまうかもしれないが、僕はキャプテンフューチャーが嫌いだ。あの、とことん御都合主義の、それでいて自分を恥じることのない恥知らずな主人公と、脳味噌だけの博士のトンチンカンな正義にはウンザリする。スターウルフは嫌いではないが読んだ時期が遅かったせいかいささか古臭く感じた。しかしいつでも新鮮な気持ちで、そして胸をときめかすことができるのは、やはりエドワード・E・スミスの「レンズマン」シリーズなのだ(べつに野田昌弘が嫌いなわけではなくて、むしろ「キャベツ畑で捕まえて」は好きだし、「銀河乞食軍団」も「スペースオペラの書き方」も全部読んだくらい好きだ)。
ちなみにファンの方には悪いけど銀河英雄伝説も好きじゃない。読んだけど。絵も好きじゃないなぁ。どちらかというとラインハルトよりヤン・ウェンリーの方が好感持てるけど、レンズマンを読んでしまうと稚拙に見えてしまうな。少なくともこの作品より10年以上前により深淵な設定・世界観の作品があったという事実は、この作品に過大な評価を与えてよいという理由にはならない。というわけで銀英伝マニアとは昔から折り合いが悪い。
しかし、敢えて声を大にして言わせてもらうと、およそぼくの知る限り、こと正統派スペースオペラというジャンルに於いては「レンズマン」を超える作品は、ないのではないか。少なくとも宇宙もののSFが好きならば読んでおきたい一作だ。
しかし悲しいかな、よっぽど知名度が低いのかそれともアニメが悪影響を及ぼしているのか、レンズマンの名前をそのへんの書店で見つけるのはかなり骨が折れる作業である。
レンズマンはかなり長いシリーズになっていて、うろおぼえだけど「銀河パトロール」「第二段階レンズマン」「グレー・レンズマン」「レンズの子ら」「渦動破壊者」「三惑星連合軍」かな。もっとあるハズだけど。なにしろ実家にあるから(親父の大切なコレクションだからね)。
とにかく、レンズマンを読めばわかるけれども、スターウォーズはいわば、設定を少し弄くっただけで大枠はレンズマンからパクッているフシがそこここに見られるし、むしろレンズマンを読んだあとではスターウォーズのノベライズは霞んでしまう。ルーカスは、レンズマンを映画化しようとして挫折し、そのサブセットとしてスターウォーズという映像化しやすいストーリィを選んだのではないかとさえ思えるほどだ。
もっとも、レンズマンもかなり古い時代に書かれた小説なので、主人公があまりにもなんでもできすぎるというきらいは変わっていない。しかし、それを超えてこのシリーズがエキサイティングなのは、次から次へと現れては消える、この世界全体を支配する謎である。
極言してしまえば、現代のアニメで語られる、しばしば「意外」な設定・ネタその全ての原点が、「レンズマン」という一連の作品の中の単なるエッセンスとして既に存在していたとさえ言うことができる。宇宙、人類、神、そして神の神、銀河系、その全ての深淵なる歴史が、レンズマンという世界で括られている、この事実に、深い感動を覚えずにはいれない。
また、レンズマンは作品特有の用語が大量に登場する作品である。このようなスタイルは他の作品には珍しい。近年になってサイバーパンク小説として似たようなスタイルが確立した感があるが、冗談ではなく詳細な用語解説を擁する作品は、珍しいのではないだろうか。そして感動的なことに、この作品は全てが完全に辻褄があっているのである!
用語を挙げればきりがない。少なくともスタートレックの比ではない。「Q砲」「ニードル・ガン」「QX(了解の意)」「バーゲンホルム機関」「慣性中立航法」「エネルギー束」etc....手元に資料がないのでもっといっぱいあったはずなのに挙げられないのが歯がゆいが、とにかくスゴイのである。
もし、まだ読んでない方がいらしたら、ぜひ御一読を。夜寝る時に、考えることがひとつ増えますよ。
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さて、E.E.スミスもいいが、いかんせん残念なことに故人である。
そこでまだピンピンしている日本人作家のなかで、僕が好きな人を挙げてみたい。
まず、小気味良い短編がサイッコーにいかしてる短編SF作家 草上仁。サラリーマンらしく、故あって本名は明かせないらしいが、とにかく素晴らしい短編小説を書く。最近新作がないような気がして心配だ。
また、小気味よさでは古典的だけれども高千穂遙もひけをとらない。しかもこっちは長編。長編で分厚い本なのに、それを感じさせないのは流石の一言。しかし逆にいえばそれだけ情報量が少ないということでもある。「ダーティペア」「クラッシャージョー」の原作者であり、スタジオぬえの創立者でもあることはあまりにも有名。
ただ、欲を言えばあまりにも小気味よくまとまりすぎていてスカッという感じである。また、「ダーティペア」はケイの独白で進められるが、(タブーだと思うけど)読みながら作者の顔を思い出すと思わずトイレに行きたくなってしまう。もしくはこっちが赤面してしまうのが残念だ。そうそう、調布に住んでいるらしいので電通大の付近を歩いていたら遭遇できるかもしれない。
そして最期にして最も僕が好きなのは、やはり神林長平である。
別に同郷だから持ち上げるというわけではなく、彼の紡ぎ出す言葉達は、他のありとあらゆる文章を霞ませる。深遠で、そして魅力的な世界を読む者の頭の中に浮かび上がらせる。
彼のシリーズ「敵は海賊」では、主に太陽系の火星という銀河のちっぽけな辺境を舞台として物語が進む。読者に馴染み深い地球ではなくて、火星という、遠くもないし近くもない離れた惑星を敢えて舞台に選らんだのは、作者が新潟県出身だからだろうか。
ちょっとひねった読み方だが、新潟県というキーワードと、彼の作品群を読み比べてみると面白い。たとえば「敵は海賊 猫達の饗宴」に登場するテレビ局、NST。ローカル局と紹介されているが、新潟でNSTといえば「新潟放送テレビ」のことである。
また、同じく「猫達の饗宴」の舞台となる小さな田舎町、テンデイズ・ビル。Ten Days、つまり10日という意味だが、実は神林氏の出身地は新潟県十日町市である。
「機械達の時間」ではモロに新潟県長岡市から話がはじまる(神林氏は長岡市にある長岡高専の出身者である)し、戦闘機械との対決を激しく描いた名著「戦闘妖精 雪風」には山本五十六の名を模した日本海軍(おそらく彼の世界の中では自衛隊後に再編成された日本海軍なのだろう)の戦艦アドミラル56が登場するが、山本五十六の出身地もやはり、新潟県長岡市である。
そういうわけで、新潟県民にとってはなかなか別の見方もできて面白い神林長平だが、そんなくだらない感傷以前に、物語そのものの出来が素晴らしい。彼の紡ぎ出す・・・そう、紡ぎ出すという言葉がピッタリくるような流れるような言語感覚といい、世界観といい、設定といい、僕の知る限り(残念ながら全部読んでいるわけではないが)彼の作品に駄作は存在しないと言ってもいいくらいである。
さぁ、SF小説を読みたくなってきたでしょう?とりあえず順番がわからないひとは「敵は海賊・海賊版」「敵は海賊・猫達の饗宴」「敵は海賊・海賊達の憂鬱」「敵は海賊・不敵な休暇」の順に読んでいきましょう。
あ、そうそう。言い忘れてたけど、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」もいいよね。他にもアイザック・アシモフの「ファウンデーション」とかもイカス!
というわけで、SFって、本当に素晴らしいですね。次回、また会いましょう。さよなら、さよなら、サナヨラ。
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