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How to make a homepage
1/19 ホームページのつくりかた





なぜームページを作るのか?


 インターネットブームが到来した年を1995年とすれば、すでに一般にインターネットが普及して3年も経過したことになる。
 長いんだか、短いんだかわからないが、これだけは確実に言える。3年前からいままで、なぜだかみんな全力疾走していた、と。

 かつてこれほどまでに世界中が活気に満ち溢れ、やる気マンマンの熱気がムンムンしたことがあっただろうか。あったかもしれない。しかし僕はこんな空気を体験したのは始めてだった。

 毎週のように新しいなにかが発表され、提携され、裏切られ、訴訟され、公表され、抗議される日々。コンピュータ技術の発展するニュースが毎日聞ける世の中になったのも、これすべてインターネットのおかげといっても過言ではないのではないか。

 まぁ以前から日経産業新聞なんかには毎日コンピュータ業界の動向が載っていたけれども、インプレスのインターネットウォッチなんか随時更新である。一日に何回も更新される。そのくらいニュースには事欠いてないということでもある。

 さながら95年来のインターネットは世紀末のゴールドラッシュとも呼べる異様な熱気で盛り上がった。サーチエンジンが開発され、合併され、吸収され、好評されるし、OCNは始まるし、電話回線設置はタダになるし、京王線は値上げしてまた値下げするしで大忙しだ。

 しかし、僕がこのインターネットブームの中で、最も深く感動したのは、ホームページという新たな文化の誕生である。

 もともと僕は雑誌投稿や連載などで文章を書くことには積極的なほうで、そのうちに代々木の工学社に出入りするようになり、暇つぶしに読者のハガキや投稿を残らず読むという妙な趣味があった。

 そういった読者投稿ハガキなどを読んでいると、ある共通点が見えてくる。
 たとえば、読者コーナーなどへの投稿は読者アンケートの余白に書かれるものが最も多いのだが、読者アンケートの余白が空欄のままのものはまず存在しないのである。

 アンケート葉書は、市場調査という観点からいって、最も重要な情報源のひとつ(というかほぼ全て)で、編集部としてはできるだけアンケート葉書が欲しい。そのためにメーカーからプレゼントをいただいて、「読者プレゼント」としてアンケート葉書をくれた人の中から抽選で何名に・・・・とやるのである(まさかとは思うがあれが単なる雑誌社の親切心だと思ったら大間違いだ)。

 しかし、こと僕がうろついていたコンピュータファン誌編集部宛に送られてくるアンケート葉書の大半は、プレゼントよりも余白の方が大切にされているようだった。

 たいていは手書きだが、なかにはわざわざワープロの出力を貼り付けたものもあるし、アンケートとは別に分厚い詰め物入りの封筒に、さらにボール紙を入れ、そこに二枚のフロッピーを貼り付けて(しかも一枚はバックアップなのだ)送ってくる丁寧な方もいる。

 これは、彼ら(そしてもちろん僕にも当てはまるが)の「表現したい」という気持ちの現れではないかと思う。

 コンピュータファンは読者投稿がメインの雑誌なので、読者のそういった意識は高いほうだと思うのだが、アンケート葉書を書く人というのは、全読者の僅か1割程度である(でも、たぶん多い方だろう)。

 そして例えば僕なんかは、アンケート葉書を書いたことは、思い返してみても、数えるほどしかない。しかも賞品目当てだったが。

 それまでのメディアは、出版する側と、される側、そして読む側という明確な関係によって分割され、される側は出版する側が認めなければ自分の意見を述べることすら許されないという暗黙の掟があった。だから、アンケート葉書に書いた投稿が、実際に雑誌に掲載されたりすると、喜びも大きいのだ。

 自分の意見、考えを公に向けて述べる機会を欲する人たちというのは、確かに存在するし、そのこと自体は僕自身その一人だったから別段不思議にも思わなかった。

 しかし、インターネットの到来によって、僕はあまりにも多くの人が、ホームページを持ちたがったことに驚いた。

 パソコンマニアは言うにおよばず、ごく普通のオバサンから女子大生まで、とにかくありとあらゆる階層の人々が自分の意見を公の場に発信することを切望したのである。

 これはつまり、自分をもっと顕示したいという欲求が、実は特殊な人々のみが持つものではなく、誰もが共通に抱く感情だったことの現れであろう。雑誌に投稿したいと思う人々は、決して特殊ではないのだ。

 そして彼(または彼女)らはせきを切ったようにホームページを作りはじめた。しかし大袈裟に言って半数の人々はすぐに行き詰まった。HTMLを学んで(最近ではその必要すらないが)自分のプロフィールを全世界に公開したあと、他にすることがなくなってしまったのである。結果いつまでも工事中という札を下げたホームページが全国のプロバイダのハードディスクを占領することになる。

 考えてみればあたりまえのことだ。

 よほどの理由でもない限り、他人に対してなにかを言い続けることができるというのは、一種の特殊技能である。

 まずネタを拾うか考えるかしなくてはならないし、それを文章または映像としてまとめなくてはならないし、ページ全体のデザイン的にも配慮されたものでなくてはならない。

 そのためには膨大なる試行錯誤と失敗の連続という過程が必要であり、言うまでもないが果たしてそれほどまでに自己を顕示したいという強い欲求もしくは積極的な理由を持っている人間というのは、きわめて少ないのである。

 また、どんなに一生懸命ページを書いたとしても、他人がみて、それをつまらないと判断すれば、一度訪れたら二度と訪れることのないページになり、それは延長されてつまんないヤツと判断されるという由々しき事態を招きかねない。

 いまやインターネット・リレー・チャットやネットミーティングで知り合った人々と、名詞変わりにホームページのURLを交換する時代なのだ。せっかく知り合った人々に「つまんないヤツ」と思われるのは実に心外ではないか。

 だいいちそれでは、ネットミーティングにあふれる自称、女子高生はオトせない!

 いまこそ「工事中」と札を下げたままのホームページを大工事し、少なくとも中身のないヤツと思われない程度のものにするべきである。

 しかしやる気はあってもネタがないとか、文章が書けない、といった些末な理由で更新をやめてしまう残念な人も多い。

 そこで暇さえあればホームページを書いているこの僕が、ネタの拾いかた、文章の書き方について偉そうにそのノウハウを開陳(?)して見せようというわけだ。






ネタをせ!


 そのホームページを読む価値があるかないかはネタで決まる。

 ホームページはWEB・・・つまり出版物である限り、その作成手法は普通の出版と同じ事がいえるだろうし、WEBはその性質において書籍よりも雑誌に近い。

 雑誌を見てみると良い。たったの一週間か一ヶ月のうちに、最低でもかならずなにかひとつは新しいことが書いてあるハズである(でなければ雑誌の価値はない)。

 ネタは、実は限定しなければいくらでも紡ぎ出すことができる。

 最もやりやすいのは、このPrejudiceのような日記形式である。

 日々の生活の中で感じたことをただ書けばよい。

 自己顕示という欲求を満たすには十分だと思うが注意も必要だ。

 それは、毎日の生活に変化がないと、ホームページ自体も変化に乏しくなってしまう点である。
 たとえばPrejudiceが毎日のようにリカちゃん人形について同じことを描き続けるようなタイプの日記であったら、誰も読みにはこない。

 誤解を恐れずに言えば、日記ページが面白いかどうかは本人の生活が面白いかどうかにかかっているのである。

 むしろ僕のPrejudiceへの取り組みかたの方が異常とされるべきで、僕はPrejudiceのために取材はするし、デジカメを買ったし、Prejudiceのために経費をかけるのである。それは本当の雑誌記事と全く同じプロセスで、だ。

 雑誌記事を作るには、大きく言って次のような段階がある。[1]企画を立てる [2]取材または研究する [3]記事を書く [4]校正する このうち、Prejudiceでは[1]から[3]までの過程をそのまま使っている。[4]は省く。校正は、基本的に第三者によって行われるものだからだ。ホームページにおいては、それはあとでいくらでも直せるのである。

 ホームページを書いている時に挫折するパターンとして、いいネタを思い付いたものの、書ききれずにあきらめてしまうというものがある。

 それはひとえに[2]の部分を抜かしていきなりページを書こうとするから発生する問題だとおもう。

 いくらいいネタであっても、下準備もなしに原稿を書けばボツになる。どんな場合でもそうだが、実際に他人の目に触れるモノというのは、入念な下準備をしたあとの結果に過ぎないのである。むしろ原稿を書く時間よりも下準備の方に時間をかけるのが、面白い記事づくりをするポイントだろう。

 僕の場合はPrejudiceの取材のために日々の生活があるようなもんだから、暇な時間にスラスラ書ける。専門学校での授業も、ネタを考えなくてはならないという点では同じなので、Prejudiceのために考えたネタを授業で使ったり、授業のために考えたネタをPrejudiceで使ったりと一粒で二度美味しい効果もある。だからまぁ、Prejudiceというのは一種ズルいほどコストを掛けて作られているとも言えるのである。多かれ少なかれ、頻繁に更新されるページというのはそれなりの理由と犠牲の上に成り立っているものだ。

 ネタがない!とお嘆きの貴方のために、ネタ・・・つまり企画を考え出すコツを伝授(?)しよう。

 まず、ひとつは自分の身近にあるものを、ゴーインに違った視点で見ることである。これはお手軽だ。最近僕はやらなくなったが、この方法を使うとそれほど下準備をせずに読み応えのある記事が書ける。たとえば「ヒゲ剃りは十手に似ている」と強引に解釈し、髭剃りが十手であった場合についてさまざまな妄想を巡らせれば、それがそのまま記事になる。むろん、だいたいはお笑い系になってしまうがネタの出し方がそもそもいい加減なので仕方ないだろう。

 次に挙げるとすれば、外にでかけてなにか面白いものを探すことである。出かけるといっても、新宿東口や秋葉原に出かけてしまっては意外性は殆どない(ゼロではないが)。ここは一気に普段寄り付いたこともない銀座や有楽町、日比谷方面にダッシュするのである。一気に血迷って上野公園で一夜を過ごすというサバイバル生活も捨て難い。また、自分の身近であっても、入ったことのない店やいったことのない近所の町に行ってみれば、簡単に驚きを経験することができる。

 そこで見つけたヘンなアイテムや、奇妙な形をした木など、とにかく普通と違っていればなんでもいいのだが、それをネタに妄想を膨らませればやはり記事がひとつできあがる。


 最後は、とにかく自分の好きなこと、得意なことをとことん研究して、その結果を公表することである。

 せっかくのアイディアがパクられちゃうよぉという心配をするむきもあるが、自分のなかだけで世界最高最大のアイディアだと勝手に思っていて、蓋をあけてみればたいしたことのないアイディアだったりしたら格好悪いことしきりである(そして非常に高い確率で、そのアイディアは他人がとっくに具現化している)。

 それに、アイディアだけなら考えるのはさほど難しくないのだ。例えば「○○をリアルタイムでやったら・・・・」というだけなら、アイディアでもなんでもない。ただの言葉の組み合わせだけである。

 重要なのは、むしろ研究過程であり、理解するという事実なのだ。たとえ記事を読んで理解することができたとしても、自分でそれを考えたことが無い限り、本当に理解したことにはならない。つまり、アイディアを実現するためには同様の再発見とでも呼ぶべき過程が必要になるのである。

 たとえば一次変換などは高校を卒業すれば誰だって理解している。

 しかし、僕が本当にそれを理解したのは、教科書の考え方を一旦捨てて、単純にベクトルだけで説明づけることができた時なのである。そのとき初めて、それまでの「理解」といまの「理解」の質がまったく違うことを痛感したものだ。

 それならば、とりあえず自分の研究成果をいち早く発表しておいたほうが得である。
 誰かが自分のアイディアをパクッて製品化するには、自分がそれを考え出したのと同じくらいの時間が必要なのだから当然だ。

 長い目でみれば、研究は、なるべく早く公表したほうがいいのである。



 まぁこれは、僕のように個人的な研究に十分な時間をかけることのできる学生のような人間にしかできないことかもしれない。実際の仕事の現場でプログラムを組む人間がアイディアや研究成果を垂れ流すことは、機密漏洩にあたり、ヘタすりゃ解雇される。

 とまぁとにかく、共通して言えるのは、ネタを探すのに労力を惜しむなってことですかね。

 趣味も高じればなんとやらで、やはり本気で取り組まないと面白い記事というのはなかなか書けないと思います。




記事をけ!


 ネタがない!に並んで面白いホームページを作れない理由のひとつとしてうまい文章が書けない!というものが挙げられるでしょう。

 それで、この問題に関する特効薬は気にするな!ということです。

 たとえばPrejudiceは「です・ます」体と「だ・である」体が混在している。以前は気になっていたのでどちらかに統一しようと思ったが、書いている時の気分で変わってしまうので無理に統一するのは諦め、乱雑な文章になっているが、流れを崩さない程度に変えてあるだけなので、大丈夫。

 文章が下手だなぁと自分で解っている人は、なんども自分のかいたものを読み返し、なにがどう下手糞なのか考えてみるべきだ。

 余計な説明が多い、とか、歯切れが悪い、とか、一文が長すぎたり段落が長すぎたりしていないか。図は入っているか。など、単に照れ隠しに「おれ、文章下手だから・・・」というエクスキューズをするのではなく、本当に自分のどこが下手糞なのか意識して書くようにすれば、確実に上達すると思う。

 だけど、結局、自分のホームページ作りというのは仕事ではないわけで、そんな些末なことをイチイチ気にしていたらラチがあきません。

 文章が多少下手糞でも、ネタさえしっかりしていれば十分読み応えのある記事になるので、文章については書いているうちに上達するだろう、という程度でいいと思います。

 そんなわけでー、みなさんも清く楽しいホームページ作りを!