ハァまったく、なにをわけのわからんことをと言われそうだけど、今日のテーマは「ゲームはどうしてつまらないのか」ということから始まる。
ゲームというのは、娯楽のひとつなんだから、そんなもん、面白いに決まってるだろという意見をおもちであれば、これより下の文章は読む必要はない。今日はゲームのつまらなさについての議論である。
さて、ゲームはつまらない。
なにがつまらないって、あのエースコンバットのローディングの長さはいったいなんなんだ。イライラする。エースコンバットに限らずとも、無意味なプログレス表示のなんと多いことか。何周するかわからない円グラフなら、出すこと自体無意味なのだ。それはたんにハングアップしていないという証明にしかならない。
DOOMはいったいなんだってんだ。なんだあの不愉快な動きは。上下に揺れるんじゃねぇ!酔うだろ。これじゃ楽しむどころじゃねぇ!中途半端な現実感なんかこっちから願い下げだ。
フライトシミュレータのありゃなんだ、使うキーが多すぎて話にならねぇ!ゲームをやるためにこんな分厚いマニュアル一冊分の知識が必要とはちゃんちゃらおかしいぜ。こちとら自慢にゃならねぇが学校の勉強が大嫌いだからゲームなんぞにハマッとるんだ。誰ができるかこんなもん。
Pia★キャロットへようこそ2の、主人公の態度はなんだ。せっかくあずさちゃんと仲良くなったってのに、「僕たち、恋人同士でもなんでもないただの友達なんだよ」だとぉ!?蹴っ飛ばすぞこの野郎!ナメとんのか。おれはあずさちゃん一筋なんだよー!!!(いやちょっとつかさちゃんも・・・)
ファイナルファンタジーVIのありゃなんだよ、ちょっと来い責任者!30時間もプレイしたのにまだゲームが終わんないっつうのはどういうことだ?こちとらそんなに暇じゃねぇんだ。仕事の合間にプレイしようと思ったらもうあらすじも目的も忘れちまってるヨ!
バーチャファイター・・・・ぬぉぉ鈴木祐!キサマ客をナメとんのか!100円も払ったのにろくに抵抗もできずゲームオーバーになる人間のことを考えてんのかコノヤロウ!
かようにゲームはつまらないのである。
しかし、逆説的になってしまうが、今挙げたようなゲームを楽しいと感じる人は多いし、無論、俺も全部が全部嫌いじゃない。
だが、製作者まであばたもエクボになっちまったら、欠点だけが残り、一部のマニアにしか楽しめないゲームが量産されていくことになる。
なぜつまらないのか?どこが、どのようにつまらないのかを突き詰めないと、その次の展開はないのではないだろうか。
さて、僕はRPGというのがどうも苦手で、一度勉強のつもりでファイナルファンタジーVIをプレイしてみたことがある。
正直な感想をいうと「最低」なゲームだった。
話は無意味に長いし、ゲームはといえばインタラクティブ性はほとんどなく、A地点からB地点、B地点からC地点へとストーリィの流れを追うだけ。おまけにそのストーリィにしてからが陳腐極まりないヒネリもなにもないものと来ているし、途中の戦闘はうざったいだけ。しかも途中、なんと卑怯なことに画面上では隠れてみえない場所にあるドアをあけなければ話が絶対進まない場所があり、驚愕を通り越して呆れてしまったのである。
そんな話をRPG好きの人間に話したら、彼は「そりゃ普通みつけるよ」とこともなげにいった。ちなみに彼は20時間でクリアしたそうだ。そして僕が30時間かけて進んだのは、ほんの触りの部分だったのである。
格闘ゲームもそうだが、すでにそういった既存の一連のジャンルの中には、独特の文法とでも呼ぶべきものが存在し、それを知らぬ者はただのカモとなっている。
それは単にゲームが上手い、下手の問題なのだろうか。
僕は滅多にゲームに熱中しないので人生の中で自力で最後までクリアーしたゲームは数えあげることができる程度だ。「獣神ローガス」「スターフォックス」「エアー・コンバット(98版)」「リッジレーサー」「フィロソマ」「ジャンピングフラッシュ1・2」「アーマード・コア」・・・このほかに、いわゆる美少女ゲームはかなりプレイしたが、あれはほおっておいても最後までいってしまうので勘定には入らないだろう。
原因はいくつか挙げられる。僕の場合、ゲームをプレイする動機がそもそも不純である。[1]プログラム技術がみたい[2]メカがかっこいい・・・
そして、実際にいくつかのゲームは最初の数十分プレイした段階ですべてタネがわかってしまい、[1]の楽しみは自発的に消滅する。その過程で、最後まで僕を引き付け続けたのが先に挙げたゲーム達である。
一般の人々は、ゲームを手に入れたら必ずクリアーするのであろうか。その割合はとても興味のあるところである。
そして、クリアーに至らないゲームというのは、果たしてプレイヤーに問題があるのか?いや、むしろ製作者側に問題があると、僕は考えたい。
なぜなら、ゲームの値段というのは、当然最後まで作った上でのものなのだから、プレイヤー自信の能力によってゲームの価値が変動してしまうのは如何なものか。少なくとも、コンピュータゲームにおいては、殆どすべての場合、プレイヤーというのは同時にカスタマーでもあるわけで、そう考えたら、「下手な奴、文法のわからない奴は最後までいけない」というのはプロとしてあるまじき考えではないだろうか。
たとえばPC-9800シリーズのパソコンでは、結局最後は安易な18禁ゲームばかりがラインナップされるようになった。こうなった理由はいろいろ考えられるが、では果たして普通に言われるようにリビドーの解決だけがこうなった理由なのだろうか。
ニェット、18禁ゲームが売れた理由はそれだけではないはずである。
まず、18禁ゲームはどれもがほぼすべて簡単である。適度に歯ごたえがあり、ストーリィ性も高い。嘘だと思ったら、名作と呼ばれる18禁ゲームをプレイしてみるといい。誓ってもいいが、RPGで胸を焦がすような想いは絶対にできない(当たり前だ)。
そして殆どの18禁ゲームは最後まで容易に到達することができるし、到達までの時間もそれほど長くない。人気のあるゲームはたいてい2時間か3時間、長くても4時間あれば終わるのだ。
ストーリィ性が高いので、たとえたったの2時間しかないプレイであろうと満足感はあるし、しかもたいていのゲームは数回プレイできる。どうしても好みの女の子を攻略できなかったら攻略本があるが、少なくとも最初の一回はなにも見なくてもプレイできるし、途中で死んでしまうということがないのである。
よくある18禁ゲーム・・・ここではあえて範囲を広げてギャルゲーと呼んだ方がいいかもしれないが・・・は、一定の期間の間に女の子と知り合い、交流を深め、最終的にはステディな関係になることが目的となっている。
このようなスタイルは、実はゲームの歴史の中では珍しいものではないだろうか。
アクションゲームは死という現実があり、ゲームはいつでも、そして無制限に中断され、下手糞であればその先にあるストーリィを知ることはできず、繰り返し繰り返し同じ場所を反復練習するハメになる。
RPGはより切実で、ゲームを進める過程で経験値集めを故意にさぼるととりかえしのつかない場面で立ち往生する。
しかし、ギャルゲー、特に恋愛ジャンルのものであれば、どんなことをしてもゲームオーバーにはならない。ゲームオーバーは常に一定の期間をすごしたあとにやってくるのだ。
さて、ついこの間気が付いたのだが、このスタイルというのは、実は僕が求めていた理想的なゲームのかたちに近いものである。「短い時間にひとつの試合(ゲーム)が完結し」「ストーリィ性が高く」「時間を溯って繰り返し同じ経験をすることのない」ゲーム。
ゲームとは、プレイヤーにストレスを与え、それを明示的に解消させることでプレイヤーがベクトルとしての快感を覚える装置である・・・というような話をずっと以前にしたが、その他のゲームにとって恒常的なストレスである死(=ゲームオーバー)を成り立たせているのは、実は死そのものではなく、それによって目的の達成(クリア)への道が遠のき、なおかつ同じ経験を繰り返しさせられることである。
しかし、死は本当に必要だろうか。僕は、自分が下手糞であるという理由だけで、繰り返し同じ場面をプレイさせられることに、時折怒りすら感じる。そして想うのだ。「ああ、時間を無駄にしている」と。
このことは僕だけがもつ特異な感情だろうか。
なんとも、周りで同調してくれる人間がいないのでわからないのだが、少なくとも僕は僕が納得して楽しめるゲームを作っていきたいと強く願うのだ。
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