先日、「ゲームはなぜつまらない?」「ゲームはなぜおもしろい?」を発表したところ、take-net.comのTakeさんからお便りをいただいたので紹介します。
ぜひお気軽にご意見・ご感想をお聞かせください。
とのことなので早速お便りします。
部活から帰ってきた女の子がやるかどうかは別にしても、
Windowsを立ちあげたときに必ずやるゲーム、ソリティアがあります。
おおよそ、これほど万人が熱中し、暇つぶしにもプレイし、
退屈な授業中をすごすのに適したゲームはないと思います。
簡単なルールでしかし、場合によってはクリアできないゲームですが、
的を得たゲームだと思います。
ちなみに私はアクション性の高く操作の複雑なゲームを好みますが、
慣れれば(クリアしていなくても)たいてい飽きます。
あとネットワークゲームはまた別物でしょう。
ゲーム自体の内容よりもコミュニケーションが楽しいものですから。
Take(take@take-net.com)
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なるほど。ソリテアですか。他にマインスイーパー、リバーシなどがありますが誰でもソリテアには一度はハマると言われていますね。
ソリテアは、もともと(見ればわかるとおり)トランプゲームの一種で、一人遊びという意味の言葉です。
ゲームの話をするのにトランプのことを考えなかったのは失敗だったかもしれません。なぜなら全世界でトランプほど万人に愛されているゲームはないからです。
また、アクション性の高く複雑なゲームは、確かに慣れれば飽きてしまうものも多数あります。DOOMがあの驚異的なまでの複雑さを持っていながら世界中で受け入れられた理由は、より多くのパズル的要素があったからだと思います。パズルを解くことが快感だから、もっとやりたい・・という感情を引き起こさせるのです。ただしあのゲームの場合はDOOM酔いという新しい現代病をひき起きし、別の理由でプレイヤーを遠ざけてしまいましたが。
ネットワークゲームに関してですが、これはTakeさんのおっしゃるとおり、まったくの別物と考えるべきでしょう。
ゲームにネットワーク対戦機能が付加される・・ただそれだけのことで、ゲームは一人遊びの域を超えてコミニュケーションのための重要なツールとなります。
コミニュケーションのためのツールとなる点で、ネットワークゲームはエンターテインメントというよりも、トランプの延長上にあるものと考えられなくもありません。
いくつか極端な見方をしてみましょう。
殆ど全てのゲームはパズルゲームと呼べます。アドベンチャーゲームやロールプレイングゲームは製作者が用意したフラグを意図された順番で解くパズル、アクションゲームは意図されたタイミングを見つけ出すパズル、シミュレーションゲームは敵を殲滅する手段を見出すパズルだし、格闘ゲームは刻々と答えがかわるパズルです。
ここでひとつ断りを入れなくてはなりません。
ロールプレイングゲームというのは、本式のものはコンピュータを使わないものです。そこでは臨機応変に対応する最高のコンピュータとでもいうべき人間が采配を奮い、あくまで会話によって進められるゲームです。
ところがコンピュータゲームの場合、単に成長と冒険の要素があるもの全てをロールプレイングゲームと括ってしまいました。これが大きな混乱のもとになっています。
ほとんどのコンピュータ・ロールプレイング・ゲームには制約が多すぎるのです。「製者の意図」の範囲が非常に狭いためです。
数少ない例外として、rogueやNethackがあります。これらは最古のコンピュータ・ロールプレイングゲームであり、武器を投げたり、つかんだり、ドアを蹴っ飛ばしたりできますし、長時間食事をとらないと餓死します。
ただし、Nethackを楽しむにはキーボードの配列を殆ど覚えていなくてはなりませんし、質素な画面をみて現実のシーンを想像できるほど想像力が豊かでなくてはなりません。そのうえ大抵の場合はすぐにゲームオーバーになってしまいます。
今のロールプレイングゲームは、その構成内容に於いて、アドベンチャーゲームにジャンル分けしても大差ないと思います。ただそこに「成長」の要素があるかないかです。
ただし、コンピュータゲームの全てがパズル的要素を持っているとしても、このパズルはピースをはめ込んでいくものとは根本的に異なるものです。・・・答えが複数あるからです。
トランプの話に戻しましょうか。
トランプは半導体が生まれる以前のデジタルゲームでした。
4種類のスートと、それぞれ13枚のカード。そして2枚のジョーカーで構成されるカードをやりとりして進める遊びです。
トランプにはさまざまな遊び方があります。代表的なものは「婆抜き」「7ならべ」「大富豪」「ポーカー」「ダウト」などです。
これらのゲームの面白い部分は全て他人が相手というところに掛かっています。
ポーカーとダウトはしらを切りとおす遊びですし、大富豪は金持ちが貧乏人をいたぶろうとし、貧乏人がなんとか金持ちに一糸むくいようとする遊びですし、婆抜きは他人を騙して嫌なカードをなすり付け合う遊び、7ならべは他人に意地悪をしながら自分がトップに立つ遊びです。
驚くべきことがわかりました。
トランプ遊びの、主要で根本的な部分は、ほとんどが人間の持つ悪い部分、嫌な部分を刺激するためのものだったのです。
トランプ遊びの主要な要素は、じつはペテンだったのです。周りの人間をぺてんにかけ、自分の利益を享受する・・・・いやはやなんとも。最近トランプ遊びをする子供が少ないのが解ります。だっていまや他人をペテンにかけることなんて小学生でもやっていることだからです。
逆にいえば、トランプ遊びが万人に受け入れられた理由は、他人に対して不誠実だからといえます。つまり不誠実さを楽しむ遊びだったわけです。
困ったことになりました。ということは、トランプ遊びとコンピュータゲームは、本質的に似て非なるものなのです。
コンピュータゲームは、たとえば一人でプレイするものならば、それは如何なる楽しみを与えてくれるのでしょうか。
それは難しい問題です。なぜなら、コンピュータを使った遊びを全て括ってコンピュータゲームと呼んでしまっているからです。
逆に言えば、この問題はコンピュータにはなにができるのでしょうかと等価なものですし、そんなことを全て定義できたらその時点でコンピュータの発展はおしまいですし、ここで議論するにはあまりにも大きすぎるテーマです。
そこでコンピュータゲームにはジャンル分けが必要となったわけです。しかし、このジャンル分けも、近年では難しくなってきました。二つ以上のジャンルが混じったゲームが多いからです。
そこで、ジャンルではなく、ゲームの持つ要素について考えてみましょう。まず、パズル的要素。これはたいていのゲームにはあります。次に、ストーリィ性。最近のゲームでは重視されています(とてもそうは思えませんが)。そしてアクション的要素。これはアクションゲームが持つそれと等価です。
これら全ての要素を持ったゲームというのもありますし、どれか一つだけないし二つというゲームもあります。しかし、ゲームの持つ要素としてはこんなところではないかと思います。
さて、前回の説明では足りなかった部分は、パズル的要素とアクション的要素の二つでした。
パズル的要素があるゲームの場合、そのパズルを解くために何度も試行することは苦にはなりません。それは、たとえ最初はでたらめなことをやっていたとしても、失敗経験がパズルを解くための思考の助けとなるからです。逆にいえば、パズル的要素は繰り返し経験すべき要素だとも言えます。
次にアクション的要素ですが、これはやっかいです。というのも、この部分のせいでなんども巻き戻しをされるプレイヤーが絶えないからです。
ロールプレイングゲームのように、アクション的要素を最小限にしてしまう方法もあります。他の方法はどうでしょうか。たとえばアクションの操作を極端に簡単にする方法です。
しかし、多くの場合は面白味にかけるでしょう。逆にいえばこのアクション的要素こそが、コンピュータゲームがコンピュータゲーム足り得る重大な理由のひとつであり、同時に素人を遠ざけてしまう可能性をも孕んだ原因菌のひとつであるとも言えます。
私が最良と思う方法は、アクションでしくじっても、そのままゲームが進んでしまうような形態です。作るのは大変ですが、プレイヤーにとっては優しいでしょう。プレイヤーはその結果が気に入らなければ、自分で巻き戻しボタンを押すことができるようにしておくのです。
また、アクション的要素を持ったゲームのセーブは半自動的に行われた方がよいと思います。セーブし忘れたおかげで最初からやり直し・・・じゃあ切ないですよね。
もうひとつ。ストーリィ性の問題ですが、これもまた難しい。というのも、あまりに複雑すぎるストーリィはそもそも映像として経験するのは困難だからです。
だから小説のように字をたくさんよませるという手法もありますが、それにも限界があるでしょう。だいいち、小説を読むことを苦にしないひととする人で大きくわかれますし、なにより字を読むというのはそれだけで疲れることです。
ただ、ストーリィにはメリハリが必要です。きちんとした山場と、きちんとした結末の二つが揃わなければ、プレイヤーは退屈しています。
一般的な映画には、たいていの場合、山場は二回訪れます。つまり結末も二回訪れるわけです。これは、テレビドラマの、特にストーリィ性を重視したものは1時間単位で作られることからも解るとおり、人間にとってきりのいい時間なのです。逆に言えば、どんなに長編のロールプレイングゲームでも、1時間に一回の盛り上がりと結末があれば、たとえそれほど時間のないプレイヤーでも区切りをつけられるということです。
そのような手法を使うと、ストーリィが頭に残りますから、既存のゲームのように立ち往生してしまうことは滅多にありません。
このようなやり方を採用したゲームの多くは知りませんが、例えばマイト・アンド・マジックやソーサリアンなど、小さなシナリオを集めたタイプのロールプレイングゲームのスタイルでなら、いまいったようなスタイルを実現できそうです。
「今日はちょっと時間があいたから、洞窟を冒険してみようかな」ってな感じで気軽にサクサクプレイできるゲームがあれば、ひょっとすると面白いかもしれませんね。
ともあれ、大戦略のように、プレイする前にかなりの覚悟が必要なゲームはやはりまだまだ一般に受け入れられるのは難しいと言えましょう。
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