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Wild river
3/13 副都心で激流を体感する!





諸君、これが"激流"だ!


 こないだ、なんとあわせて二回も、副都心で激流に遭った。というよりも激流を見に行ったというのが正しいのか。

 バリバリの激流くだりである。

 荒れ狂う空、豪快な滝壷、叩き込まれるような感覚、頬を打つ風・・・・絶望的な状況に陥りながらも、私は決して冷静さを失わなかった。だが、次の瞬間、私は足をすくませ、安全バーを強く握り締めている!

 「新宿に滝壷なんかあったかなぁ?」と思った貴方、御名答。むろんこれは本物の激流くだりではない。

 もうお察しだと思うが、私は実際にはビルの10階に位置し、そのビルは新宿駅からそれほど離れていない。

 新宿の新しい名所、高島屋タイムズ・スクウェアである。

 タイムズ・スクウェアは極めて巨大な総合デパートで、中には洋服店から玩具店、CD店に食堂街とひととおり揃っていて、さらにビルの一角は東急ハンズが経営されており、別館には紀伊国屋書店がまるごとあり、ビルの10階と11階の一部をご存知、セガ・エンタープライゼスのビルイン型テーマパーク、「新宿JOYPOLICE」があるのだ。

 私が二度にわたって体験した"激流"は新宿JOYPOLICEの新しいアトラクションなのである。

 JOYPOLICE自体をテーマパークと考えると、たいへん残念な気持ちになるのは致し方ない。普通に考えるならば、ちょっと凝ったでかいゲームセンターというのが正直なところだろう。

 同じビルイン型テーマパークでも、規模がまったく違うというのもあるけれど、池袋のナンジャタウンの方が数段上を行くのである(が、やはり東京ディズニーランドにはその規模・内容ともに及ばないのは仕方ない)。

 ナンジャタウンやJOYPOLICEで一日つぶすのは実はけっこう難しい。すべてのアトラクションをまわっても、せいぜい4時間あればおつりがくるだろう。しかも値段が高い。時たま気分転換に行くか、もしかしたら気に入らない人は二度といかないかもしれない。

 さて、そんなJOYPOLICEに新しいアトラクションが入ったというので喜んで見に行ったのは、別に私がセガびいきであることをあらわさない。むしろセガはどちらかというと好きではない。どことなく、アメリカ被れ風の雰囲気がプンプンするからだ。極めて上品に若者社会に溶け込もうと懸命に見えるが、本質を見極めようとすると純粋な気取りとでもいうべき品性が嫌が上にも飛び込んでくるのが嫌だ。要するにええかっこしいなのである。

 それならば、より泥臭く、よりガムシャラに、より本質的に、面白いものを作ろうと媚を売るナムコのほうが、僕は好きだ。時にはパックマンやマッピーでおどけ、時にはゼビウスやリッジレーサーでマニアをうならせ、時にはダンシング・アイでファンをブッとばすあのバイタリティが好きなのである。いい意味でのノンジャンル・エンターテインメント企業といえるのではないか。

 結局、その差はナンジャタウンJOYPOLICEの差という気もする。ナンジャタウンは料金は高いが内容はかなりしっかりつくられていて、一日いてもそれほど飽きないように狭いスペースを使いこなす細心の工夫によって組み上げられている。全身をギャグで固めた福袋7丁目商店街や、SFチックな雰囲気とコミカルな雰囲気をうまく配合したナンダーバードなどの存在は来場したものを安心させる。複数の消費者の嗜好をうまく分散させ、全体として魅力ある街づくりをしているのは交換が持てる。

 いっぽうのJOYPOLICEは、会場全体に流れる雰囲気は一流の気品を感じさせるものの、現実のアトラクションがどれも見かけ倒しで、ナンジャタウンと同じつもりで来場するとガッカリする。入場料が安いから許されるとか、そういう問題ではない。帰るとき、結局、セガのかっこよさしか感じられないのである。

 まぁそれはさておき、激流を見に行こうと思ったのはほんの気まぐれだった。講義が午前中に終わってしまい、やることがなくなって、仕方なくぶらぶらと新宿のJOYPOLICEに入ってたというわけだ。

 "激流"はその名の通り、激流くだりをするライド・シミュレータ(乗り込み型シミュレータ)の一種である。内部には半円筒のスクリーンが設置され、人工の風を起こすファンがついている。無論、座席は油圧でかなり可動する。

 "激流"のスクリーンに流れる映像は全てコンピュータで作られた映像のようだ。





あまりにも露骨な演出。しかしこれが演出の基本である。


 実際に体験してみることを是非おすすめするが、もし体験するならばなるべく前の、それも中央に近い席に座るといい。スクリーンが湾曲しているため、後方にいくと不自然だからだ。それに、スクリーンは全域をカバーしているわけではないので、後ろや端の席だと、アラばかりが目立って楽しめなくなってしまう。

 まず、ボート型の席に乗り込む段階では、まだスクリーンは見えない。壁に遮られているからだ。

 いよいよ出発ということになると、ボート前面の壁が上に開き、ボートは真っ暗やみに吸い込まれていくことになる。

 ここは演出の重大なポイントだろう。騒がしい館内とアトラクションを隔離し、なおかつ嫌が上にも前方のスクリーンに注視させるため、まずは真っ暗やみをうまく利用して視覚を奪ったわけだ。

 このようにされると、人間は昔の海賊のように片目を常に暗闇にさらしてでもいない限り、完全に視界を奪われる。そして、暗闇に目が慣れてしまう前に間髪いれずにスクリーンの映像が始まり、それを注視せざる負えなくなる。教科書通りの完璧な導入だ。


 まずは穏やかな河が我々の目に飛び込む。かなり精緻なCG映像だ。水の粒子ひとつひとつをうまく計算しないと、これほどリアルな画像は難しいのではないか。

 そして船頭と称する者のナレーションが入るが、最初のナレーションはあまりにもプロ色が強すぎて(名の通った声優が演じている)少し興冷めしてしまうが、これは明らかに人選ミスであろう。

 特に台詞のなかにある「さっきのツアーでも途中で何人かいなくなっていたけど、今度は大丈夫でしょう」というのは蛇足としか思えない。なぜなら、我々は"さっきのツアー"に行った全員が帰ってきているのを目撃しているからだ。この台詞は激流ツアーのすさまじさを強調したいが故のものだろうが、明らかな嘘はかえって逆効果である。

 そして我々の乗ったボートはすぐに荒波にさらわれる、前方に巨大な岩塊が現れ、衝突をギリギリでかわし、ボートは木の葉のように回転する。

 このへんはライド・シミュレータの本領を発揮している部分というか、ついさきほどまでの穏やかな展開からたたみかけるようなスピード感あふれる場面へ急展開し、動きとあわせて絶妙なテイストを放つ。

 シーン全体のシナリオについて、これ以上詳細に書くのはやめておこう。体験する楽しみがなくなるからだ。

 だが、このシミュレータは、今言った二つの要素の組み合わせだけでできている。緩やかなシーンと、急なシーンである。これが4セットくらいある。

 激流くだりなんて、どうにも地味なテーマをなぜいまさら扱うのか、と最初は疑問すら抱いたが、体験したあとではハッキリと意図がわかる。このようなライド・シミュレータは、コンピュータ・グラフィックなくしては不可能なのだ。

 なぜなら、ライド・シミュレータ用の映像は編集できないために、すべて通しで撮らなくてはいけない。しかし、通しであれほど過激な激流くだりをしたら、撮影者もフィルムも、恐らく無事には済まないだろう。

 コンピュータがあれば、全ては安全な室内で作れ、しかも各シーンごとの演出というより細かい作業にも没頭できる。まさにコンピュータが可能にした新しいエンターテインメントのかたちなのだ。

 そして、"激流"こそ、セガがいままであまり無頓着だった(ように見える)ノン・インタラクティブ・エンターテインメントのプロトタイプなのではないか。というのも、激流を下るという行為そのものが、全てのノン・インタラクティブ・エンターテインメント、つまり小説や映画やテレビドラマなどの持つ、本質的な構造を備えたものだからである。

 人間が興味や快感を覚えるのは絶対量ではなく、相対量なのだという話を、以前このページで述べたが、まさに激流くだりは相対量の変化の塊となっている。それはすなわち、場面の激しさ=流れの激しさであり、緩急の使い分けによってのみ視聴者を満足させる、究極の挑戦だったのではないか。

 これが全てのエンターテインメントの基本であり、その基本をこれほどまでに見事に清々しく表現した映像も珍しい。

 というわけで、エンターテインメントとはなにか、自問自答をしているひとは、一度行ってみると良いのではないでしょうか。