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あまりにも露骨な演出。しかしこれが演出の基本である。
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実際に体験してみることを是非おすすめするが、もし体験するならばなるべく前の、それも中央に近い席に座るといい。スクリーンが湾曲しているため、後方にいくと不自然だからだ。それに、スクリーンは全域をカバーしているわけではないので、後ろや端の席だと、アラばかりが目立って楽しめなくなってしまう。
まず、ボート型の席に乗り込む段階では、まだスクリーンは見えない。壁に遮られているからだ。
いよいよ出発ということになると、ボート前面の壁が上に開き、ボートは真っ暗やみに吸い込まれていくことになる。
ここは演出の重大なポイントだろう。騒がしい館内とアトラクションを隔離し、なおかつ嫌が上にも前方のスクリーンに注視させるため、まずは真っ暗やみをうまく利用して視覚を奪ったわけだ。
このようにされると、人間は昔の海賊のように片目を常に暗闇にさらしてでもいない限り、完全に視界を奪われる。そして、暗闇に目が慣れてしまう前に間髪いれずにスクリーンの映像が始まり、それを注視せざる負えなくなる。教科書通りの完璧な導入だ。
まずは穏やかな河が我々の目に飛び込む。かなり精緻なCG映像だ。水の粒子ひとつひとつをうまく計算しないと、これほどリアルな画像は難しいのではないか。
そして船頭と称する者のナレーションが入るが、最初のナレーションはあまりにもプロ色が強すぎて(名の通った声優が演じている)少し興冷めしてしまうが、これは明らかに人選ミスであろう。
特に台詞のなかにある「さっきのツアーでも途中で何人かいなくなっていたけど、今度は大丈夫でしょう」というのは蛇足としか思えない。なぜなら、我々は"さっきのツアー"に行った全員が帰ってきているのを目撃しているからだ。この台詞は激流ツアーのすさまじさを強調したいが故のものだろうが、明らかな嘘はかえって逆効果である。
そして我々の乗ったボートはすぐに荒波にさらわれる、前方に巨大な岩塊が現れ、衝突をギリギリでかわし、ボートは木の葉のように回転する。
このへんはライド・シミュレータの本領を発揮している部分というか、ついさきほどまでの穏やかな展開からたたみかけるようなスピード感あふれる場面へ急展開し、動きとあわせて絶妙なテイストを放つ。
シーン全体のシナリオについて、これ以上詳細に書くのはやめておこう。体験する楽しみがなくなるからだ。
だが、このシミュレータは、今言った二つの要素の組み合わせだけでできている。緩やかなシーンと、急なシーンである。これが4セットくらいある。
激流くだりなんて、どうにも地味なテーマをなぜいまさら扱うのか、と最初は疑問すら抱いたが、体験したあとではハッキリと意図がわかる。このようなライド・シミュレータは、コンピュータ・グラフィックなくしては不可能なのだ。
なぜなら、ライド・シミュレータ用の映像は編集できないために、すべて通しで撮らなくてはいけない。しかし、通しであれほど過激な激流くだりをしたら、撮影者もフィルムも、恐らく無事には済まないだろう。
コンピュータがあれば、全ては安全な室内で作れ、しかも各シーンごとの演出というより細かい作業にも没頭できる。まさにコンピュータが可能にした新しいエンターテインメントのかたちなのだ。
そして、"激流"こそ、セガがいままであまり無頓着だった(ように見える)ノン・インタラクティブ・エンターテインメントのプロトタイプなのではないか。というのも、激流を下るという行為そのものが、全てのノン・インタラクティブ・エンターテインメント、つまり小説や映画やテレビドラマなどの持つ、本質的な構造を備えたものだからである。
人間が興味や快感を覚えるのは絶対量ではなく、相対量なのだという話を、以前このページで述べたが、まさに激流くだりは相対量の変化の塊となっている。それはすなわち、場面の激しさ=流れの激しさであり、緩急の使い分けによってのみ視聴者を満足させる、究極の挑戦だったのではないか。
これが全てのエンターテインメントの基本であり、その基本をこれほどまでに見事に清々しく表現した映像も珍しい。
というわけで、エンターテインメントとはなにか、自問自答をしているひとは、一度行ってみると良いのではないでしょうか。
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