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数学は宗教だ。
これは嘘でも誇大表現でもない。たとえば義務教育で必ず習う(ハズの)三平方の定理を論証した、かのピタゴラスは、自らの弟子とともにピタゴラス学派を組織し、万物の集約たる"数"を崇めた。彼らピタゴラス教徒ははじめのうち歓迎されたが、のちに政治にまで口出しするようになってから市民の怒りを買い、ついには虐殺される運命を辿った。
今日の科学の礎である数学の、最も根本的な部分は宗教的な偏執から発見された英知である。
だが今日の、いわゆる「数学者」は、およそ宗教家のそれとはかけ離れた生き方に見える。数学者にとって必要なのは"数"について考察することであり、数を盲信することではない。
だがそれは別の言い方もできる。宗教の進化したかたちが科学なのだと。
宗教は司祭によって仕切られ、より高い地位のものが低い地位のものを教導していくかたちが一般的である。
現代の数学もまた、学会というあらたなかたちの宗教団体と、教授という名の司祭、そして研究者と呼ばれる修行者とによって巨大なピラミッドを構成しているのだ。
司祭の教えは絶対である。否、絶対に近い。
ただひとつ、現代科学教が他の宗教と違うところは、現実の神との接触が有り得ることである。現代科学にとって神とは自然そのものであり、究極の目標は自然現象を全て説明しきることである。より神に近づけた者がより強力な権威を勝ち取ることができるのだ。
しかし教導者達は同時に自らの権威を守護しなくてはならない。教導者達は自らの権威を守護するために、自らを神格化し、法をつくり、素人が容易に意見できぬ社会を作り上げた。
これはおそらく他のどのようなかたちの宗教であっても、同じ事がなされているであろう。
そして数千年来、教導者達の地位は護られてきた。数学は神格化され、その理解は困難を極めるように進化し続けていく。
だが同時に、新たな世代の教導者達は初期の目的を完全に忘れてしまった。つまり自らを神格化し続けるということを、やめてしまったのだ。
ところが論文という名のもとに連なる膨大な"生きた"教義は、その神格性を脈々と受け継ぎ、外部の者には決して理解できぬ堅牢な砦をかたち作った。
だがそこまでだ。
宗教としての数学は、既に死に絶え、一部の"高級な"頭脳の持ち主たちだけがこの化石のような学問にしがみついている。
数学的な大発見というのは、10年に一度起こり得るか得ないかのレベルにあり、現代数学は数の追求を諦め、虚数や位相幾何学などの、いままでの数学的な発想を覆すような全く別個のアイディアからさらに幅を広げようという試みをはじめている。
翻ってみるに、いま大学や高校で数学を教えている人間のほぼ全てが、数学教全体からみたら極めてレベルの低い末端指導員に過ぎない。ところが末端は多いものの先端が殆どいない。だから現代数学の進化は非常に緩やかである。
さて、数学教(学校を数学をならってる貴方は立派に教徒ですよ)には、昔から他人を混乱させて楽しむという嫌な風習がある。
例えばアルキメデスと亀、空間に静止した矢の問題などを出すゼノンがそうであったし、それ以後も脈々とそのような意地悪な奴は産まれて行った。
そういう意地悪な歴史を背負った経典を読み、それで育った一人前の数学者は、当然、また意地悪なことを考え出すというネガティブ・フィードバックループに入る。
特有の言語で話し、相手をケムに巻く。ついてこれない人間は容赦なく叩き落とす。否、叩き落とす気がなくても、すでに洗脳されて一人前の数学教徒になった人間には、ついてこれない人間の気持ちなど解りようもない。
だが騙されてはいけない。教えている奴だって本当は対して理解っていないのである。もし、本当に理解しているのなら、わからない奴にきちんと教えてあげられるものなのだ。
もしくは本当はむちゃくちゃ簡単なことを、難しそうな言葉でケムに巻いているにすぎない。そして難しい言葉を駆使して、彼らは心の中でこうほくそ笑むのだ。「どうだ、おれは頭がいいだろう」と。
数学者的意地悪の法則は、殆どすべての科学にあてはまるが、どうしても簡単さを隠しきれないのはニュートン力学や数学の本質的な部分にあたる。元来、科学の目的とは自然をできるだけ単純な法則で記述しきることだ。それなのに権威を護るためには科学を神格化しなくてはならない。そのために個々の現象について新語を乱造し、特殊な専門用語の壁を作り、他分野に攻撃されないよう強力な防壁を用意したというわけだ。
まったく、卑劣きわまりない連中である。
そうした数学者的意地悪の、最たるものが3Dプログラミングだ、とおれは思う。 3Dプログラミングなんてものは、はじめるまでは実に簡単なのだ。ともすれば二次元ゲームをつくるよりも簡単だというのに、馬鹿な数学者どもが書き散らした無数のダメ教科書のせいで、学習を阻害している。
だがこれだけは絶対言える。3Dを神格化するのはもうたくさんだ。このままでは進取の精神に富み、権威がほとんど紙に近いコンピュータ科学でさえもが愚かな数学教の過ちを繰り返してしまう(既にその片鱗はある/UnixやMacなどの狂信者たちだ)。だがこれからの世界に必要なのは、誰でも理解できる土俵と、そのうえで産まれる新たな世代の協調作業なのである。
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3Dプログラミングというと欠かせないのが数学の分野の線形代数学であり、空間幾何学だ。もうここまで聞いた時点でなんのことだかわからない人もたくさんいるハズ。なぜならこれらの分野といえば、いまでは大学でしか教わることのできない、極めて高尚な学問だからである。
そして最近では複素関数論も必要になる。全てを理解しようと思えば、という前提がつくけれども。
されてはいけない。これはまず難しそうな熟語・造語を作って、素人をケムに巻く、もしくは相手の興味を失わせるために旧フランス軍が使った常套手段なのだ。
特に日本語で書くと、数学の高度(と思わせたい)分野はやたら難しそうに聞こえる。おれの近年の研究によると、これはおそらく大工と関係がある。
古来から、大工は家を建てるため、極めて高度な図形幾何学的知識と同時に腕力の強さも要求されていた。考えてみれば頭が良くて力持ちでなくてはならないスーパーマン的職業なわけだ。
そこに姑息なモヤシっ子が居たと思いねぇ。頭は切れるが腕力はからっきし。おまけに冴えないもんだからおなごにもまったくモテない、今でこそどこにでもいる普通のダメ人間だが、当時(江戸後期?)にしてみりゃダメすぎるダメ人間よ。
そんな彼がバテレンから流れてきたコ難しい外国語の本を手に入れたとしよう。
一緒に遊ぶおなごも、仕事もねぇので暇にまかせてそのモヤシ野郎はわからないなりに本を読んでみた。たとえば数というのをオランダ語でなんつーのかは知らないけれども、英語でフィギュアと発音すれば、そりゃもうなんだかわかんないし、少なくとも大工の野郎にゃわかるめぇ。
そんなわけで、駄目なモヤシっ子がモテモテの大工に対して暗い情熱で一所懸命自分のまわりを知識で固め、なるたけ難しい言葉を使うようにして完成したのが現代日本数学の基礎なんじゃないかと思う。
だが実は要はそれほど難しくはない。誰でもそうだと思うけれども、数学の教科書の其々の章の一番最初のページに書いてあることというのはそれほど難しいことじゃないわけだ。
たとえば線型代数にしろ、空間幾何学にしろ、重要なのは一番最初のこと、つまりベクトルとはなんだったのかということと、ベクトルの足算、引き算、掛け算がなにより大切で、ベクトルの掛け算と足算を簡単に書いたのが行列だということまでが解っていれば、3Dのプログラムはいとも簡単にかけるのである。
教科書のその他の部分は全てダミーだ。いや、これは対人地雷であると言ってもいい。
たとえば線型代数の教科書の最初に出てくる規約ガウス行列などはかなり悪質な地雷である。
大工の数学が「家をつくる」という明確な目的を持っていたのに対し、モヤシっ子の数学はとにかく他人をケムに巻くという曖昧で後ろ向きな目的のため、行列が持つ本質を全く無視しくさった規約ガウス行列などという変則的なものをおしつけておき、読む人間が行列を誤解するように仕組む。
規約ガウス行列の項をなんとかクリアすると、次にまちうけるのは行列とはなんの関係もなさそうな順列(たとえば1,2,3の順列は、1,2,3 1,3,2 2,1,3 2,3,1 3,1,2 3,2,1となる)の話が登場し、さらに全く理不尽な理由(いや、そもそも理由は説明されない)で符号付基本積が説明され、その後なぜかその符号付基本積から逆行列を!導く。
このむちゃくちゃな構成は一体なんなのか。無論、これは全て防壁だ。このへんでいい加減、門下生も嫌気がさしてくるだろうという陰謀なのである。
人間というのは、実は極めて論理的な生き物で、普通に言って「納得がいかない」ものを理解したとは言わない。そして結局「納得いかないけど仕方ないか」と諦めるフヌケの駄目人間ばかりを集積したのが現代数学会なのだとも言える。もし、日本の文部省が立てたカリキュラム通りに数学を勉強していく過程で全く迷わなかったのだとしたらそいつは頭がイカれてるか、そもそも「納得する」とは「記憶する」こととは違うことを知らない馬鹿野郎に過ぎない(反論したい方は小学生の知識で球の体積を求める方法を示し、証明していただきたい)。
できるわけがない。なぜなら、前節のような理由でこれは最初からそう仕組まれていたのだから。
さて、おれの大学で使ってる教科書では、このような説明で全員をノックアウトしたのちに、やっと主役のベクトルが登場する。当たり前だが、これはおかしな話だ。行列とはそもそもベクトルの集まりであり、線型代数に登場するさまざまな用語はそこから派生したものだ。ところが現実に一番最初に説いたのは規約ガウス行列という、行列と呼んでしまうにはあまりにも胡散クサイ単なる数字の羅列である。規約ガウス行列というのは、簡単に説明すると連立一次方程式を解くためのものなのだが、実はそれほど・・・・というか全くたいしたことはしない行列なのだ。
行列について正しく理解していない門下生(学生)が、規約ガウス行列のあとにベクトルの集合としての(普通の)行列を習ったら、結局行列とはなんなのかわからず混乱してしまうだろう。
むろん、それが真のねらいということは明らかだが。
さらに簡単にわからせてたまるかとばかりに、本堂たるベクトルと基底変換行列との間に、グラム・シュミット法やn次元ユークリッド空間などの混乱のためのキーワードを織り交ぜる。
さらに内積もたんなる内積とよばず、わざわざユークリッド内積と呼ぶようにしてさらにわざとらしい混乱を要求する(もう馬鹿馬鹿しくてつきあってらんないよ)。
たとえばこういう風に言葉をじゃんじゃん増やしていくと、特にユークリッドくらい有名だと、ユークリッドというだけで、素数を割り出す「ユークリッドの互除法」や「ユークリッドの"言論"」、「ユークリッド幾何学」などを連想してしまい、上手くいけば「ユークリッド内積は素数と関係がある」というとんでもない誤解を引き出すこともできる。
また、オイラー級数やオイラー角も、同じオイラー(Eular)という名前がついているので同じ分野の用語と思いきや、かたや解析学、かたや幾何学の用語であり、互いに全く関係ない。
これで困るのは、たとえば参考書などを探しているときに「オイラー」で検索をかけると両方ともでてきてしまうところである(無論、オイラーではなくてオイラー角で検索すればいいという問題ではない)。
オイラー角などは記述がすごく少ないので書店などで索引を片っ端から調べることがよくあるが、「あ、あった」とぬか喜びしてもオイラー級数のことだったりすると怒り心頭である(幾何学の本だから級数が全くでてこないかというとそうでもない。たとえば三角関数などは解析学の分野にも含まれるからだ)。
このようなわけのわからん横の連携プレイに愛想を尽かして逃げ出すのを、奴等は今か今かと待ち構えているわけだ。
でもね、本当は算数がわかっていたら世の中渡って行けるのよ。数学の権威なんて信じちゃダメダメ。
3Dプログラミングに必要な数学の知識は殆ど僕の本に書いてあることだけで万事おっけーなのよ。ただし、時折、かなり特殊な分野のことを探さないといけないこともあるから気を付けないとまた失敗する。
たとえば3D組む外人ならどこの誰でも知っている四元数(Quaternion)はカンペキに複素数の世界の話だから複素数がわかんないと駄目かというと、別にそういうわけでもないとか、とにかくこの世の学問はハッタリだらけなので、権威のある人には御用心。
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