メチャクチャにコーフンしてしまうゲームとは、果たしていかなるものなのだろうか。それは果たして僕らは経験したことがあるんだろうか。それともないんだろうか。その魅惑の秘密に迫る(のか?)
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仕事がひと段落・・・ついて(?)、次になにをしようかと考えたとき、勉強しろよという声も聞こえてくるけど、それだけの人生じゃあ、もの足りないじゃないの。
そうしたらやっぱりゲームかなぁ、と思ったりして。だけど壮大なゲームエンジンの制作を含む意味でのゲーム制作はProjectKがあるから置いておくとして(そしてVectorStormエンジンの開発もだいぶ進んでいるからこれはこれで問題ない)、そうではなくて、単純に「サクッと楽しい」ゲームってなにかなと考えてみる。
最近まわりがハマッているのが「レインボーシックス」というかのトム・クランシー先生が指揮をとった硬派系アクションストラテジーだという話を前にしたけど、あれに熱中しちゃうのってどうしてなんだろう。
ひとつの理由として、1ゲームがとても早く終わるというのがあるかもしれない。特に対戦の場合、カカカッという軽い音とともにドサリという音が響いてゲームオーバー。あとは他人のプレイをみているしかない。
とはいっても、ひとつひとつのゲームは実に短い時間で終わる。ほんの数分間の出来事である。初心者ばかりが集まると、だいたい30秒くらいでカタがつく。
それではゲームの内容が薄いのかというと、それが正反対にドキドキものである。
窓から身をさらすのは最も危険・・・・いい標的になるからだ。敵に気づかれないよう、グレネード弾とスコープを駆使して遠くから、速やかに敵を葬るのがこのゲームの鉄則である。
すぐにあっけなく終わってしまうから、「こんちくしょう」ともう一回。なぁに。たいした時間はとらないさ。そして気がつくと夜が明けている・・・・。
このようなネガティブ・フィードバック・ループは、ひとつのゲームが適度に短い場合は特に陥りやすい。
たとえばBio_100%の3分間シューティングCarax'92も、「たった三分だけだから」と思いつつ気がつくと何時間もプレイしているのである。この儚さが、ズバリ「ハマリゲー」の本性なのかもしれない。
三分というと短いようだが、実は結構な時間だ。そのぶん回数をプレイしてしまうため、たとえばたった20回プレイするだけで1時間が経過してしまうのだ。これにハマッて60回もプレイすると、既に3時間が経過していることになる。中毒性の高いゲームとは、そんなものかもしれない。
考えてみると、いわゆる「ハマッた」ゲームというのは、だいたい三分かそこらの作業の繰り返しでしかないことに気づく。
たとえばスーパーマリオ。全体としてみれば長く壮大なゲームに思えるかもしれないが、実はあれは自分自身を環境に適合させる「ゲーム」なのだ。
その適合上でネックになるのはひとつのステージでせいぜい一個所から二個所。それ以上になると「難しすぎる」という評価になる。
そしてなんとひとつのステージは・・・まさに三分程度なのだ(!) スーパーマリオに夢中になっている頃、かならず熱中しているときはサクサクと前に進んでいる時ではなくて、なかなかうまく行かなくて繰り返し繰り返しトライしているときではないだろうか。
僕は過去、このページで「無意味な繰り返し経験の必要なゲームはエンターテインメントになり得ない」という主旨で発言を続けていた。そのこと自体に異論はないが、しかし現在の「コンピュータゲーム」が持つ大きな性質としての「自己強化学習の快感」という要素を完全に忘れていたようだ。
これもまた、立派にゲームが「オモシロイ」理由なのである。
なぜならそれは意味のないリピートではなく、自分を次なる段階へとステップアップさせるための「試練」だからである。
これを頭ではなくて身体でプレイヤーに理解させるには、やはり絶妙な味付けが必要だ。
たとえば非常に単純な「撃ち合う」だけのルールがあるシューティングであっても、ゲームとして十分面白く成立することもありうる。
昔自分で制作して自分でハマッていた3DシューティングもたしかCaraxの影響を受けて三分制限にしていた。三分というのは短いようでなかなかドラスティックだ。マリオはクッパを倒すし、フリーズドライの食品だって解凍されてしまうのだから。
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