最も危険な野球漫画「H2」
以前、タッチの話をしたら珍しく受けたので、今回は「H2」の話をします。
いわゆる「あだち世界」における魂の兄弟(タッちゃんと、カッちゃん)の野球対決(勝者には南ちゃんを贈呈!)は、実はいまだかつて一度もまっとうに描かれたことがない、というのが前回の結論でしたが、しかし現在「少年サンデー」に連載中の「H2」。ここにおいて、あだち先生はついに、たっちゃんとかっちゃんの甲子園ハルマゲドンを描いてくれるのでは、という期待があります。
しかし、どうやら、今回のハルマゲドンが真っ向から描かれてしまうと、恐らくタッちゃんとカッちゃんの二人が共倒れになってしまうような予感がします。
というのは、この対決が、甲子園の決勝戦ではなく、準決勝に行われるという伏線があるからです。どうもここに、破滅の予感が。つまり、禁断の兄弟対決を行った二人は、二人ともども、野球選手としての栄光を失うという代償を払わされるのではないかと思われるわけです。
考えすぎかもしれませんが、それほど、あだち世界における兄弟対決というものはタブー視されており、あだち作品とは兄弟対決へ向かおうとするあだち先生のパトスと、それをどうにかして押し止めようとするあだち先生のスーパーエゴとの果てしない葛藤の果てに生み出されていると言っても過言ではないのです。もしこの兄弟対決を描いてしまうと、おそらくあだち先生の創作衝動は完全燃焼し、真っ白な灰になってしまい、以後傑作をものせないのではないか、と思われるほどにこの葛藤は深い。従って、もしこれが実現した場合、恐らく、たっちゃんもかっちゃんも、作者の創作衝動の消滅を象徴するかの如く再起不能となってしまうのではないかと思われるのです。
このままでは準決勝において、すでに視覚障害を起こしつつあるかっちゃん(英雄)は視力を低下させて再起不能に。兄貴に交通事故または視覚障害が発生するというのは、あだち世界の法則のようなもので、いわば漫画家の指が動かなくなってしまうような致命的ハンディキャップを常にあだち世界の兄貴かっちゃんは背負わされるのです。また、それ故に、兄弟対決がなかなか実現しなかったわけですが・・・
そして、たっちゃん(比呂)のほうは、朝日新聞の陰謀としか思えない炎天下の連投酷使によって、恐らくこの試合で肩を痛めて再起不能になるでしょう。すでに「タッチ」のたっちゃん(上杉達也)が夏の甲子園で肩を壊していますし、あだち先生は「甲子園大会とは、将来有望な投手がプロ入りの夢を捨てて今この瞬間に燃え尽きて肩を壊すところだ」と考えているようなので(実際その通りですが)これは避けられないような気がします。
つまり、このH2=ヒーロー2人の夢の対決にはおそらく、勝者はいないのではないか、結局二人ともに敗者となるのではないか、そう思われます。無論、試合の決着は多分弟たっちゃんの勝利ということで結末がつくと思われますが、恐らく最後の対決において、かっちゃんは視力を失い、たっちゃんは肩を壊し、決勝戦では木根君がマウンドに登ると思います。H2で最終的に野球選手人生の「勝者」となるキャラは、意外かと思われますが、多分、木根君です。
このことを詳しく説明すると、まあこういうことです。
H2における三大実力キャラは、英雄(かっちゃん)、比呂(たっちゃん)、そして栄京の広田の三人です。この三人が、周囲からズぬけた野球実力の持ち主として描かれています。
このうち、英雄と比呂は、後のことなど一切おかまいなし、最終回における兄弟対決で文字通り「完全燃焼」することしか頭にない、純粋野球狂であり、これが「善玉」として描かれています。対照的に広田は高校野球を自分の契約金をつり上げるための営業の場所だとしか考えておらず、フェアプレー精神のかけらもなくビーンボールでもなんでも使うマキャベリスト。無論、彼はあだち世界における「悪玉」です。
あだち世界においては、たっちゃんもかっちゃんも全く等しい価値観を共有する「善玉」ですから、この二人の対決を描くだけでは、実は野球ドラマとしては作品が成立しないのです。南ちゃんの取り合いという恋愛ドラマの側面はともかく、こと野球に関しては、たっちゃんもかっちゃんも「後のことなど考えず、今この瞬間に燃え尽きる」という青春高校野球狂であり、そしてビーンボールや敬遠などといういわゆるダーティなやり口については絶対に認めない主義。つまり、比呂のセリフを引用すれば、英雄はライバルだけれども、広田は「ライバルなんかじゃねえ。ただの敵だ」ということになるわけです。
言うまでもなく、たっちゃんとかっちゃんは、あだち先生の分身であり、二人の野球観はすなわちあだち先生の抱く野球観=あだち世界の野球観そのものだと断定しても問題ないでしょう。
つまり、あだち世界における野球とは、実は「この試合で再起不能も辞さず」というアストロ球団ばりの一試合完全燃焼主義であり、同時に敬遠・ビーンボール・その他もろもろのダーティな野球を悪と断罪して徹底的にクリーンでスポーツマンシップに溢れた清浄な野球を是とする「野球聖戦主義」と申してもよいでしょう。理想主義野球とでも申しましょうか。
つまり、あだち世界では、グラウンドの外は汚濁にまみれていても、神聖なグラウンドで展開する野球という世界にはウソ偽りがなく、従ってたっちゃんとかっちゃんは必ず野球という舞台において南ちゃんを取り合うことになるのです。あだち世界の野球とは、一切のウソ偽りのない清浄なる戦いだからこそ、同じ価値観を共有する兄弟の戦いの舞台は野球でしか有り得ない、というわけです。それ以外の方法で取り合えば、現実的なドロドロの遺恨が発生してしまうが、野球で決着をつければ遺恨は生まれない、ということになっているわけです。
従って、「陽あたり良好!」の克彦さんが戦いの舞台に登れなかったのは、彼が野球部に所属していなかったからだし、「タッチ」のかっちゃんが死んでしまい、新田君や柏葉監督といった仮想かっちゃんにたっちゃんとの対決を託すことになったのも、かっちゃんとたっちゃんが同じチームに所属していたからでしょう。だからこそ、タッチでつけられなかった決着をつけるべく開始された「H2」において、英雄と比呂が最初から違うチームに属しているわけです。
・・・しかし、英雄と比呂、全く同じ野球観を持つこの二人の対決は、南ちゃんを巡る恋愛ドラマの主筋にはなりえても、実は野球ドラマにはなりにくいのです。何故なら、それをストレートに描くと「力いっぱい、投げた」「力いっぱい、バットを振った」という、ただそれだけの肉体的能力の比べ合いとしてしか表現できない。お互いの野球観の間に葛藤が起こらないので、野球の試合としては盛り上がっても、ドラマにはならないというわけです。
これがたとえば「ドカベン」あたりだと、悪球打ちの岩鬼とか、秘打の殿馬とか、野球選手としての個性が各々際だっているので、純粋な野球技術の対決としての野球漫画として成立する。しかし、「ひたすら速い球を投げる」たっちゃんと、「ひたすら凄い天才バッター」のかっちゃんが、正面からぶつかり合うとしたらどうでしょう。無論、単純な対決ですから、結果は三振かホームランでしか有り得ない。いくら南ちゃんを間に挟んでも野球漫画としては実は盛り上がらないのです。
故に、二人とは全く対立した野球観を持つ広田が、野球漫画としての「H2」には欠かせないキャラクターとして活躍することになるわけです。文字通り、広田は彼ら=あだち世界の敵だからです。「タッチ」においては、仮想かっちゃんとして急遽登場した新田もまたあだち世界的野球観の持ち主だったために、さらにあだち先生は自分と異なる野球観の持ち主=敵として柏葉監督を投入しなければならなかった。これは「タッチ」に「チーム内部における葛藤」という緊迫感をかもしだし、作品を成功させた要因ではありますけれど、本来のあだち世界における兄弟対決としてはいささか変則すぎたと思います。従って、反あだち世界的な監督対純粋なあだち世界的な選手の対立というドラマは、「H2」においては、栄京の監督と選手との間に描かれているわけです。比呂や英雄のチームの監督は実に善人で、あだち世界の野球人そのものです。
こうしてあだち世界とは異なる価値観のキャラクターを配したところから話を展開させ、反あだち世界の権化である栄京の広田は、天誅天罰を食らって肘を壊して再起不能となり、広田と同じく反あだち世界の人間である栄京の監督もまた、自分がかつていじめて干した教え子に試合で破れたために体調を崩してあだち世界から消えていく。かくして、まずあだち世界(野球の理想主義)対反あだち世界(野球の現実主義)の倫理的対決とあだち世界の勝利が描かれ、野球における理想主義があだち世界を統一してから、兄弟対決が描かれる・・・というのが「H2」のおおよその構図でしょう。
実際、中盤に至るまでは、英雄と比呂の野球対決のシーンよりも、彼らと広田との全く相容れない価値観のぶつかりあう野球対決のシーンのほうが、はるかに野球漫画として盛り上がってしまっています。そして、ここで、あだち先生は、実は誰もが踏み込めなかった危険な領域までを描いてしまっています。
というのは、広田の最大の得意技が
すっぽ抜けたといういいわけの元に意図的に投げるビーンボール
なのです。野球評論家などは、たいてい、「狙って投げる投手などいない」と言い張りますし、「逃げられない打者のよけ方が悪い」などと打者を批判するのが常套手段。日本野球においては、「ビーンボールというものは存在しない」「あったとしても当たる打者に責任がある」というのが常識なのです。
なのに、「H2」という漫画は、あだち世界の理想主義野球を光らせるべく、あえてその日本野球のタブーを犯して、現実の日本野球の陰惨さを正面きって描いているわけです。なにしろ、プロ野球でもタブーとされているビーンボールを高校野球の世界で描いてしまうというのは、相当に危険です。
実際、テレビ朝日が一度、「タッチ」の二番煎じとして一稼ぎしようとでも考えたのか、「H2」をアニメ化したことがありました。だが、連載当初はともかくとして、中盤以降えんえんと展開する高校生が薄汚いいいわけをしながら野球のルールの盲点をついてビーンボールを連発する、などという話を高校野球最大のスポンサーである朝日がオンエアできるわけがないではないですか! 朝日側が、まさかあだち先生がそんな危険な話を描くとは予想だにしていなかったことは、恐らく広瀬哲朗のツテで久保田に主題歌を歌わせていたことからも容易に察しがつきます。朝日のプロデューサー達は、あだち世界の表層のさわやかさだけしか見ておらず、「タッチ」の底流に流れている卑怯な日本野球に対するドロドロとした怒りと怨念を読みとっていなかったのでしょう。そうでなければ、広瀬哲朗なんかを「H2」に動員しようなどと思いつく筈がない、というか、まあそういう局なんですよ。言うまでもなくアニメ版「H2」はたちまち打ち切りになってしまったのですが、理想主義野球を描ききることに燃えるあだち先生は、そんなことにはお構いなく己の信念のままに「日本野球には、いいわけをいちいちデッチあげながら平然とビーンボールを投げている投手がいる」という現実主義野球のいかがわしさを描ききってしまったのでした。
さらに、この広田のチームの監督というのが、社会的には何度も優勝経験のある「名将」として現れ、一見重厚な雰囲気の人なのですが、これが実は友達のいないイヤな奴で、選手を自分の名声をあげるための手駒としてしか観ておらず、無論ビーンボールやスパイクなどの汚い攻撃はお手の物。自軍の選手に関するニセ情報を流したり、いわゆる死んだふり作戦を敢行したり、目先の勝利のためにかたっぱしから選手を小さくまとめてしまったり、自分の采配に逆らう選手は絶対に試合に出さなかったりと、とにかく酷い人間なのです。
彼に干されたある選手が、「あんたは名将かもしれないが、高校野球の指導者としては最低だ!」と叫んでいますが、これは無論、あだち先生自身の声と解釈してよいでしょう。何故なら、その選手が、後に比呂のチームの監督に就任し、サインらしいサインも出さず選手を放任するいわゆるダメ監督として活躍するようになるからです。
さて、この栄京を率いる偽善の限りを尽くす名将、どこかで観たことがある人だと思いませんか。勝つためには手段を選ばぬ、ビーンボールやニセ情報作戦などの薄汚い戦術を駆使し、要注意の他チームは徹底的にスパイし、自分に逆らう選手は絶対に使わず、選手の個性を圧殺し、己の名声のためだけに野球の監督をしている、友達のいないこの男。しかし世間は野球に疎くてただ結果しか観ていないから社会的には名将の名を欲しいままにしているこの監督。あだち世界の理想主義野球を腹の底から馬鹿にし、日本野球をどんどんベースボールから遠ざけていくこの男。周囲からは「タヌキ」と呼ばれているこのペテン師。
そう、言うまでもありませんね。野村ナントカ監督とうり二つなんですよ、この栄京の監督は。
そういえば、この監督、何故か一人の捕手を徹底的に嫌ってベンチに干してネチネチいじめていますが、この不遇の名捕手って、もしかしたら野口がモデルだったりして。
ことほどさようにあだち先生は、現在の日本野球というものを徹底的にケチョンケチョンに漫画の中で悪役として描ききってコテンパンにやっつけているわけで、テレビ朝日のアニメのことなんかよりも己が信じる理想の野球を描くほうが大事だ! というこの本気の創作態度にはまことに頭が下がります。
そして、かようなあだち世界においては、比呂や英雄のような理想のために破滅しようというアストロ純粋理想主義でもなく、さりとて広田のように他人を蹴落とすことしか頭にない月見草的現実主義でもなく、普通のスケベでかっこつけたがり屋でお調子者で根は真面目ないい奴、というコメディリリーフの木根クンこそ、実はもっともバランスのとれたキャラクターであるわけです。したがって、彼がこの朝日をも巻き込んだ「H2」における野球ハルマゲドンを生き延びて、最終的にはなんとなくプロ入りしてスター選手となり、ガーッツ!うはうは、とか言いながら、これまた普通の彼女の小山内美保ちゃんとなんとなくつきあっている・・・というのが、もっとも「現実」と「理想」との間の折り合いがついたバランスのいい結末なのではないか、という気がします。現実の中では、必ずしも理想が100%完全に勝利するわけではない、というバランス感覚が、極端な理想主義者&極端な現実主義者だらけのあだち世界にリアリティを持たせていると思われる以上、そうなるのが自然ではないでしょうか。
元々はスーパースター英雄のファンとして登場した小山内美保が、なんとなく成り行きでダラダラ木根くんとくっついたあと、「私の彼はどうでもいいんですよ。あんな、誰もキャーキャー言わないような奴は」とか憎まれ口を叩いているんですが、これもなんとなく伏線のような気がしてなりません。考えすぎかもしれませんが・・・
また、最近の回では、甲子園で連投を続ける比呂に、木根は「お前が俺のようにペース配分して投げられれば鬼に金棒なんだけど、お前は全力投球しか出来ないからな・・・」と、珍しくシリアス顔で忠告していました。これまた、比呂の甲子園における故障・再起不能と、木根のプロでの成功を暗示している伏線のような感じです。
まあ、別に、比呂と英雄がその後メジャーリーグに対決の場を持ち越した! みたいな終わり方でも全然構わないのですが。野球ファンとしては、結局は女の取り合いでしかないこの二人の対決よりも、野球における理想主義対現実主義の戦いのほうが気になるわけで、それはもう広田と栄京監督の脱落によって決着がついているわけです。ただ、あだち漫画ファンとしては、いったい兄弟が激突したらどうなるのか、という興味があるので今後の展開が実に楽しみなわけですが・・・
だが、残念ながら、ビーンボール野球というものが実在する、というタブーを描いたあだち先生も、サインのノゾキ、いわゆるスパイ野球については、まだ触れていないのです。スパイとして敵チーム選手を送り込んで内部攪乱させる・・・という、考えようによってはもっと酷いやり口を描いてはいるのですが。
実際、「H2」において栄京が理想主義野球に破れたのは、栄京がスパイ野球をやらなかったからなのでは、という気がします。現実であれば、スパイ野球やって勝って終わりじゃないでしょうかね。もっとも、比呂がほとんどストレートしか投げない投手なので、サインを盗んでもあまり意味がないということもあるのですが・・・
考えようによっては、あだち世界のエースがつねにストレート馬鹿一代で、滅多に変化球を投げないのは、暗に「スパイ野球をやっても、直球一直線で勝負するあだち世界のエースには関係ない」ということを言いたいのではないでしょうか。そうでなければ、まっとうな野球がスパイ野球を破ることは困難だからです。日本プロ野球の多くの「名将」と呼ばれる人々にいまだにスパイ疑惑が多数かかっていることからも察しがつきます。中には名将と呼ばれてもいないのにスパイやってそうな人もいますが・・・いずれにせよ、ビーンボールとスパイとは、日本野球最大のタブーであることは間違いありません。
従って、「H2」で広田が自分のパシリを敵チームへスパイとして送り込むというエピソードは、サインを覗くいわゆるスパイ野球を直接描けないための、代償行為なのかもしれません。
朝日におけるアニメを蹴り飛ばしてまで己を貫き卑怯なビーンボール野球や悪の管理野球を徹底的に批判しまくったこの歴史的デンジャラス野球漫画「H2」完結のあと、あだち先生には是非、もうひとつのタブーである「スパイ野球」を断罪する漫画を描いていただきたいものです。
結局、あだち漫画が感動をよぶのは、ただあだち世界が爽やかな善人の世界だから、という単純な理由ではなく、あだち野球がスポーツマンシップに溢れた正々堂々の爽やか野球だからでもないのです。あだち漫画は、「人間には限りなく醜く卑怯な心があり、野球もまた限りなく醜く卑怯な球技に堕することができる。しかし、だからこそ、スポーツマンシップにのっとったまっとうな野球に価値があるのだし、そのようなフェアプレー精神を持った選手や監督こそが素晴らしいのだ」というふうに一度現実の汚濁を突き抜ける二重構造だからこそ、思わず感動してしまうわけです。従って、野球に対しては完全な理想主義者である英雄と比呂においても、人間の暗黒面は「女のとりあい」という形で絶えず描かれており、敢えてそのドロドロを理想主義野球という舞台で昇華させようとするところに、この二人の救済(現実としては選手生命の破滅であっても)があるわけです。
「タッチ」は主にたっちゃんとかっちゃんの葛藤を基本として描いた漫画でしたが、こと野球における正義と悪、理想と現実を描き抜いた作品としては、「H2」のほうがはるかに先に踏み込んでおり、この漫画こそが今までで最も危険な野球漫画、と評してもよいでしょう。それほどこの作品には、緊張感があります。まるで、近鉄戦で打席にたつイチローを見せられるかのような胃の痛む緊迫感が。まあ、ここまでやっちゃうと、気の弱い人とか、いちいち漫画に自我を乱されたくないフツーの読者さんは、ひいちゃうんじゃないか、という気もしますが、そこをサラリと読ませて「分かる人にしか分からない」ふうに描いてしまうところがあだち先生のテクニックの凄さというものでしょう。
まあ、とにかく、朝日がこの漫画を完全アニメ化できる筈がなかったんです。唯一オンエア可能なテレビ局は、言うまでもなくビーンボールでいたぶられ続けている読売。「タッチ」の後日談がフジではなく何故か日テレでオンエアされたのも、おそらくはそういう裏事情が絡み合ってのことでしょう。朝日局内ではもはや「あだち漫画」はタブーにされているのではないかと思いますね。読売も、「ドーム君」みたいなわけのわからんアニメを作るくらいなら(あれはあれで面白かったですが・・)、「H2」を完全アニメ化すればいいんじゃないでしょうかね。当然読売アニメ版では、栄京の城山監督は原作と異なって眼鏡をかけている出っ歯のおっさんなわけです。へんな嫁が裏でしきってたりするという。当然、広田君は、藪にらみの目線と巨大な口が目立つ自称「織田裕司似の男」ってところでしょうか。でも、英雄と比呂が、清原と桑田にそっくりでは、ちっとも爽やかじゃありませんねえ、悪人対悪人の陰惨な戦いになってしまってトホホ・・・
おわり
余談1 日本野球におけるビーンボールや川上系管理野球は、日米決戦などをいいわけとして用いつつ、あの梶原一騎先生が「巨人の星」において理論的・感覚的に市民権を与えてしまったのではないか、と私は疑っているわけですが、巨人の星から30年を経て、ようやくここにアンチビーンボール・アンチ管理野球漫画というものが誕生したわけです。梶原の場合は、野球に対して悪気があったわけでも理想があったわけでもなく、別に野球ファンではなくて元々格闘技系の人だったという不幸が偶然にも「巨人の星」をああいう異常な格闘野球漫画としてしまった、という理由もあるんですが。
余談2 ・・・そういえば、昔は、水島新司先生も、ドラフト制度反対漫画「光の小次郎」なんてのを描いておられて、あの頃は素晴らしい野球漫画家だったんですけどねえ・・・でも考えてみれば、エロリビドーが描かせた「野球狂の詩」を除けば、気骨があったのはあれ一作だけでしたね。後はもう姑息な野球ばっかりで・・・岩鬼ははっきり言って長嶋茂雄のパクリだし、トホホ。板東英二が「長嶋さんという人は、どまんなかのタマを投げられたら、今のは魔球か!と本気で驚いて狼狽えるんですわ。で、ワンバウンドになりそうなフォークを投げると、それをホームランして『見たか英二!』とはしゃいでガッツポーズを取るんです。いったいこの人は何なんやろう、到底かなわん、とあきれ果てましたわ」とかつて「ミスター悪球打ち伝説」を語ったところ、岩鬼もご存じの悪球打ちとなり、伝説の「ベース踏み忘れ」も岩鬼に何度もやらせ・・と、アンチ巨人と言いながら結局唯一華のあるキャラクター岩鬼はまんま長嶋のクローン。なんだかセコいというか人として恩知らずなような気がしますが、どんなもんでしょうね。やっぱり、長嶋の悪口で食っている野村のシンパだけのことはあります。ドカベン香川で味をしめて中西に便乗したタイアップ漫画なんかもやりましたしね・・・もうイチローの悪口とダイエー翼賛漫画は勘弁してほしいですね本当に。どう考えても日本野球をダメにした巨悪ですよ。