サマーラからモスクワに向かう寝台列車の2人室で同室だったサマーラ出身の青年。穏やかな物腰の人で、折り鶴を1羽あげたらサマーラ名産のチョコレート菓子をいくつかくれ、途中駅で買ったピクルスだかジャガイモだかをおすそ分けしたらきっとモスクワへのお土産にと持ってきたに違いないそのお菓子を1箱まるごと私にくれてもうすっかり恐縮してしまった。 (1997年8月撮影)
ペレストロイカの時代になって、その風をいちばん早く敏感に感じたのはやはり青年たちだったかもしれない。写真の青年は父親がチェロ奏者、母親がピアニスト、妹もピアノを弾くという音楽一家で、本人も少年時代はトロンボーンを吹いていたが、「社会主義」の緩みはじめたのを見てとって急にロックに転向した。と言ってもスタジオがあるわけでもなく、ある大きなビルディングの基礎の部分に穴を掘って、そこをスタジオがわりにしていた。文字どおりの「アングラ」だが、案内された私のほうはこんなことをして建物が大丈夫なのかそっちが心配だった。地震のない国だからいいのか..。 (1991年8月撮影・イルクーツク)
白樺の木立ちの間で語り合う二人というロマンチックな図だが、じつはこの時期のシベリアは蚊が多く、写真から想像するほどロマンチックな雰囲気に浸ってはいられない。「蚊がすごいね」というと「ここのはまだいい。レナ川のあたりのはもっと大きいよ。」なんて返事がかえってきたが、そんなことをいわれても何の慰めにもならない。 (1993年8月撮影・イルクーツク)
川岸の散歩道で乳母車を押す父親。2台まとめて押しているのは双子だからかと思ったが、そうなら乳母車が同じ型のことが多いから、もしかすると保育所で同じクラスの子を預かっているのかも。 (1989年8月撮影・ハバロフスク)
ムルマンスク郊外コラの町で観光客を歓迎する催しに参加したムルマンスク教育大学の学生。伝統的な塗り物の食器をカスタネットとして使うところを日本人観光客に教えている。 (1985年12月撮影)