サンクト・ペテルブルクの街を特徴づけるのは何といっても市内を縦横に流れる運河。冬になると凍結して、こんな絵画のような風景を描き出す。 (1996年12月撮影)
ネヴァ河畔デカブリスト広場にあるピョートル1世記念像。台座には「ピョートル1世に捧ぐ。エカテリーナ2世。1782年」の文字がある。フランスの彫刻家ファルコーネの作。
アレクサンドル・ネフスキー修道院から旧海軍省まで、ほぼ東西方向に一直線に伸びる大通り。帝政時代からペテルブルク一番の繁華街だが、通りに面した建物には厳しい高さ制限があって、通りは今でも帝制時代の面影さえ感じさせる雰囲気である。 (最上段1984年8月,中段1996年12月,最下段1985年8月撮影)
ネヴァ川をはさんで冬宮のほぼ対岸に位置するのがペトロ・パブロフスク要塞。もともとはスウェーデン軍に対する防衛拠点として構想されたが、すぐに要塞としての意義を失い、むしろ政治犯等を収容する監獄として知られ、恐れられた。中央の尖塔はペトロ・パブロフスク寺院。ロマノフ朝の歴代皇帝の墓もこの寺院の中にある。要塞の敷地内に造幣局もある。また、今でも毎日正午に時を告げる大砲が撃たれる。(上段1995年8月,中段左1985年12月,中段右1987年12月撮影)
要塞監獄の独房内部。右の写真は、この監獄の47号房にレーニンの兄アレクサンドルが1887年3月3日から5月5日まで収容されていたことを記した説明書きの一部。兄の刑死がレーニンに大きな影響を与えたとされる。 (1998年8月撮影)