核兵器の廃絶をめざす国際的な運動「平和の波」のポスターが空港ビルの出入り口に無造作に貼り出されていた。 (1989年8月撮影)
空港前の広場には、平和を訴える児童の手描きのポスターを掲示してカンパを求める一団の人々がいた。旧ソ連ではスローガンを書いた看板やポスターにはよくお目にかかったが、こうした街頭での地道なカンパ活動などに出会うのはまれであった。 (1989年8月撮影)
戦争というのはそれ自体が終わったからと言ってすぐに悲劇が終わるわけではない。戦後異国に抑留されたまま故国の土を踏むことのなかった人も少なくない。写真はハバロフスク空港に近い墓地の中にある日本人の墓。でも、こうして日本から墓参に来やすい所に墓標のある人はまだ「幸せ」なのかもしれない。 (1999年4月撮影)
しかし、戦争は第二次大戦で終わったわけではない。カルバジノ・バルカル自治共和国の首都ナリチクの町を歩いていたら写真のような碑を作っているところにであった。大祖国戦争の英雄碑をなぜ今ごろになって?と思って近づいてみるとそうではなくてアフガニスタンで戦死した兵士のだった。今にして思えばもうこの頃からソ連邦は崩壊しつつあったのかもしれない。 (1989年8月撮影)
ヴォログダの市内でも、第二次世界大戦の戦没者慰霊碑とは全く別のところにアフガン戦争の慰霊碑をみつけた。ロシアのいくつかの都市にはやがてチェチェン戦争で犠牲になった将兵のための碑が建つのであろうか。 (2000年1月撮影)