レニングラード大学東洋学部の教授、故D.P.ブガーエワ女史。邦訳されているものに『近代日本の先駆的啓蒙家たち』(亀井博訳/平和文化/1996年初版)がある。 (1985年8月撮影・レニングラード)
1996年の秋から暮れにかけて日本を訪問された時の写真。 (1996年12月撮影・新宿〜小田原間)
日本では入場券を買って博物館に入ったらあとは一人で自由に見て回ると誰もが思うけれど、あちらではガイドさんについていって説明してもらうのが一般的。このガイドさんというのがたいていひどく熱心で、帰りの時間のことをこちらから言い出さなければ閉館まで館内を連れて歩かれるのではと思うほどだ。写真はペトロザボーツクの郷土史博物館を案内してくれた副館長。館内を歩いた後、館長室に我々を招いてお茶を出してくれて、さらに自身の研究テーマでもある分離派教徒についてのレクチャーを続ける。手前はロシア人通訳。 (1998年8月撮影 )
イルクーツク・フィルハーモニーのチェロ奏者ワレンチン・チーホノフ氏のお宅での記念写真。夫人はピアニスト。後列左側の2人の女性は同家とおつき合いのある声楽家で、この日ロシア・ロマンスを何曲か歌ってくださった。 (1991年8月撮影)
娘のアーニャさんも地元の音楽学校に通っていてピアノが上手い。母娘で連弾をしてくださった。
旧ソ連では町を歩くとむやみに制服姿が多く、はじめの頃私はどれが警官でどれが兵士かわからなかった。外出許可が出て町へ出てきたところなのか、ちょっとくだけた雰囲気のソ連兵たち。 (1990年8月撮影・トヴェリ)
コーカサス北麓イトコールのあたりに山の中腹までリフトで上がって山々を展望する場所というがある。我々とはちがってリフトを使わずにそこまで登ってきた若者たち。眺めの良い岩の上で一服しているところ。日本では富士山に登るのも五合目まではバスだなんて聞いたら彼らは目を剥くに違いない。乗り物だけでなく装備というか道具も質素だということは履いている靴を見ればわかる。 (1989年8月撮影)