イルクーツクのホテルのロビーで見かけた地元の学校の生徒。ソ連時代は外国人用のホテルに現地の人が立ち入るのは規制されていたから、こうやって地元のしかも子どもたちがホテルに自由に出入りするのは何か新鮮な感じがした。 (1991年8月撮影)
3年後に会ったらもう立派な大学生になっていた。 (1994年8月撮影)
今から10年以上も前のある年の冬、レニングラード郊外のパブロフスクに行った時、居合わせた親子連れの写真を撮ってあげてそれを送ったら、丁寧な返事が来て、その後も何度も手紙が届いた。手紙にはプーシキンの詩だのが引用されていたりで私には少々難しかったが、書き手のカーチャが知性的な女の子だということをじゅうぶんうかがうことができた。 (1986年12月撮影)
彼女が住んでいるアルハンゲリスク市が外国人にも開放されると一度町を訪ねるように何度も言われたが、私がそれを実現できたのは初めて会ってから12年近くも経ってのことだった。 下の写真はダーチャの庭で野苺を摘むカーチャ。 (1998年8月撮影)
エニセイ河畔の町レソシビルスクの道ばたに木の実や野苺を入れたバケツを置いて商っていた若い女性。幹線鉄道の急行停車駅では地元の人たちが列車の到着時刻に合わせてやってきてそうした物を売るのと同じように、大河の岸辺の町では観光船の接岸日時に合わせて即席の市が開かれる。持ってきた品物はおおかた売れてバケツは空っぽ。 (1993年8月撮影)
1つの船の中で幾日も過ごす船旅では、一緒に乗っている大勢のお客と仲良しになる。休暇の短い日本人は全行程を一緒にすることがなかなか難しく、途中で下船することが少なくないが、顔見知りになった人たちがこうして甲板に出て別れを惜しんでくれた。 (1997年8月撮影・サマーラ)