イルクーツクよりさらにアンガラ川の下流、シベリア鉄道本線から少しはずれたところにブラーツクがある。戦後にアンガラ川をせきとめたダムと大きな水力発電所が作られ、そのために出現した都市。エネルギー関係の他に製材や製紙などの産業もある。写真は住宅地区のだが、一見して新興都市の感じがよくわかる。 (1983年8月撮影)
ブラーツク水力発電所はシベリア開発のエネルギー供給源となり、計画経済の見本として日本の小中学校の教科書にも紹介されていた時期があるので、このダムの写真には見覚えのある人も多いだろう。この写真ではよくわからないが堰堤の上部は2層になっていて自動車道路と鉄道線路がある。 (1983年8月撮影)
ダムによってできた人造湖は「ブラーツク“海”」とよばれる。この“海”の出現でこのあたりの気候はかなり厳しさが緩和されたという。写真の左手に堰堤が見える。 (1983年8月撮影)
広大なシベリアの町々をつなぐには衛星通信が書かせない。ブラーツク市内の林の中に隠すようにして置かれていた中継局。近づいたら目つきの厳しい番犬が吠えかかってくるのではじめ軍事施設かと思ったが、そうではなくて民生用の通信施設であった。 (1983年8月撮影)
いつ果てるとも知れぬ大森林タイガはシベリアの象徴とも言える。写真はイルクーツクから数十kmほど郊外に出たところにあるインツーリストの休息施設のあたりで撮影したもの。下の2枚は夏と春にタイガの中の小径で撮ったものだが、観光客が歩くような場所だからタイガのほんとうの姿を伝えているとは言えないだろう。 (1983年8月撮影,右下のみ1984年3月撮影)