旅の途中で出会った少年がくれたもの。モスクワに「国民経済達成博覧会」という常設の広大なパビリオン群があって、ソ連時代はモスクワ観光で必ず立ち寄る所の一つであった。当然、土産店も多く、そこで売られていたものであろう。本の形をした小さなキーホルダー。
1980年のモスクワ・オリンピックのマスコットであった小熊の「ミーシャ」。オリンピック客が手軽に買えるお土産品として大量に作ったのに西側のボイコットで余ってしまったのか、オリンピック後かなりの年月が経ってしまった時期でもイルクーツクだのノブゴロドだのといった地方都市のホテルの売店にまとまった数があって買うことができた。私の手元には一つしか残っていないので写真で示せないが、よく見ると目の黒い点の位置などが一つずつ微妙に違い、表情が違って見えたのがおもしろかった。手工業で作ったのだろうか。
ソ連時代と今のロシアを比べて外見上最大の違いは政治家が勲章をつけていたかどうかかもしれない。公式行事に出てくるブレジネフななんか上着にいったいいくつ勲章をつけていたことか。上がそうだから下々でも勲章ならぬバッジがむやみに出回っていた。 左上は党大会記念だのレーニンだのの政治的なバッジ。特定の外国との友好を表すものとかあるいは青年学生平和友好祭などのように政府が後援する国際的な行事などのも当然ある。ただし、グルジア国旗をデザインしたバッジは官側のではなくグルジア独立運動のシンボルとして使われた。 各都市ごとにもバッジがあって、旅行者などに売られていた。トヴェリのように都市名だけというのは例外的な部類で、何かその都市を象徴するものをデザインするのが普通。ノリリスクのトナカイとか、クラスノヤルスクの水力発電所とかいうのはよくわかるが、スターリン時代に強制収容所のあったイガルカのバッジはそのラーゲリと鉄条網のデザインだった。これを土産に買っていくのは誰だ? 船に乗ると船内の売店には乗船記念のバッジが売られていた。左下の「コンスタンチン・チェルネンコ」という船は横浜〜ナホトカ航路に就航していた船。残りの2つはレチフロートに属する河川用の客船。 右下の写真は子どもたちに人気のあったTVのアニメ番組「チェブラシカ」のバッジ。つまりバッジをつけるのは大人だけではなかったのだ。
ペレストロイカの時期になると、街の通りで画家が自作の絵を売るという光景は珍しいものではなくなり、また貿易業者を通して有名無名の画家の作品が輸入もされるようになっている。これはペテルブルクの知人から贈られたもので、油絵ではなく、小さな砂粒をキャンバスに貼ってロシアの風景を描いている。