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RUSSIA & USSR / REKLAMA
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スローガン


屋上のスローガン2

 ソ連時代には通りや電車やバスの車内で広告というものをあまり見ることが無かった。そのかわり、建物や道路上に政治的なスローガンが多数あって、それに慣れていない我々西側の人間には異様な印象を与えたものだった。 (1988年12月撮影・ハバロフスク)

屋上のスローガン1

 ソ連が崩壊してそれらは急速に取り除かれた筈だったのに、1999年春にハバロフスクを訪ねたとき、市内の住宅の屋上にこのスローガンを見つけたのには驚いた。きっと、撤去する費用が捻出できなかったのだ。 (1999年4月撮影)

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大会準備


26回党大会

 共産党の一党支配の時代、党大会というのは国を挙げての大イベントであった。写真はトビリシ市内の公園に掲げられたソビエト共産党第26回党大会を迎えるためのポスター。内容の詳細は私にはわからないが、おそらく前大会以降の経済的成果だの次大会へ向けての目標などを描いたものであろう。デザインがいかにもソ連的。 (1984年8月撮影)

コムソモール20回大会


 こちらはコムソモール20回大会を迎える看板。撮影したのは上の写真よりも3年後で、ゴルバチョフが登場し、内外ともにその「ペレストロイカ」に大きな期待を寄せられていた時期。しかし、その後彼の「新思考」の内実が明らかになるにつれてソ連国内でのゴルバチョフへの支持は急速にしぼんでいった。 (1987年8月撮影・ハバロフスク)


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劇場の広告


演目案内

 当時、各種コンサートや公演のポスターも、全国どこへ行っても、文字ばかり、それも申し訳程度に2色刷り程度のものと決まっていた。まるで官報のポスター版といったところ。ポスター用紙も上質のものではなかったが、大きさはだけはかなりのものだったので、余分に刷られた余りはよく包装紙がわりに使われた。写真はトビリシのオペラ・バレエ劇場前の広告。ロシア語とグルジア語の2ヶ国語で書かれている。 (1981年3月撮影)

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商店の看板


グム

 当時、商店の看板と言えば「薬局」,「パン屋」といった素っ気ないもので、「石川商店」といった固有名詞はほとんど見られなかった。デパートというよりも“名店街”といった趣きの国営百貨店などでは、同じ品物を扱う店が並ぶと看板のほうも「織物」「織物」と続くことになる。 (1985年8月撮影・モスクワ)

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