ソ連から独立直後のウズベキスタン共和国テルメズの役所に掲げられた国旗と大統領選挙を知らせる看板。 (1991年12月撮影)
ペレストロイカの時代から、革命家や政治家の名前を付けた船や都市の名前を変える動きがあったが、ソ連邦の崩壊でそれが一気に加速した。その最も大きなものはロシア第二の都市レニングラードの改称で、市民の中に様々な議論がある中、元のサンクト・ペテルブルクに戻された。写真は、市内モスクワ駅のターミナル・ビル屋上の駅名表示。 (1993年12月撮影)
シベリアの寒村ヴォロゴヴォで見かけたペレストロイカをよびかける看板。当時の意気込みももちろん伝わってくるけれど、今になってこうして見ていると看板自体が欠けたまま放置されているのはペレストロイカのその後を象徴しているようにも見えて複雑な思いになる。 (1999年8月撮影)
1997年秋にモスクワは市創立850年ということで盛大な祝典があった。その年の夏にモスクワを訪れたところ、市内の至るところにそれを祝う横断幕や看板が掲げられいた。写真はボリショイ劇場前の通りの歩道に出されたその種の看板。 (1997年8月撮影)
独立を果たした首都ビリニュスの通りで見かけたリトアニア赤十字社の看板。言葉がまったくわからないので、内容は不明。献血を呼びかけているのか、エイズの警告をしているのか、はたまた....。 (1998年12月撮影)