ソ連時代に、写真を撮れないものの筆頭は何と言っても飛行機だった。ロシアになってあからだいぶ「規制緩和」になったが、あちらの現場では依然として昔のままの対応をするところもあり、他方私のほうの気持ちも前のをひきずっているために飛行場でバシャバシャとシャッターを切る気になれない。というわけでここの2枚はどちらもロシアから帰り着いた日本の空港で撮ったもの。左はユジノサハリンスク線のアントノフ24型機。下はハバロフスク線のツポレフ154型機。
横浜からロシア船でナホトカに渡り、そこからシベリア鉄道でというルートはかつて貧乏を誇りにしていた日本の若者が利用したヨーロッパ行きのコースであった。5千トンほどの船での往復が長いこと続いたが、ペレストロイカの時期に1万トンを越えるフェリー「コンスタンチン・チェルネンコ」(その後「ルーシ」と改名)が就航した。現在は横浜港からの定期船はなく、夏季のみ新潟もしくは伏木からウラジオストクへの船が運航されているらしい。 (1988年8月横浜港で撮影)
新聞に出る旅行社の広告を見ていると中国の河川クルーズはもはや珍しくはないが、ロシアのを見かけることは殆ど無い。しかし、ロシアでは川船の旅の人気が高く、同じ設計図によると見られるクルーズ船が全国に配置されていた。海を航行する船に比べて喫水線の浅いのが特徴。河川の航行では橋の下をくぐることがあるから、マストは折り畳めるようになっていて、上の写真ではマストが見えない。その写真はボルガ川上流部ウグリチの船着き場に停泊中のもの。増水・渇水に対応できるように桟橋は浮き桟橋になっている。左は河港に停泊中の僚船。 (上は1997年8月ウグリチで,左は1995年8月ペテルブルクで撮影)
船室の内部。カーテンを閉めてあるので暗く感じるが、作りつけの小さな机とソファー、それにベッドが窓側にあり、画面に写っていない手前側にトイレ・洗面所と一体になったシャワー室があって、1〜2週間の生活に必要なものはコンパクトにまとめられている。船賃は船室がどのデッキにあるのかによって異なるが、船室の広さや仕様にはほとんど差の無いのがソ連時代以来の特徴と言える。食事にも一切差はないし、一等船客しか入れないエリアなどというものも船内にはないのが「タイタニック」とは違う点だ。 (1999年8月クラスノヤルスクで撮影)