初めてアルメニアを訪れたとき、宿泊したホテルの受付にいたアルメニア人の女の子。ホテルのフロントで働いている女の人の娘さん。いいことか悪いことかよくわからないが、当時のソ連の労働規律というのは日本人から見るとかなりいい加減で、共和国第一のホテルのフロントが自分の子どもを職場に連れてきて勤務時間中に一緒にいても、とくに何か問題になるという雰囲気ではなかった。 (1981年3月撮影)
ハバロフスクは極東の大河アムールの岸に発達した町。このアムールは市民にとって大事な動脈であるだけでなく、それぞれの季節ごとに市民の憩いの場になる。流木につかまって川に漕ぎだした少年。カヌーのつもり? (1989年8月撮影)
サッカーは芝生の上でやるものとは限らないし、氷の上でやるのはアイスホッケーとも限らないのだ。 (1999年3月撮影)
市の中心部のレーニン広場で鳩に餌をやる親子。 (1984年8月撮影)
もう夏休みも終わろうという時期、アムール河畔のコムソモール広場で何やら円陣を組んでいた子ども達。この輪の中央にはアコーディオンだかバヤンだかを持った軍服姿の男性がいた。こうしたソビエト的光景はロシアのどこへ行っても今ではすっかり見られなくなってしまった。 (1984年8月撮影)