ここ赤の広場に面してクレムリンの壁の前にレーニン廟がある。ソ連時代、革命記念日やメーデーにはこの上にソ連共産党の幹部が並び、その並び順の変化を見て西側のジャーナリズムはソ連内部の権力闘争のゆくえをあれこれと憶測したものであった。廟の内部を見学するにはアレクサンドロフスキー庭園の側から長い時間並んで、警備兵の厳重な警戒の間を通っていくしかなかった。薄暗い照明の下、透明なケースに入れられているレーニンは想像したのより小柄であった。それにしても死後もこうやって遺体を公衆の面前にさらされ続けるというのは生前のレーニンには予想もしない不本意なことだったのではなかろうか。 (1979年12月撮影)
ソ連時代、レーニン廟には2人の衛兵が1時間交代で警護にあたっていた。その衛兵の交代を見るために毎正時近くなるとレーニン廟の前に大勢の観光客が集まったものだ。クレムリンの門から歩調をとってやってきた兵士がスパスカヤ塔の正時を告げる鐘と同時に一瞬のうちに交代する様はマジックでも見せられているだった。それにしても東京ではなくモスクワだから真冬の1時間の立哨は辛いだろう。冬季には任務を終えて持ち場を離れる兵士がこれから1時間立ちっぱなしの兵士の外套の襟を立ててあげる。厳粛な雰囲気と対照的で可笑しかった。 (1985年8月撮影)
レーニン廟の背後のクレムリンの壁は革命にゆかりのある多数の人々の墓所になっている。N・クループスカヤやM・ゴーリキーの墓もここにあると言われ、さらに「世界を揺るがした10日間」のJ・リード(映画「レッズ」の主人公)のもここ。今から70年以上前に日本共産党の結成を促す重要な役割を果たした日本の社会主義者片山潜の墓もここにある。ただ、クレムリンの壁の見学はレーニン廟の見学後にしかできず、レーニン廟にはカメラが持ち込めない規則になっており、広場から望遠レンズで撮ったためにあまり鮮明ではない。 (1985年8月撮影)