私はこれまで、結び目及び絡み目のタングル分解を通して、結び目理論の研究をして参りました。
結び目理論の基本的定理として、任意の非自明な結び目は有限個の素な結び目に一意的に分解出来るという結果が知られています。これは、自然数の素数分解定理と対応しており、この基本定理によって、素な結び目のみを調べれば全ての結び目の性質を(ある程度)導けるようになりました。素な結び目というのは、まず非自明な結び目であり、それと二点で交わる任意の二次元球面によって、全体空間である三次元球面と結び目の組を分解した場合、常にどちらか一方が三次元球体と自明な弧の組になっているときを言います。つまり感覚的には、``こぶ"を二つ以上持たない結び目です。
その後、Conwayにより、この分解をより一般化したタングル分解という概念が生まれました。素分解が結び目と二点で交わる球面による分解であるのに対し、タングル分解は結び目と二点より多くの点で交わる球面での分解です。つまり、三次元球面と結び目との組が、二つの三次元球体と一次元部分多様体の組に分解されることになります。ここでの分解された要素、つまり三次元球体と何本かの弧と閉曲線の組をタングルと言い、弧をストリングと呼びます。感覚的には、素分解が``こぶ"の分解であるのに対し、タングル分解は``もつれ"への分解です。
Conwayのタングルの発見以後、Kirby、Lickolish、中西先生、相馬先生、Bonahon、Siebenmann、Wuなど沢山の研究者により結び目理論への応用がなされてきました。具体的な思想は、タングルという部分的なものの性質(非分離性、素性、双曲性など)が結び目という全体の性質にそのまま反映されるというものです。これらのタングル分解の成果により、タングル分解を持つ結び目の性質がタングルを調べることで分かるようになりました。
ごく最近、FinkelsteinとMoriahによって、殆どの結び目がタングル分解を持つことが証明されました。この結果により、結び目理論におけるタングル分解の有効性がより一層高まったと思います。一方、実は近年までタングル分解を持たない結び目は、二橋結び目、トーラス結び目、有理タングルを三つ貼り合わせて得られるMontesinos結び目、結び目補空間に非圧縮閉曲面を含まない結び目、結び目に沿った二重分岐被覆空間が分離的非圧縮閉曲面を含まない結び目のみしか知られていませんでした。このような、タングル分解がまったく無力である結び目は、素な結び目以上に本質的な結び目であると思われます。古くから種数1のSeifert曲面を張る結び目は素な結び目として知られてきましたが、一般に種数1の結び目はタングル分解を持ちえます。しかしながら、補空間の基本群が自由群になるような種数1のSeifert曲面を張る結び目はタングル分解を持たないことが、松田氏との共同研究により証明出来ました(論文3)。
1995年にGordonとReidにより、トンネル数1の結び目はタングル分解を持たないことが証明されています。トンネル数1の結び目とは、結び目の外部が種数2のハンドル体と2-ハンドルとの和に分解される結び目です。従って、トンネル数1の結び目補空間はHeegaard分解の立場からでは、自明な結び目の次に単純な構造を持っています。ここでの2-ハンドルのコアをトンネルと言います。コアの近傍は三次元球体であり、その三次元球体と結び目との交わりは自明なタングルを構成しています。また、その自明なタングルの補タングルは、弧の近傍を除けばハンドル体になることから、自由タングルと呼ばれています。従って、トンネル数1の結び目に対して自由2ストリングタングルが対応していることが分かります。逆に、自由2ストリングタングルに対して、それに自明なタングルを貼り合わせればトンネル数1の結び目又は絡み目が得られます。このように、トンネル数1の結び目及び絡み目は自由2ストリングタングルと密接に関係していることが分かります。
私はトンネル数1の結び目がタングル分解を持たない理由がハンドル体に起因すると推測し、種数1のSeifert曲面でその補空間の基本群が自由群になる結び目はタングル分解を持たないという結果を松田氏との共同研究で得ました。それでは、``自由2ストリングタングルを二つ貼り合わせて得られる結び目及び絡み目はどのようなタングル分解を持つか?"という問題を自ら提起して研究を進めることにしました。定義から、自由タングルのどちらか一方が自明な場合は、トンネル数1の結び目及び絡み目と一致します。よって、結び目の場合、両方のタングルが自明でない場合が未解決になります。私はこの結び目のクラス、本質的自由2ストリングタングル分解を持つ結び目、に対して``任意のタングル分解は一意的である"ことを証明しました。つまり、結び目と4点以外で交わる球面で分解した場合、少なくとも一方は非本質的なタングルであり、4点で交わる球面での本質的なタングル分解は、この結び目を定義する自由タングル分解球面にイソトピックであることです(論文2)。この結果とGordon-Reidの結果により、自由2ストリングタングル分解を持つ結び目の本質的タングル分解は全て決定出来たことになります。
次に、本質的な2ストリング自由タングル分解を持つ絡み目について考えました。結び目の場合は、全てのストリング数に関して一意的でしたが、絡み目に対しては一般には一意的ではありません。私は、本質的2ストリングタングル分解が一意的でない絡み目を特徴付け、その絡み目の本質的2ストリングタングル分解を全て調べ上げました(論文1)。この定理は、森元先生の結果``トンネル数1の絡み目が素でなければ、それは2橋結び目とHopf絡み目との連結和に限る"に深く依存していた為、2以外のストリング数に関する結果を得ることは出来ませんでした。
従って、この先の研究を進める為にはトンネル数1の絡み目のタングル分解を明らかにしなければならないことが分かり、トンネル数1の絡み目のタングル分解の研究を始めました。それまで知られている結果では、森元先生の結果と、Gordon-Reidの結果``トンネル数1の絡み目が本質的タングル分解を持つならば、Hopfタングルとある本質的タングルへの分解を持つ"があります。Gordon-Reidの結果から、トンネル数1の絡み目が本質的タングル分解を持つならば、絡み目の成分の一方が自明な結び目でなければいけないことが分かります。また、森元先生の結果は、``トンネル数1の絡み目が素でなければ、2ストリング擬Hopfタングルと2ストリング自明タングルとの和に分解される"という別解釈があります。私は、寺垣内先生と合田先生との共同研究において、この森元先生の結果の一般化に成功しました。つまり、``トンネル数1の絡み目で少なくとも一方の成分が自明な結び目ならば、nストリング擬Hopfタングルとnストリング自明タングルとの和に分解出来る"ことを示しました。ここで、nは自明な成分の外部でのもう一方の成分の巻きつき数とし、またトンネルの位置も、森元先生の結果と同様に決定することが出来ました(論文6)。
トンネル数1の結び目及び絡み目を含むより広いクラスとして、double torus結び目及び絡み目というクラスがあります。三次元球面の種数2のHeegaard曲面上に含まれる結び目及び絡み目をdouble torusと言います。このクラスの結び目のタングル分解に関しては、唯一森元先生の結果``double torus結び目が素でなければ、トーラス結び目の連結和である"が知られています。私は、この結果を絡み目に拡張しました。``double torus絡み目が素でなければ、Hopf絡み目の連結和であるcabled Hopf絡み目、又はcabled Hopf絡み目と2橋結び目との連結和、又はトーラス絡み目の連結和である"という結果です。ここで、cabled Hopf絡み目とは、Hopf絡み目の一方の成分をcable絡み目に置き換えた絡み目です。次に、2ストリングタングル分解についてですが、double torus結び目の場合、本質的タングル分解球面はHeegaard曲面と一本のloopで交わるようにisotop出来ることを示しました。更に、それぞれのタングルの形も決定しました。この定理の系として、``双曲的double torus結び目は2ストリングタングル分解を持たない"ことが得られます。従って、結び目の表にある結び目で2ストリングタングル分解を持つものは、全てdouble torusでないことが分かり、タングル分解を通して結び目が種数2のHeegaard曲面に乗るか否かという判定が出来ることになります(論文10)。
Thurstonの成果により、任意の結び目はトーラス結び目、サテライト結び目、そして双曲的結び目に幾何的に分類されることが知られています。このうち、トーラス結び目はタングル分解を持たないことが知られています。次にサテライト結び目は、まだあまりタングル分解について研究がされていませんでした。サテライト結び目とは、結び目補空間に非圧縮トーラスが含まれる結び目です。非圧縮トーラスが三次元球面内で張るソリッドトーラス内にサテライト結び目が含まれているので、ソリッドトーラスのコアを軸として、それをとり巻くようにして作られた結び目がサテライト結び目です。コアをサテライト結び目のコンパニオン結び目と呼びます。よって、サテライト結び目はそのコンパニオン結び目の性質をある程度反映していると思われます。林先生と松田氏との共同研究では、``サテライト結び目の本質的タングル分解は、ソリッドトーラス内に本質的なタングルが含まれていない場合、同時にコンパニオン結び目のタングル分解にもなっているか?"という問題を提起して研究をしました。まず、全てのタングル分解球面の中でサテライト結び目との交わりが最小なタングル分解球面については予想が正しいことを証明出来ました。しかし、一般には予想は正しくなく、巻きつき数2の場合に反例があります。この共同研究では更に、巻きつき数2のサテライト結び目に対して、いつ予想が成り立つか否かを完全に決定しました。この結果により、巻きつき数2のサテライト結び目のタングル分解の研究は、コンパニオンソリッドトーラス内の結び目のタングル分解とコンパニオン結び目のタングル分解の研究に帰着出来ることが明らかになりました。また、ブレイド状のパターンを持つ結び目のタングル分解に対しては、予想が成り立つことも証明出来ました(論文8)。
以上がタングル分解に関する研究経過です。この研究とは別に、自由Seifert曲面についても研究をしてきました。今まで得られた結果として、自由種数の結び目連結和に関する加法性(論文7)、非自由Seifert曲面を結び目が張る為の必要十分条件(論文5)などを示してきました。また、ごく最近は、positive結び目補空間内の非圧縮閉曲面について、positive結び目特有の性質があることも明らかに出来ました(論文11)。この結果と上の必要十分条件により、positive結び目の非圧縮Seifert曲面は常に補空間の基本群が自由群になることが得られます。
これまでの研究経過で述べましたように、自由2ストリングタングル分解を持つ絡み目の本質的タングル分解はまだ完全に決定をしていません。将来は、この問題を完全に解決したいと思います。また、タングル分解に限らず、結び目補空間の本質的曲面は結び目の特徴を反映しており、結び目の分類や個々の性質を調べる際にとても有効ですので、私は将来、曲面の解析を通して結び目を研究していきたいと思います。
ごく最近、positive結び目補空間内の非圧縮閉曲面はホモロジー的に結び目と絡んでいることを、全く新しい手法で証明出来ました。この結果は、positiveという結び目の正則図形の性質がその補空間と密接に関係していることを意味しています。この現象は非常に興味深く、これから更にpositive結び目の補空間について研究を続けたいと思います。
現在進行中である市原氏との共同研究では、結び目補空間内の非圧縮閉曲面の中で特に結び目がその閉曲面上にイソトピックであるもの(accidental曲面)に注目し、それらと結び目外部内の境界付き本質的曲面との関係を解明出来ました。accidental曲面上のaccidental loopに対して、slopeが一意的に定まることも分かりましたが、結び目を固定した場合、全てのaccidental曲面のslopeが一致するか否かはまだ分かっていません。この問題はこれからの研究課題です。