Deprecated: The each() function is deprecated. This message will be suppressed on further calls in /home/zhenxiangba/zhenxiangba.com/public_html/phproxy-improved-master/index.php on line 456
第1章
[go: Go Back, main page]

第1章 序 論

 「養い親ウェヌスよ,大空の滑り動く星座の下で,・・・」

 ルクレティウス(Titus Lucretius Carus,55B.C.没)は,彼の有名な自然哲学詩「事物の本性について」の冒頭を,恋愛の女神ウェヌスが戦争の神マルスと和解することへの祈りで始めている。折りしも時は,世界に君臨したローマ帝国がその全盛期に差し掛かろうとしていた。

 「解明(Explanation)」はルクレティウスの所論である。彼の目差すものは,恋愛の女神への冒頭の祈りとは裏腹に,神に対する畏怖や自然の信じがたい暗黒の力への恐怖から民衆を解き放つことであった。彼は,すべてに共通する要素を用いてあらゆる現象を説明することにより,古代ローマの人々から,神とその祭司に対する畏怖や自然の力,運勢の力に対するいわれなき恐怖を取り除こうと試みた。

 当時の人々は,日々の暮しの中で電光,火,光,ブドウ酒,オリーブ油といった事物を必要とし,恐れ敬いまた大切にしていた。

  「・・・さらにまた透明な角ちょうちんは光を透すが雨をはね返す。
   どうしてなのか,もし光の粒子(アトム)が
   人を養う水粒子(アトム)よりも小さくないとしたら。
   ブドウ酒はいくらでも速く,こし器を通って流れるのを
   われわれは見るが,反対にとろりとしたオリーブ油はなかなか通らない。
   それは疑いもなく,より大きな要素からできているか,
   あるいはひどく鉤型をし互いにからみあっているために,・・・」
訳注)

 光,水,ブドウ酒の性質についてのルクレティウスのこの説明は,デモクリトス(Democritos,370B.C.没)の原子論に従ったものである。彼は,この構造‐性質相関を誘導するためにモデル(模型)を使用した。ルクレティウスのモデルにおける基本的な構成要素は,現在の原子とどこか似ている。彼は,この構成要素をそれ以上分割することのできない始源的な物質,プリーモルディア(primordia)と名付けた。これらの始源的な粒子は互いに結合し合うことができる。ルクレティウスはさらに認識と相互作用の存在をも仮定し,その構成要素に認識と相互作用を可能とする機械的な属性を付与した。これらの概念的な属性のうち最も重要なものは,滑らかで円い性質とざらざらした鉤型の性質であった。ルクレティウスは,これらのプリーモルディアを用いて彼の世界を作り上げていった。

 彼のモデリングが事実といかによく合うかは,ブドウ酒とオリーブ油の流動性の説明に示された通りである。脂肪酸と水分子の空間充填モデルを,ルクレティウスにより2000年前に与えられたイメージと比較していただきたい。その類似性は驚くばかりである。

________________________________________

訳注)岩田義一,藤沢令夫(訳),世界古典文学全集,第21巻,筑摩書房, 1965.から引用した。

 

1.1 分子モデリングの近代史

 近代分子モデリング法の発展の歴史は,分子構造の説明に初めて成功した今世紀初頭までさかのぼることができる。この成功は,当時の核物理学の急速な進歩と密接に結び付いていた。

 結晶学は,分子モデリングの発展に決定的な影響を及ぼした。結晶構造に対する複雑な知識は急速な速度で増加していった。しかしX線結晶解析は,当時まだ莫大な計算費用を必要とし,しかも得られた結果は,紙の上に描かれた二次元的な表現でしかなかった。結晶構造の3Dイメージを得るためには,分子組立てキットを利用するしか他に手立てはなかった。

 Dreiding模型は,当時の構造化学の知識をすべて盛り込んでいたため広く知られることになった。Dreiding模型の前もって加工されたモジュール要素−たとえば,混成状態に対応した正しい結合の数と結合角をもつ窒素原子や芳香環−のおかげで,結晶構造のきわめて正確な3Dモデルの組立て,すなわち分子モデリングが可能となった。模型の寸法は,オングストロームの領域から比例翻訳された値が使用された。模型は,置換基の立体障害,水素結合相互作用などをきわめて的確に表現することができた。Stuart-Briegleb模型やCPK模型の出現は,正確さでは多少劣るが同様の特長を備えた空間充填型モデルの組立てを可能にした。WatsonとCrickは,その回想によると,このような分子キットと自ら製作した組立部品を色々いじり回し,塩基対をまず作り上げてから,あの有名なDNAヘリックスのモデルを組み立てたということである。

 分子モデリングは,このように元来はコンピュータ科学とは無関係であった。では,なぜコンピュータが分子モデリング/分子設計の分野に新しいディメンションを付け加えることになったのであろうか。コンピュータの進歩は相乗的である。ますます高速化するプロセッサは,計算ステップの処理に必要な時間をますます短縮していく。今日では,数千の原子からなるタンパク質でさえその処理は容易である。さらに分子グラフィックスの展開は,このような高速プロセッサに対し更なる量子的飛躍を要求した。1970年代に入ると,色分けされ回転可能な分子の擬3D表示がコンピュータ画面上で初めて実現した。「仮想Dreiding模型」の誕生である。コンピュータ技術が存在しなければ,タンパク質のような複雑な構造から発生する膨大なデータは,人間の能力の飽和限界を越えたことであろう。またX線回折や核磁気共鳴のような手法を用いて,タンパク質の構造を測定することもできなかったであろう。実際,これらの方法が今日あるのは,コンピュータ技術のおかげなのである。

 さらにここでもう一つ,それなくしては今日のコンピュータ援用分子設計は考えられない,第二の要因が存在することを指摘しておかなければならない。核物理学は1930年以降,解析的思考だけではなく系統的思考をも要求し,これらの思考は原子爆弾の製造に際し,その核心をなす重要な要素となった。数学的なモデリング手法が物理状態の計算やさらにその予測にまで利用されるようになったのである。

 1940年代,Los Alamosのコンピュータは字義どおり兵士で構成されていた。この地に集結した大勢の兵士は,各人がそれぞれ決まった計算ステップを解き,同じ人間は常に同じステップを担当した。コンピュータの革命的発展が模索されたのはこの地においてであった。モンテカルロ・シミュレーションは,この時代に生み出され,気体粒子の物理状態の予測に応用された。力学的類推により分子系を取り扱う試みが始まり,力場が誕生し最適化されたのもこの時代のことである。それは,その後の分子科学研究の効率を飛躍的に向上させることになった。

 数学的近似技術は,今や水素原子よりもはるかに大きな系に対する量子化学的計算を行ない,酵素活性部位へ結合したリガンドの「量子動力学」シミュレーションができるところまで発展している。

 

1.2 現代の分子モデリング法は単にルクレティウスの世界を説明できるにすぎないのか?

 これは要するに利用の仕方に関る問題である。素朴な使い方をするか,聡明な使い方をするかで,結果は明らかに異なってくる。しかし,素朴な使い方は決して非難されるべきではない。結果を吟味する際に十分批判的な立場をとれば,利用の質は自ずから改善されるからである。言い換えれば,ユーザーはこの段階で自分が素朴な使い方しかしていないことに気付くはずである。もし研究者が方法のもつ限界を認識し,結果を適正に判断する手立てを熟知しているならば,この批判的立場は,きわめて簡単なアプローチからさえも,構造‐性質相関に関するさらに深い理解を引き出すことができるであろう。

 しかし,このような批判的姿勢は往々にして忘れられている。これは,恐らく現代の市販モデリング・システムがもたらした弊害である。これらのプログラムは必ず結果を出してくれるが,その評価はユーザーに任されている。プログラムは無意味な計算も執拗にすべて行ない,(数値のみならずグラフも含めて)結果を出し,アルゴリズムの無批判な使用を助長する更なる誘惑手段を提示してくる。

 分子グラフィックスは,タンパク質のX線解析やNMR分析の発展に重要な貢献をしており,その価値については疑う余地はない。しかし完全なデータを提示する市販システムの傾向は,この本来の価値とは逆の不都合な状況を出現させる危険性をはらんでいる。たとえば,等電ポテンシャルの映像化は,分子の属性を比較する最も価値ある手段の一つである。構造を記述するために特によく使用されるのは,特定エネルギーの正負ポテンシャルである。このポテンシャルは電荷計算から算定され,生物活性分子の訓練集合を選択するのに利用される。しかし電荷の計算は,実にさまざまな近似レベルで行なうことができる。たとえば,簡単な炭水化物の計算はできるが,芳香族分子を扱うことはできないアルゴリズムがあるとしよう。システムは,これらのアルゴリズムが芳香族化合物の計算に対し適用不可であることを常にユーザーに知らせてくれるとは限らない。無意味な結果が得られ,等ポテンシャル面が計算され,グラフが作り出される。そしてそれらを利用して,構造活性相関の誘導が試みられる。次に待ち受けているのは第二の落し穴である。

 選択された訓練集合は,もちろんパラメータ空間を徹底的に縮小したものになっている。読者は,注意深い選択を行なえば,出現頻度のきわめて高い代表的な属性分布が得られることを期待するかもしれないが,その保証はない。方法とデータセットの無批判な選択に由来した2種類の誤差が,偶然相殺されることによって相関がもたらされるといった可能性を無視することはできないのである。

 

1.3 モデルは何のために利用されるのか?

 科学で使用されるモデルには様々な種類がある。まず第一のモデルは問題を単純化するのに役立つ。この単純化は,最も重要と思われる現象のみを解析することを意味している。また第二のモデルは,容易には理解できないきわめて複雑な状況を啓蒙的に説明するのに有用である。このモデルは,それが現実を完全には表現していないことに常に留意して用いなければならない。第三のモデルは力学的な類推に基づくそれである。ここでは,たとえばHookeの法則のように,古典力学の法則が完全に定義されているという事実が利用される。

 この3番目のモデルは,斉一理論(uniform theory)の展開に決定的な役割を果した。この理論は,2種類の場の構造的な類似性を仮定するが,モデルが現実を反映する必要はないとする点に特徴がある。たとえば分子内の結合の性質がばねと一部類似しており,Hookeの法則によって記述できるとする仮定は,この斉一理論に従ったものである。この力学的類推モデルによる理論の拡張はきわめてうまく行なわれた。多くの場合,理論の妥当性が実験により吟味できたからである。しかしさらに重要な点は,新しい現象がこのモデルにより予測できることであった。

 力学的類推モデルは,またしばしば経験的モデルとも呼ばれる。力場はこのクラスに属している。経験的モデルの長所は,そのパラメータが現実に合うように最適化できる点である。非力学的な寄与に由来する顕在的な情報は「力学的モデル化」により失われるが,この非力学的寄与は,経験的補正によりある程度モデルに組み入れることができる。経験的モデルが,しばしばきわめて現実に近いモデルを与えるのはそのためである。

 最後に,第四のタイプのモデルとして,数学的モデルを上げなければならない。このモデルは過程のシミュレーションに利用され,たとえば酵素における化学反応段階の速度論的シミュレーションを行なうときなどに有用である。

 

1.4 分子モデリングは4種のモデル様式をすべて使用する

 前節で説明したモデルのうち,啓蒙的なモデルは分子の構造と性質を組み合わせて表示したい場合などに利用される。小分子の場合には,量子化学的計算の結果やペプチドのような柔軟なリガンドの運動性が,このモデルによるグラフ表示の対象となる。タンパク質の場合には,構造それ自体がすでに複雑な問題をはらんでいる。リガンドとタンパク質の相互作用もまた啓蒙的なモデルで研究することができる。すでに明らかなように,タイプの異なるモデルの間には,互いに重なり合う部分が存在している。力学的類推モデルは還元モデルと共に,研究対象の本質的部分を単純化することを目指すものであり,分子モデリングでは特にこの力学的類推モデルが広く利用されている。

 

1.5 最終段階は設計である

 設計は全体の中で恐らく最も重要な段階である。分子モデリングはそれ自身独立した世界を創出し,その世界は前述の4種のモデルの1つによって現実と結び付いている。コンピュータの中に存在するこの世界では,「現実」の世界とは対照的に,完全に決定論的な宇宙が創造されており,外挿が可能である。系を解析すれば,合成に先立って阻害薬を設計し,その効果を仮想コンピュータ実験により試験することができる。

 この最後の設計段階をもって科学的研究の循環過程は完結する。研究は,「ぜんまい仕掛け」のように正確に作られた系を単に解析的に説明するだけではなく,それを構成する部品を組み立て直すことによりさらにその先を見つめる。分子設計は,系が単にその部品を合わせた存在以上のものでありうるという我々の認識を具現してくれる。このことは,薬物設計の優先的な研究対象である生体系において特によく当てはまる。

 設計段階は,しかし実際には仮想世界においてさえ願うほど簡単ではない。「ガリヴァー旅行記」のガリヴァーは,ラガードの研究所を見学したとき,文字と単語を体系的に組合せることにより世界の重要なあらゆる科学書をいつか書き上げることができるという著作機械を目の当たりにした。Jonathan Swiftによるこの卓越した18世紀の科学小説は,同時に我々に重大なテーマ,すなわち人間の寿命はすべての可能性を試みられるほど長くはないという問題を投げかけている。正しい解答を得るためには,優れたアルゴリズムがなければならない。そのため,Swiftはこの小説の中で質に関する判断基準を付け加えた。その基準とは,人間の知識と経験に基づき,不適当な単語と文章の組合せは拒否するというもので,いわば人間‐機械ネットワークとでも言うべきものであった。Swiftはこのような権限をその研究室の主任教授に与えた。教授は弟子たちに命じて機械を操作し,実験がすべて終わったあと,結果を判定して適切な単語の組合せのみを本の中に書き込ませていった。あいにく小説では,実験責任者である教授自身の人柄や識見については何も言及されていない。これは,ガリヴァー旅行記におけるSwiftの皮肉というものであろう。結果は,機械の誤りのない動作だけではなく,その利用者の質にも依存するからである(図1)。

 同じ問題は,モデリングの人工世界においても我々に呈示される。属性の系統的な探索は,数が少ない場合のみ可能である。組合せ理論によれば,系はわずか数ステップ後には爆発的に膨張する。ペプチドの柔軟性に関する研究は,このことについての適切な実例であろう。可能なコンホメーションの数は,ねじれ角が4個から5〜6個へ増加したとき,数千個から数十億個へと激増してしまうのである。

 状況はリガンドの設計ではさらに複雑である。それは適切な実験,直観および知識に基づいたきわめて聡明な判断を必要とするが,ここでもまた,決定的な役割を演ずるのは人間‐機械ネットワークの質である。完全に自動化された設計システムは,ラガード研究所へのガリヴァーの訪問に託してSwiftが予言した機械とどこか似ているところがある。

 

1.6 本書の目的

 本書の目的は,分子モデリングの分野にこれから参入しようとする初心者に支援の手を差し伸べることにある。我々にとって重要なのは,分子モデリングの主要な概念とその限界について正しく認識することである。このことは,現在利用できるすべてのアルゴリズム,プログラムおよびデータバンクについて完全な知識を持つことよりもはるかに重要である。コンピュータ技術と関連のある他のすべての分野と同じように,分子モデリングの分野における技術的進歩は,指数関数よりもさらに急激な伸びを示し止まるところを知らない。ネットワーク上では,タンパク質配列の比較や新しいデータバンクの検索などに適した新しいアルゴリズムがほとんど毎日のように提案されている。しかしユーザーは,プログラムを実際に使用し,その限界を自分で調べる以外に,提案されたプログラムの良否を判断する手立てを持ち合わせていない。

 我々は,リガンドの相互作用構造を解析するような場合,真空条件下でのエネルギー極小化操作が意味をなさないことを知っていなければならない。また,タンパク質は線状のポリペプチド鎖が単に折りたたまれただけのものではないことも知っている必要がある。結合様式は多様であり,異なる別の様式や複合した様式も当然存在する。阻害薬は酵素へ結合するとき,同じ系列のものであっても,活性部位では異なる相互作用構造をとることがある。分子構造のきわめて微妙な変化が,活性部位においてリガンドの異なる配向を引き起こすのである。構造に依拠した重ね合わせが,直観的なものや立体的または静電的な表面特性に基づいたものに比し,優れているというのは必ずしも正しくない。

 現代の分子モデリングは,基本的にルクレティウスの世界をはるかに越えたところまで進んでいる。それはもはや性質や相関を解析的に記述するレベルに止まってはいない。モデリングは,彩色された分子画像を作り出すだけではなく,我々を体系的な思索へと誘っていく。一般に陥りやすい単純な使い方を避けようとすれば,体系的な思索を試み,方法のもつ限界に目を向ける努力が必要であろう。

 本書では,また小分子(リガンド)と大分子(タンパク質)に対する2つの実例を使用して,分子設計研究における我々自身の経験を説明する。初心者が批判的な姿勢を保ちつつ,願わくば意欲を喪失することなく,この分子モデリングの分野に立ち向かっていけるよう,具体的な事例の学習を通じ自信をつけていただきたいと考えたからである。