第3章 小分子のモデリング例:セロトニン受容体リガンド類
本章では,我々の研究室で行なわれたセロトニン作動性5-HT2a受容体拮抗薬に関する研究を例にとり,受容体結合部位モデルの構築から薬理作用団の定義に至る手順を説明することにしよう。研究は簡単で分かりやすいプロトコルに基づいて行なわれた[18]。重ね合わせの操作で使用されたプログラムは(我々のグループによって開発された)FITITである。一方の分子のエネルギー的に許される配座をもう一方の分子のエネルギー的に許される配座と重ね合わせる操作は,被検分子のすべての組合せに対して繰り返し行なわれた。結果は次にrms値に従って並べ替えられ,小さなrms値をもつ適合対のみが選び出され保存された。薬理作用団を特定するためには,構造活性相関データがもれなく説明され,さらに分子場が一致することも確認されなければならない。このような試験を通過し,最後まで残る薬理作用団のモデルは多くの場合ごく限られている。
我々が研究で取り上げたのは,生物データが入手できた28種の化合物である。これらの化合物は,化学構造に基づいて次の4系列へ分類することができた。
図1に示したのは,各系列に属する代表的な化合物である。
あいにく,28種の被検化合物の中に剛体分子は含まれていない。しかし,少なくとも構造の一部が配座的に束縛されている化合物は幾つかある。クロチアピン(clothiapine),イリンダロン(irindalone),スピペロン(spiperone)はそのような化合物である。一方,ケタンセリン(ketanserin)亜系列の成員は,回転可能な結合を5つ含み,配座的に大きな自由度をもっている。
5-HT2a拮抗薬に関する実験的な構造活性データは,次のように要約することができよう;1)塩基性の可プロトン化窒素を含む脂肪族または脂環式のスペーサーにより一定の距離を隔て連結された2つの平面状芳香環とヘテロ環の存在は,強力な5-HT2a拮抗作用の発現に不可欠である[1,2],2)ヘテロ環に付いた疎水基やオキソ基は拮抗力価を増強する[3]。これらの知見は配座解析の際に参考にされ,また配座的に束縛された分子の部分構造要素は,高い柔軟性を示す同族体の様々な領域を重ね合わせる際に鋳型として利用された。図2は, 図1に上げた5-HT2a拮抗薬4種の構造的な対応関係を,重ね合わせの段階を追って分かりやすく色分けし表示したものである。
この種の重ね合わせ操作は,もちろん純粋に立体的な要素だけを対象としている。しかしリガンドとその受容体の間の相互作用は,電子的な因子による支配も受けているから,許容される薬理作用団のパターンは,電子的な条件も満たしたものでなければならない。このような電子的側面の吟味は,分子静電ポテンシャル(MEP)を比較することにより可能である。本例では,AM1法による計算から求めたMEPがこの目的に使用された[4]。図3はその結果である。明らかに,4種の化合物は電子的にも互いに高い類似性を示している。しかし重ね合わせの結果をさらによく調べてみると,薬理作用団は2種類存在することが分かる。これらはわずかに異なるだけで,rms値もMEPの全体像もよく似ているので,同じように意味をもつものとして扱わなければならない。このような場合,一般には受容体結合部位の3D構造が分からなければ,どちらのモデルを採用すべきかについて判断を下すことはできない。しかし本例では,5-HT2a拮抗薬に対する2つの薬理作用団を徹底的な調べることにより,微妙ではあるが有意な構造上の相違を明らかにすることができた。すなわち2つのモデルの一方では,薬理作用団のカチオン性第三級窒素のプロトンはすべて同じ方向を向いているが,もう一方のモデルでは,そのようになってはいないことが分かったのである。もし,カチオン性のプロトン化窒素がアニオン性受容体結合部位との水素結合型イオン性相互作用に関与しているならば,前者の薬理作用団モデルの方が明らかに有利である。以後のさらに進んだ研究では,この薬理作用団だけが考慮されることになった。
既に2.4.2節で説明したように,分子相互作用場はGRIDプログラム[5]を使用して評価される。図4は,2種類のプローブを用いたときの分子相互作用場の計算結果を示している。第一のプローブは水素結合能をもつ極性ヒドロキシル基,第二のプローブは親油性メチル基である。基本的な分子間相互作用ポテンシャルをおおざっぱであるが速やかに評価したい場合には,このようにプローブを選択するのがよい。プローブの種類を増やせば,5-HT2a拮抗薬に対する分子相互作用ポテンシャルのかなり詳細な描像を得ることも可能である。図5は,そのようにして推定された5-HT2a拮抗薬の薬理作用団を示している。図によると,この薬理作用団には,受容体との間で疎水性接触や水素結合相互作用を行なう部位が数箇所,イオン性結合を行なう部位が1箇所含まれている。
前節で計算された分子相互作用場は,次の段階で受容体のモデルへ翻訳される。このモデルは,提示された薬理作用団が要求する様々な形式の結合を実現できる化学的属性を備えた一群の孤立アミノ酸を使って作り上げられる。アミノ酸の相対的な3D位置はGRIDの計算結果に基づいて定めることができる。このようにして作製されたアミノ酸受容体モデルは,擬似受容体(pseudoreceptor)と呼ばれることもある[6-8]。
5-HT2a受容体地図の構築に必要な結合相手は, 図5を注意深く調べることにより,ほとんど機械的に選び出すことができる。すなわち平面状環系の両側には,フェニルアラニン,トリプトファン,バリン,ロイシン,イソロイシンのような疎水性アミノ酸を布置すべきであろう。また,ヒドロキシル・プローブを使用した相互作用場の計算から明らかにされた,プロトン化窒素の向い側の位置には,酸性アミノ酸(たとえばアスパラギン酸)を置くようにしなければならない。さらにまた,ほとんどのリガンドにはカルボニル基が2つ共通に存在するが,その付近の領域はセリン,トレオニン,チロシンで満たすべきであろう。もちろん,この時点では,発見された可能性のすべてが受容体レベルで実際に実現されているかどうかは明らかではない。この問題に対する確実な解答を知りたければ,受容体タンパク質の3D構造が解明される日まで待たなければならない。しかし我々は,特定結合部位の存否を判断する上で非常に有用な情報を構造活性相関(SAR)の研究から導くことができた。
SARデータによると,フルオロベンゾイル部分構造のカルボニル基は必須の要素ではなく,結合強度を損なうことなく省略できることが分かった[9]。このことは,このカルボニル基を受け入れる水素結合供与性結合部位が受容体側に恐らく存在していないことを意味している。同じことは,ヘテロ環系に含まれるカルボニル要素についても当てはまる。ケタンセリン誘導体の親和性は,カルボニル基をチオカルボニル基[10]で置換したり,ヘテロ環をナフチル環[11]で置換しても低下しないのである。これらの結果を総合すると,リガンドと受容体タンパク質の間で水素結合を行なう可能性のある3箇所の潜在的相互作用部位のうち,アミノ酸モデルに実際に含めなければならないのは,プロトン化窒素による水素結合型イオン性相互作用を行なう部位だけである。
相互作用場から導かれる受容体地図に対しては,さらにもう一つ補正を付け加える必要がある。実験によると,フルオロベンゾイル系は様々な疎水性要素で置き換えることができ,親和性はこの種の置換により増強される。これは,これまでの受容体地図からは説明することのできない事実である。そこで,我々はこの領域に第三の疎水性アミノ酸結合部位を追加することにした。最終的な受容体地図は図6のようになる。既に述べたように,地図の部位A〜Fには適当な化学的属性をもつ様々なアミノ酸が布置される。図7は,アミノ酸配列,バクテリオロドプシン相同性,並置などの研究から得られた生化学的情報を利用して構築された5-HT2a受容体のアミノ酸モデルを示している。
受容体タンパク質のアミノ酸配列についての実験的な知識が欠如している場合には,モデルを幾つも作製することができよう。どの受容体モデルを選択するかの判断は,相互作用エネルギーの計算値やそれらと結合親和性データとの相関に基づいて行なわれる。予測の目的には,最も高い相関を示すモデルが利用される。もちろんモデルを選択する手続きは,もし分子生化学からの構造情報が利用できるならば,さらに質の高いものになるであろう。たとえばセロトニン作動性5-HT2a受容体[12,13]のようなGタンパク質共役型受容体の場合がそうである。この受容体に対する相同性検索と配列並置の研究は数多く報告されており,受容体活性部位の結合位置にあるアミノ酸に関してもある程度その構造が分かっている[14,15]。これらの知識を利用して構築された結合部位モデルは,実際の5-HT2a受容体タンパク質の重要な特徴をきわめて良く反映したものになるはずである。
受容体モデルが作製できたならば,次はリガンドと受容体の間の相互作用エネルギーを計算し,実験的に決定された結合親和性データと比較しなければならない。この作業は,力場計算プログラムを使用すれば,きわめて効率良く行なうことができる。たとえばSYBYLソフトウェア・パッケージ[16]のDOCKINGプロシジャーとMAXIMINモジュールは,相互作用構造の最適化とエネルギー計算に広く利用されているが,同様の機能をもつプログラムであれば,他のものを使用してももちろん構わない。エネルギー差だけを問題にしている限りは,結果の信頼性はきわめて高い。しかし,力場法は2種類の結合力―分散項と静電項―を適切に記述できるにすぎない[17]。また,静電項は使用した誘電率に依存して大きく変化するため,それぞれの状況に応じて適当な値が正しく選択されなければならない。タンパク質環境の内部―たとえば,Gタンパク質共役型受容体チャンネルのコア―では,有効誘電率の値は恐らく3から5の間であるが,タンパク質表面の結合部位に対しては,10付近の値を用いた方が良い結果が得られる。真空条件での定数が使用できるのは特別な場合に限られる。たとえば,水素結合が結合形成にきわめて重要な役割を果していると見なせるような場合である。力場は水素結合の共有成分と静電成分のうち後者しか考慮しないが,この欠陥が静電相互作用を過大評価することにより一部相殺される訳である。力場相互作用エネルギー式に含まれないエネルギー項には,その他,たとえば分極項や電荷移動項がある。もしSARデータから電荷移動過程が重要な役目を果たしていることが明らかであるならば,量子化学的計算に基づき,対応する補正項を力場相互作用エネルギー式に加えるべきである。
相互作用エネルギーは次式に従って計算される。
IE=ERL−(ER+EL) (1)
ここでIEは相互作用エネルギー,ERLは受容体‐リガンド複合体,ERは孤立受容体タンパク質,ELは孤立リガンドのエネルギーをそれぞれ表している。
比較に適したエネルギー・データを得るためには,複合体の相互作用構造は,すべてのリガンドに対して完全に対応した様式で構築されなければならない。リガンドはすべて薬理作用を発現する配座と位置に設定される。また,受容体結合部位を表す疎水性アミノ酸と極性アミノ酸はGRID等高線に従って布置され,個々の擬似受容体‐リガンド複合体はMAXIMIN力場を用いて構造を最適化される。束縛条件は課されないので,この操作は現実にも同じように起こりうるリガンドと受容体間の誘導適合(induced fit)をシミュレートする結果となる。エネルギーの打切り値は0.01 kcal mol-1が適当である。もし擬似受容体が真の受容体活性部位のもつ重要な特徴を実際に反映しているならば,相互作用の計算エネルギーは生物的データと有意な相関を示すに違いない。本例の場合には,このことは図8に示したように実際に成立した[18]。相互作用エネルギーの計算値と生物的データの間の相関は高度に有意である。生物的データがもつ変動の約83%は結合部位モデルに基づき説明できることから,このモデルは構造的に新しい5-HT2a受容体拮抗薬を予測する目的に利用できるほど十分堅固であると考えてよい。
実験的に導かれる生物活性データに関しては,一言注意を付け加える必要があろう。これらは是非とも純粋な受容体結合親和性を測定したデータであって,理想的には同じ実験室で測定されたものであるべきであるという注意である。コンピュータ・モデルは分子的な相互作用を高度に単純化した形でシミュレートするので,相関方程式によりそれらと結び付けられる実験データは,できる限り分子レベルに近いものでなければならない。相互作用エネルギーの計算値とin vivo(全動物)薬理データを相関づけることは絶対にしてはならないし,そのようなことは実際上何の意味ももたない。なぜならば,受容体相互作用は薬物分子の薬動学や体内変化によってぼやけてしまい,完全に隠されてしまうことすらあるからである。測定した現象と受容体結合相互作用の間に反応カスケード(階段)が介在するような場合には,in vitro機能データであってさえしばしば役に立たないことがある。
もし受容体地図と相互作用複合体が慎重に構築されたものであるならば,我々はそこからおおざっぱではあっても事実に合った正しい描像を得ることができるであろう。しかしモデルの有効性とその意義については,実際の受容体の構造が解明されない限り,新しい活性物質を予測するその能力から判断する以外に評価の手立ては存在しない。これは常に,仮説から導かれた受容体地図の有用性を検証する究極的な試験法である。