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アーサー・ショークロス
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殺人には理由が必要なのか?

I need any reason to kill people?

 


アーサー・ショークロス

194566日、メイン州Kittery生まれ。 母親18歳、父親は21歳の軍人。

犠牲者は11人、売春婦が中心だが男性も含まれている。年齢は8才から58才まで。人種も白人のみではなく黒人が一人混じっている。連続殺人のピーク時に40代半ばだった。

相手の苦しむ姿を見て性的に興奮するという意味で、セックスサディストの典型。殺害に道具を使用せず、手で絞殺している。

切断した遺体の性器などを食べたと証言している。

安易な仮釈放が悲劇を招くことを如実に示す事例。

懲役250年。現在も収監中。現在も健在で、たびたびテレビのインタビューなどに答えている。

Arthur Shawcross

 

ショークロス本人が精神科医に供述したところによれば、幼少期から異常な性体験をしていたという。まず、7歳のときから自慰行為にふけり、男女を問わずオーラルセックスをして遊んだという。また、ヒツジ・牛・馬・鶏との獣姦を証言している(偽証の可能性もある)。

ショークロスはこうした異常な性行為の原因を「性的虐待」、つまり、年増の叔母からオーラルセックスを強要されたり、母親から肛門にホウキを突き刺されたりしていたためだとしている。また、14歳のとき12歳の妹と性交渉を持ったと言っているが、妹側は事実無根であるとしている。

裁判の過程でもこうした証言は裏付けが取られておらず、事実だった可能性もあるが、「幼少期の性的虐待による精神障害」という主張は法廷戦術の一つだったとも言える。

 


194566日、メイン州Kittery生まれ。未熟児。

当時母親Bessie 18歳、父親Arthur Roy Shawcross21歳の軍人。1958年一家はニューヨーク州に家を新築、付近には彼らの親戚も何家族か住んでおり、頻繁な相互交流があった。

 ショークロス6歳の時、弟Jimmyが生まれるが、その頃から夜尿症や言葉の遅れが目立つようになる。家出なども繰り返したが、注目を引こうとする行動だと考えた両親は特に対処はしなかった。

8歳の頃には自分より年下の子供(特に弟や妹)をよくいじめるようになった。空想上の友人を作り上げ、変な声で話しかけるようになった。学校のクラスメートたちはショークロスを「変なヤツ(Oddie)」と呼んでいたが、そう呼ばれると激怒したしたために、面白がっていじめられた。奇行のため友人はほとんどいなかったようで、周囲からも避けられていたことは複数の証言から裏付けられている。当時の成績は平均よりやや上という程度。

 

保健室職員の証言によれば、ショークロスには問題行動が多く、スクールバスに鉄パイプを持ち込んでクラスメートを脅迫したことがあるという。また、家出してカナダ国境付近で保護されたことがある。この頃、何度か心理テストを受けさせられている。

9歳のとき、軍人としてオーストラリアに赴任していた父親が、現地で妻子を持っている事が露見、母親Bessieはショークロスに暴力を振るうようになり性格が陰鬱になっていった。行き場を失ったショークロスは祖母の家をたびたび訪れるようになる。

周囲の親戚によれば、10歳ころからショークロスの暴力性が極度に目立つようになり、些細なことで激怒しては感情の抑制を失ったという。近所の家に盗みに入ったことなどの行動も記録に残っており、中学2年のときは累計で3年間留年していた(17歳)。

10代中ごろのショークロスについての周囲の証言としては、夜尿症が治らなかった、森の中をうろついて意味も無くわめいていた、独り言が異常に多かった、何かにとり付かれたように物を棒で殴っていた、などの話が伝わっている。

 

ショークロス本人の証言によれば、この頃からオーラルセックスに執着するようになり、妹Jeannie や従姉妹のLindaを含め近隣の少女達を相手にしていたという(彼女達は否定している)。また、ある時、赤のコンバーティブルに乗った男に首を締め付けられた上で性器を舐められたが、勃起しなかったため肛門を犯され、路上に置き去りにされた、とも述べている。こうした経験を通じて、性と暴力が結びついたとされているが、確証はない。

 

デパートのシアーズに忍び込んだが、何も盗まなかったために保護観察処分になった記録がある。

19歳で結婚、子供をもうけるが3年で離婚。その後Linda Nearyと再婚。

 1968年に徴兵、ベトナム戦争に従軍、補給部隊に配属される。主な任務はヘリコプターで弾薬を運ぶことだった。ショークロスは、「危険を求め、ジャングルの中に一人で潜入し敵兵を殺害した」と述べているが、補給部隊の人員がそうした任務につくことは常識的にはありえない。また、銃を隠し持っていたベトナム人女性を強姦し、太ももを切り取って食べ、頭を切り落としたとも述べている。しかし、ベトナムでの体験についての証言は、ほとんどが嘘である事が今日では明らかになっている。

 69年に帰国するが、妻は他の男と関係を持っていた。

 幻覚や悪夢にとりつかれるようになったショークロスは、陸軍の精神科医の診断を受ける。しかし、クリスチャンサイエンスの信徒である妻が、宗教的信条を理由にショークロスの入院を拒否。クリスチャンサイエンス 《1866 年 Mary Baker Eddy によって創立された米国のキリスト教の一宗派; 霊的法則が新約聖書の癒しの基盤にあるとの確信に基づき, 祈りによる癒しが今日も可能とする; 公式名 The Church of Christ, Scientist 科学者キリスト教会》)

 

ショークロスは、自宅近くの製紙工場と働いていたチーズ工場に放火、懲役5年の判決を受ける。ショークロス本人によれば、刑務所の中で3人の黒人受刑者に強姦され、彼らに仕返しをしたという。実際に収監から6ヶ月を過ぎたころ、他の刑務所に移送されている。

 1971年、刑務所内で人種をめぐる暴動が発生、その際に殴られていた看守を助けたとして仮釈放。以前住んでいたWatertownに戻る。なお、収監中に2番目の妻リンダと離婚している。

 

地元の役所(Watertown Public Works Department)の雑用係の職につき、3度目の結婚をする。相手は妹ジェニーのクラスメートで2人の子を持つPenny Nichol

ショークロスの証言によれば、この時まで妹ジェニーと性的な関係があり、ジェニーが別の男の子供を身ごもったために元クラスメートのペニーをショークロスに紹介した、という(ジェニーは性的関係について否定している)。ショークロスの三度目の結婚生活は当初うまくいっていたが、5ヶ月後に妻が子供を流産したあたりから雲行きが怪しくなる。

勃起が継続せず、射精がしにくいなどの障害があったことは、妻ペニーと本人の証言から考えて事実だろう。おそらく、暴力的なセックスにしか勃起せず、正常な性交はこの時にはすでに不可能になっていたと見るべきだろう。


 

ショークロスは趣味として川に釣りに行っていたが、そこで知り合った少年ジャック・ブレイク(Jack Blake:当時10才)が最初の犠牲者になった。

197264日、ジャックはショークロスによって森の中に連れて行かれた。ショークロスは、彼を裸にし森の中を逃げるように指示、後を追いかけた。捕まえてから、肛門性交し、首を締め、顔面を激しく殴打。心臓と性器を切断して食べたと述べている。

 

 

 

3ヵ月後、8歳の少女カレン・ヒル(Karen Ann Hill)を強姦した上で絞殺、死体を切断して橋の下に遺棄(Black川)、目撃情報から逮捕、懲役25年となる。理由は不明だが、ジャック・ブレイクの殺害については罪を問われていない。ショークロスは精神科医との面談でジャックの死体遺棄現場に何度か足を運び、死体と性交したと述べている。

 

刑務所(New York Penitentiary)に収監されるが、ケンカ・窃盗・放火・命令不服従などの問題行動の記録が数多く残っている。しかし、次第に模範囚に変化していった。

ショークロスは刑務所内で高校を卒業(1985)、ペンシルバニア州立大学の履修生になる。

 

刑務所内で複数の精神科医と面談しているが、危険な兆候がいくつか記録されている。例えば、J. R, McWilliams 博士は「満足を得るために幻想の世界に浸りきっている」と述べ、Haveliwala博士の1977年の報告書には、「精神分裂病と反社会性人格障害に該当し、性障害が治癒したと言えるほどの形跡は確認できない」とされている。同氏はこの2年後にも「異常な人格特徴が目立つ性的異常者であり、….人格障害は慢性的に継続するはずだ」としている。

また、仮釈放委員会の報告書には、ショークロスが「性犯罪者更生プログラムを嘲り」、仮釈放調査面接で「激怒した」と書かれている。

理由は不明だが、1987年に「社会に適応できる」として仮釈放が認められる。おそらく刑務所が満杯だったためだろう。仮釈放の条件として禁じられたのは、23000700の外出、アルコール所持、18歳未満の児童との接触、学校等の子供がいる場所への立ち入り。

 


ローズ・ワレー(Rose Walley)という女性と文通で知り合い、彼女の自宅付近に引っ越すが住民の反対に合い、パプテスト教会の地下室に住むことになる。後にローズとニューヨーク州Fleischmannsに移り住み、建設作業の職につく。しかし、ここでも住民の反対デモに合い引っ越すことになる。サラダの加工工場に就職、ローズとしばらくの間平和な生活を送る。1987年のクリスマスにショークロスは家族を呼んでローズに会わせようとするが、家族側は訪問と面会を拒否。

ショークロスは別の女性クララ(Clara Neal)とも関係を持つようになる。ローズに対しては「ただ仲良くしているだけで、たまに車を借りている」と言っていた。

 

19882月、クララの車を借りて麻薬の売人や売春婦がたむろするレイクアベニュー(Lake Avenue)に行く。そこで売春婦ドロシー(Dorothy Blackburn)をひろい30ドル払ってオーラルセックスを希望。ショークロス本人によれば、この時、このドロシーがショークロスの性器を噛んで血が出たため激怒して首を締めた、という。その後、雪のふりしきる川の中に遺体を捨て、彼女を拾った場所に戻り喫茶店でコーヒーを飲んだ。車の中の遺品をゴミ箱に捨ててから帰宅、クララに車を返却した。ドロシーの遺体は翌月になって発見されるが、性器に歯型がついていた以外には物的証拠は全く残っていなかった。

ショークロスと付き合っていた2人の女性はいずれも、犯行には気付いていなかった。

その後、ショークロスはレイクアベニューの常連となり、売春婦達からは「ミッチ(Mitch)」と呼ばれていた。ある日、上司がショークロスの服役理由を知って解雇したことが、2番目の犠牲者アンナ・ステファン(Anna Steffen)の殺害につながった。アンナは生活のために時々売春しては稼いでいた。ショークロスは20ドルで彼女を買うが、勃起しないことを嘲られたため、顔面を殴打、川を泳いで逃げようとしたところを捉えて溺死させた。死体はそのまま川に流した。

その後、再びサラダの加工工場(G & G Food Services)に就職している。


 1989年までは再び罪を犯すことなく平穏な生活を送っていた。しかし、行きつけの店でウェイトレスをしていた58歳のホームレス女性ドロシー・ケラー(Dorothy Keller。売春婦ではない)を殺害した。一緒に釣りに行き性的関係を持つが、彼女の金を盗んだことと、クララとローズというガールフレンドがいることが原因で口論。近くにあった木の棒で撲殺、遺体を隠して帰宅。数ヵ月後に再度現場を訪れ頭蓋骨を川に捨てた。遺体は地元の漁師が発見したが、物的証拠がまったく残っておらず、ショークロスが容疑者として浮上することは無かった。

ドロシー・ケラーがウェイトレスをしていた店で知り合った売春婦パティー・アイビス(Patty Ives)が次の犠牲者になった。25ドル払って建設現場へ行き関係を持つが、ショークロスは彼女を殴打、肛門を犯した上で絞殺した(ショークロスは財布を盗まれたためと言っている)。遺体を廃棄物の中に隠し、あたりが暗くなるのを待って帰宅した。

売春婦フランセス・ブラウン(Frances Brown)。フェラチオをさせた後に絞殺。遺体と肛門性交。

ジューン・スコッツ(June Stotts。売春婦ではない)は、ガールフレンドであるローズの友人で、多少の知的障害があった。海へドライブに誘い絞殺。ショークロスは、性器などを切断して食べたと言っている。

レイクアベニューの売春婦などを次々と殺害。(Maria WelchDarlene TrippiElizabeth GibsonJune CiceroFelicia Stephens)。いずれも絞殺、遺体を遺棄している。Felicia Stephensのみ黒人。ショークロスは財布を盗まれた、値段をめぐって口論になった、生理が始まって激怒した、などと言っている。

 


199013日、遺体との性交のため、ショークロスは殺害現場に向かった。その際、死体遺棄現場付近で警戒していた警察のヘリコプターに発見されて逃走、妻が働いていた風俗店に逃げ込んだ。

現行犯でもなく物的証拠も無かったため「任意同行」だったが、ショークロスは事情聴取に積極的に応じた。このときは逃走理由を「立小便をしようとしていただけ」と述べた。

数日後、出頭を求められたショークロスは11件の殺人を自白、犠牲者の写真を完全に特定した。 


 

国選弁護人の助言に従って心神喪失による無罪を主張、弁護側の証人で精神科医のDorothy Otnow Lewis博士は、「幼少期の精神的外傷による多重人格障害」「ベトナム戦争の悲惨な体験を原因とするPTSD(心的外傷後ストレス障害)」であるとした。

結局、陪審は全会一致で有罪を評決、懲役250年となった。

 

1999年、ショークロスは、インターネットを通じて自分で描いた絵やサインなどをeBayのオークションに出品して懲罰を受けた。現在も健在で、たびたびテレビのインタビューなどに答えている。


 

<事件の解説>

犠牲者は11人、売春婦が中心だが男性も含まれている。年齢は8才から58才まで。人種も白人のみではなく黒人が一人混じっている。連続殺人のピーク時に40代半ばだった。

こうした点から、統計をベースに犯人を特定する「帰納的プロファイル」が全く役に立たない事例であり、非常に特殊な犯人だ。

殺害には道具を使用せずに全て手で絞殺している点から、被害者が苦しむ姿を見ながらでないと、セックスは出来なかったと見られる。付き合っていた女性からの証言は得られていないが、おそらくSMに類似の性行為を行っていただろう。性と暴力が結合した性的サディストの典型例だ。

 

刑務所に200万人が収容され満杯であるという原因で、再犯性が高い性犯罪者を釈放してしまったことに非難が集中している。

 

 


ジョエル・ノリス(Joel Norris

Arthur Shawcross : The Genesee River Killer : The Grisly True Crime Account of the Rochester Prostitute Murders!
byJoel, Dr. Norris (Paperback - January 1992)

 

 

 

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