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ハロルド・シップマン
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ハロルド・シップマン

1946114日、サラリーマン家庭に生まれる。

裁判では15人の殺人が確定し終身刑(英に死刑がないため)

イングランド北西部の町HydeGreater Manchester州:人口3.6万人)で開業医をしていた。

高齢の未亡人婦人を殺害

20年前に処方箋を偽造し薬物を着服した前科

殺害の動機が裁判でも不明、現在も無実を主張

2002年7月19日、政府は事件の被害者が最低でも215人と発表。調査を指揮した高等裁判所の判事Dame Janet Smithは「裁判が行われる可能性は低い」と述べている。シップマンが殺害した可能性がある493人のうち、自然死は210人のみで、38人は判定不能。

54歳。 終身刑

Dr Harold Shipman

 写真BBC


Kathleen Grundy(81)

 

 

Family Doctor(自宅に往診し患者の相談にのる。世間話をしたり、患者との人間関係が厚い)としての患者からの信頼は厚く、性格は温厚・良心的で働き者だった。開業医として3500人の患者を持っていた。しかし、その仮面の裏に麻薬中毒の殺人鬼の本性を隠していた。

殺害の後、明晰な頭脳を余すところなく使って証拠を残さないように異常なまでの努力を払っていた。司法解剖が行われれば、殺害が発覚するおそれがあったからだ。

1998diamorphine (モルヒネの一種)の大量投与でKathleen Grundy81才:写真左)を殺害したが、彼女の娘が遺書改竄を疑い警察に連絡した事がきっかけで逮捕。 シップマンが殺害で金銭的利益を得たのはこの殺害のみで、被害額は38万ポンド(約6000万円)、この事件を起こさなかった場合、シップマンはいまだに連続殺人を続けていたかもしれない。

死亡当日に書き替えられた遺書は資産40万ポンド全てがシップマンに遺贈されると記載されていた。

警察は埋葬された遺体を掘り起こし遺体からモルヒネを検出、作成された遺言書がシップマンの診療所のタイプライターで作られたことを確認した。

 Grundy婦人は、娘の証言によれば、死の直前まで8キロ歩いても息切れしないほど元気で、週末に保養地への旅行を計画していた。高齢者の支援活動にも積極的で募金活動も行っていた。「私たちより元気ね」と冗談をいいあったと娘は法廷で述べた。

 98/6/24シップマンGrundy婦人の自宅に往診し血液を採取したが、その時モルヒネを注射したと見られている。またカルテの改竄も明らかになった。 

 

動機が不明確で未だ憶測を読んでいるが、元同僚の医師によれば、人間の生命を操ること、つまり殺害自体を楽しんでいた、という説が有力である。金銭的利益を得ておらず、性的動機もないことから、この説が最も妥当だろう。

精神科医Richard Badcockがシップマンとの面接後、BBCのインタビューに答えたところでは、

単なる快楽のためにやったということは絶対あり得ない。彼の心の中にある何らかの「不安」を除去しようとしたのだろう。ただ、そのことに本人は気づいていない  He was very definitely not doing it for excitement, far from it.......He was doing it mainly to try and resolve something within himself...to get rid of an anxiety but an anxiety which he might not even have let himself think about."

 

シップマンの生家

学生時代


シップマンは1946114日、一般的サラリーマン家庭に生まれる。学校の成績は極めて優秀。17歳の時、母親Vera43)が肺ガンで死去。

65Leeds University医学部に入学するが、洋服店に勤めていたガールフレンドPrimrose(当時17)が妊娠、翌年結婚。4人の子供をもうける。

1970年大学卒業後、Pontefract(人口3万人の小さい町)の診療所で働き始める。74年開業医となるが、この頃から一時的意識喪失に度々見舞われるようになる。

同僚が麻薬中毒になっていることを見破り、処方箋を偽造し麻薬を持ち出していたとして逮捕。高額の罰金を払わされた上、勤務先の病院を解雇された。

医師会(General Medical Council)はこの時免許剥奪等の処置をとらず、厳重注意の書面を送っただけだった。シップマンYorkで精神科に通い、薬物乱用者更生治療を受ける。

診療所

1977年イングランド北西部の町HydeGreater Manchester州:人口3.6万人)で再び開業医として働き始める。1993年自分の診療所を持つ。

連続殺人を始めた後も、患者達は「温厚で誠実な」開業医が実はモルヒネ中毒で殺人を繰り返していることには全く気づかなかった。(モルヒネは医学的名称で一般的には「ヘロイン」と呼ばれる)

逮捕後の取り調べでは、毅然として全容疑を否認した。担当検事のMike Williamsによれば、シップマンは取調官より常に優位に立とうとし、ゲームに勝とうとしているような傲慢さが見られたという。 

診療所の内部

1997年のデータでは、患者数1万人の近くの病院で14人の高齢女性が死亡しているが、患者数3500人のシップマンの病院で少なくとも41人がシップマンが診察に訪れたその日に死亡している。

警察はシップマンが地域の患者から高い尊敬と信頼を得ていたためか、 前科を調べなかった。司法解剖すべき場合でも死亡届提出後に警察が疑いを持つことはなかった。 

シップマンカルテを偽造し死期が近いように見せかけた。公的機関の監査がなぜできなかったのかという非難が遺族からあがっている。

全ての女性の遺体には争った形跡がなかった。

シップマンの妻 Primrose

 

2001/01/10現在、345人の死について調査が進行中。政府が発表した報告書では犠牲者は236人前後とされているが、さまざまな数字が乱れ飛び、実際の被害者数は確定していない。ただ、150人を超えることは確実で、1000人を超えるという報道も一部にある。

「シップマンがイギリスで最も重い刑罰に服している以上、刑事司法がやれることは全てやり終えた」などという開き直り的発言が警察関係者からは出ており、証拠となる遺体の状態が悪いものが多い点で、事件の全貌が完全に明らかになることはないだろう。

現在も無実を主張しながら、終身刑に服している。

2002年7月19日、政府は事件の被害者が最低でも215人と発表。調査を指揮した高等裁判所の判事Dame Janet Smithは「裁判が行われる可能性は低い」と述べている。シップマンが殺害した可能性がある493人のうち、自然死は210人のみで、38人は判定不能。

 


Picture BBC

 

 

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