| 2:学生時代
65年高校を卒業、奨学金をもらって大学に進学(University of Puget
Sound のち University of Washington:専攻は心理学、後に法律)中国語の勉強を始めた。バスの荷物運び、靴屋の店員などをしたが、いずれも長続きはしなかった。大学の成績は良く、教授たちから絶賛されていた。「学生というより若い専門家のようだ」った。
ステファニー・ブルックス(Stephanie Brooks)は美しく洗練された女性でカリフォルニアの裕福な家庭の娘だった。スキー旅行に何度も行くうちに付き合うようになった。バンディにとってはこれが初恋で性行為も始めてだった。
二人は普通のカップルと同様に幸せな日々を送っていたが、彼女のほうはバンディほど夢中ではなかった。大学卒業後、彼女はバンディに別れを告げカリフォルニアに帰った。バンディは何とかよりを戻そうと追いかけて行くが無駄だった。大学は中退した(67)。失意のバンディは皿洗いや倉庫番などの単純労働に就き、窃盗に手を染める。身の回りのものはほとんど盗んだものだった。
しかし、知人の紹介で副知事候補の黒人政治家のもとで働く機会を得て再び浮き上がる。青年共和党に所属、共和党の有力者とも面識を持った。
また”自殺者ホットライン”でボランティアとして働き、湖で溺れていた3歳児を救助してシアトル警察から表彰され、強盗を取り押さえたこともある。なお、バンディの犯行を詳細に再現したノンフィクション「デッド・バンディ・アメリカの模範青年の血塗られた闇」を書いたアン・ルールは、この頃、自殺者ホットラインの同じ職場でバンディと何年か一緒に働いている。
69年”姉”が実は母であること、祖父母を両親だと信じ込まされていたことを知る。この頃から、シャイで内向的な性格が、目的意識を持った積極的なものへ変化し始めた。1970年ワシントン大学に戻り心理学を専攻、優秀さを発揮し教授達にも一目置かれる存在となった。
1972年、州知事候補の選挙事務所で働き始めた。再選された知事の強力な推薦があり、ユタ州立大学の法科大学院に入学を認められた。しかし、州政府でキャリアを積むならワシントンのピュージェット・サウンド大学のほうが良いといわれ、こちらに入学する。
このとき、秘書でおとなしくもの静かな女性、メグ・アンダーズ(Meg Anders)に出会い5年付き合った。彼女は離婚しており、娘がいたがバンディは理想の父親になると考えていた。バンディにはその気はなく他の女性とも付き合っていたが、メグはバンディと結婚することを夢見ていた。バンディの当時友人によれば、”ほんとに愛したのはステファニーだけ........メグとはそんなんじゃないよ”。
73年カリフォルニアからワシントンの共和党本部に出張した時、ステファニーと再会する。彼女はバンディが、何の目的も持たない「ひ弱男」が、落ち着いてし成熟した男性になっていたことに驚いた。その後二人はメグに知られないよう何度かデートしている。再び二人は恋に落ちた。
73年の秋から冬にかけて、バンディはステファニーと肉体関係を持つ間、何度も結婚を迫った。しかしバンディはわずか2〜3週間の間に突然態度を豹変させ彼女に興味を示さなくなった。74年2月何の前触れも説明もなくバンディはステファニーのもとを去る。そして二度と二人は会うことはなかった。この間何があったかは不明で、一説によれば”極度に理想化された女性を意のままにし復讐を果たした”からだという。
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