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コレシュはこの日の夕方、CNNに生出演、自分は、7つの封印を説くことが出来る唯一の「神の子羊」であり、この戦いは世界最終戦争の前哨戦だと語った。3月2日には、手榴弾を体に巻き、「自殺してやる」とテレビカメラの前で叫んだ。
その後、地元ラジオ局に対し声明を放送すれば教団内の子供を解放するとの取引を持ちかけ、4人を解放。
FBIは延べ215時間、754回にわたって電話交渉を続けた。応対はコレシュ本人が多かったが、ハーバード出身の弁護士ウェイン・マーティンや、側近のスティーブ・シュナイダーも交渉に応じた。大抵はコレシュが自らの教義を延々とまくし立てるだけで終わった。
行動科学課の精神分析医ピーター・スメリックは、コレシュが「サイコパスであり、他人の非難を一切受け入れず、小さなことで激怒する独善的人物」とプロファイルした。そのため、教団以外の場では信者への支配権を失うのを恐れ、強行策をとった場合には信者に集団自決を命じる可能性を指摘した。よって、強行策ではなく、信頼関係を構築しながら少しずつ妥協するのが良いとした。
結果論的にはスメリックの警告を無視して失敗したわけだが、事件後の司法省の報告書にはこの点への言及がない。スメリックの上司ジョン・ダグラスはプロファイルが無視されたことに”失望した”と言っている
。
現場から2kmほど離れたところにマスコミ村ができ、記者や野次馬めあてに屋台が出た。隣接する土地を所有する男性が望遠鏡を設置したところ、長い行列が出来た。
現場では、1ヶ月以上にわたる膠着状態の中、様々な交渉が試みられたが、1年以上の食料と水を蓄えていたため、交渉は完全に手詰まりになった。
教団施設内には水洗トイレがなく、信者は狙撃を恐れ汚物を窓から投げ捨てていたため、伝染病の発生が危惧された。司法長官リノは「教団が子供を虐待している」とのFBIからの報告を受け、強行策を決断。
「それ以外に選択はないか」とクリントン大統領に問われて、司法長官リノは「最良の選択です」と答えた。
1993年4月19日早朝、81人の信者(25人の子供)が施設内にいた。FBIは19台の戦車、装甲車、武装したヘリコプターなどを使用して、教団施設を攻撃。壁に穴をあけ、催涙ガス(CS)であぶり出す作戦だった。
FBIと銃撃戦の末、コレシュは80人の信者を道連れに自殺。信者のほとんどは焼死と見られるが、火を放ったのが誰かが問題になっている。
放火したのは信者の一人で、「聖なる火」で戦車を破壊しようとしたという説がある一方で、FBIが発射した濃縮催涙弾が可燃性だったためそれに誤って引火したという説がある。(自動小銃らしき発砲の直後に発火した映像が残っている)。
FBIは一発も実弾は発射していないと主張しているが、マスコミが赤外線カメラでヘリコプターから撮影した映像には銃弾の発射の模様が映っている。また信者が脱出しようとしていたところに少なくとも2回の実弾攻撃を加え
たという証言がある。
逮捕状の請求や武器の使用に法律違反があった。信者の一人は昼食を食べていたところを、壁を貫通した砲弾にあたって死亡している。
また、FBIは4/14日にコレシュが送ってきた降伏の手紙を司法長官に渡さなかった(故意か過失かは不明)。内容は、「刑務所で信者たちに布教ができるように計らえば投降する」というもの。
一連の教団施設攻撃は、適正手続き(due process)という点から政府の対処に問題ありとして批判を浴びている。
FBI長官セッションズは事件当時、汚職問題を抱えてマスコミの袋叩きを浴びており、この事件後まもなく辞任している。
なお、オクラホマボマー事件(ティモシー・マクベイ)は、この事件の2周年記念日に起こった。
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