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アル中の母親は父親に似ていたケンパーに対して威圧的でつらくあたり、体の大きかった彼が姉妹にいたずらするのを心配し、毎晩地下室に鍵をかけて閉じこめた。職業は大学の職員、離婚歴が数回ある。母親は、外向的性格の姉を大事にした。ケンパーは少年期に「姉や母親の死を祝福する空想を抱いていた」と裁判中に精神科医に述べている。それは人形や動物の切断という行為に転化されていたという。なお、義父たちから虐待されていた形跡はない。
幼少期模範となる人間が周囲におらず、内気だった。飼い猫をナイフや鉈でバラバラにした。自宅の庭に猫を生き埋めにし、後に死体を掘り起こし首を切断、首に祈祷をささげた。猫の体の一部を隠し持っていたため、母親から叱責されたことがある。
周囲の少年たちから、いじめ・嘲笑・脅迫を受けるようになった。
14歳で父方の祖父母の牧場に預けられるが、ライフルを2発発射し祖母を殺害、ナイフでメッタ差しにした。帰宅した祖父も射殺。警察で「ばあさんを殺したらどんな気持ちがするかと思っただけ」と供述。
「受動-攻撃型の性格特徴の障害」と診断され精神病院に収容された。院内で精神科医と親しくなり心理テストの助手などを勤めている。19歳の時の診断は、「感情的に未熟。軽度の鬱と漠然とした不安感が支配的。受動的・依存的で攻撃性は表に出ないが、攻撃性が爆発する可能性もある」
21歳で精神科医の反対にも関わらず釈放、母親のもとへ。
道路清掃局に職を見つけ家を出るがバイクの事故で母親の家で過ごすようになる。威圧的な母親は何かにつけてケンパーを罵り、隣人たちは毎日壮絶な口喧嘩が始まることでケンパーの帰宅を知ることができたという。母親には誕生日や感謝祭の時にプレゼント贈るなど関係の修復を図っていたが、うまくいかなかった。この頃、警官になろうとするが、背が高すぎるという理由で不合格になっている。
死体を運んでいる最中に警官に止められても動じることなく礼儀正しく応対し、うまく逃れている。息子を連れてヒッチハイクしている女性を拾ったときは、彼女の連れがナンバーをメモするのをバックミラーで見て目的地で無事おろした。
ヒッチハイカーの女性を車に乗せ次々に殺害。最初の頃はナイフで殺害していたが、後半は22口径の拳銃を使うようになる。後に犠牲者のうち2人の肉をマカロニと一緒に料理して食べたと述べている。また、皮膚や髪の一部を記念として保管しており、死体を撮影したポラロイド写真で自慰行為をしていた。
1972年9月15歳のアイコ・コーを絞殺、屍姦し自宅へ運ぶ。翌朝、精神科医の元へ診断へ行ったときはアイコの首がトランクの中に転がっていたが、二人の精神科医は「他人に対して脅威ではなく、精神障害は完治」と診断した。この診断によって未成年の時の前科は正式に記録から抹消された(72/11/29)。その帰りに、トランクの中の首を山中に埋めた。
73年1/9、女子大生シンディ・シャールを拾って車のトランクに詰め込み射殺。母親の家出で屍姦して浴槽で切断、首を庭に埋め残りの遺体を海に捨てた。
イースターの週末、寝ていた母親を金槌で撲殺、首を切断し屍姦、喉を切り取った。死体の左手を切断した(ケンパーは聖書を愛読。神が懲罰を与えるのは左手)。「おおきな解放を感じた」という。
母親の友人サリー・ハレットを「サプライズ(びっくり)」ディナーに招待、殴った上絞殺、首を落とした。そこに警察に宛てた意味不明のメモを残す。
土曜日午前5:15分頃。この恐ろしい屠殺人のお陰で彼女はもう苦しむことはなくなった。俺の望んだとおり、すみやかに眠りについた。手抜きややり残しではない。ただ、時間がなかっただけだ。俺にはしなければならない事がある。
車で当てもなく走り、母親を殺したことで「本来の目的は達した」ため、警察に電話をかけ自首。逮捕前にスピード違反で捕まっているが、そのとき指名手配されていないことに「失望した」という。 |