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Edmund Kemper
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髪をつかんで死体の顔を眺たり、首を切り落として座らせるのは、セックスと同じ快感だった。それだけで何度もイッちまったね

"I remember there was actually a sexual thrill . . . pull their heads of and hold their heads up by the hair. Whipping their heads off, their body sitting there. That'd get me off,"

 

 

 

kemper2.gif (34039 bytes) エドモンド・ケンパー

1948/12/18 カリフォルニア州バーバンク生まれ。両親が離婚、祖父母の元へ預けられる。

知能指数136(弁護側。検察側145)。身長205cm、体重135kg。犠牲者は10人。ネクロフェリアで正常な性交はできなかった。

冷静で頭脳明晰、ユーモアのセンスがあり、人当たりが良い  (元FBIのジョン・ダグラス)

 

カリフォルニア州サンタクルーズで自分の母親と6人の女性ヒッチハイカーを殺害。死体を切断し保存。殺害の動機は「自分のものにするため」

若い頃から精神障害があった。母親を殺したあと自首。

8つの殺人で終身刑。現在も服役中でテレビに出演することも多い。

Edmund Kemper

 

 


アル中の母親は父親に似ていたケンパーに対して威圧的でつらくあたり、体の大きかった彼が姉妹にいたずらするのを心配し、毎晩地下室に鍵をかけて閉じこめた。職業は大学の職員、離婚歴が数回ある。母親は、外向的性格の姉を大事にした。ケンパーは少年期に「姉や母親の死を祝福する空想を抱いていた」と裁判中に精神科医に述べている。それは人形や動物の切断という行為に転化されていたという。なお、義父たちから虐待されていた形跡はない。

幼少期模範となる人間が周囲におらず、内気だった。飼い猫をナイフや鉈でバラバラにした。自宅の庭に猫を生き埋めにし、後に死体を掘り起こし首を切断、首に祈祷をささげた。猫の体の一部を隠し持っていたため、母親から叱責されたことがある。

周囲の少年たちから、いじめ・嘲笑・脅迫を受けるようになった。

14歳で父方の祖父母の牧場に預けられるが、ライフルを2発発射し祖母を殺害、ナイフでメッタ差しにした。帰宅した祖父も射殺。警察で「ばあさんを殺したらどんな気持ちがするかと思っただけ」と供述。

受動-攻撃型の性格特徴の障害」と診断され精神病院に収容された。院内で精神科医と親しくなり心理テストの助手などを勤めている。19歳の時の診断は、「感情的に未熟。軽度の鬱と漠然とした不安感が支配的。受動的・依存的で攻撃性は表に出ないが、攻撃性が爆発する可能性もある」

21歳で精神科医の反対にも関わらず釈放、母親のもとへ。

道路清掃局に職を見つけ家を出るがバイクの事故で母親の家で過ごすようになる。威圧的な母親は何かにつけてケンパーを罵り、隣人たちは毎日壮絶な口喧嘩が始まることでケンパーの帰宅を知ることができたという。母親には誕生日や感謝祭の時にプレゼント贈るなど関係の修復を図っていたが、うまくいかなかった。この頃、警官になろうとするが、背が高すぎるという理由で不合格になっている。

死体を運んでいる最中に警官に止められても動じることなく礼儀正しく応対し、うまく逃れている。息子を連れてヒッチハイクしている女性を拾ったときは、彼女の連れがナンバーをメモするのをバックミラーで見て目的地で無事おろした。

ヒッチハイカーの女性を車に乗せ次々に殺害。最初の頃はナイフで殺害していたが、後半は22口径の拳銃を使うようになる。後に犠牲者のうち2人の肉をマカロニと一緒に料理して食べたと述べている。また、皮膚や髪の一部を記念として保管しており、死体を撮影したポラロイド写真で自慰行為をしていた。

1972年9月15歳のアイコ・コーを絞殺、屍姦し自宅へ運ぶ。翌朝、精神科医の元へ診断へ行ったときはアイコの首がトランクの中に転がっていたが、二人の精神科医は「他人に対して脅威ではなく、精神障害は完治」と診断した。この診断によって未成年の時の前科は正式に記録から抹消された(72/11/29)。その帰りに、トランクの中の首を山中に埋めた。

73年1/9、女子大生シンディ・シャールを拾って車のトランクに詰め込み射殺。母親の家出で屍姦して浴槽で切断、首を庭に埋め残りの遺体を海に捨てた。

イースターの週末、寝ていた母親を金槌で撲殺、首を切断し屍姦、喉を切り取った。死体の左手を切断した(ケンパーは聖書を愛読。神が懲罰を与えるのは左手)。「おおきな解放を感じた」という。

母親の友人サリー・ハレットを「サプライズ(びっくり)」ディナーに招待、殴った上絞殺、首を落とした。そこに警察に宛てた意味不明のメモを残す。

土曜日午前5:15分頃。この恐ろしい屠殺人のお陰で彼女はもう苦しむことはなくなった。俺の望んだとおり、すみやかに眠りについた。手抜きややり残しではない。ただ、時間がなかっただけだ。俺にはしなければならない事がある。

 

車で当てもなく走り、母親を殺したことで「本来の目的は達したため、警察に電話をかけ自首。逮捕前にスピード違反で捕まっているが、そのとき指名手配されていないことに「失望した」という。

 


心理学の専門用語に通じ、自分の行動を精神医学的に事細かく分析することができた。

ヒッチハイク中の女性を見つけ、行き先をきいたときは、時計をちらっと見ると女性は、「忙しいのにわざわざ」と思い疑いもなく車にのったという。

逮捕後は死体を処理した場所を警官たちと訪れ、素直に止めどなく自白した。

検察側は精神障害による責任無能力を否定しようとした。検察側証人Dr. Joel Fortは死体の処理方法や人肉食についてケンパーから新事実を聞き出した。

ケンパーは妄想性精神分裂病ではない。単にセックスと暴力に取りつかれていただけで.....釈放されれば再犯の可能性が高い

精神鑑定は一般に精神科医を雇った側に都合のいい結果が出るが、知能指数は弁護側が136、有罪を立証したい検察側では145だった。

殺害の動機は「自分のものにするため」だと証言台で述べた。また、「殺害が勝利だった」とも述べている。

実の父親が出廷、ケンパーの母親が「8歳の時に地下室に8ヶ月も閉じ込めた」と証言。

弁護側はケンパーの兄弟を出廷させ精神障害を立証しようとしたが、結局陪審は5時間の審議で8つの殺人についてすべて第一級殺人による有罪を評決した。終身刑となりFolsom 刑務所に収監。

 

ケンパーは1973年に逮捕されてから、熱心かつ素直に自らの罪を告白した。

FBIのロバート・レスラーとの長時間にわたるインタビューに応じ、プロファイルの進化に大きく貢献した。

1988年ジョン・ゲイシーとともにテレビに出演、犯罪について討議した。

語り口は包み隠さず明快なものであり、心理学の専門用語をあげながら自らを冷静に分析し、知能の高さをうかがわせた。

刑務所では模範囚で非常に協力的だという。

現在も服役中だ。

 

俺の夢は大量殺人だ。好みの女を一カ所に集めて殺し、その死体と狂ったように熱烈なセックスがしたい。命を奪って生前連中のものだった体を完全に自由にする。全てオレのものになるんだ

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