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18世紀イタリアの犯罪学者チェーザレ・ベッカリーアが、「犯罪と刑罰について(1764)」の中で拷問と死刑の廃止を主張、以後も死刑廃止論は理論的に深化したのに対し、死刑肯定論に論理的根拠はない。
犯罪の抑止という刑事政策、犯罪者を抹殺して社会の安全を保つ、という2点が主に指摘される。しかし、ロシアの啓蒙専制君主エカチェリーナ2世は死刑を廃止したが、犯罪は増加しなかった。その他、西欧諸国でも死刑廃止と犯罪増加は有意な関係が証明されていない。
また社会の安全を保つために犯罪者を抹殺する必要があるなら、仮釈放なしの終身刑を導入すればいいことになる。
最終的に残るのは、「そんなやつは許せない」という素朴で野蛮な報復感情だろう。こうした刑罰の歴史は古く、ハムラビ法典の「目には目を」、漢の高祖が秦の首都を制圧したときの
法三章の例があり、刑法理論では前期古典派に属す哲学者カントが、刑罰は「絶対的応報」であると説いている。
死刑に理論的根拠が全くないにもかかわらず、日本人の6割以上が死刑を支持したり、人権国家を標榜するアメリカで50州のうち38州が死刑を存続しているのは、多くの人々が「許せない」と考えるという単純な事実が根拠の全てだ。
36人の女性を、レイプ・肛門性交の上、首を絞めナイフで刺し、頭部を切断し口内に射精したテッド・バンディにも人権はある。残虐な刑罰の禁止、犯罪者の公正な処遇は近代国家の基本原則だ。ただ、そうした人間にどういう罰を与えるのかと考えた場合に、死刑はやむを得ないという結論が出てくることになる。
日本で20歳以上の成人が死刑になるのは、犠牲者の数が2人以上で、強盗や強姦などがあって悪質、計画的で反省が不十分、等々の基準がおおまかな平均値だ。
日本では年間5-10件程度の死刑判決しか出ない上、執行まで極めて長い時間がかかる。これは死刑を維持しながらも死刑廃止論を考慮した結果だが、判決から執行まで長い時間をかけるのは冤罪を防止するためには必要不可欠な運用だろう。
一方、ヨーロッパ連合(EU)に加盟する場合は死刑を廃止しなければならないなど、西欧を中心に死刑廃止の潮流は盛り上がりつつある。
ただ、日本では過半数の国民が死刑に賛成しており、今後死刑廃止の勢力が力を増すとは考えにくい。死刑の是非にかかわらず、無期懲役と死刑の間があまりに広すぎることは、早急に解決すべき問題だろう。無期懲役であっても理論上は10年から出獄が可能であり、平均でも15年程度で仮釈放になっている。
具体的には、有期刑の上限である20年を40年程度に拡大したり、仮釈放なしの終身刑などを設け、死刑と無期懲役の間を埋めていくことが必要だ。また、危険な精神障害者を一般の病院に入院させてしまうような、現在の措置入院制度も改めねばならない。
死刑は残虐な刑罰だが、殺人もまた残虐な犯罪である。死刑の是非は今後とも議論が続くことだろう。
なお、筆者は死刑に賛成である。
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