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少年犯罪特集
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そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。
魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞき込むとき、その深淵もこちらを見つめているのである。
人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた。


                       「懲役13年」 酒鬼薔薇

 

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怪物と戦う者は、自分も怪物にならないよう注意せよ。長く深い深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む。

 

              「善悪の彼岸」ニーチェ「箴言と間奏146」

 

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(注★) 酒鬼薔薇が実際に「善悪の彼岸」を読んでいたか、「FBI心理分析官」から又借りしてきたのかは不明。ただ、ダンテの「神曲」なども引用しているため、実際に読んでいた可能性もある。いずれにせよ、精神鑑定を行った精神科医は一致して知能が高いと述べている。

 

 

 


 

少年犯罪特集

a Special Report on Juvenile Crime

 


筆者の立場

今回の少年法改正 : すべて賛成。(まだ軽い)

少年への死刑適用 : 賛成(18才以上)

「少年犯罪の凶悪化」「低年齢化」という現象は存在しない

犯罪を防止する方法は存在しない

日本の刑罰は軽すぎる

 


なお、本ページの統計は、全て犯罪白書:平成10年版の巻末資料から作成した。


 

 

 
「少年犯罪の凶悪化」という現象は存在しない

また17歳の少年です」というニュースキャスターの言葉を聞いた時には、その人物のジャーナリストとしての資質の無さを哀れむ必要がある。

上記グラフの水色の線は凶悪犯罪の合計が戦後日本でどのように推移してきたかを示している。つまり、少年犯罪が凶悪化したというためには、この水色線が右肩上がりで上昇してなければならないはずだが、実際には逆に減少傾向にある。

ただ、2年前の古いデータを過去5年に限定して使うと、少年の凶悪犯罪が右肩上がりで上昇しているように見えることに注意して頂きたい(朝日新聞やワイドショーがよく使用している)。

ちなみに、傷害や恐喝も昭和30年代をピークとして減少傾向にある点で、上記の凶悪犯と同様の推移となっている。

蛇足だが、テレビで「最近の少年は......」と述べている学者・作家・キャスターが、少年凶悪犯罪が現在の約2.5倍起きていた昭和30年代に「少年」だったことは歴史の皮肉、もしくは「偽善」という他はない。久米宏・筑紫哲也などは、この点で、センス抜群の「コメディアン」だと言っていいだろう。

 

上記グラフは「刑法犯」のみに限定したものであるため、薬物と銃刀法違反のグラフを追加しよう(左図:クリックで拡大)。

少年の間で麻薬の使用が減っていることは、ほとんどの人か知らない。

 

 

少年刑法犯の全体数が減らないのは「横領」が増えていることが大きな原因で(左図)、他には急増している犯罪はない。

横領は昭和30年代の20倍程度に増加しており、これが20万弱程度である少年刑法犯が全体としては減少しない要因になっている。

 

上記の点から言えば少年の凶悪犯罪が統計的に増加しているとは言えないことが明らかになった。

そこでよく指摘される「低年齢化」に論点を移そう。

 

犯罪の低年齢化という現象も存在しない

 

犯罪が低年齢化していると言うためには、15歳以下の犯罪が増え、15-20才未満が減っている必要があるが、左記グラフの通り、そうした現象は存在しない(左図・クリックで拡大)。

なお、成人を含めた全刑法犯の年齢別推移では、逆に年齢は上昇している。

 

 

 

 

少年犯罪が過去に比べて暴力的になったという根拠はない

最後に、「犯罪の質が変化している」という指摘だ。それは犯罪がより暴力的・病的なものになったという意味だろう。

この点については質を検証した研究がないために確かなことはいえないが、少なくとも「倫理的な強盗殺人」「善良なバラバラ殺人」というものは現実には存在せず、存在したこともなく、これからも存在しない。

つまり、あらゆる犯罪は古今東西、例外なく必ず暴力的だったのだ。魔女狩りに参加していた少年たちは、暴力的ではなかったのか?

犯罪が過去に比べて暴力的にはなっていないという私の立場は根拠薄弱かもしれないが、逆に少年犯罪の質が悪化したという指摘にもいかなる証拠もない。

江戸時代に東海道で旅人を襲っていた少年達と酒鬼薔薇を比較して、酒鬼薔薇の方が暴力的であるという根拠は、どこを探しても見当たらない。つまり、西鉄バスジャックや酒鬼薔薇のような事件は、犯罪史の中では極めてありふれた平凡極まりない犯罪であり、例外的な事件でもなければ、まして犯罪の質が変化したことを意味しない。

「犯罪が残虐になった」という指摘は、犯罪史を良く知らないか、大衆の好奇心に訴える卑劣な商業主義だというべきだろう。

繰り返すが、あらゆる犯罪は古今東西、例外なく必ず暴力的だったことを忘れてはならない。

 

犯罪は政策・失業率・社会情勢と直接の関係なく変動する

凶悪な犯罪を防ぐ方法は、存在せず、存在したこともなく、これからも存在しないだろう。なぜなら、いかなる社会システムにおいても必ず犯罪は起きるからだ。

宗教的倫理観が極度に強かった中世ヨーロッパは、魔女狩りや猟奇殺人が跋扈する残虐で不毛な時代だった。コリン・ウィルソンの著作やThe A-Z Encyclopedia of Serial KillersHarold Schechterを読めば、宗教が厳格だった時代の犯罪がいかに凄惨だったかがよくわかる。

 

よく言われる「不況」と犯罪の関係も存在しない。次回の特集で犯罪と失業を取り上げるが、回帰係数は0.5以下であり、ほぼ関係ないといって良いレベルの相関度になっている。

また、「物質的に豊かになったが精神的豊かさを忘れた」という指摘は、人間の精神が進化するというヘーゲル主義の背面理論であって、そもそも人間の精神は退化・発展することが本質的・原理的にありえないことを忘れている。

産業革命以後、犯罪が一貫して増えていたなら別だが、犯罪が増減を繰り返しているだけなのは統計的に明らかな事実だ。そして「精神的豊かさ」という言葉が何を意味するのか、私には分からないし、分かろうとも思わない。

さらに、「家庭の崩壊」も全く関係はない。この指摘は、離婚率が今よりはるかに低かった昭和30年代に少年の凶悪犯罪が現在の2倍以上起きていたことを説明できない。

また家庭の崩壊を嘆くのは「民法なって忠孝滅ぶ」と同じレベルの保守主義の発想であり、家父長的大家族制が滅んだことと犯罪の増減には直接の統計的関係は存在しない。家族の崩壊を直接の原因として社会が荒廃・崩壊したという事実はないのだ。そして、そもそも「家庭の崩壊」を防ぐ現実的方法が存在しない点で、老人のノスタルジア以外の何物でもないだろう。

世界史上のあらゆる社会は、「古今東西、常に、例外なく」、荒廃・崩壊しているのが実体で、「健全な時代」というものは空想の産物か、老人の郷愁でしかない。かつて倫理や法律のない社会は存在しなかったが、倫理や法律の存在そのものが、犯罪や暴力の存在を証明している

 

もし本気で犯罪を防ぐなら、ジョージ・オーウェルの「1984」のように、全ての人間をカメラで24時間監視するしかないだろう。(実際にロンドン市内は至る所にカメラがついており繁華街を夜間に歩いていると警察がとんでくる)

それが無理である以上、私がここで指摘しているような方法的悲観論をとるしかない。つまり、犯罪はいかなる努力をもってしても防止することはできないために、それが起きた後の対処法・システムを整備しておく以外にできることは何もないということだ。

よって、刑法や少年法を厳罰化し、被害者の救済制度を充実させることが急務だ。

 

 

偉大なる我が友よ...蠅叩きになることはお前の運命ではない。

逃れよ、孤独の中へ。          

ニーチェ:ツァラトゥストラ(市場の蠅)

 

あまりに蝿が多すぎるために若干ヒステリックになっているかもしれないが、蝿の群れの向こうに別の世界を見据える視点を忘れない限り、多少の殺虫剤をまくことは許されるだろう。

なお、私が少年法・刑法の「厳罰化」に賛成なのは、それによって犯罪が防げるという根拠のない楽観主義からではなく、現行法は犯罪に比して刑罰があまりに軽すぎるからだ。

 

刑罰の本質はカントが言うように「絶対的応報」であり、犯罪者を更生させることではない。刑罰によって犯罪者を社会から隔離することだけが刑罰の役割であって、犯罪者の更生を主眼に据える近代的刑罰理論は根本的に間違っていると私は考えている。

繰り返すが、犯罪はいかなる努力をもってしても防げないため、事後の対処法・システムを整備しておく以外にできることは何もない。

おぞましい少年犯罪が起きた時は、社会・家庭・教育に責任を転嫁しても意味はない。これからもその徒労は延々と繰り返されていくだろうが、ここまで読んで頂いた読者はそうではないと私は信じたい。

 

 

本稿の前編はここをクリック

 

 

 

 

 
少年法改正論議の流れ

 少年法改正論議は山形マット死事件(93)で導火線に火がつき、神戸事件で本格化し、バスジャック事件で現実化した。

だが改正論議そのものは少年法が制定直後の昭和30年代にはすでに言われていた。凶悪な少年犯罪が現在の2.5倍以上起きていたからだ(冒頭のグラフ参照)。

 

 

 


 1956(昭和31) 検察庁による少年法の適用年齢引き下げ“18歳論”

 1957(昭和32) ブース夫妻殺害事件⇒少年法適用年齢引下げ論議

 1967(昭和41) 法務省少年法改正要綱案。法相の正式な少年法改正構想

 1971(昭和45) 法務省が法制審議会に諮問

 1977(昭和52) 中間報告答申したまま審議中断

 1995(平成7) 旭川地裁判事八木正一「少年法改正への提言」←山形マット事件

 1996(平成8) 法曹三者意見交換会・自民党政務調査会法務部少年法に関する小委員会

 1997(平成9) 神戸事件→「少年法の改正・見直し必要」 by 梶山静六官房長

 1998(平成10) 黒磯北中学校ナイフ刺殺事件→法務省が法制審議会に改正を諮問

 2000(平成12) 少年法改正

 

 

 

 

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