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長崎の4歳児殺害事件では、「何故防げなかったのか?」という議論があった。ただ、この設問は、事件に法則性があることを前提にしていて、事件が個別に全く異なることを無視している。バルガー事件の犯人と今回の12歳の少年とは、成績や生活などの点で共通点は見当たらない。複数の事件に共通点(ひいては法則性)がないことは、防止策を取り様がないことを意味する。
また、こうした特殊な事件の犯人から一般的法則を導くことは、論理的に無理がある。12歳の少年は約120万人だが、この中の1人を根拠に社会一般に関して議論を行うことは前提自体が間違っている。1/120万というのは、宝くじを3枚買って2億円が当たるのと同じ確率で、宝くじを買った人は大金持ちだと言えないのと同じことである。
12歳少年の親が被害者の両親に対して賠償金を払うことは当然だが、「親は何をしていたのか」「最近の親は精神的に幼い」などと言っても実質的には全く意味がない。
「心の荒廃」「偏差値教育」「地域社会の崩壊」等の指摘にも意味が無いことは、別頁で指摘してあるので重ねては書かない。
歴史上、どんな社会であっても常に犯罪は起きてきたし、これからも起きるだろう。犯罪に対抗する最良かつ唯一の方法は、犯罪者を隔離して社会の安全を図ることである。風邪や切傷が放って置けば直るからといって、ガン細胞の摘出はためらうべきではない。
ただ、問題として残るのは、刑罰の適用可能年齢をどこまで下げるのかということだ。
右の表は刑罰の適用可能年齢を国際的に比較したものであり、日本の14歳というのは標準的な水準にあることが分かる。英10歳、仏13歳、北欧15-16歳、スペイン・ポルトガル16歳、ルクセンブルグ18歳。アメリカは州によって違い、一番重いところは年齢制限なしとなっている。
意思能力・責任能力があって法を犯すと刑罰が課されるという現行法の原則から言えば、年齢制限をなくすこと自体は無理だ。ただ、何歳が妥当なのかは誰も決められないし、誰にも分からない。
日本国民が持っている意思の平均値が現行刑法の14歳であり、私もこの辺りが妥当だと思う。よって、14歳未満の場合には、重大な犯罪を犯しても事故の一種と考えることになる。たとえ刑罰が課されたとしても被害者が救済されることはないため、ここでは被害者の救済は別の問題である。
また、下記のグラフの通り少年犯罪は高齢化しており、特に犯罪が凶悪化しているわけでもないため、適用年齢を下げることに合理的な必然性があるようには思えない。実際に国会議員の中でも適用年齢引き下げの活発な動きはないため、よほど凶悪な事件が増加しない限りは、引き下げられることは当面ないだろう。
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