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ピーター・サトクリフはイギリス・ヨークシャーの工業化された町(Bingley
Yorkshire)で両親の間に46/06/02日最初の子供として出生(6人兄弟)。妹弟は外で腕白に遊ぶのが好きだったが、サトクリフ少年は内気な性格で自宅で母親と過ごすことが多かった。父親は大きな声で話す粗野で男性的な人物、母親は温和で慈悲深い女性で子供にはやさしかった。
学校では体が小さく他人と交わろうとしないため、いじめられていた。他の少年達がスポーツなどで走り回っている時でもそれに加わることはなかった。中学のとき、学校を2週間無断欠席したことがあり、その時は屋根裏に隠れランプで本を読んでいた。いじめは学校が対処したためおさまったが、依然として他人と交わることはなく女の子を追い掛け回すこともなかった。
しかし、ボディビルを始めたころから少しずつ友人ができるようになり、両親は非常に喜んだ。中学卒業後働き始めるが職を転々、父親の働く製粉工場は数週間、電気技師見習は9ヶ月で辞めた。その後、墓穴堀りの仕事につく(Bingley
Cemetery)。
18歳になる頃には両親はサトクリフのことを心配しなくなっていたが、女性に興味を持つことがなく付き合う女性もいなかった。父親とはそりが合わず、父親が何かを一緒にしようと誘っても断っていた。チェコ移民の娘ソニアSonia
Szurmaと交際を始める。彼女の父親は交際に当初反対するが、サトクリフが金銭的に堅実で勤勉、娘に対して優しいことから交際を公認する。その後8年付き合ってから結婚する。
仕事振りはまじめだったが遅刻が多いため墓堀の仕事を首になるが、73年4月夜勤ながら定職に就き(Brittania
Works of Anderton International)、ソニア24歳の誕生日に二人は結婚(74/08/10)。なお、ソニアは精神分裂病にかかっていたという話があり、結婚当時まだ教育学部を卒業できずにいた。
サトクリフは妻に対して優しく、暴力を振るうこともなかった。しかし、二重人格だったようで、墓堀の同僚Gary
Jacksonの話では、遺骨で病的な遊びに耽り、死体から指輪を盗んでいたことがあると言う。また、妻ソニアの弟はサトクリフと酒を飲むことが多かったが、売春婦との異常行為について自慢話をしていたという。
Trevor
Birdsallはこの頃からのよき友で数年に渡って交友関係があったが(後に彼の証言により有罪)、サトクリフは、当時、靴下に入れた石で売春婦を殴ったことがあるという。
結婚後6ヶ月、退職金400ポンドを使って大型トラックの免許を取得、29歳の誕生日の翌々日75/06/04に2台目となる車を購入。この頃、妻ソニアが流産し、待ち望んでいたにもかかわらず妻は子供をもてない体であると医師から宣告される。
75/07/04深夜1:00頃、31歳の女性Anna
Patricia Rogulskyが交際中の男性を喧嘩して、ドアを乱暴に叩き、靴で窓を割った。その時背後からサトクリフにハンマーで殴られ、意識不明の重態となった。腹部にナイフで切られた痕があった。金銭が取られておらず性的暴行もなかったため動機が不明で、捜査は難航。
08/15日深夜、人通りもまばらな路地でOlive
Smelt(46)に「この天気じゃ気が滅入るね"Weather’s
letting us down isn’t it?"」と話し掛けた直後に後頭部を激しく殴打、殴り倒した後、背中をナイフで切りつけた。車が近づいてきたためにサトクリフは車に乗って逃走。この二つの事件は長いこと同一犯とは考えられず、後にピーター・サトクリフによるものと判明した。
75/09/29サトクリフはタイヤ配送会社に就職、一ヵ月後、初めて殺人に成功する。
10/30日4児の母Wilomena
McCann(28)が公園脇の草むらで死体となって発見された。被害者は夜遊び好きで、売春で稼ぐこともあり、当日も子供を放り出して飲みに行っていた。
後頭部を殴られた上に首を切られており、腹部・胸を15回刺されていた。ズボンの後ろと下着には精液が付着していた。

75/11/20、Joan
Harrison(26)の遺体は顔面が潰れていた。背後から殴り倒された上に顔面を数十回蹴られていた。殺害現場から遺体発見場所の人気のない車庫までは死体を引きづった跡があり、ズボンは裏返し、下着がずれていた。脱がされたブーツが股間に置かれ、コートが遺体にかけられていた。中身を取られたハンドバッグが付近のごみ箱に捨てられていた。大きな手がかりと思われたのは胸に残された歯型や、膣・肛門に残されていた精液だった。精液からは犯人は「分泌型の個人(ABO
式血液型の型物質が唾液・精液・胃液・尿などの中にも分泌される人)」で、血液型は珍しい型のB型とわかった。(この件は別の犯人による可能性が高いとされている)
76/01、Emily
Monica Jackson(42)は夫と子供3人がいる主婦だったが貧しさのため売春することがあった。
遺体は失踪地点から700m離れた場所で両足を切断され胸を露出した上体で発見された。頭をハンマーで二回殴られ首の下を刺されていた。胸や下腹部にドライバーで刺した痕が51箇所あり、太ももと死体そばの地面にダンロップWarwickと思われるブーツの痕があった。
76/03/05、サトクリフはタイヤ会社を解雇された。勤勉だったが遅刻が多かったためで、夜中に出歩いていて起きられなかったためと思われる。
76/05/09、売春婦Marcella
Claxton(20)を車に乗せたサトクリフは人気のない場所で車をとめ、ハンマーで後頭部を殴打。頭から出血し倒れている被害者を見ながらサトクリフはマスターベーションし射精した。その後5ポンド紙幣を手に持たせ、警察に言うなと言い残してその場を去った。
彼女は近くの電話ボックスまで這って行き救急車を読んだが、52針を縫う大怪我だった。救急車を待つ間にサトクリフがとどめをさしに戻ってきて彼女を探していたという。
76/10月、サトクリフはトラック運転手の仕事を見つける(T
& WH Clark)。
77/02/05、売春婦Irene
Richardson(28)の撲殺死体が発見。頭部をハンマーで3回殴られ頭蓋骨が陥没し脳に破片が刺さっていた。
首と喉を掻き切られ、腹部を3回刺され小腸が飛び出ていた。タイツが足首まで下ろされ、脱がされた下着がタイツに詰められていた。
精液が検出された。性器に損傷がないことから性交は殺害前に行われていたとされた。遺体の側にはタイヤの跡があったため26の車種がリストアップされたが該当車は10万台に登った。

04/23、売春婦Patricia
Atkinsonが酒を飲んで自宅に戻ってきたところを、ハンマーで3回殴打、寝室のベットに体を運び、腹部を「のみ」で6回刺した。性的暴行はなかったが警察が到着したした時は既に死亡していた。76/01のEmily
Monica Jackson殺害の時と同じくサイズ7のダンロップWarwickの足跡が残されていた。
殺人を続ける中でも妻との関係は良好だったようで、教師になるための教育実習が終了することを見込んで77/06/25には家を買うための下見に二人で出かけている。その日の夜、靴屋の店員Jayne
MacDonald(16:写)が襲われた。
翌朝公園で発見された死体は、うつ伏せ、胸が露出、これまでと同様、ハンマーで殴打した上に刃物で複数回刺されていた。(この件については別の模倣犯による可能性が高いとされている)
売春と関係ない女性が殺されたことで社会も本気で捜査に取り組み始めた。だが警察の大規模な捜査にもかかわらず、サトクリフは殺人を続けた。
77/07/09、Maureen
Longが同様の手口で襲撃されたが重症ながら死亡は免れた。白い車(Ford
Cortina Mark II)が目撃。
彼女は娼婦で生活保護を受けており、万引きで罰金を課せられた直後だった。深夜に危険な歓楽街を歩いているところをサトクリフの車に乗ってしまったのが不運だった。
サトクリフと妻ソニアは77/08/18日新居を購入、ソニアも小学校の教師の職に内定を取っていた。サトクリフは8/31に保有していた白い車を売却し同車種の赤い車に買い換えた。
77/10/01、Jean
Bernadette Jordanは5ポンドでサトクリフと墓場で性交した後、ハンマーで13回殴られ死亡。
遺体は草むらに投げ捨てられた。サトクリフは帰宅後、彼女
に払った5ポンド札が新札だったためそこから足がつくかもしれないと考え、現場に行ったがハンドバッグは見つからなかった。突如怒りを爆発させたサトクリフは、遺体の胸・腹・膣などを80回にわたって刺し、深い傷は20cmにも及んだ。発見された時、遺体の顔面は砕けていた上に腐敗が進行していたが、指紋から身元が特定された。
77/10/15、犠牲者のハンドバッグが発見、中から5ポンド新札が見つかり、番号AW51
121565から銀行(Bingley
branches of the Midland Bank)が判明した。
12/14、売春婦Marilyn
Moore(写左)はサトクリフと一緒の車に乗って人気のない駐車場に行ったところを、頭をハンマーで殴られた。犬がほえたためサトクリフは殺害前に逃亡、一命を取りとめた。
78/01/21、売春婦Yvonne
Pearsonを殺害。彼女のバラバラ死体は2ヵ月後の3月末に粗大ゴミ捨場で古びたソファの下で発見された。胸の上に犯人が乗ったために肋骨が折れていた。ただ、頭部を殴打した凶器がハンマーではなく岩であった事がサトクリフの犯行ではないことを示唆する。死の一ヵ月後の新聞が遺体の下に敷かれていたことから犯人は犯行後に現場に戻ったようだった。
78/01/31、売春婦Helen
Rytka(18:写右)、ハンマーで殴った上、台所包丁で刺殺。
Vera
Millward(41)は手術を受けたあとで体力的に弱っていた。煙草と鎮痛剤を買いに出た被害者をハンマーで襲い、いつものように上半身の着衣をまくり上げてナイフで腹部を切開した。小腸が飛び出て苦しむ被害者をさらに何度も突き刺して殺害。悲鳴を聞いた者が何人かいたが誰も助けには来なかった。遺体は4m離れたごみの山まで引きづられ遺棄。タイヤの跡がIrene
Richardson とMarilyn
Moore殺害の時発見されたものと一致。
78/11/08、サトクリフの母親が病気で死去。
サトクリフの仕事振りはまじめで優秀だったが、同僚はサトクリフが孤独を好むタイプだと思っており、女性への侮蔑的言葉などを吐くこともなく寡黙だったという。
79/03/23、自分がヨークシャー切裂魔だと称する手紙が警察に郵送された。封筒の糊付け部に付着している唾液を検査したところJoan
Harrisonの遺体から検出された血液型と一致。手紙は次の殺害を予告するものだった。
79/04/04、公園の中を歩いていたJosephine
Whitakerに時間を聞く振りをして近づき、ハンマーで殴打、ナイフで25箇所を刺して殺害。
犯行声明文と肉声入りテープが警察に郵送。
79/09/01、大学3年生Barbara
Janine Leachをハンマーで殴打、ナイフで8箇所を刺して殺害。ごみ捨て場に死体を捨てた。
80/08、飲酒運転で逮捕され裁判を待っている間に、教育科学省の職員Marguerite
Walls(47)をハンマーで殴った上、被害者が叫んだため絞殺。
80/09/24、世界保健機構の職員で博士号を持つシンガポール人Upadhya
Bandara(写左)を襲撃。ハンマーで頭を殴打したが周囲の人が聞きつけて集まってきたためにサトクリフは逃走。
80/11/05、Theresa
Sykes(16:写右)をハンマーで襲撃。頭蓋骨は陥没していたが奇跡的に一命を取り留めた。
80/11/17、Jacqueline
Hillをハンマーとナイフで殺害。遺体は、目を刺され、20箇所以上の刺傷と切傷があった。
81/01/02.、売春婦Olivia
Reivers(24)と車の中で話しているところを巡回中の警察官に職務質問され、偽造ナンバープレートをつけていたことから逮捕。サトクリフは警官がOlivia
Reiversと話している隙にハンマーとナイフを隠すことに成功する。しかし、警察署での取り調べ中、報告されている切裂き魔の特徴にサトクリフが酷似していることを疑った警官が逮捕現場を調べたところハンマーとナイフが見つかった。
警察の厳しい追及に、いつも落ち着き払っているサトクリフも動揺し始め、ついに自白。自白は淡々と何の感情も示さずに続いたが、サトクリフはJayne
MacDonald(16)とJoan
Harrisonの殺害についてだけは言葉を荒げて強く否定した。この2件については別の模倣犯による可能性が高いとされている。
81/01/06、裁判所での供述では、殺害の動機について「本人達も死にたがっていたはずだ」と答えた。
また、墓堀をしていた20歳のとき、「売春婦を殺せ」という神の声を聞いたと述べた。検察側はこれを嘘だとし、弁護側は精神科医を呼んで妄想型精神分裂病であると診断させた。
陪審(男6女6)は1981/03/22、13の殺人で有罪を評決、終身刑が確定した。
イギリス警察の捜査能力の低さと売春婦への偏見が如実に表れた事件だった。
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