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アンドレイ・チカティロ
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嬉しくてね。思わず踊ったよ。

17歳の少女殺害について。

服を切り裂き殴打、口に泥を詰め首を絞めた。気絶したところで頸動脈をかみ切り血液を飲んだ

乳房、性器をかじって食べ、死体の上に射精した

 


 

  

 

アンドレイ・チカティロ 

1936/10、ソ連邦ウクライナ共和国ヤブロチュノイ生まれ

52人の少年少女を殺害

1994年2月14日モスクワの刑務所で銃殺刑

チカティロが残した死体は身体の一部がなくなっていた。女性の場合、子宮・乳首、男性の場合、性器が切り取られ、舌は刃物で切られるか、かみ切られていた。

「チカチーロ」という映画で本件が再現されている。

左の写真のように短髪になったのは逮捕されてからで、以前は眼鏡に七三分け、いかにもまじめそうな風貌だった。

Andrey Chikatilo

 


 

少年期、母親は狼や魔物が草むらに潜んでいて子供をねらっていると話して聞かせていた。

父親は第二次大戦中に徴兵されるがドイツ軍の捕虜となる。降伏は裏切りというスターリンの政策でなかなか戻って来れなかったが、チカティロが10歳の時ようやく帰還できた。しかしすでにチカティロは筋金入りの共産主義者になっており、父親を「裏切り者」と呼んだ。

学校では極度の近眼となよなよした感じからいじめられていた。友達が少なく、本を読むことが好きだった彼は、特にロシアのパルチザンがドイツ軍兵士をとらえ森の中で拷問する話を好んだ。

慢性的夜尿症があり、大きくなるまで直らなかった。

少年期のソビエトはスターリンの独裁時代で農民に対する収奪は激しく全土に極度の飢餓状態が蔓延していた。

そんな中、兄のステパンが飢餓に陥っていた村人に襲われ、食べられてしまったという。4歳だった彼は母親が泣きながら兄の悲劇を語るのを毎日のように見ていた。なお、兄ステパンの出生記録は確認されておらず、偽証説がある。

そして自宅から全く外にでないようになり、近眼、夜尿症、「兄の死」が異常性を培った。

18歳でモスクワ大学法学部を受験するが失敗、父親の「裏切行為」のせいだと非難する。

この頃、女性との性行為ができないことに気づき、自慰行為にふけるようになる。女性と無理矢理関係を結ぼうとするが、女性が抵抗し叫んだため、それだけで射精した。その後、女性を解放したが、これがきっかけで性交より女性の「抵抗」にオーガズムを感じるようになった。

兵役を終えRodionovo-Nesvetayevskyという会社で電話技師となる。貯蓄し家族を呼び寄せた。この頃、森の中で自慰行為をしているところを同僚に見られたことがある。

妹タチアナの紹介でフェイナという女性と交際の末、27歳で結婚(1963)。初夜のセックスに失敗したが、妻は極度にシャイなだけだと考え寛容だった。努力して子供を2人(Lyudmilla 65生 Yuri 69生)もうける。子煩悩で寡黙な働き者だった。ただ、後の供述で、当時トイレを覗いたことを認めている。セックスの頻度は年4回だったという。

ロシア文学の学士号を取得(Rostov Liberal Arts University)、職業訓練学校の教員となるが、極度にシャイであったため、生徒や同僚から嘲笑を受ける。

だが、つとめていた小学校で女子生徒に猥褻行為をはたらいて解雇。別の学校に移り、男子寮の管理責任者となるが、寝ている男子生徒に性器をくわえさせようとして捕まり、生徒たちに殴る蹴るの暴行を受けた。

逮捕、免職となり、78年小さな炭坑町シャフティに家族と移り、また小学校の教師として働き始める。

このとき最初の犠牲者レーナ・ザコトノーバ(Lena Zakotnova9才)を殺害した家(写左)を購入した。そこで小学生への猥褻行為を繰り返した。

 

1978年初めて殺人を犯す。学校帰りのレーナ・ザコトノーバ(9:写左)に駅で声をかけ自宅に連れ込み、暴行・強姦。発覚を恐れ腹部を3回刺し、半分凍り付いた川に持ち物と一緒に生きたまま投げ捨てた。

遺棄の目撃者Svetlana Gurenkovaの証言を元に似顔絵が作られ、チカティロの家で血痕が発見されたが妻がアリバイを偽証。

Alexsandr Kravchenkoという強姦殺人の前科がある男が犯行を"自白”、死刑となったため逮捕を免れる(警察が拷問したのは明らか)。

当時42歳。

1981年解雇になるまで教職に就いていた。


工場(Rostovnerud)の資材調達係に転職。

出張に出ては殺人を繰り返すようになる。

1981年9月、ロストフでラリーサ・トカチェンコ(17)を森の中で殺害。服を切り裂き殴打、口に泥を詰め首を絞めた。気絶したところで頸動脈をかみ切り血液を飲んだ。また、乳房、性器をかじって食べ、死体の上に射精した。

後の供述で、この時チカティロはこの殺害について「嬉しくてね。思わず踊ったよ」と述べた。

その後も犯行の手口はエスカレートする。会社の出張先でLyuba Biryuk(13)をナイフでメッタ刺しにした。夏だったため2週間後に発見された遺体は半ば白骨化していた。

生きたまま眼球や性器を切除、内臓をそのまま食べた。


 

こうした猟奇殺人は「資本主義が元凶」だと信じられていたため、警察は情報の公開をためらった。また、チカティロが少年をも襲うようになったため、警察の捜査は混乱した。コンピュータがなく情報の共有ができなかったこと、容疑者が厳しい尋問と拷問に耐えかねて自殺してしまったこと、「資本主義的現象」として情報公開に否定的だった政府の態度が重なり、逮捕は遅れた。

1984年、女性に声をかけているチカティロの不審な行動がパトロール中の警官の目に留まり、職務質問を受ける。そしてブリーフケースの中からロープ、ワセリン、ナイフが見つかった。

ロシアの法律では勾留できるのが72時間までだったため、警察はチカティロをさらに調べるため、公共の場所で女性に嫌がらせをしたとして15日間勾留。

勤務先のバッテリーを盗んだとして捜査中であること、過去に何度も猥褻行為で逮捕されていることなどが明らかになったが、殺人の証拠が不十分だった。結局、国家の資産を盗んだとして1年の懲役になるが3ヶ月で釈放、共産党籍を剥奪される(1984)


 

さらに殺人を続ける。

18歳の知的障害の少女にウォッカをのませ森に連れ込む。彼女は38箇所刺された全裸死体で発見された。

またホームレスの少女を拾って自宅に泊める代わりに性行為を要求、性交時に勃起しないことを嘲られたため刺殺した。

陸軍のヘリまで導入し大量の警官がパトロールに当たったため、チカティロは約2年殺人を犯さなくなる。なお、この間、チカティロは「殺人犯の捜索」に参加している。

1988年4月、30歳の女性を刺殺したとき、はっきりとした足跡を残す。

1989年には8人を殺すが、そのうち一件は、チカティロの実娘が離婚して実家に帰った後のアパートで殺している。

また父親の誕生パーティーに向かう途中でも殺人を犯した。19歳の女性を森で刺殺、子宮を取り出し、死体を解体、着衣で包み遺棄、その後パーティーに出席。

チカティロが残した死体は身体の一部がなくなっていた。女性の場合、子宮・乳首、男性の場合、性器が切り取られ、舌は刃物で切られるか、かみ切られていた。

被害者の失踪が電車・バスの発着地だったことから、24時間体制の監視に置かれていた。警察官は暗視装置をつけ乗降客を監視していた。若くて美貌の婦人警官に挑発的な服装をさせ犯人の出現を待った。

Shakhty駅の切符販売員が被害者の少年と一緒にいるチカティロを目撃した。

警察の厳しい監視網にもかかわらず22歳の女性が殴打の上刺殺、両乳首をかみ切られた死体で発見された。その殺害の帰途、顔に血痕が付着していたため警官がチカティロを駅で呼び止めた。その場は逃がしてしまうがその時の警官が名前を身分証明書で確認していた。

警察がチカティロの業務記録を調べたところ殺害現場と出張先が一致。私服警官が現行犯逮捕のため尾行することになった。

被害者にかまれて骨折した指の痛みを訴え、病院に行くため早退したチカティロは、自宅に戻った後外出。少年に声をかけていたチカティロを私服警官が逮捕。

当初警官たちは、チカティロが穏和で静かに話すおとなしい人物だったため、どうしても全国を震撼させた猟奇殺人犯だとは信じられなかった。

当初無罪を主張するが、チカティロは検事総長に手紙を書く。

私は自分の行動を抑制できず残虐な性犯罪を犯しました。子供の頃から私は自分が人間としてこの世に存在していることを実感したことがありません

チカティロは素直に供述を始めた。取り調べは数ヶ月に及んだが、殺害の日時、方法、場所をはじめ犠牲者の服装にいたるまで正確に覚えていた。人形を使ってどのように殺害したかを詳細に再現した。

裁判は1992414日開始。裁判所には鉄格子付きの特別スペースが設けられた。起訴事実の朗読は丸2日かかった。異例にも裁判長の判断で裁判がマスコミに公表された。チカティロの証言は要領を得ず、支離滅裂だった。

鉄格子の中が放射能で汚染されていると主張したり、突然、下着をおろし性器を揺らせながら、「これは役に立たないんだ!これで何ができる!」と叫んだため、手錠をかけられ退廷させられたこともある。

また、「妊娠している」、「警官に殴られ怪我をした」、「判事は偏見に満ちている」という発言もあった。

精神科医アンドレイ・チャチェンコは「サイコパス・器質的知能障害があり、サディスティックな歪んだ性衝動の持ち主」と診断。

弁護側は警察の起訴が被告人の自白に基づいていることを指摘、持っていたナイフなどが殺害に使われた証拠はないと主張。

判事が2ヶ月後に判決を下すと述べ退廷すると、犠牲者の兄弟がチカティロに向かって鉄の棒を投げつけた。頭を寸手のところではずれた。 

 

判決は1014日、裁判所はごった返した。傍聴席からの怒号に対してチカティロは笑顔で答えた。52の殺人で有罪、死刑判決が下ると群衆から拍手が起こった。

チカティロは判事に向かって「イカサマだ! おまえの嘘なんか聞かねぇぞ!」と叫んだが連行された。

上告するが1994214日、銃殺隊に首の後ろを撃たれ死亡。

58歳だった。


 

「チカチーロ」という映画で本件が再現されている。作品自体は全体的に考証や表現法が稚拙で、いい作品とはいえない。ロシア人が英語を話しているのも気になる。

 

 

 

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