| 最初の銃撃は1976年7/29、ニューヨークのブロンクスで18歳のカップルを射殺。 10/23 若いカップルをショットガンで襲撃、男性は頭を打たれ、重度の障害をおう。
11/26 18歳と17歳の女性が拳銃で打たれ重傷をおう。
77/1/30夜 カップルを襲撃、男性は頭を打たれ病院で死亡。
3/8 コロンビア大学の女子大生の顔を44口径で撃ち即死させる
4/17 深夜に車の中でキスしていたカップル(20歳と18歳)が撃たれ死亡
この犯行後、警察にメッセージ。「おれはサムの息子。これからが本番だ」
7/31 海辺に車を止めていたカップルを襲撃、女性が死亡、男性も重傷。
この犯行で目撃者がいて逮捕。車から銃とショットガン、サムの息子とかいた手紙がでてきた。手紙にはディスコを襲うという声明文がかかれていた。
被害者との面識は全くなく、殺人自体に快感を見いだしていた。
警察の捜査は初回の犯行から一年以上経っても全く進んでいなかった。捜査本部には情報提供の電話が大量にかかっていた。(最高の日は5000本)
1977年8月10日、殺害現場近くで袖の下に銃を隠して歩いているところを通行人に目撃され、付近で駐車違反していたことから逮捕。
供述では隣人の「サム・カー」という男から殺人の指令を犬を通じて受けて実行していたと述べた。(有罪確定後、嘘であると認めた)。 供述は丁寧かつ素直で、裁判でもすべての事案について有罪を認めた。
弁護側は精神異常による無罪を主張したが、陪審は有罪を評決し、懲役365年となった(ニューヨーク州に死刑がなかったため)。 |