ゲーシーはシカゴ北部の中産階級の家庭に育った。放課後はアルバイトに精を出し、ボーイスカウトに参加した。活動的で教師や友人に好かれた。父親との関係以外は普通の子供と何ら変わらなかった。
10歳の時、心臓肥大で心筋症と診断される。11歳の時ブランコが頭部に当たり脳内に血塊ができたが、これは16歳まで発見されなかった。このことが原因で突然意識を失うことがあった。17歳の時、心臓病で入院。
10代後半、父親といざこざが絶えなかった。父親はアルコール中毒で暴力的だった。"sissy(腰抜けホモ)"と罵られ、激しく殴られるなど、年少期虐待が脳に障害を与えたため、定期的に一時的心神喪失になったと裁判では主張した。FBIのロバート・レスラーとの会見では、父親が「お前は変態だ」「お前は将来変態になる」と繰り返し言ったと述べている。しかし父親に認められたいと考えていた形跡があり、父親の死にひどく落胆した。
高校を中退後、自宅を出てラスベガスへ。葬儀屋で死体を扱う仕事をした。まともな職に就けず、シカゴの自宅に戻るが、家族は暖かく迎えてくれた。
大学の経営学部に進学、卒業。セールスマンとして頭角を現し、幹部候補としてよい成績を残す。イリノイ州Springfieldで紳士服の販売店を一つ任される。
この頃、肥満から心臓の状態が悪化、健康を害する。退院するも脊髄を病み再入院。仕事は続けた。
Springfield時代、働き過ぎで心労から入院しながらも、様々な地域活動に真剣に取り組む。役職はかなり高い。
Chi Rho Club 議長
Catholic Inter-Club Council 役員
The Federal Civil Defense for Illinois 部長
the Chicago Civil Defense
部長
the Holy Name Society 副会長
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