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ジョン・ヘイグ
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あ、そうそう.....。死体をドラム缶に入れて硫酸を注ぐ前に、喫茶店で紅茶を飲んだね

 警察での供述

 


 

ジョン・ヘイグ

1909/07/24日、イングランド東部の生まれ。

犠牲者は9人。

拳銃や鈍器で殺害した後、借りていた倉庫において犠牲者の遺体を硫酸で溶かし、証拠隠滅を試みた。死体が発見されなければ完全殺人が可能だと考えていた。

逮捕前には警察の捜査に積極的に協力した。

小さな土木建設会社の経営者。

サイコパス。高校中退。

逮捕歴3回。(詐欺と窃盗)

絞首刑(40歳:1949/08/10)

John Haigh

 


ヘイグが借りていた倉庫に警察が踏み込んだときには、化学薬品で汚れたゴム製エプロン、38口径拳銃と実弾、手動ポンプ、ガスマスク、長靴、ゴム手袋、工業用ガラス瓶、200リットルのドラム缶などが発見された。

乱雑な倉庫内には、カバン・免許など被害者の持ち物が多数残されていた。

 

軍人の未亡人で資産家のディーコン夫人(69)は1949/02/18日、ヘイグによって射殺され、遺体はドラム缶の中で硫酸によって溶かされた。

わずかに脂肪分・脊椎の残骸、入歯の一部、胆石などしか残されていなかったが、法医学者たちの努力の甲斐あって身元が証明された。

付け爪の製造事業をヘイグと共同展開する話が持ち上がっていたために、殺害現場の倉庫を訪れていた。

後の供述でヘイグはこう述べている。

「あ、そうそう.....。死体をドラム缶に入れて硫酸を注ぐ前に、喫茶店で紅茶を飲んだね」

ヘイグは身に付けていた宝石などを売り払った。

 

犠牲者は全部で9人。借りていた倉庫において犠牲者の遺体を硫酸で溶かし、証拠隠滅を試みた。死体が発見されなければ完全殺人が可能だと考えていた。

逮捕前には警察の捜査に自ら協力した。警察署への同行を求められたときも、「役に立てるなら何でも協力します」と述べ、全く動揺しなかった。

小さな土木建設会社の経営者だったが、多額の借金を抱えており、身なりの良さは虚勢だった。

「秩序型」の典型例の一人で、逮捕後も徹底的に嘘をつき、「第三者にはめられた」などと主張。血液や尿を飲んだとして精神障害者を装って罪を逃れようとした。

逮捕歴3回。(詐欺と窃盗)


ヘイグは1909/07/24日生まれ。

両親はキリスト教原理主義者で聖書の記述は、処女懐胎などに至るまでも正しいと教え込まれた。

父親は炭鉱夫で宗教的に厳格、ヘイグの母親が実は天使で翼が生えていると真剣に教え込んだ。両親は、新聞やラジオなどが家庭を「汚染」することを嫌い、社会と隔絶した環境を作ろうとした。

なお、ヘイグは終生、母親が編んだ靴下を履いていた。死刑執行の直前に両親あてに書いた手紙には;

「愛する母さん、父さん。先日、なくしたと思っていた靴下が出てきました。」

 

学校では徐々に孤立していき、プリマス同胞教会(原理主義教団)の信徒の子供以外との接点はなくなって行った。

音楽の才能を認められ、8歳のとき、私立の学校に奨学金つきで入学した。小学校の頃は学業優秀で礼儀正しかったが、一方で動物の虐待や女生徒へのいじめなどがあったとされ、既に二重人格の兆候が見られる。

後にこの頃培った卓越したピアノの腕前で人々に近づいた。

17歳で高校を中退、職を転々とする。遅刻や欠勤が多かったという。

1934年に24歳で結婚するが、4ヵ月後に詐欺で有罪となり、妻はヘイグのもとを去った。出所後も2度にわたって詐欺や窃盗で有罪になっている。

詐欺の手口は巧妙で綿密に計画されていた。弁護士になりすまして新聞に広告を出し架空の不動産取引をでっちあげた。後に、22件の詐欺を認めている。

 

死体がなければ有罪にならないという間違った確信があったため、警察への自供は殺害の手際を自慢するごとく、得意げだった。

ニュルンベルグ裁判で検事を務めたファイフ卿が弁護士についた。弁護側の精神科医はヘイグがパラノイアだと主張するが、検察の激しい攻撃に屈し、ヘイグが自分の行為を犯罪だと認識していたと証言してしまった。

 

審理中もヘイグは全く罪を悔いる様子を見せず、クロスワードパズルで遊んでいた。

結局、陪審はわずか13分の審議でヘイグの有罪を評決し、死刑が確定した。

左の写真は博物館のロウ人形。

「後悔はしなかったし、何も感じなかった。感覚が麻痺していたんだ。」


 

=== 事件の解説 ===

なお、青森の猟師が男女関係のもつれから女性を殺害して海に捨てた事件をはじめ、日本でも死体が発見されないまま、殺人罪が確定した例はある。しかし、殺人は「結果犯」であり、殺害の結果である遺体が発見されない場合、立証は相当な困難を伴う。遺体が発見されない場合、有罪になる確率は大幅に減少する。

7人の若い女性を殺して死刑になった大久保清の場合、死体を埋めた場所をなかなか自白しなかったため、捜査は難航した。自白もなく死体もない場合には、捜査が難しいのは想像に難くない。

実際にアメリカでは毎年100万人近い行方不明者が出ており、広い国土の砂漠・森に何人の犠牲者が眠っているのかは誰にもわからない。

 

 

 

 

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