2005-01-05 潮流
記者の目:
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/china/news/20050105ddm004070049000c.html
たしかに戦後の60年だけで見るなら、中国の方がはるかに平和を脅かしてきた。懲罰と称してベトナムに侵攻したり、台湾の民主選挙を軍事演習で脅した。いまも民主化を求める知識人を弾圧している。国際社会が日本より中国を脅威と感じても不思議はない。
しかし、日中の間だけは別なのである。今も「戦争を反省しない加害者の日本と被害者の中国」という構図が、さまざまな問題におおいかぶさっている。
両国の政治家はいまだに、60年前の戦争をどう認識すべきかという議論を延々と続けている。まるで日本と中国の間にだけ、特殊な空間ができてしまったようにみえる。
どうしたんだ毎日新聞、と一応驚く。とはいえ、驚く方がおかしいわけで、まったく本当に日本とチャイナ&コリアの関係だけが著しく、他と違うルールで仕切られている、とは私はずっとそう思っているので、こういう記事が表だってこなかった方がおかしい、そっちの方が驚きだと言う。
去年の終わりにも書いたけど、「号外」を出す日もあるんだよな、と思ったんだろうか、やっぱり。
上村記者の連載はもう1つあった。
1945〜2005/2 中国−ロケット、パソコン…躍進の陰で
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/china/news/20050103ddm007030001000c.html
ネット上のものを読んでいる人にとっては珍しくもない話なのだが、これが紙媒体に出ているというのは、変化への兆しがもはや止まれないことになってまっせ、という印なのかもしれない。でもその変化は別にチャイナがどうかという問題ではなくて、日本に住む日本語を操る人びとが普通にものを考えてみることができないまでにおかしな言論状況にあった、これを食い破るための変化ではあるんだろうなと思う。ま、その後が大事なわけだが、とりあえず、「閉塞」からの一歩は進んでると思う。
個人の預かり知らぬものに対して謝罪を求められる状況とは、前にも書いたけど、ほとんどまったく、アビューズの世界だものなぁ。ここを無視して、日本の内部の状況だけを見て、何が悪かったんでしょう、私たちの性質? DNA? 遺伝的欠陥か等々といろいろ考えてきたのは、だから、ストックホルム症候群への一歩だったのだと思う。
暴発しないために気づく。ちびちびいちびりながら現実を見る、イヤでも楽しむ。志すべきは自在。そうやって行く方が自分にとっても他人にとっておいいはずだと私は思う。ま、文学には馴染まないわけだが。
■ グローバリズム自覚編なのか
US vows support for disaster zone
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/4147321.stm
Colin Powell says the US will not desert tsunami survivors, as he visits Indonesia, where most lives were lost.
アメリカは被害者を見捨てないからね、という言い方がすごいぞ、パウエル。
しかしこの言い方がまんざら大仰に聞こえないぐらいなのが、先日来お伝えしている通りの英語世界の現実。ずっと津波の話題が露出し続けている。被災の様子を伝える初期報道から、今は国内では人びとのお金集めの様子、国外には何を持っていってるんだの物品の検討から輸送の様子まで完全な支援体制報告になっている。さらには、各種団体に寄付をするわけだが、その団体が例えば1ドルをあなたが寄付したら、何十セントが被災者に届くことになるわけです、といった紹介ニュースもあった。つまり手数料ってか見込まれるべきボランティアの費用までできるだけ透明にしたいという主旨のようだ。
カナダ人は何をしているのだ、ちゃんとやってるか、やってるぞ、私もあなたも、というもの全国あげての凄い体制になっているといってもいい。子どもから大人まで、テンション上がり過ぎじゃないのか?と見えなくもないほど。
子どもが自分で書いた絵を売ってお金にして寄付しているというニュースを見た時には、私は、やっぱり、ちょっと驚いたが、こういう心がけがあってこそのマルチカルチャーなのかなぁなどとも思ったりもする。世界中どこで何があっても、カナダは何かをしなければならないと堅く信じて疑ってない的な人が多いとはかねがね知っているのだが、今回はそれの大量噴出版のような感じ(いいことだと思うし、ちゃかす意図はない)。
で、災害向けの特別部隊というのがあるらしくて、彼らは、普通は通常の援助組織が到着するまでの初期支援をもっぱらとし、体制が整ったら撤収というのを基本にしているのだそうだが、今回はいつになったらミッションが終るのかちょっとわからないのだそうだ。Disaster Assistance Response Team (DART) というらしい。米軍が1万2千人展開になったと昨日読んだけど、こういう時に展開できる組織はいわゆる軍でしかないということなのか。あるいはその特性こそが近代の軍というものだってことなのだろうか。
Canadian disaster team takes on new role
http://www.cbc.ca/story/canada/national/2005/01/04/newdart-050104.html
[捕捉]
DARTは、使いきれてないじゃないかと批判されていた。災害対応なのでおそらく武装がないということなのかと見えるのだが、インドネシア、スリランカのいくつかの地域での武装勢力との衝突に対応できないだろうと目され派遣を決断できなかった、と。その変わりには同等の能力のある、オーストラリア、台湾、ドイツ、イスラエルの軍が入ったのだそうだ。
`Soft power' isn't working
「ソフトパワー」であるためには、常にソフトパワーでないものが必要だという点で、日本の自衛隊に関する問題、というより日本そのものの問題と同じ問題にカナダもあるわけだ。
# 聞きかじり 『> 米軍が1万2千人展開になったと昨日読んだけど、こういう時に展開できる組織はいわゆる軍でしかないということなのか。あるいはその特性こそが近代の軍というものだってことなのだろうか。
単なる聞きかじりですけど、軍隊の特徴は「自己完結性」にあるということです。
警察を何千人という単位で派遣したとしても、公共交通機関や宿泊施設などが
利用できなければ、活動は不可能です。
軍隊は、移動手段や物資の調達を含めて自己完結してます。
滑走路や道路、橋などが壊れていても補修することすら可能です。
軍隊以外の組織では、当然ながら、インフラの存在を前提にしているため、
インフラが破壊された場所では活動できないのです。』