2005-01-22 ことの本質を見失うな
1月12日の記事は捏造なのか虚偽なのか否かが人びとの関心を読んでいるわけだが、朝日新聞的には、そういうことは全然問題ないらしい。
■NHK問題 ことの本質を見失うな
http://www.asahi.com/paper/editorial20050122.html
朝日新聞は正確な取材をもとに、間違いのない報道を心がけてきた。報道の内容に自信を持っている。
それにもかかわらず、NHKは虚偽報道などと非難してきた。朝日新聞はNHKを名誉棄損で訴える構えだ。
ことの本質を見失ってはならない。問われているのは、NHKと政治家の距離の問題である。その不自然さは今回、NHKや政治家の言い分によっても明らかになってきた
一読。かなり驚く。マジ…なのだろう、と。
朝日は今革命か何かをしているつもりなのではなかろうか。こういう理屈は革命時代などにはおそらく支持される。大義、社会正義、より大きな目的等々を追求するためには手段を選んでいる場合ではないのだ、といったところ。そうだそうだぁ! と。
ところが多くの人々は革命時代にいるとは思っていない。改革が必要なことは知っているが法秩序、社会秩序を抜本的にちゃらにしたいとも思っていない。だから、「朝日新聞は正確な取材をもとに、間違いのない報道を心がけてきた」というステートメントに疑いがあるので、まずそこを明らかにしませんか、というところに気がいく。朝日からみたら小心者の小市民の群れよ、って感じか。君たちは権力の恐さを知らない!といったところだろうか。しかし、こうやって営々と作り上げられて行くところの信用の方が大事なんだと言う人に、大義のためにはウソなど問題ではない、というのも相当大変だ。
また、君たちは権力の恐さを知らない、と言うかどうかは知らないが、政府、政治家を権力という抽象を通してて敵対的、外在的なものとして捉えているという点については、その通りと言ってくれるだろうと思う。が、しかし、権力という抽象語が落ちる先としての政治家、政府、政権という存在そのものを圧力と感じるか否かというのも人によって差異がある。
外在的な存在、敵だと感じる人にとっては政府そのものが敵だろうが、政府というのが、国民の代表により構成されていると考える人にとっては政府は敵ではない。敵でなくするためにこそ「入れ替え」をするわけだし、実際にはその奥で「入れ替え」が徹底されない官僚制の方が問題だったりはするのだが、ともあれ政府を敵扱いせずに安定的に社会運営をすることは理屈の上では可能だ(官僚制の弊害を除くために立法機能を持つ政治家の力が大きい方がいいと考える人もいるだろう)。
さらには、そもそも外国王朝が責めて来たこともだいたいないし、国内地力[訂正:自力]統一というモメントがいくつかあることはある日本にとっては、政府が外在的に存在するという心理機構はむしろ、維持するのが困難なのかもしれない。
どうやっても、どんなに過激なことを上が叫んでみても、現場になったら、みんなで良くなるように考えましょう、だってみんなおんなじ日本人ですから、的な感じに収斂される可能性はとても高い。
(このことをとても悪いことだと発想することから諸々の左翼的諸政策が開発されたのだろうな、順序としては。それの全部が無駄だったとは言わないが)。
Freedom is the right to be wrong, not to do wrong.
自由とは悪くなる権利ではあるが、悪いことをしていい権利じゃない、
自由の結果として悪くなるってことはあり得るわけでそれでもいいならそうすりゃいいんだけど、悪いことをしていいってことじゃないぜ、
ってな言葉を思いださせる事件だ。世の中には別の「ことの本質」を持っている人がいるってのに気づいてないのが痛い。
■ 審議会とか公聴会とか感想会とか 
http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/news/index.html
こんなんでNHKをフリーハンドにするってわけにはいかないので、朝日の一件をきっかけ、奇禍としてNHKの番組の数々をどうしたもんか、公共放送ってのをどう構成すべきなの、ってのを考えないとなんだが、ここでエビジョンイル引退って、ものすごーく上手い逃げられたなぁ、としみじみ。朝日は身を滅ぼしてまでNHKを助けているのじゃないのかとさえ見える。
■ リベラル・デモクラシーと自由民主主義 
昨日の今日だから仕方がないわけだが、今朝の新聞はブッシュとローラ夫人の仲良しツーショット。なんかあっちでもこっちでも見た。演説中、liberty, free, freedomが49回登場したらしい。すごかった、いやほんとに。
そうかと思えばここ数日のカナダはチャイナ、チャイナの大騒ぎ。マーチン首相が東南アジア、日本、チャイナに行ったから。この件についてはまた後日。これもまた、freedomliberty、そしてdemocracyがてんこもり。ブッシュは提供しますよ、と言い、こっちは欲しいんですと言う、と。
(ちなみにテレビのチャイナ特集を見ていての感想としては、オレにもよこせって言う意味でデモクラシーが必要だ、とか、金持ちが猾いことをしている、オレはどうすんだ、の代わりに、オレたちには自由がない、って言ってないですか、という感じは相当した。ものすごくした。すごかった。多分歴史的には正しいといえば正しいのだろう。総合すると、チャイナはすごい、万歳、発展してます、建設ラッシュですといって、中共からの独立を願う人びとにフォーカスまるあたり、って…。今後に注目だなと思うしかなかった。いろんな意味で。独立戦争ならおまかせを。info@大英帝国だろうか。)
一方で、ラジオでは、Michael Ignatieffが2003年にイギリスで行なったレクチャーシリーズを流していた。4回シリーズの今日は3回目。テロリズムの恐怖とリベラル、あるいはデモクラシーの関係というかなんというか、難しくて聞いただけではよくわからなかった。スクリプトかでなければオーディオテープを買いたいぞとちょっと考えた。まだわからん。
イグナティエフは、リベラルという分類をされているわけだが、このリベラルと、ブッシュ率いるところの[いわゆる]ネオコンのフォーカスの合い具合がこわい。しかしそのことに、自分が「リベラル」だと考えている人はあまり気づいていないのではないのか。彼などは見る立場によって別のものとして解説されているのではないかなど少し思ったりもする。それは日本で、ということかもしれないが、いや多分ゆるくは世界的にかもしれない。このへんの政治思想的な、というよりもっと大きなものの考え方の調整、またはシフトのようなものが今後のテーマとなっていくのだろう。今までのレッテルじゃもちまへん、ってことが殊に先進国で起こるだろうってか、起こってるのに革命集団がいるんだよ。なんでだか。
そして日本語環境では、リベラル、デモクラシー、自由、民主主義がばらんばらんになっている気がしないでもない状態も調整課題だよねぇ、やはし。
とか偉そうに書いているが、こういうなんでもできる人、ジャーナリストでもあり学者でもありってな人の話は面白い(と私は思うが、政治思想の論文書こうとか言う人には迷惑なんだろうね、こういうなんでもありの文学的なものがはさまって、その上到達点高いぞ、ってのは)、まったく面白いのだが、自分がただちに聞いてわかるもんじゃないってのが嘆かわしかった。ぐしゅん。がんばってね、と自分に言う。
■ 北朝鮮が怒ってます 
何かにつけて、世界が見てる、世界の中でこんな国は日本だけといわんばかりのことを言うやにみえる朝日新聞だが、このネタに関しては、ざっと見てるだけだが、最初の2日間に若干反応したものがあった以外は、朝日、Japan Times、Japan Todayが書いているものだけといって言いような感じ。
そんな中、これって、友軍なのか?????の記事を発見。新華社の英語版。
DPRK accuses Japan of cover-up on "comfort women"
ttp://news.xinhuanet.com/english/2005-01/20/content_2488444.htm
北朝鮮が、日本の「従軍慰安婦」のカバーアップ問題を批難してる、と。中身も、すべてDPRK、北朝鮮のスポークスマンの伝聞。いわゆる新華社が論評抜きに伝えました、ってやつか。
PYONGYANG, Jan. 20 (Xinhuanet) -- The Democratic People's Republicof Korea (DPRK) on Thursday accused Japanese right-wingers of forcing a cover-up on wartime "comfort women" by pressing a Japanese TV company to edit a program on the issue.
自分んのところ、すなわちチャイナの政府のはなかったのだったか? そういえば、ないのか?
もう、原理主義?
世界日報は統一教会の新聞だが外信の翻訳物は他紙にないのがある、って何度か読んだことがあって、そういうものかと思っていれてますが、結構あたってると思う。
プロセス・ルール<正義。モチベーション=正義感。0or100。
的論法や行動の意味で些か安易に使ってしまいました。