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セカンド・カップ はてな店 - 「帰る場所」
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セカンド・カップ はてな店

2005-04-28 「帰る場所」

ようやく通常営業となるか、といったところです。

隊員さん、kamiyaさん、おかえりなさいと言ってもらえてとてもうれしかったです。いや、今回は今にしてみれば特に。


というのは今回は、最後に、カナダのイミグレーション(入国審査)で、普通の不愉快以上に不愉快なことがあったから。だからちょっとあまり機嫌がよくないのだけど、しかしそんなことをしていてもはじまらないので、忘れるというのではなく、感情誘発部分を整理して、これを問題として明らかにしてやろう、くそったれ、など考えながら、自分の立ち位置を前向きに修正中。


いやしかし、母国って強いよなとしみじみ思う。というか、母国というのは普通意識されないことがベストなのだろうと思う。で、対比が出てはじめて知る、というぐらいで丁度いいのじゃないのかな。


永住権持ちのエントリーというのは、スルっと問題なく入国のこともあれば、なんか、もう、もの凄く打ちのめさる感じにさせられることもある。平たくいって、侮辱されている感じがどうしても残る(ことが多い)。なんでお前はここにいて、お前はここで何をしているのだと答えなければならない(それも決して怪しくなく)って、なかなか簡単ではない。まぁだいたい、なんてのは通用しないし、その「だいたい」感は、多くの場合発言者の躊躇といよりも、嘘とか不誠実にみなされるようなことになるし、相手が一回疑い出すとこっちにはとめる手段がないみたいな感じだし、そもそもどうやって払っていいかわからない嫌疑なんだもの。


なんで入って来たのか、何やってるのか、結婚してるのか等などとたびたび尋ねられ、会社員だったりすれば会社の名前(知られていればだが)でおしまいなのかもしれないが私などはフリーの業者でそのうえ結婚していなので、もう怪しさいっぱい(らしい)。で、その対応はだいたい不愉快で、何を疑ってんだか知らないがとにかくあっという間に、自分が何が嫌疑なのかもわからないことで嫌疑をかけられている、それも有無をいわさずという状況に陥れられる。職業もそうだが、結婚してるのか、なんてのはまさに、なんで尋ねるのかと小一時間って感じではあるんだが理屈としては家族がいればそこがその人の住むところ、という、私にいわせれば勝手なコンセンサスが大手を振るっているので(家族移民というカテゴリーさえある)、多分、ああそうか、になるのだろうと想像。


で、いろいろ尋ねるその趣旨が係官の勝手勘違いでもまったく彼等には問題はなくて、若干意義など挟もうものなら、「疑いがあるかないかを決めるのは俺だ」と私がまだ恐いもの知らずだった時に言われたことがあったが、つまり、くどいが被疑者であるこちらには、何で疑われているのかさえ明らかでないのに疑われている状況がこの状況。でもって、そこで逆らうと、さらにひどい状況になると自分たちで言うからすごい。これってうっかりすると911以降のアメリカが、みたいな話にみなされやすいが、そういうことはなくて、入国審査の仕組みとはどうしてそれでいいのかしらないが、そういうものらしい。普通の状況では信じられないほどの権限をなぜだか彼らは持っている。


観光の人も同様といえば同様だろうと思うんだが、帰りの航空券があることが一応の保証となり、さらには、そういういい方もなんだが観光でこられる方の多くは、イミグレの人の対応を不愉快に感じる余裕というのはあまりないのではないのか?などと思ったりもする。つまり答えるので精いっぱいみたいな感じではないですか? ともあれ、永住権持ちにとっては、ここはつまり、あんたの「帰る場所」ではないのだよと毎度イミグレーションが教えてくれる。だって、「ここで何をしてるんだ」と詮索するんだから。


母国であるところでこうした質問はナンセンス。おそらく尋ねられたら多くの人は怒るのじゃないだろうか。お前の知ったことではない、と。


それに対して、日本のイミグレーションは、私にとっては明らかに「帰る場所」なんだわなぁ〜とそれはこっちが拍子抜けするぐらいにそうだった。今回はまたパスポートをチェックしながら「お久しぶりのご帰国ですね」なんていわれて、それはそれなりに余計なお世話感は若干漂うものの、ええ、どうも、とポジティブに反応してしまうものは確かにあった。


もちろん、中に入ってしまえば、どちらにも相応に心地よさと悪さみたいなものはあるわけだし、結局は友人の多さや自分にとっての適応感が本質的な「帰る場所」を決定するのだとしても、それでもこれら入国審査を実行させ得るところの国家機構が消え去ることは、部分的な地域枠をのぞけば私にはほとんど考えられない。


 「負担過酷」 19:17


JR尼崎駅、1秒単位で遅れ報告 「負担過酷」指摘も

http://www.asahi.com/national/update/0427/OSK200504260105.html?t1


この事故のあまりの凄まじさに驚きつつ日本を出てきたのだが、しかしこう、でもさ、

ストレスと安全作業の関係に詳しい正田亘・立教大名誉教授(産業・組織心理学)は「事故との因果関係はわからない」としたうえで「相当過酷な負荷になり、組織としては労働者に圧力をかけすぎではないか」と疑問を投げかける。



組織の圧力もあるだろうが、周りの乗客の圧力もものすごいものがあるだろうとは思う。「負担過酷」。


日本温泉地に行ったのだがそこで偶然列車トラブルが発生して振り替え輸送しか手はないということになった時の、付近乗客の苦情ったらもうもう聞いていられないほどだった。なんて偶然なんだと思うんだが、あらためて、このreasonableでないボヤキにも似た抗議をどうにかしないと良くなるものもならないんではないの、と思った。


平日の観光地に向かう電車だけあって、割合でいえば、近似値おばあさんのおばさん7、同おじさん1、その他2が乗客だったんだが、おばあさんたちの口汚さに、おもわず叱り飛ばそうかとか思たほどだった。「なってないよ」だの「管理が甘い」だの「サービスが悪い」はまだよくて、おばあさんの前でいいところを見せたいのかオヤジがみっともなくも「怒声」をあげて駅員さんにくいかかっていた。どうせいっちゅうのよ? それも、駅員さんのミスじゃなくて、根本的には途中区間の落雷が原因だっていってるのにこの始末。なんだこの人ら、だった。


要するに、仕組みというものへの不理解と、今の行動がもたらす事後への徹底した考察不足が根本的な問題点なのだろうが、端的にいって、彼等の行動は子供が不愉快だから泣いてるのとあまり変わらない。文句を言って相手(駅員さん)が小さくなって小さくなって、肝心なことを語るその時間を謝罪に費やしているから事態が進まないのにそれすら気付かずひたすら謝らせていることに意義を見いだしているようだった。全然生産的でない。


その中で、20代前半ぐらいの女性2人が、こういうのも(トラブル)旅だからね、など語り合っていたのがとても印象的だった。


この小さなエピソードとあの大きな脱線事故をつなげようとは思わないが、似た構造にあるのではないのかなどと思う。

# 隊員 『finalventさんの所でも書いてたんですけど、マスコミのJRに対する態度も浪花節というかあまりに情緒に訴えかける(finalventさんは文系的とおっしゃってましたが)姿勢は本当に生産的ではないですね。あくまで原因を明確にして再発を防ぐという方向が生産的な議論だと思うのですが。。。』

# kikori2660 『事故を起こした運転手の「彼はマジメだった、真面目過ぎてあんな事故を起こすハメになったのだ、そこまで追い込んだJR西日本が悪いのだ」という報道がこれでもか、というほどで少々ウンザリしてます。』

# Soreda 『隊員さん、kikoriさん、どうも。情緒に訴えるというのは、不合理を嘆く姿勢なんだと思うんです。で、悪いことをしたわけでもないのにこのような事態に無辜の人間が巻き込まれているというのがこの場合の不合理。だから、嘆き倒すのは、不合理を不合理として受け止め、人間には何にもできませんぜ、と規定する意味では神に祈るってのと似てるかなとも思う。一方で、この事故を不合理として、加持祈祷やら神に祈るターゲットにしないのだとしたら、嘆く姿勢ではすまない。不合理を合理とすべく解明しないとなんない。となると、嘆きのほうは個人の領域で個々が処理すべきこととなる・・・。
そういうわけで、皮肉でいってますが、マスコミが嘆く方に乗っていくのは本来的なのだろうとも思ってみたりします。マスとは嘆く集団だ、みたいな。』

# 隊員 『そういえば何かの週刊誌で読んだのですが、合コンで女の子とは好きなものより嫌いなものが合うほうが話が盛り上がって仲良くなる可能性が高いってな与太話が載ってました。そういうメンタリティーが根底にあるんですかねぇ。』