2005-08-25 The Verdict
この映画の「時」なんだろうなと思う。同じこと、じゃなくて、そういう流れなんだろうと思う。
- 出版社/メーカー: Twentieth Century Fox
- 発売日: 1997/04/01
- メディア: VHS
あらすじはここ。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD7470/
ボストンの病院で起こった不正事件をめぐる裁判をきっかけに、教会と法曹界を相手に正義を貫こうと体を張る中年弁護士の、自らの立ち直りを賭けた必死の姿を描く。
でも、こう書いてしまうと面白さは半減なんだがし、日本では間違った読まれ方をするんだろうとも思う。正義の側が弁護士の側にあって、悪の側が常に一環して権力の側にあって、それは何の断りもなく政府あるいは国家に結びつく。しかしね、そういうものでもないわけです。多分アメリカは1970年代後半からずっとこの視線のうちにあるといっても間違いではにあだろう。で、私たちの多く(日本人ね)は、この映画でいう陪審員の位置にある。
参考
2005-08-08 反動と(甘えの)構造改革
The Right Nation
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20050808
■ これでは弱者は戦えない 
他方、千葉の「焚書事件」判決が高裁で一転逆転判決が出たことは、一般国民に裁判不信?の感情を引き起こしかけたが、逆に高裁で阻止できる正常さを評価する向きもあり、国民を安心させてくれた。しかし「下級審」での判決はこのところ信用がなくなっている。裁判費用の点でも、巨大組織は未だ良いが、個人が『カンパ資金』で戦うことには限界があるから不利である。資金が続かないとどうしても『下級審』で引き下がらざるを得ないことだってある。其の場合には、『誤審』が正しい?判決になる恐れがある。これでは弱者は戦えないし社会正義が泣こうと言うものである。裁判が信用できなくなったら社会は成り立たない。裁判官も人の子、色々「苦労」はあるだろうが、原告、被告の方は命がけなのである。「法の番人」としての任務を的確に遂行して欲しいものである。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050824
■ 簡単な常識 
コンドルセはアメリカの革命を非常に賛美した。「簡単な常識が、英国植民地の住民たちに、大西洋の対岸に生まれたイングランド人もグリニッジ子午線上に生まれた本国人とまさに同じ権利をもつ、ということを教えたのである。」 アメリカ合衆国の憲法は、自然権というものに基づいていて、アメリカ革命は人間の諸権利を、ネヴァ河からガダルキヴィル河にいたる全ヨーロッパに知らしめたのだ、と彼はいう。
■ トゥー・ウィークス・ノーティス 
「The Verdict」はいささか設定が古いが、こっちは最近の話。
ヒュー・グラントが出ていたことから、軽くて楽しいラブコメ扱いで終わりだったと思うが(実際それはそれでいいんだが)、「リベラル」が変化しつつあることを物語っていた映画のひとつだったと思う。
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2004/02/06
- メディア: DVD
■ 「グッバイ・マッカーサー」上映未定 
警察「6.25は統一戦争」主張した教授出頭要求http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=66989&servcode=400§code=400
ソウル警察庁は、6.25韓国戦争(1950〜1952)を「北朝鮮の指導部が試みた統一戦争」と主張した東国(トングック)大学の姜禎求(カン・ジョング)教授に対し、26日出頭せよという1次要求書を送ったことを24日、明らかにした。
朝鮮戦争は北か南が仕掛けたかという時代は古くて、今では北が統一しようとしたのに南が、じゃなくて、アメリカが悪い、とそういう理解がはやってるらしいとは知っていたのだが、それに理論(というか独創的なアイデアか)を与えようとしていてセンセが出頭要請されている模様。
なんせマッカーサー像という目に見えるものがあるので、それを撤去するしないというある意味でわかりやすい話に落とし込まれているために、うっかりそこに火がつく可能性を韓国政府は気にしたということだろう。気にしたってか、困ったと。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=66965&servcode=200§code=200
声明は「盧大統領が執権後半に、親米・保守の道へ進みたい、と公言したのも同然。大韓民国の大統領が米政府と米国民の自尊心を心配すべきではない」としている。
じ、自尊心の問題っつか事実関係の問題ではなかろうかと私は思うが、北朝鮮の側に立って考えてみれば、確かにアメリカが邪魔だったといえるから北としては問題なしのストーリーと。しかしこれが起こってるのは南だ。でもって、北といわれるそれはソ連であり、チャイナだ、と。わかりやすすぎるこの構図をどうするつもりなんだかなあ。
このままいくと、10年ぐらいしたら、「グッバイ・レーニン」じゃなくて、「グッバイ・マッカーサー」とかいう映画が見られるのか?とちょっと期待してみたが、多分いくらなんでもそれはないだろうと思う。
おそらくこの「市民団体」っていくらなんでも南朝鮮の多数派ではないのじゃないだろうかと思う。いくらなんでも・・・と思う私が甘いのかもしれないが。う〜ん・・・そうかもしれない。
韓米が北朝鮮の核の完全廃棄を再確認
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=092005082407000
できることは限られてるんだし、地道な国づくりの方に力を注いだ方がいいのではないのだろうかと、余計なことだがそう思う。
# kemu-ri 『>弱者は…
いや、裁判でこのような資料が出てくるようでは、名誉毀損と判断されないのは当然だと思いますよ。
>望月五三郎手記
>望月五三郎氏は事件当時両少尉と同じ部隊におり、両少尉による「競争」を目の前で見ていた当事者である。望月氏は1985年に私家版として刊行した手記『私の支那事変』の中でこの事件についても触れており、この「競争」の実態が、捕らえた罪もない農民を二人で争って斬り殺した殺人競争であったことを赤裸々に描き出している。志々目証言とこの手記によって、百人斬りの真相はほぼ明らかになったと言っていいだろう。作り話でもなければもちろん戦闘行為でもなく、無抵抗な捕虜や農民に対する虐殺だったのである。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mochiduki.htm』
# bluefox014 『望月手記の、同事件に関する内容です。こういう証拠が提出されたという事実は、産経新聞からは得られないようですね。
「このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として第一一中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官し大隊副官として、行軍中は馬にまたがり、配下中隊の命令伝達に奔走していた。
この人が百人斬りの勇土とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。
「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。
戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの埋由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。
その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。 両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦斗中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。」』
# 反米帝王の家来 『すると、とりあえず、そもそもの発端となった新聞記事の内容は二少尉がついた嘘に依拠しており、したがって記事は(少なくとも)歪曲報道である、ということですね。
あ、もちろん、kemu-riさんとbluefox014さんがここを論点としていないことは承知しています。』
# bluefox014 『望月手記の内容が事実である場合、新聞記事の内容は事実の歪曲となるでしょう。ただしこの場合、歪曲報道の責任はホラを吹いた向井・野田本人が負うべきで、新聞社を名誉毀損で訴えるのは筋違いでしょう。
それ以前に、事実は報道の内容よりもはるかに悪質な行為ですから、新聞の報道が「名誉毀損」になるとは到底思えません。』