道徳ポルノ? [2005年5月]
道徳ポルノ?
先のエントリで「映画 日本国憲法」について触れると申し上げましたが、臨時ニュースをお伝えします(笑)。
枇杷さん@園丁日記さんから頂いたコメントによると、あの天下の「水戸黄門」が批判されているとのこと、時代劇をこよなく愛する私としては、居ても立ってもいられません。
ということで、予定を急遽変更して、100億の男として注目(?)を浴びつつある佐賀大の先生にご登場願いましょう。
水戸黄門に込められたイデオロギー(←の題は管理人がつけました)
「しんぶん赤旗」が依然として「水戸黄門」を持ち上げるのは残念です。12日の「試写室」は「千一回目」の放送としてこの番組を紹介しています。しかし表題にある「勧善懲悪」や「庶民の偶像」などという見方はあまりにも皮相で、このドラマの持つ強烈なイデオロギー性に盲目すぎます。
このドラマが視聴者の意識下に送り込むメッセージは「最高権力は究極的には善である」「中央権力には決して逆らってはならない」というものです。この「テレビの中高年への悪影響」は計り知れないものがあると思います。長年にわたって、国民の権力への従順さを培うことにおいてどれほどの力を発揮したか分かりません。どのような分野が該当するのか分かりませんが、是非専門の研究者による実証的な研究をお願いしたいと思います。
この番組を同紙が持ち上げるのは残念ながら一貫しており、手元のスクラップには2000年9月1日の、「佐野浅夫から石坂浩二へ」と題した、かなりの紙面を割いた記事があります。
この種のドラマでの荒唐無稽さは大いに結構ですが、何らかの心の糧となりうるドラマであるためには、最高権力の礼賛(このドラマの悪玉は「中間管理職」)などであってはならず、そこに某かの反権力なり反骨の精神が込められていなければなりません。「水戸黄門」はその正反対です。最高権力の権威(つまり印籠)に依存した「道徳」と「懲悪」はあまりにも安易です。「ソフィーの世界」の著者ヨースタイン・ゴルデルは、カルトの教義の安易さを「哲学ポルノ」という言葉で表現しましたが、これに倣えば「道徳ポルノ」というのが妥当な評価だと思われます。
超越的な存在によって庶民が救われるという物語形式は世界各所にあると思いますが、それが支配権力の別働隊であるというのはあまり聞きません。
黄門が悪玉となるドラマの制作が望まれます。
これは、個人的な嗜好なので、とやかく言うことではないのですが、
私は句点は「。」、読点は「、」と記述しています。「.」や「,」には違和感があるので、原文の当該部分は変更しています。
水戸黄門をこのような観点から熱く考察する人がいたことは、いち時代劇ファンとしては、評価すべきなのかもしれません。
それにしても、凄いなぁ、この人。原文の重要なところは、BOLDにして表示していますが、殆ど全部でした・・・・。
>「勧善懲悪」や「庶民の偶像」などという見方はあまりにも皮相で、このドラマの持つ強烈なイデオロギー性に盲目すぎる
勧善懲悪に庶民の偶像、「水戸黄門」に限らず時代劇なんて、そもそも、そんなもんでしょ。で終わりそうなものですが、ここに強烈なイデオロギーを感じてしまうとは、それを感じないことが盲目過ぎることになるとは、このセンセイには第三の目でもあるのでしょうか。
>ドラマが視聴者の意識下に送り込むメッセージ
意識下に送り込むメッセージ?私がややもすれば体制的なのは、その送り込まれたメッセージに洗脳されたからかもしれませんね(爆)。何てたって、好きですからね、時代劇。
>「最高権力は究極的には善である」
>「中央権力には決して逆らってはならない」
まず、最高権力は究極的な善なのか、否か。独裁的な国家でそれを期待することは難しいのかもしれませんが、民主国家における権力は国民の総意として存在しているのですから、是非はあっても国民の選択を反映しているはずです。それが究極的に悪ならば、その権力はあっさり崩壊するでしょう。
中央権力が国民の総意として存在しているのであれば、それに刃向う、逆らうというのは、民主主義の根本を蔑ろにしてしまうものです。
尤も、今と違って厳格な身分制度があった、江戸時代にそういう意識はなかったでしょうから権力を畏怖するのは当然ではないでしょうか?
>「テレビの中高年への悪影響」は計り知れないものがある
>長年にわたって、国民の権力への従順さを培うことにおいてどれほどの力を発揮したか分かりません。
テレビを見ている中高年もバカにされたものです。この方は、そのテレビの陰謀と孤独な戦いを続けているのかもしれませんが、世の中高年はもっと次元の異なるものと日々戦い続けているのではないでしょうか?
こんなことを考えても生活できる国家公務員のセンセイにはわからないのかもしれませんが・・・・。幸せ回路全開ですねぇ。
>どのような分野が該当するのか分かりませんが、是非専門の研究者による実証的な研究をお願いしたいと思います。
専門の研究者に実証的な研究。
研究請負を生業とする私としては、御下命下されれば、研究をお受けしてもよいのですが(専門家ではなく、時代劇好きのエンジニアとして)、研究者として興味があるのは、このセンセイが何故、このようなことを考えるに至ったのかを実証的に研究することなのですが。
>荒唐無稽さは大いに結構
>何らかの心の糧となりうるドラマであるため
時代劇はその荒唐無稽さゆえの「娯楽」であり、それを「心の糧」となさるのもよいでしょう。つまり、それは「ありえない」設定になっているからこそ、面白いのであって、それを時代の価値観まで超越して現代に当てはめようとするのは、異常です。
まぁ、このセンセイの「心の糧」になるためには、普通の人が時代劇に寄せる思いを超越した条件が必要になるみたいです。その条件とは、
>最高権力の礼賛(このドラマの悪玉は「中間管理職」)などであってはならず、そこに某かの反権力なり反骨の精神が込められていなければなりません。
大丈夫ですか?センセイ。
水戸黄門は権力側の不正を、独立した権力(今で言う司法)として、公正に裁くことがテーマになっています。
それは大岡越前でもそうでしょうし、遠山金四郎も、長谷川平蔵でもそうでしょう。
時代劇に「反権力」や「反骨」の精神が必要?
そもそも時代劇って抑圧され、声に出せない庶民の(不正な権力に対する)反権力や反骨をくみ取って懲悪するという設定のはずなんですがね。
庶民がそれを標榜して徒党を組んだとして、どうやって収拾するのでしょうね。この時代、庶民にはなんら抗う術などないのですから、反権力や反骨を示せば、鎮圧されるだけでしょう。それとも「対話」で決着が付くとでもお考えでしょうかね。
>「水戸黄門」はその正反対です。
水戸黄門が不正を行う権力側についたとき、一体どうやって不正は裁かれるのでしょうねぇ。答えの用意されてないイデオロギストの説法はこれだから相手にされないんですがねぇ。
>最高権力の権威(つまり印籠)に依存した「道徳」と「懲悪」はあまりにも安易
いやいや、時代劇というのは安易だからこそ、息の長い娯楽番組になるのですよ。そして、視聴者は、今の世相を鑑みて心のどこかで救世主的な「権力者」を望んでいるのではないでしょうか(時代劇から何かを吸収するとしたら、ですが)?
赤旗のスクラップをされるほど、共産党を支持されておられるセンセイですが、万が一共産党が与党になったとしても「権力」は発生しますよ。そしてそれは今よりも、もっと悲惨で破滅的な権力に変貌するでしょう。
>カルトの教義の安易さを「哲学ポルノ」という言葉で表現しましたが、これに倣えば「道徳ポルノ」というのが妥当な評価
カルトに道徳ポルノ!
こんなこと書いてOKなんて、佐賀大って大丈夫?工学部は結構、優秀なんですけどねぇ。
それにしても、すごい飛躍ですね。時代劇をこんな邪悪な観点で見る人もいるのですね。
まさか水戸黄門の脚本家、葉山彰子(団体名)もこんなことを考える視聴者がいようとは思いますまい。
カルト
既成の社会から正統的とは見なされない宗教的集団。転じて,趣味などで愛好者による熱狂的な支持をいう。
ポルノ
ポルノグラフィの略、性を露骨に描写した文学。映画・書画・写真・テープなどにもいう。
社会から正統と看做されないのは、どちらでしょう?30年(?)ぐらい続いているドラマは正統ではないのでしょうか?
ポルノねぇ。あ!お銀こと、由美かおるの入浴シーンのことですね。あれはきっと中高年にはたまらないのでしょう。悪役などはあの色香に「露骨」な性的欲求を露にしてますからねぇ。しかし、永遠の生娘という設定はどうかと思うのですが・・・・。
>超越的な存在によって庶民が救われるという物語形式は世界各所にある
>支配権力の別働隊
上は宗教の起源にも近いものがあるのではないでしょうか?今のようにやれ人権だなんだってとてもいえる時代ではなかったのですから。当然のように心の拠り所となるような存在を夢想することはあるでしょう。
そういうものと時代劇を同列の置くことがそもそも間違いだと思いますが?
水戸黄門って支配権力の別働隊だったのか。それにしては、権力の膿を出すような展開なのは何故?権力の自浄がなされているのであれば、歓迎すべきではないですか?
>黄門が悪玉となるドラマの制作が望まれます。
アナザストーリーですか。
興味がないこともないですが、望まれてはいないと思いますよ。
権力を全部悪にすると話が発散し過ぎて収拾しませんからねぇ。
いっそ、お釈迦様にでも登場してもらいますか?
このセンセイは、懲悪する善がお嫌いなのかな?悪役の方にシンパシーでも感じているのでしょうか。だから、オルグして(略)。
ところで、現代の世相を反映させるのはいいのですが、
権力の象徴である、江戸城を人間の鎖で・・・とか
灌漑を行おうとするところにどこからともなく、「庶民」がきて環境破壊反対とか
非暴力の反権力「庶民」が来て、無理難題を吹っかけるとか
基本的人権を叫ぶ「庶民」が南町奉行所に押しかけるとか
岡引の十手や同心の刀は使用するべきではないとか
悪役にも人権があるとか、取調べで拷問を受けて人権侵害されたとか
同心がルールを強制されて人権侵害されたとか、
そんな、時代劇は見たくない・・・・。
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なんか、プントな人が見たら確実にゲバルト棒で粛正の刑にするような 香ばしい論文が日々徒然(FD3S様)、園丁日記(批把様)で取り上げられて ましたので私も便乗してネタにさせて貰います(ニヤリ) こんな香ばしいネタ書かないで居れるか! その香ばしいネタ晒し上げ!(恥ずかち~!) 勿...[続く]
「共産主義的に正しい時代劇」とは何ぞや? 考えてみると「一揆関係」やら思い浮かぶ。が天草四郎は、 宗教は麻薬+偶像崇拝ゆえいけないのであろうか。 「必殺!」シリーズあたりは…殺し屋だからだめか? そうなると忍法帳モノがいいのか?浪人だったらいいのか? さては..
Peace Powers!さんがTBで教えてくださいました。 さすがです…。21日にお話した佐賀大学の先生なのですが。 ………もう、何と言っていいのやら。 Peace Powers! 共産主義的に正しい水戸黄門(2005.03.29) http://peacepowers.coco...[続く]
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