Martin FowlerによるRubyコミュニティの評価。
まあ、「Rubyコミュニティ」とやらも規模が大きくなって 昔ほど牧歌的ではなくなったのかもしれないが、 まだ気持ちよい雰囲気を残しているのではないか、と。
ハッカーでなくてもできることはたくさんある、という話。
まあ、言ってることは確かにそうなんだけど、なんか違和感があるのはなぜか。 それは私が肩代りをしてもらう立場にあるからか、あるいは...。
http://blog.japan.zdnet.com/mhatta/?tag=c_right を読むが何か違和感を感じる。なんでだろうか?想像するに、八田氏の言うオープンソースの貢献者というのはボランティア(自発的な参加者)を暗黙のうちに仮定しているのではないだろうか。あくまで想像で言っているので、..
八田さんのこの記事、一読するとたしかに「違和感」が残ります。
色々考えたところ、私の場合、違和感の正体は、
「受けいれ難い主張が、暗黙で述べられていること」
となりました。
反発したいけれど、具体的にどの部分か解らない感情が「違和感」
として意識されたと。
ニュアンスから読み取ったので、誤解の可能性は高いのですが、
私には以下の様な主張が、違和感の原因となりました。
(1) オープンソースのソフトをフリーライドするのは悪いことだ
(2) 貢献には、その作業量や質に応じた貴賎がある
(3) 行動を促すには、その意義を理論的に納得させればよい
なにかのご参考になれば。