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原稿を書いたり、プログラムを書いたりしていると、 自分が今どこにいるのか忘れていることがある。 「ふう、できた」と思って顔を上げ、 「あ、そうだ、いま自分は電車の中だったのだ」とか、 「そうだった、会社にいたのだった」とびっくりするのだ。 知人にこの話をすると、 「すごい集中力ですね」 とほめられる。 ほめられるのはうれしいが、 でも、集中力なんていうのは、 自分で努力して得たものや訓練して得たものではないから、 ほめられてもね、という感じもする。
奥さんの解説によると、 ファンタジーの基本的構造というのは、 「別世界に行き、そして帰ってくる」というものだそうだ。 それはあるときは「死と再生」というかたちになるし、 またあるときは「地下へもぐり、また地上へ」というかたちかもしれない。 「井戸を通ってむこうへ行き、また帰ってくる」ときもあるだろう。 どんな場合でも、 別世界へ行き、そして帰ってくる。帰ってきた後、同じ世界のはずなのに、 何か(自分か世界か)が変わっているというものらしい。ふむ、なるほど。
原稿を書いたり、プログラムを書いたりしている最中というのは、 私の心はどこか別世界に飛んでいっているらしい。 文章の国、あるいはプログラムの国へ。 右脳と左脳の谷間を抜け、 データ構造の森に分け入り、 また帰ってくる。 そして「あ、電車の中にいたのだ」とびっくりする。
こころゆくまで別世界で活動し、 きちんと帰ってくる。 それこそが日々の喜び、という感じがするのですが、 これを読んでいるあなたはどう思いますか。
(1997年5月14日の日記から)