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2005年 10月 30日
テロのあった商店街の2階、3階には、 バックパッカーが泊まる安宿が多数、存在する。 犠牲者の中に、外国人旅行者が含まれている模様。 デリーは日本人旅行者の多い場所。 日本人が含まれている可能性は十分にある。 「日本人犠牲者はいない模様」というのは、 犠牲者の確認がされてないという意味であり、 犠牲者がいなかったという意味ではないことに注意したい。 たとえ、今回、たまたま含まれなかったとしても、 インド全土、特にムンバイは厳重警戒中。 ニュースでは、今後も事件が発生することを予想し、 旅行者に対し、大使館やツーリストビューローで滞在報告をするよう求めている。 遺体の多くは身元不明。 死因の多くは、爆発自体より、焼死。 事件発生は、夕方4時頃。 インドの人は早起きだと思うが、普通の人は寝てない時間。 インドのテレビは容赦なく、焼け焦げた遺体を映す。 映像で焼死した人を見たが、肌の色が白い遺体が多い気がした。 ここは日本ではない。日本の常識は通用しない。 貢献よりまず先に、自分が死んだ時に、他の人を少しでも煩わせないことを優先したい。 海外で死んだ場合に、身元が判明するのはごく一部。 年間400件以上も、日本人が海外で行方不明になっていることを忘れずに。 参照: パハールガンジが爆発! by グリーンハイツ1-1 http://namaskar.exblog.jp/2093018/ 事件現場がどのような場所であるのか具体的にわかる、すばらしい記事です。 2005年 10月 30日
デリー(インド北部)での連続爆発とアンドラプラデシュ(インド南部)での列車脱線事故との関連性を疑う方、両者を混同されている方がいるかもしれないので、簡単に説明。 今回の列車脱線事故は、インド南部、ハイデラバードとチェンナイを結ぶ地点で発生。 チェンナイでは、先週から記録的な雨が続いており、家屋への浸水は現在でも解決していない。 単純に降雨量だけを見ればそれ程でもないが、ここインドの排水設備は劣悪。 そして、インドの道路はボコボコ。斜めに傾いたまま走行している車や列車は普通の光景。 電車が走っていたのは、増水し、さらに不安定になった場所。 地震や雨があれば、家屋の崩壊や脱線、事故が当然のように起こってしまう状況。 列車は、ディワリフェスティバルを祝うために帰郷する人々で満員。 今回の列車事故での死亡原因のほとんどは溺死。 川はそれぼど深くなかったのに(せいぜい腰ぐらいの感じ)、 電車から脱出することができなかった。 現地では、この列車事件に対し、テロとの可能性を指摘する者はいない。 2005年 10月 29日
インドは現在、ディワリ(Diwali)フェスティバル中。 (正確には、祭りは月、火、木で、現在は準備期間) カラフルな装飾や人々で賑わう中、 首都デリーの商店街で4件の連続爆発が発生。 未確認ながら5件目も報告されている。 少なくとも32名の死者、40名が病院に運ばれたとの報告。 当初、祭り中に打ち上げられる、花火が誤って爆発したのではとの見方もあったが、 計画的な攻撃(テロ)であるとの公式発表がなされた。 外出中の者は、すみやかに帰宅することが求められる。 インド、パキスタン間の国家的緊張、 ムスリムとヒンドゥー間の宗教的緊張、 その他、考えられるさまざまな要因が考えられる。 アメリカ政府(大使館?)は、アメリカ人旅行者に対し、3週間前から、 インド国内での、自爆テロを含むテロの可能性を警告していた。 デリーに行く予定であったが、フライトのチケットが取れず、 断念してホテルに戻ってきたところ、このニュース。 南部では列車の脱線で77名が死亡。 犠牲者の多くは、実家に戻る人たちであったと思う。 参照: 市場で爆発、10人死亡か ニューデリー中心部 【イスラマバード29日共同】インドの首都ニューデリーの中心部にある市場など数カ所で29日、大きな爆発があり、AP通信が地元テレビの報道として伝えたところによると、市民ら少なくとも10人が死亡したもようだ。40人以上が病院に搬送された。 2005年 10月 09日
パキスタン地震の死者数、負傷者数に関する、現地報道。 10月9日、午前8時現在(日本時間正午12時)、 死者数は、確認されただけで18,000人超(具体的な数字も出てました)。 負傷者数は41,000人超。 震源が極端に浅かったこと(10Km?)と同時に、 比較的高層なビルであっても、 建築方法に問題があることは、昔から指摘されている。 地面を掘って、柱を立てるというより、 針金で枠を作って、そこに壁を貼っていく感じ?に見える。 参照: 死者3000人以上か=パキスタン地震(共同通信) いくつかの村が消滅 カシミール地方(毎日新聞) 2005年 10月 09日
インドと言えば、バックパッカーなイメージですが、 それは日本人(および、欧米旅行者)の勝手な思い込みな気がします。 美男美女が多いだけに、オシャレな人が多い。 女性のサリーだけじゃなく、ジーンズでのオシャレにも、皆さん、気を使っているのです。 そこで本日は、バンガロール市内の「San Frisco Jeans(略してSF Jeans、サン・フリスコ・ジーンズ)」で、お買い物をしてみました。 胸の柄は、単純なプリントじゃなく、ちょっとしたパッチワーク?みたいになってます。 日本円にして1000円くらい。 ビー○スのクソT7000円よりイカしてると思いますが、いかがですか? こちらは、お店のポスターですね。 実際のお店の感じは、スケーターを意識した感じのストリート系です。 ケツのところに刺繍が入ったジーンズがカッチョ良かった。。。 なんか、HPでは商品があまり魅力的に見えないのが残念ですが、 おヒマでしたら、チェックしてみて下さい。 SF Jeans: http://www.sfjeans.com/ 2005年 10月 08日
泊まっている自分の部屋から、下を見下ろす。 メチャメチャ綺麗でしょ? もちろん、敷地内に入るには、ガードマンの厳しいチェックを通り抜ける必要あり。 でも、2日目からは、顔を覚えてくれて、敬礼?までしてくれちゃったりして。 俺の部屋。素朴な感じだけど、俺には十分。 決して綺麗じゃないけど、比較的広いし。 インターネット接続やらテレビやら、そんなもんはありません。 リビングで話したり、一緒にテレビを見たりした方が楽しいっすよ。 気になるのは、トイレ事情。 便器の横に、小さなシャワーみたいなの有り。 おそらく、これでオケツを洗うのでしょう。 ウォシュレットは日本発祥じゃないのかもしれません。 2005年 10月 08日
インド出発の前日、独り寂しくデニーズでステーキセット約2000円を食べて帰宅。 (基本的に)ベジタブルの国に旅立つので、お肉としばらくお別れ。 サービスアパートメントの同居人。 奥がデニッシュ、手前がニシーク。 ふたりは、ムンバイから来ている会計士で、ベジタリアン。 今週末は、ダンスで踊り明かす祭り(ナブラトリ)があるので、 デニッシュは、彼女に会うために、火曜日まで戻り。 ニシークとは日曜日の晩にデート? 2005年 10月 02日
エリック・ベネイ(Eric Benet)。 ブルーノート東京、10月1日(土)、セカンドセット。 インド行きのフライトが満席で、週末に時間ができる。 一度は諦めた、エリックベネイのライブ。 モーションブルーは売り切れなので、ブルーノートへ。 10分前に到着。かなりの人が入場待ちしてる。 整理券制になったのね。並ぶより良いかも。 フロアは一杯で、カウンターに椅子を置いて、そこへ。 フロアより見やすい。これからはいつもここでお願いします。 隣のお姉さん(俺より年下だろうけど)がハル・ベリー似?で超キレイ。 「飲み物の代金はこの場で払えるんですか?」と話しかけれらて、 「払えないと思います」と緊張しながら、お答えさせていただく。 で、ライブ開始。ちょいと遅れて、エリック・ベネイ登場。 すかさず握手ゲット。 女性には抱きつきサービスのエリックちゃん。その時間が長いこと。 彼氏が嫌そうな顔をしているのを見逃しませんでした。 Madison Square Gardenで観たMaxwellのライブを思い出す。 客のほとんどは黒人女性。 しょうがなく彼女についてきたって感じの男が少々。 マックスウェル:「今晩、泊まるとこないんだけど」 女性客:「わたすのところ泊まってー、ギャー!」 彼氏:このやろー、ぶっ殺したろーか?(って顔) サングラス、グレーのスーツに薄ピンクのワイシャツ、ピンクのネクタイ。 いまいち、オシャレ度が落ちたか? ハル・ベリーが全ての洋服をホームレスにあげてしまった影響か? コーラスのアレキサンダーさん(女性)がとても良い。 見た目も可愛いし。 「India」 娘さんの名前が付いたこの曲は、 今回のアルバムで、彼にとって最も意味のある曲とのこと。 「午前中は、ヘロヘロな格好で表参道で一緒にショッピングしてきたよ」 って言った時の彼は、なんか普通で可愛い。 もしかして、エリック・ベネイってインド系? 俺もこれからインドだし、なんか運命を感じちゃう。 「The last time」 将来のクラシックを目指して作ったそう。 そういうのって狙って作るもん? わざわざ言わなくていい気がするけど、エリックちゃんは素直なのね。 いい曲だけど、個人的には「Still with you」の方が好み。 「Hurricane」からの曲はスローなものが多く、いまいちライブ映えしない。 若干落ち着きのないライブ進行からすると、 アップテンポの曲を中心にした方が良かった気がする。 でも、大物なのを感じさせないサービス精神は素晴らしい。 「Hurricane」には、元妻への未練タラタラ気色ワルな曲がてんこ盛り。 お前が浮気したのが離婚の原因だろーが!と言いたいところですが、 懲りないのに素直なところがエリックちゃまの可愛いところ。 早く新しい恋をして(してるか?)、エロエロムード全開のアルバムを作って下さい。 待ってます。 2005年 07月 03日
7月1日より、ある会社で働き始めました。 会社勤めは3年ぶり。 職務は、開発者ではなく、技術翻訳(日本語から英語)。 それなりの実績は残してきたけど、全部、小規模開発。 大規模プロジェクトやオフショア開発に関わりたいと思ってきた。 理想と現実のギャップはあるでしょうが、CMM等のシステマチックな開発行程を、身を以て体験しちゃいます。 会社の雰囲気は信じられないくらいに良い。 仕事への自信から生まれる明るさ。 初日から自分の能力の無さを痛感したけど、なんとか頑張りたいな。 この道では、日本のトップになる!と言っときます。 思えば、香港でも三か月くらい、黄昏れてた。 現実味の薄い経営目標を、オーストラリア英語で毎週一時間以上。 個人主義というか、ほったらかしの毎日。 暇すぎるので、会社に無断で、日本企業へのアポを開始。 ありがたいことに、多くの会社さんにミーティングの機会を与えて頂いた。 落ち着くまで、ブログの更新は難しいな。 半月後くらいに再開できればなーと思っています。 ではでは、またね。 2005年 06月 09日
オタクの棲む街 in 東京 In Tokyo, a Ghetto of Geeks (washingtonpost.com) http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/06/06/AR2005060601767.html 自称オタクが、著名な電気街に自らの足跡を残す (東京)自慢げにオタクを自称する、大学生のヤマガタシンノスケ君。彼のお気に入りの近所の喫茶店で、黒いミニーマウスの靴と日本のマンガ由来のレースのミニドレスを着て忙しくしているウェイトレスさんを見て、角張った眼鏡越しに、恥ずかしそうに微笑んだ。 ここはヤマガタ君の夢が叶う場所。彼の情熱はマンガ本収集に注がれる。ファンタジーを愛するお客さんを喜ばせる、キャッキャツとした小さなキャラクタ声でウェイトレスさんが彼に話した時、彼は嬉しそうにクスクス笑った。 20歳になるヤマガタ君が、ネオンが光る秋葉原を夜ブラブラするのはいつものこと。日本のオタクを満足させる何百もの新ビジネスのうち、秋葉原の最新は「メイドカフェ」。社会不適合者のサブカルチャーが、電子ロールプレイングゲーム、マンガ、ジャパンアニメに取り憑き、エレクトロニクス小売業者や自作コンピュータ部品店の増殖に誘われて、90年代末に秋葉原に集結し始めた。 社会の本流に虐げられた彼らはここに集まり、彼等の好みと習慣が、電気街として知られた地域を「オタクのたまり場」と社会学者が呼ぶ場所に変えようとしている。 かつては冷蔵庫や電子レンジを買い求める主婦やカップルで一杯だった通り。今では、何十万人ものオタク(ほとんどが18から45歳の男性)が、多フロアのマンガ本屋と狭いゲームセンターでうろうろしている。眼鏡調整の店が、なんとも言えないドレスシャツと厚底革靴を売る店と、スペースの奪い合いをしている。 たぶん続く。。。 |
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現在、花嫁探しのために、インドのバンガロールに来ています。な訳ないけど、綺麗な人が多いっす。
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