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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●日記を書いていないときは何も考えていません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
●こんな日記を読むより、最上の日々や最尤日記や研修用資料やactive galacticの方をお勧めします。
●twitter: orekanegon
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Japan Journalは日本語で読める英国系のニュースサイト。どこかのんびりしていて、米国系ニュースとかなり違う味わい。見出しの「プロパティ購入病」は一瞬何のことかわからなかった。
"「犬、動物」のような言葉を聞いたときに真っ先に心の中に思い浮かぶのが「印刷された文字」な人がいるのだそうだ。私はまだこの事実を完全に信じることができないでいるのですが。"これそのものかどうかはわからないけど、カネゴンにはあることが思い当たる。カネゴンは曲を聞いたときに歌詞が耳に入らない。本を読んでも映像が思い浮かばない。睡眠中に夢を見ない。人の話を異常な頻度で聞き違える。口に出して言う言葉が的を得ない【書いてることすらおれカネゴン】。
いつだったかJN師がレクチャー(あるいはマシンガントーク)の合間に「本(たとえば聖書みたいなもの)の特定の章またはパラグラフを、その情景がくっきりと浮かび上がるまで、あらゆる細部が手に取るように浮かび上がるまで繰り返し繰り返し読め」と言ったことがあった。そこにいた知人は「そんなの当たり前。誰だってできるんじゃないの」と言っていた。カネゴンはその話を、「一般的にそういう訓練がいい」という話だと思って聞き流していたのだけど、それはカネゴンに向けて言っていたのだと今頃になって気付いた。やっぱりカネゴン人の話を聞いていなかった。嗚呼。
カネゴンが人並以下なのはこの辺りに原因があったのだろう【他にも続々おれカネゴン】。イマジネーションはお芸術のためではなく、まっとうな社会生活を送るのにこそ必要だったということか。今まで人並になるための努力がすべてピンボケだったのはそういうことなのですね。今後カネゴンはそっち方面の訓練をします。他人の立場というものを想像しながら話ができるように。人並になるためならどんな犠牲も払います【落ち着かんかえおれカネゴン】。それからもっと骨惜しみせず汗をかくようにします。もう日記など書いている場合ではない。エジプト出てから行く先は決まりました。
嗚呼、そうじゃないんです。カネゴンはLDでもアスペルガーでもないそうです。複数の精神科医が必死で笑いをこらえ吹き出しながらそう言ってました。以来カネゴンは精神科医の足を引っ張ることならどんなことでもしてやると堅く心に誓い今日に至る【そこから先はおれカネゴン】。
各方面で話題の液体窒素ぶっかけフェスティバル。たとえが古くて申し訳ないけど、写真を見てて、ブレードランナーに出てきたチャイニーズ系科学者の研究室を思い出す。レプリカントに防寒服を破られて寒そうにしていた、あの人。
次は、大容量電源を確保したクルーザーとかヨットの船底にCPUをつけて、疾走しながら海水で冷却というのを誰かやって見て欲しい。多摩川河川敷で安くあげるという手もあり。
おなじみインサイターで紹介されていたプチコッコ。二昔前なら立派なSFネタ(思い出すだけでも2つ3つはある)だったろうに、今では「はなまるマーケット」のなぐさみもの。案外イスラエルあたりで「プチ人間」とか開発していたりして【それはヤプーかおれカネゴン】。「プチ人間株式会社」上場のあかつきに株価が上がるか下がるかで人類の品性が試される。
今ややんごとなきお方の公式サイト「http://www.microsoft.com/billgates/default.asp」(嫌な予感がするので直リンしません)。回りに落ちているのがティッシュに見えてしまったカネゴンでした。というかこれは何?
*p1*今日の頭音「Centerfold」のイントロがずっと
つらい。
夕暮れの帰り道、ネオンが派手に点滅する上に金星が鋭く輝いていた。胸騒ぎ。今日は恐ろしく空気が澄んでいるらしく、こんなに金星が輝くのを見たことがないような気がする。不吉な予感。その明るさの中で、金星の後ろにうっすらと天の川さえ見えた。単にそろそろ老眼の始まりかも。
気をとり直して魚を山ほど喰う。
落ち込みつつも書いてしまう。「なぜ嫌われるのか」。やっぱり愛されたいんだ。日本刀を抜き身でぶらさげたまま愛されるのは難しいと思われるので、ひとまずそれを鞘にしまってから、何か一つ芸を覚えるといいと思われる。宴会で受けるまで死ぬ気で練習。
毎日食べるとよい食品。「天然のビタミン」だけ普通っぽい。
日記の日付がおかしいとの通報をいただく。見てみるとほぼ半月近く日付を間違えていた。嗚呼悲惨。
覚醒剤ソムリエ、逮捕。今検索する気力がないけど、ずっと前この日記でそれに近い人のことを書いた覚えがある。ソムリエというよりはブレンダーというほうが近かった。
1000兆ワットの火の玉だ。カネゴンが2000.10.15の日記に書いた金属炭素の実験とどことなく関連がありそう。今度10倍に出力を上げるときには十分距離を置いて鑑賞したいのでTVで中継して欲しい【腰がひけてるおれカネゴン】。
誰でも知っている曲に必要以上にこぶしを効かせて歌われるとかなりむかつくことを初めて知った。カネゴンも気を付けます【今頃気付くおれカネゴン】。
郷ひろみがポール・マッカートニーのライブを見に行ったとき、アンコールでポールが「イエスタデイ」を完全にレコードと同じアレンジで演奏したことにいたく感心したらしい。長生きの秘訣。
インサイターから辿ったリンクに、一日のTV視聴時間が4.5時間とある。みんなそんなに長時間見ていたとは。カネゴンの知らないところでまたしてもお寿司やケーキが配られていた。
BioNewsには科学ゴシップ的な記事が目白押し。くすぐられる前にくすぐったがってしまう訳とか、不倫でできた子はできがいいとか。ただ過去記事の表示がやたらと使いにくくて困る。
ひっそりと落ち込む。
各方面で盛り上がっている「プロ野球選手会がコナミを提訴」。この独占状態が開始されたのは10年ぐらい前だったような覚えがある。当時新聞で見かけた。球団によってはこの収入がしゃれになっていないぐらいクリティカルなところもあるかもしれない【どことは言うなおれカネゴン】。これが途絶えたら途端にぶっつぶれたりして。
吉本に逆らえないマスコミ。「お笑い恐怖政治」(テリー伊藤風に)が実現し、日本の首都が大阪になる日も近いか。ついにTV様のアキレス腱を見つけた。
江川達也の漫画を真剣に読んだことがないカネゴンだけど、この間何かのインタビューでは元数学教師だったと書かれていた。大昔に読んだインタビューでは「美術教師」と書いてあった覚えがある。たぶんそっちの記憶の方が嘘なのだろう。
単独でのイラク攻撃は避けたい。他の国にも殴らせておかないとかっこがつかないということなのだろうか。
カネゴンが皿洗いのバイトをしていたとき、そこの板前たちが、料理の修業に来た若いベトナム人をいびり、あまつさえカネゴンに「あいつの靴を隠せ」と強要したことを思い出す。気弱なカネゴンではあるけれどさすがに承諾できかね、しどろもどろで逃げる。あれ以来「職人気質」という言葉を見るたびにそっちの暗黒面を連想してしまう。
開発しない方が値打ちが上がる。問題は、さんざん飽きるほど食べた人が、死ぬほど腹を空かした人に向かって「食べ過ぎるとろくなことにならないから食べちゃだめ」と爪楊枝を使いながら言ってのけたときに、どのぐらい説得力があるかということかもしれない。
クラゲの重みで漁船転覆。何か大災害の前触れだったりするのだろうか。検索してみると、トルコ地震の2日前にクラゲとカニが大量死していたことがあったらしい。海底の地割れのせいでメタンガスが発生したのではと見られている。他にも火の玉(球電)現象なんかも起こっていたとか【心配症のおれカネゴン】。
羽田空港へのアクセス競争激化。浜松町のモノレールは確かに乗り換えが面倒だった。買収した途端に整備を始めたということは、今までは不便さを黙殺していたと考えていいのだろうか。
Slashdot.jpより。マウスだけで文字を入力する代書屋(デモ画面)にEyeTrackerを組み合わせることで、視線だけで文字入力ができるようになるとのこと。代書屋はDasher Projectの日本語版。ヒデキ指数(検定間近)=130。身障者を支援するシステムとして十分実用的な上、音声入力よりクールで健常者も使ってみたくなるところが素晴らしい。あるいは音声入力そのものと組み合わせてもよいかもしれない。そうすれば、音声入力自体が極めて簡素なもので済んでしまう。
藤子F不二雄の「21エモン」だったか「モジャ公」だったか忘れたけど、「ボタンポン星人」と「ボタンチラリ星人」の話を思い出した。科学と技術が極限に進歩したボタンポン星では、ボタンをポンと押すだけであらゆる仕事をこなしてしまう。ところがボタンポン星人に言わせると、それより進んだボタンチラリ星があり、そこではボタンをチラリと見るだけであらゆる仕事をこなしてしまうという。今調べてみると、ボタンポン星人は不老不死で、死にたくなったら「0次元」という建物に入って消滅するとあり、UNIXの/dev/nullディレクトリ(ここに不要なものを捨てる;ゴミ箱みたいなもの)を連想してしまう。
妖精現実に大切に保管されている2chスレ「明日首吊ので最後のオナニ用の画像下さい」を読み、嗚咽が止まらない【勉強せんかおれカネゴン】。
そう思うと、泣ける話というのはいいメロディーにも似て、それを作り出すのに一見テクニックが使えそうでそうではなかったりする。武論尊は「俺は難病の少女の話が臆面もなく書けるぜ」と言い切っていたし、宮崎駿は手塚治虫が「ここはこうすると客が泣くんだ」と言ったのにカチンときて、手塚治虫の追悼文にまで書いていたいたのは有名な話。泣ける話をデザインパターン化する試みはヴィクトル・ユゴーのみならず古今東西常に行なわれているのだけど、山崎豊子のようにそれをできる人は実際には限られてしまう。真珠の涙のスイッチを押すのは簡単にはいきそうにない。
それにしても、同じ話でも話し方によって笑い話になったりホラーになったり泣ける話になってしまうのは実に不思議としか言いようがない。カネゴンが一時カウンセリングを受けていたとき、カネゴンが真剣に悩みを話すほどに医者が吹き出すのを見て、頭に来て二度と相談するものかと思った【相談下手なおれカネゴン】。あれ以来精神医学ヘイトを誓うカネゴンは、「サイコドクター」読んでません。
小学生2人が夏休みの自由研究で金鉱を発見。まるで藤子F不二雄のような現実離れした話。ヒデキ指数(そろそろ検定)=115。
カネゴンが学生の頃近所のある大病院(特に名を秘す)でアルバイトをしているとき、同じフロアで勤務していた人格に優れた若い看護士さんが、鉱物が趣味という人だった。勤務中にカネゴンが何となく「山に行って金鉱でも見つけたい」という戯れ言を言った途端彼の目つきが豹変し、「君ね、鉱物ってのは奥が深いんだよ」から始まり、延々5時間ほど鉱物について教えられた。看護士さんは患者さんの身になって親身に看護に打ち込む素晴らしい人だったのだけど、これにはカネゴンまいった。
看護士さんはパチスロも大好きで。パチスロについて語り出すとこれまた止まらず、「アラジンチャンスうはうはだよー」とエキサイトしまくっていた。「フルーツの集中」などの専門用語をいろいろ教えてもらったのを思い出す。当時「アラジン」という台があり、カネゴンもたまたまやってみたら6万円分出てきて目を剥いてしまった。その金で自転車を買った後数日してもう一度やったら6万円吸い込まれ、倒れ臥してしまった。
カネゴンはその病院で後に薬のディストリビュートを間違えてしまい、見事クビになる。看護士さんもさすがにフォローし切れず、一言「がんばれよ」と言われた。未だにカネゴン申し訳ない【洒落にならんぞおれカネゴン】。
ロシア農民の掛け算(Russian Peasant Multiplication)と呼ばれる掛け算術は、世界最古の数学文献であるB.C. 1700頃の「リンド・パピルス」に載っていたアルゴリズムで、しかもそれ自体もっと古い文献から写したものだそうだ。2倍することと2で割ることさえできれば、比較的大きな数の掛け算を短いステップで実行できる。それにしてもこの名称、ロシア農民が2倍と1/2倍しかできないということを前提にしているとしか思えない。ロシアではきっと違う名前で呼ばれているに違いない。以前日記で普通の電卓で対数を求める方法をでっちあげたことがあるけど、あれも2乗と2乗根しか使用しないあたり、カネゴンもその程度であることが判明。嗚呼。
カネゴンはかれこれ2回、足の爪が剥がれる事故に遭った。皿洗いのアルバイトをしていたときに履かされた長靴が恐ろしく小さく、そのまま作業している間にかなり弱っていたらしい。翌日、ゴム草履で自転車に乗ろうとしてうっかり車体を爪先で蹴ったとたん「カシャ」という音がして爪が落ちた。出席日数が足りなくなりそうだったので流血したまま授業に出たところ「病院に行け」とストレートに叱られた。
二度目は吉祥寺の音楽スタジオで。シンセサイザーを運び込もうとして手を滑らし、親指の爪のつけ根に落してしまった。痛みはそれほどでもなかったのだけど、靴の中で指を動かすとぬるぬるする。「ああ、出血している」と思った途端カネゴンはその事実に参ってしまって貧血を起こししゃがみこむ。崩れ落ちながら、きついコルセットを装着したベルサイユ宮殿あたりの貴婦人が何かにつけて「ああ」と貧血を起こすシーンを思い出し、こんな感じなのだろうかと想像するに至る。
しかも思い返せば、カネゴンはそれ以前に足の爪を2回手術していた。爪が肉を巻き込んで陥入爪(かんにゅうそう)という症状になり、膿みただれて痛くて歩けなくなった。その1度目の手術ではよりによって、麻酔が効かないうちからてきぱきと切開されはじめ、「先生、しゃれにならないぐらい痛いんですけど」とうめくと「うるさい!」と一喝され、あまりの不条理さにブルースクリーンと化す。後日怒り狂ったカネゴン父がどなりこみ、平身低頭のドクターが「次回は無料で手術しますから」と言った由。カネゴン御免こうむり、2度目は別の病院にした。痛みに耐えられないようでは戦場の兵隊さんに申し訳ないというよりは、騒ぎになって恥ずかしかったため。
そんなこんなで、今でも足の爪を切るときは細心の注意を払っている。カネゴンがサッカーに限らずスポーツ全般に一切手を出さないのはこの辺にあるのかも。
ファイル数は以前より減っているにもかかわらず、却って仕事が忙しくなってしまったのが不思議で仕方がない。助けてー。
最後に同衾した女性に財産贈与を宣言。最後に首を絞めてもらいたいということなのだろうか。というか自動的に絞めてもらえる。うう。
円周率や台形面積が続々復活。全国ツアーはいつになる。最後は武道館3日連続で。
米国保険業界が日本の簡易保険に文句。こういうのも貿易摩擦というのだろうか。ルールを作りながら戦うような相手に敵うはずもなし。
「俺ニュース」で見つけた日本地理都道府県庁所在地暗記歌。強力に頭音として固着すること請け合い。さっぽろー。
個人的に死ぬほど受けたコンテンツ。まったく個人的にです。
はてなアンテナについついリンクを登録しすぎないようにするために精神力のかなりの部分を使ってしまっているような気がする。他の人のアンテナを覗くと、気が遠くなるぐらい多量のリンクが登録されていることが多く、これを端から読むだけで一日が終ってしまいそう。カネゴンの場合、現時点では38箇所。更新されないページは下にたまるだけなので、それを気にしなければよいのかもしれないけど、やっぱり気になってしまう。
Main-scopeには端から端までピンク・フロイドがぎっしり充満している。素顔のメンバーたちが妙におかしい。
「世界的テロ組織」の実態まざまざ アルカイダのテープ。火サスっぽい扇情的な見出しからして、ボブ・グッチョーネかはたまたオリバー・ストーンあたりが秘密裏に監督しているのかも。
米国を脅かす静かな侵略者。よくぞ見破った。
神経細胞の4割を再生。次にマイケル・ジャクソンが受ける手術はこれに決定。
内村鑑三の「伝道師の気質」の最後のパラグラフで泣きそうになる。もうカネゴンは青年でも何でもないですが。「神は愚者をもって知者を恥ずかしむ」とあるけど、そういう役回りなのですね。
確かに、牧師や坊主があまりに弁舌爽やかで世渡りがうまいと、自分を預けて見ようという気持ちが醒めてしまう【相談下手なおれカネゴン】。悪の組織の首領が経営の才覚抜群で部下の信頼が厚く、汗水たらして見る間に組織を拡大していくのもどうかと思ってしまうように。かといって不器用だから信頼できるというのもあまりに性急。
一方カネゴンの場合問題なのは、朴訥とか遅鈍とかで済まないあたり。失敗を確実に呼び込むカネゴンは、こっちの世界でも十分危険としか思えない。やっぱり神の国には入れてもらえそうにない。嗚呼【定員オーバーおれカネゴン】。
雑記草で、レシートや領収書を自動的に読み込めないかという提案が出ている。カネゴンも大賛成。文字をまともに読み取ると永遠にOCRエラーを回避できないので、以前にも書いたような気がするけどこの2次元バーコードにて実装するのがきっと最良。これがあらゆるレシートの片隅にちょこんと印刷されれば、Palm を買ってもいいという気になろうというもの。携帯でレシートを読み取ってもいい。
どうせやるならPCのプリンタドライバにも手を加えて、あらゆる印刷物の片隅に2次元バーコードを小さく印刷し、そこに印刷物の内容をすべて収録してしまうというのはどうだろう。たとえ元のファイルが失われても、このバーコードが残った印刷物があればいつでも元のファイルを復元できるとなれば、安心感が全然違う。せっかくなのでXML形式でお願いしたい。ぜひこの2次元バーコードをPDFの仕様に追加してほしい、必殺OCR殺しとして。実現すれば、大宅壮一文庫あたりは泣いて喜ぶと思う。
こんな使い方もどうだろう。テープバックアップならぬバーコードバックアップ。テープデバイスに出力する代わりに、極度に圧縮された情報としての2次元バーコードを紙テープ(あるいはもう少し丈夫な素材)に出力するというもの。場所を取らず安くアーカイビングできる。生まれ変わった紙テープ装置というか。歴史的なモニュメントやお墓に二次元バーコードを物理的に刻み込めば、数百万年は優に持つ。
*p1*今日の頭音、李博士
朝通勤中に急に腹が痛くなり、人目を気にする余裕もなくてがらがらの東横線特急で座り込む。台風で気圧が下がったせいか。
こだわりアカデミーの新作は「進化を実験する」。思わずヒデキ指数がもらい泣き。
タイトルに据えられた「個体の能力よりも、周囲との相性の方が生き残りにおいて重要」という言葉が痛快。キリスト教関係者からフォローの一言があってもいいかもしれない。
しかも:
大腸菌は、自分が生き残るためにグルタミンをつくっていますから、いわば利己的です。しかし、完全に利己的になるというのは難しいようで、たくさんのグルタミンをつくっても、取りこぼしたり、漏らしてしまうような大腸菌も出てくるのです。また、せっかくつくっても途中で死んでしまう大腸菌もいます。そうすると、必ずそのおこぼれを頂戴しようというタイプが出てくるのです。何度繰り返しても、能力の高い種だけが残ることはなかったのです。もちろん滅んでしまった種もいましたが、それも必ずしも能力が低かったからとはいえません。
ということは、社会のダニやヤクザや「極悪がんぼ」は進化の必然であってむしろ積極的に共存を考える方がはるかに優れた戦略であり、泥棒は警察機構の一部であって絶滅はならず、むしろほどほどの犯罪にとどめる方向に持っていくのが最適なのだろうか。カネゴンのような役立たずには果たしてどのような積極的な意味が見出せるだろうか。カネゴンの日記の最大のテーマは一貫してこれだったりする。教えて、おじいさん。
こういう、能力が高いものも低いものもそれなりに生き残ることを表すのに適切な数学的モデルは何だろう。ぼちぼち考えます【休むがベターのおれカネゴン】。
末尾再帰の続き。再帰そのものはカネゴンですら知っていたけど、「スタックを掘る」通常の再帰と、「スタックを掘らない」事実上gotoと変わらない(=高速かつ省メモリな)再帰を、schemeはほとんど同じ形式で記述できるらしい。事実、schemeの仕様では「末尾再帰はgotoと等価になるよう実装するべし」とあるのだそうだ【あんよは上手のおれカネゴン】。
(内輪ですみません)debianをwoody(安定版)からsid(不安定版)に移行。/varディレクトリが一時的に90%を超えてしまい、apt-get cleanで調伏。前回と同じくX Windowの色数が勝手に24ビットに変更されてしまったので16ビットに戻す。XEmacsで読み込みエラーが発生し、調べるとinfoのパスが無効になっていた。もともと自動で設定されていなかったので不承不承設定していたものにつき、即記述を削除。後はとりあえず無事に動いてくれてるみたい。
何だか冷や汗が止まらない。季節の変わり目と台風がいっぺんに来たからだろうか。
リーフェンシュタール監督の新作。ファシズムを上回る「快感」をこれまで誰も開発することができなかったという点で、彼女の仕事は文句なしに歴史に残る。かつて「オリンピア」や「意志の勝利」などで世界中の(精神的に)恵まれない青少年の股間を熱くした彼女ではあるけれど(出演したわけではないです)、100才ともなると賞味期限切れが心配。「色気と欲は灰になるまで」という諺を思い出してしまった。
おなじみ「hardでloxseな日々」で紹介されていたパズル遊びへの招待。ヒデキ指数(検定間近)=135。引用元の高木茂男氏の著作とほぼ同じ内容の本がブルーバックス(B592)からも出ていて、カネゴンもそっちの本を繰り返し読んでいた。いろいろと示唆に富んだ内容。
それによると、現代的なパズルの創始者であり互いに好敵手だったデュードニーとサム・ロイドは二人とも大学教育を受けておらず、9才で早くもパズルを考案していたところも同じ。サム・ロイドはパズルが当たって大儲けしたかわりに本をほとんど残さず、代わりにデュードニーは現代パズルの古典となる本を残し、サムがやらなかった数学的裏付けも行なっていたとのこと。
世界中のたいていの民族はパズル好き(江戸時代の日本でも大量のパズルが生み出されていた)なのだけど、ローマ帝国時代はほとんど目ぼしいパズルが生み出されていなかったのだそうだ。ローマ人があまりに実用(政治/経済)を重んじ過ぎ、数学とか文学とかパズルみたいな腹減らし(極道とも言う)にほとんど関心を示さなかったためらしい。どこかで聞いたような話。
発明王エジソンの息子はからっきし発明の才能がなく、父から「こいつはだめだ」と言われていたらしい。パズルの考案や発明は、最も才能が先鋭的に要求されるものなので、教育でも血筋でも遺伝子操作でも草津の湯でもどうにもならないみたい。なんなくていいけど。いろんなものがどしどし発明されて効率がますますアップすると、ますますアップテンポで効率良く人類が終末に近付いてしまいそうで。
上のリンクにもある世界最古のパズル。
京都のモテモテ数学老人の森毅があるとき「数学史上最大の発見は何ですか?」とTV番組で聞かれ、「そりゃあんた、数の概念の発見だろうな」と答えたそうだ。確かに最初にして最大の抽象化。
現実の物体や現象を、数として抽象化し、今度はその数を未知数/変数として抽象化し、今度はそれを関数としてコンパクトにまとめて抽象化し、今度はそれを関数空間として抽象化し、と続々抽象化は進む。ソフトウェア開発も、高級言語の登場から始まって、構造化プログラミングやらオブジェクト指向やらデザインパターンと順調に抽象化が進み、今やUnified Processとかいう手法(正確な名前は忘れた)とXP(Extreme Programming)を併用するところまできているらしい。
よく考えてみると、お金という概念も数の概念に匹敵する抽象化だったのかもしれない。数の概念がないことには生まれようもない概念なのでその後のはずだけど、一種兄弟のような。こちらも株式化や証券化、デリバティブ(高級なサシ馬)、先物取引などによって抽象化されつつあるけど、こうして見ると数の概念ほどは展開していない。お金の場合、最初の抽象化のインパクトだけで十分大きい(人間をお金に換算する以上のインパクトが考えにくい)ので、それほど階層を重ねる必要がないのかもしれない。
「麻雀放浪記」か何かで、ある博打打ちが死に、その葬儀で博打仲間が「俺はあいつに100万貸していた」「俺は200だ。ちくしょう、もう少し早くポンコツになればよかったのに」と口々に言いたい放題という描写があった。それをなだめるように「博打打ちは普段から金と正面に向き合っているために、悲しみでも何でも金に換算して表現する気質がある」と書いてあった。今思えばこれも一種の抽象化。
カネゴンが繭(学生)になりたての頃、勇気を出して入った三鷹のフリー雀荘は赤ドラだけでアガれる無法ルールで、しかも店長が2回連続で四暗刻を上がった。失ったのは数万円だけど悲しみは200万円分ぐらいはあった。
音楽のコードで、「サス4(Sus4)」という表現がある。ド/ファ/ソ→ドミソと、ファがミに移るときのコードを指す。一時的な音で、いずれは普通のドミソ(ドミナント)に戻るというニュアンスがある。同じ要領で、カネゴンはド/レ/ソ→ド/ミ/ソをやま勘で「サス2」と呼んだら「それはSus2じゃなくて9thじゃ」とツッコまれてしまったことがある。
今検索してみると、sus2はしっかりある。うーむ。
実はカネゴンは、#9thとか11thとかb13thのようなジャズ特有のコード表現に出くわしたときにかなりとまどってしまった。今でも指折り数えないと把握できない。それと言うのも、コードを独学で覚えてしまったせいか、すべてを分数コード( F/G みたいな)で考えてしまっていたため。かててくわえて、コードの表現は数学記号など目ではないぐらい地域や出版者によってばらつきまくっていて(特に海外の譜面)、初学者を混乱させることおびだたしい。
先日話題になった「素数を多項式時間で判定する」について知人のハッカー氏(集合論の専門家でもある)に呑みの席で尋ねたところ、氏もとっくに論文に目を通したらしく「
真っ赤な嘘」であるとのこと。曰く、世紀の難問であるリーマン予想が証明されない限り、素数の多項式時間判定は絶対にできないらしい。ためすまでもなくガッテン。
前からあったのにカネゴン気付くのが遅れた。ishinaoさんのblogmapは、巡回先でリンクされているURLを集計してポイント順に並べている。もちろんishinaoさん専用なのでカスタマイズなどはできないのだけど、集計された結果は滅法面白く、恐いぐらい無駄がない。これがあれば、ニュースサイトも日記サイトもほとんど巡回しないで済んでしまう。ちょっと手作りGoogleのようでもある。もしかすると他にもこういうコンセプトのサイトはあるかもしれないけど特に調べてません。
カネゴンも使っているはてなアンテナには残念ながらこの機能は見当たらない。マーケの者どもが自分だけのものにしておきたい情報なのである程度仕方ないかもしれない。Googleですら被リンク数までは表示していないし(GoogleAPIを使えば取り出せるのだろうか)。
ちょっと恐いのは、このような一段と高度にマクロ化されたアンテナを皆が使い出したら、ネット上で頻繁に参照される情報がさらに平均化されてしまうかもしれないということ。現在でも既にそのような傾向(情報提供:Dejiさん)はかなり出ているけど。「クイズ100人に聞きました」の結果を100人にフィードバックしてさらにその100人に聞くという行列演算を繰り返せば、関心の高いごく僅かな情報のみが残ることになる。このアンテナの普及を以って、インターネットは「中年期」にさしかかったと認定したい。たぶん人間の脳内でも老化が進むにつれて同じようなことが起きているのだろう。南無阿弥陀仏【暗い結論おれカネゴン】。
川崎の花火を至近距離で観賞する機会に恵まれる。実はこんなに近くで見るのは初めて。しゃれにならない爆音に、老人がひきつけを起こすのではないかと気が気でない。これが地上で爆発したらとついつい心配になる。それにしても近頃の花火は信じられないぐらい凝っていて、しかも地表すれすれまで軌道を描く。火薬五割増しは日常茶飯事かもしれない
ニュートラルで小耳にはさんだところによると、花火を扱う資格のうち、最初の段階のものは意外に簡単に取れるらしい。取ると、花火をほぐして改造してもよいのだそうだ。ある時期にミュージシャンの間で花火を改造するのが流行ったことがあり、某氏がベランダを吹き飛ばしてしまったとも聞いた。
色川武大が「すべてに不満だらけなのに、身体にどこも痛いところがない。それが若さというものだと思っていた時期があった」とどっかで書いていた。若さの渦中にあってこれを意識していたとしたらかなりのものだと思う。そこにあるものは意識しやすいけど、そこにないものに気付くのはやはり難しい。自分の本棚にはどんな本が「ない」かを数え上げてみると案外極めて正確な性格判断ができるかもしれない。そういうCGIはどこかにないだろうか。そう思うとカネゴンの本棚にはミステリーと写真集が一冊もない。
米企業の9割が宣誓書を提出。「宿題は忘れません」と100回書いてあるのかもしれない。自由研究と工作は土壇場では間に合わないので注意。カネゴンとっても生きる自信が湧いてくる。
中国、海賊版を粉砕処理。立場も状況も違うけど、何だか阿片戦争を連想してしまう。そのうち貿易戦争ならぬアニメ戦争が勃発し、ディズニーのビデオを焼き払う事件とか起きたりするわけもなし。やったら怒るだろうか。ためしてガッテン。
核をぶっ放したくてしょうがない。心の声を勝手に吹き替えると「誰か俺を止めてくれ」。おそらく、世界各国が自分のことを本当に愛してくれているかどうかを試そうとしている可能性がある。
それはともかく、国務長官が言うところの米国を攻撃するための「従来なかった驚くべき方法」にはどんなものが考えられるだろうか。
何にしろ、「失うものがたくさんある」という最大の弱点を突くべし【さよなら三角おれカネゴン】。ためしてガッテン。
カネゴンが幼虫の頃に読んだ「たのしいようちえん」という子供向けの雑誌の仮面ライダー特集で「どうしてショッカーは核兵器を使わないのですか?」というFAQが載っていた(きのこ雲のイラスト付)。
回答は「世界を滅ぼしてしまうと自分たちが利用できるものがなくなってしまうから」。
苦しい。
フリスビーの生みの親の遺灰をフリスビーに。あんまりうらやましいと思えないのはなぜだろう。
「マイティマウス」を作り出した。そう言えば昔TV東京の「まんがのくに」か何かでこの「マイティマウス」やってた。mightyには「絶倫」という意味もあったかと思うけど(情報源:フレドリック・ブラウン)、このネズミがうっかり逃げ出して増えまくったあかつきには絶倫どころではすまないような気がする。
この頭音、癖になってしまった。
ニンニクとビタミンEの錠剤を飲んだら、身体がニンニク臭い。
NHKで深夜にやってた「海底二万マイル」を飛ばし飛ばし見る。とにかくアロナックスの父ちゃんはえらく腕っ節が強い。カネゴンは小説の銅版画のイメージが強くて、ネモ船長が髭を生やしていないのが不思議な感じ(ドクター・ノオみたい)。ネモ船長の、ミスターKのような謎めいた暗い過去は洗いざらい明らかになってしまっていた【順序が逆だおれカネゴン】。C3POみたいに愚直なコンセーユはどこに行ってしまったのだろう。
Slashdot.jpで盛り上がっている「科学の力で人類を一つに」。当然米国上流階級から優先して接続されると思われるので、一通りつながり終わったところでコンセントを抜いてあげれば地球の温度が確実に1度は下がる。電源確保ゆめゆめ忘れるなかれ。
また曜日間違えてた。
「千と千尋の神隠し」をビデオで見る。もう既にいろんな人がいろんなことを書いているはずなので省略するけど。究極の酔っ払いがいた。「番台って何?」と千が聞き返していたのは、内風呂が多い今ならではかも。映像にひたすらうなる。
長らく中華妄想の影響下にあり「不思議の国のアリス」に刺激を受けて本格化した日本妄想史の中で、「ヨハネ黙示録」に端を発する「ねじ式」あたりの無反省に危険サイドの妄想に没入していく傾向と、ポーやトールキンや諸星大二郎のように妄想の中でも理性を失わないような傾向に大別するとすると、この映画は何とか後者の流れにつながったかもしれないと勝手なことを思ったりした。カネゴンは「妄想何でもあり」という無責任な考え方は好きではないので【昔ははまったおれカネゴン】、「千と千尋」を妄想お手本またはベースクラスの一つに登録したい。それでも妄想は妄想、良し悪しを問わずあまり妄想ベースの作品自体が増えるのもどうかと思うので、妄想デザインパターンみたいな妄想再生産の効率をアップするようなものはあえて作らない方がいいかもしれない。そういう意味では、この映画は大人向け。あまりに完成された妄想を子供に見せる のは少々気が引ける。ファントム・オブ・パラダイスを多感な中学生に見せてはならないのと同じ。限りある妄想を大切に。東京電力。
近所の生協では、日ハム製品を普通に売っていた。特に安いというわけではなかったけど記念に買ってみたりした。よく考えたら、製品そのものの安全の問題ではないわけで、今撤去することには制裁以外の意味はなかったりする。何の心配も予備知識もなく勉強して裏付けを取る必要すらなく制裁できる相手が食品会社の他にあまりいないせいかもしれない。
というわけで拭き掃除に励む。
カネゴンに夏休みはありません。やけくそで、毎週金曜日に休みを取ろうかと思ってしまう。
「十六茶」や「爽健美茶」など、ドクダミやらプーアールだか何やらいろんなものが煮込まれているお茶を飲むと、カネゴンはどういうわけか頭が痺れてしまう。ある意味安上がりなトリップなのだけど、気持ちのいいものではないので、自然とこの種の飲物を敬遠してしまう。というわけで、カネゴンはペットボトルのお茶は「おーいお茶」しか飲みません。
あと不思議なのは、最近自動販売機で「アイスコーヒー」(それも甘くないもの)をとんと見かけなくなったこと。たまにあるといつも売り切れている。どこのメーカーも伊藤園の成功に目が眩んだのか、マーケティングがよじれてしまったのか、どこも軒並香りをつけたお茶で攻めまくっている。甘みがほとんどなくてたっぷり飲めるペットボトルのアイスコーヒーを今出せば十分挽回できるような気がする。
Yahoo!のコンピュータニュースの見出しに「Windows代替OSへの関心大」とあるのに、その記事がいつまでたっても現れない。必死で食い止めているのだろうか。
「坊主狩り」と書くと、信長の比叡山延暦寺の焼き打ちみたいな趣。
随分前、あるバイオリニストが「究極に自然なエコー(残響)」を求めて、鍾乳洞でレコーディングしたことがあった。しかし洞窟内部は湿度が100%近くあり、楽器のコンディションにとっては最悪の環境だったので録音は難航しまくったらしい。その後DSPが発達してしまったせいか、誰もそういうことをしなくなってしまった。
かと思うと、レコーディングスタジオで使われている最高級のエコーマシンとして未だにスプリングエコーが使われていたりする。スプリングというと、よくギターアンプに入っている、蹴っ飛ばすと「ガーン」とバネ臭い音が響くアレという安物の印象が強いけど、最高級の品は特性の揃った複数のスプリングを逆相でつないで見事なまでにノイズをキャンセルしてしまうのだそうだ。その分製作が難しく、お安くなかったりする。
かつて最も未来っぽかった総合電子楽器「フェアライト」を製作したフェアライト社の会社沿革は読み応えありまくり。案の定、AKAIの安いサンプラーの出現で経営が危うくなっていたらしい。プロ用映像編集機器で成功しなかったら影も形も残らなかったかも。
ここには書かれていないけど、創業者はフェアライト社をやる前はヨットを製作する会社をやっていたと大昔のキーボードマガジンに書かれていた。オーストラリアらしいといえばらしい。
そう思うと、高価な電子機器は将来必ず価格が下がるという前提で生産計画を立てないといけないということになる。とっくにどこの会社でもやっているだろうけど。下がり方は何となく対数eに沿って減衰するのではないかという予感。逆に、鑑定団で値段が跳ね上がるようなお宝は、生産後にどのような曲線を描いて上昇する傾向にあるのだろう。ロジスティック曲線かしら。いつものようにそこから先を調べないカネゴンでした。
道具を作り出すカラス。人類の地位を継ぐのはゴキブリとかネズミとか言われていたけど、本命はこちらかもしれない。
以前、「東京都内にカラスが10万羽もいるというのは異常事態です」という報道を見たおやっさんが、じゃあ2000万人もいる人間は異常事態の200倍ぐらいに達しているのかと言っていたことがある。まったくもって。
dereferenceを何と訳す。実はこれ以外にも訳語があったりする。エイリアス(Windowsだとショートカットか)の実体を参照することもdereferenceと言ったりする。どうもぴったりくる日本語がなくて困ってしまう。
激しく落ち込んで帰る途中、南の空のわずかに西の方にくっきりと蠍座が見えた。真中に真っ赤な星があったので、アンタレスではないかしら。しかも、その左には暗い星が無数に見える。これはもしかして銀河?東京で銀河を見たのは久しぶりかもしれない。
昨日今日と昼間は恐ろしく日差しが強く、今日などサングラス(アタッチメント式)をつけて出勤したぐらい。夕方日が落ちてすぐの駅周辺が真っ青で、何だかまだ眩しいような気がした。日中コンクリートに吸収された大量の紫外線が再び輻射しているのではないかと勘ぐってしまったぐらい。何か非科学的なことを口走っているような気が。
Slashdot.jpによると、素数かどうかを多項式時間で判定できるプログラムが開発されたとのこと。ヒデキ指数(検定近し)=250。素晴らしい。生きててよかった。インドというのがまたいい。
素数が多項式時間(P)で判定できるかどうかというのは、確か長らく「だめっぽい」という見込みだったはず。暗号がどうこうより、こんなシンプルなアルゴリズム(PDFで見られます)で解けるというのが驚き。このアルゴリズムの途中に「if (r is PRIME)」とあるのは、正当なのだろうか。何だかだまされたような気がしないでもない。と思ったらその後ろにPRIMEのアルゴリズムが書いてあるけど、読み通すのが骨。実装するとどんな感じになるのだろう。
止めないでください。
パッシブソーラーハウス。屋根の上に池とは、日本の住宅事情ではほぼ不可能。ボウフラが大量発生しそうだし。パッシブソーラーハウスにはまだまだ工夫の余地がありそうな気がしてしょうがない。あと盲点になりがちなのは、換気口から虫がいっぱい入ってきそうなこと。各社がちまちま工夫するより、一度ノウハウを総結集して究極のものを作ってみて欲しい。それともやっぱり特許が邪魔になるのだろうか。それとも地中に暮らす方が効率がいいのだろうか。今度は地震のときが心配。
CQ出版社のエレクトロニクス実装図鑑、欲しい。
例のすのものさんは、何とtenkさんに続いてK&R;本のエラー発見に励んでいたことを知る。すのものさんの書いたものにはエラーの指摘関連が多いと思っていたけど、ここまでしていたとは。ちなみに原書のエラーはこちら。
NHKの「空飛ぶイカ海面を走る貝」を見る。最近このシリーズがえらく面白い。航空力学者である主役の東昭博士が明らかにヒデキ指数(検定近し)=200を常に突破し続けている姿をつぶさに観察できた。途中出てきた別の博士もどことなく平田昭彦に似た甘いマスクで、存在感がかなりライバル博士っぽくてよかった。
昨日見つけた「すのものさん」のページにあった記述:
「王は結納金など望んではおられない。 王の望みは王の敵への報復のしるし、 ペリシテ人の陽皮百枚なのだ」 「ダビデはこうして王の婿になることは良いことだと思い、 何日もたたないうちに、 自分の兵を従えて出立し、 二百人のペリシテ人を討ち取り、 その陽皮を持ち帰った」(サムエル記上第 18 章第 25 節、第 26-27 節、新共同訳) の部分を何冊かの注釈つきの本で見たが、 「『陽の皮』は割礼なきペリシテ人たることの証拠」 (関根正雄訳 旧約聖書 サムエル記(岩波文庫)197 ページ) というような説明はあっても 「どうして二百人討ち取ったのか」の説明がない。
Gooの国語辞書にも載っていなかったけど、どうもこの「陽皮」というのはチンポの皮のこととしか考えられない。陽皮200人前とはさぞイカくさかったと思われる。日本と気候が違うからそうでもないのか。
しかもこれは、結婚と引き替えに出された無理難題だったらしい。かぐや姫でも「燕の子安貝」とか「龍の首の玉」を持ってこいと無理難題をふっかけていたけど、「陽皮200人前」はカラオケ屋でマイクを離さない酔っ払いと同じノリで王様が口走ってしまったと考えられる。100と言われて倍の200取ってきたのは明らかに嫌がらせへの意趣返し。酔いが醒めた後王様が頭を抱える姿が目に浮かぶ。しかも山ほど持ってこられて。嗚呼。
その昔、カネゴンは譜面のシャープ(#)やフラット(b)などの調号を、毎回適当な配置で書いていてRyuさんにどやされたことがある。それまで調号の配置に順序があるなどとは正直夢にも思っていなかった。
たとえば#一つならG、2つならD、3つならA、というように四度進行で調号が増えていく(フラットの場合も同じ要領)と知り、そんなにシステマチックにできていることに感動を覚えた。きっとカネゴンどこかで習っていたのではないかと思うのだけど、全然記憶になかった。
ビルのエレベーターに鼻血が一滴垂れていた。いつ誰かが踏むかと思うと気が気でない。
昨日のWolframの本のレビューの続きを読むと、レビュアーが「法則に何か名前をつければいいのに」とアドバイスし、「でもいい名前が思い浮かばない。ウルフラムの法則じゃだめかな。ニュートン力学みたいな感じで」と答えたらしい。やっぱり「A New Kind of Science」ではおさまりが悪いということか。
もともとセルラー オートマトンはWolfram自身がが大きく前進させた(文字化けします)分野らしい。しかし本人がMathematicaに入れ込んでいる間に事情は一変し、まるで日本の出版社のように流行に敏感な多数の数学者がわらわら参入して、おかげでセルラー オートマトンにおけるWolframはすっかり影が薄くなってしまったとのこと。何だか水戸黄門の「後から来たのに 追い越され」みたい。泣くのが嫌なら さあ歩け。
時代劇のBGMでピアノの音が聞こえると、何だか変な感じがする。ましてやファンキーなクラビネットの音が聞こえてくるとなおさら。
カネゴン調子に乗り過ぎ。ううう。
うう、あれだけイメージトレーニングしたのに、やっぱりぐちゅぐちゅになってしまった。
ポール・クルーグマンがおっしゃるには、株価が暴落しても即世界恐慌というわけではないらしい。1920年代の大恐慌は、株価が暴落したことがきっかけで銀行システムが破綻したのが真の原因なのだそうだ。そもそも恐慌っていうのはどういう状態を指すのだろう。株券が外れ馬券のように舞い踊る中証券マンが次々に窓からダイビングし、生き残った証券マンが街頭でリンゴを売って暮らすというイメージしかカネゴンないのですが。
いや、他にもあった。今やカネゴンの血となり肉となっているこの話の第20-22話があった。この回で最も恐ろしいのは、インフレで飯をろくに食べられなくなった普通の人々がおかしくなっていくシーンだった(今はデフレですが)。製作側に金と時間がなかったばかりに作品の仕上がりが悪く、そのコンセプトはろくに伝わらなかったらしいけど、思い出すだけでも悪寒が走る。
昨晩の見苦しいサンマは食べてみたら案外うまく、今朝も残りを食べたところでメールが届く。解凍サンマを刺身で食うのは危険ではないかとのこと。嗚呼。そう言われると何だか身体が痒いような気がしてきた【暗示に弱いおれカネゴン】。カネゴンはサバとイワシを見間違えるほどの魚ノービスにつき、まともに魚を調理できるようになるまで血の出るような訓練が必要かもしれない。生涯学習講座とかで「魚の食べ方見分け方」みたいなのはないだろうか。女の飼い方使い方という本は昔持ってました。ジョーク本です【言い訳無用のおれカネゴン】。
American Scientist 誌に、あのmathematicaの作者Stephen Wolframが満を持して出した本「A New Kind of Science」が紹介されていた。レビューが振るっていて、イントロだけ読むとまるで「これぞ新理論」と息巻くトンデモな人または頭がかわいそうな人【それはあんたかおれカネゴン】のように敢えて描写しておいて、途中から正体(15才でCALTECで学位を取りmathematicaを開発した天才)を明かしている。構想10年門外不出レビュー省略の自社出版なのだそうで、余計そうかと思ってしまう。少なくともこのタイトルはかなり確信犯でつけたと思う。
検索してみると、5/21に本家で取り上げられていた。案の定もめている。時間がないので後で書くけど、レビューを見る限りではもめて当然の内容。ただカネゴンとしてはその世界観の描写には感じ入ってしまった。「世界は不連続」なのだそうです【ちゃんと読んだかおれカネゴン】。
Wolframの場合上記のWolframScienceサイトでもmathematica用サンプルプログラムがダウンロードできたりしてしまうほど実装力が半端でないので、反論も大変かもしれない。既にあのフリーマン・ダイソンが真っ向から反対しているらしい。一歩間違えたら頭のかわいそうな人扱いされかねないダイソン球殻の考案者だけに、どんな勝負になるか楽しみ。生きててよかった。
勇気を振り絞って「サンマ 寄生虫 冷凍」でそおっと検索し、ごくわずか安心する【命拾いのおれカネゴン】。
昼食をそば(油ものを避ける)に切り替えてから、少しずつ体重が落ちてきた。これだけでやせると言うことは、今までよほど食べ過ぎていたということらしい。情けなや。
昨日は昨日で、某湾岸では雨が降りそうで振らなかった(東京は大雨だったらしい)ものの、空では激しく雷が光りまくる。なのに、これっぽっちも音が聞こえない。やはり雷が横に飛んでいるとしか思えない。
正社員とパートの賃金格差を縮めると雇用が改善される。一見地道そうに見えるだけに、かなり有効そうな予感。裏付けが知りたいところ。パートの賃金を上げるのか正社員の賃金を下げるのかによって、会社の格が決まってきそう。
昨日見つけた漫画家インタビューに松田洋子があった。カネゴンはこの人の「薫の秘話」という漫画が大好きで、300回は読み返したかもしれない。講談社版の2巻の巻末のあとがき漫画が壮絶。その毒舌は小田島小田嶋隆にも匹敵するけれど、興味深いのは、実は二人とも自分の毒舌を本当はあまり好きではないのではないかと思えるところ(少なくともカネゴンには)。二人ともたぶん、本当はもっとしんみりしたものが好きなのではないかしら。ナチュラルボーン毒舌なおすぎや立川談志とその辺が違うような気がする。
今になって松田洋子の週刊現代の連載を見つける。既に最終回を迎えてしまい、巡回決定し損なう。嗚呼。アーサー.C.クラークの回はひときわ痛快。
正直に言うと、未だに「ポストモダン」という言葉をどういうタイミングで使えばいいのかわからない。そもそもどういう意味なのか今まで誰にも聞けずにここまで来てしまった。
片付けをしながらアルバート・アイラーの「Ghost」のテープをかける。今聴くと意外にかわいらしいフレーズがいっぱい出てくる。フリージャズには愛敬が欠かせないことを今更のように思い知る。B面は(まだあんまりうまくない頃の)山下洋輔(「バンスカリーナ」)。この人は年々うまくなっていて、今ではもう後から誰も追い付けない境地に達してしまった。フリーの人達が壊しまくった音楽を、この人は丁寧に拾い上げてもう一度作り直してしまったかのよう。今ではジャズとはかなり違うものになっているけど、それがよかったりする。浪速節でも宗教でもオペレーティングシステムでもそうだけど、壊すのは簡単だけどそれを作り直すのは本当にしんどいと思う。しみじみ頭が下がる【そのまま下げてろおれカネゴン】。
10うん年ぶりぐらいに新聞を取ることにした。久しぶりに見る大量のチラシの情報量に頭がくらくらする。
吉祥寺に置いてきた自転車を回収するついでに古本屋(複数)に立ち寄る。以前から「オバケのQ太郎」と遠山啓「無限と連続」を探しているのだけど、前者は半分あきらめているので仕方ないとして、後者は岩波新書なのになぜどこの本屋にもないのだろう。不思議。
代わりに「日本人の英語」を買う。実に読みやすい日本語なのに、内容がえらく難しい。カネゴンいつも下らない日記ばかり書いていたせいか、読解力がすっかり衰えてしまったのかもしれない。嗚呼。
復刊ドットコムでオバQを探していたら、ランダウ・リフシッツ理論物理学教程という本に熱いコメントが多数寄せられているのを見かける。これは確かに物理学にとっては死活問題。陰ながら応援いたす。
藤子F不二雄の正当な後継者である岡崎二郎のアフター0はめでたく復刻されるらしい。まっことめでたき。皆の者、上寿司を20人前とれい。
エイベックス最強のユニット投入。何だかパチンコの新機種のような扱われ方。入れ替わりの激しさと変わり映えのしなさも似ているし。いっそ攻略本と一緒に出すというのは。裏ROMに注意。
TVで「となりのトトロ」をやってたので見る。実はちゃんと見るのは初めてだったりする。いつでも見られそうな気がしていたので何となく後回しにしていたせいだと思う。既にいろんな人が語っているので省略するけど、やはり特に背景の絵(夕刻の風景とか)が物凄くうまい。黒澤組の何とかさんとかいう「雲を専門に描く人」をちょっと思い出す。
「遊び人」を英辞郎でひいても案の定「player」というのは出てこない。「遊ぶ」と「play」はかなり違うような気がする。playはどっちかというと「勝負」みたいなニュアンスの方があるような。gameとかもそう。「It's a game」というと「これは真剣勝負だ」という感じで、「遊びなんだから勘弁してよ」とはまるで正反対。何だか、だまされたような気がする。
第43回国際数学オリンピック。数学パラリンピックというのはないのだろうか。数学に不自由な人が一同に集まってtrivialな問題に取り組むみたいな。あったらカネゴンそっちを目指します。
「文法中枢」発見(リンク思いっきり間違えてました)。電車の中吊りに「文法中枢」の文字がうんざりするほど並ぶ日も近そう。案外イスラエルあたりでは「信仰中枢」を発見しようとして躍起になっているかもしれない。恐くなってきたのでこれ以上書くのはやめにします。
小惑星衝突報道が増えた理由。結局観測精度が向上したために見えなかったものが見えるようになってしまったということらしい。あのパスツールも様々な細菌を発見したばかりに不潔恐怖に陥ってしまった(ので殺菌法を開発した)という話を思い出してしまう。ある意味知らなきゃよかったのかも。
カネゴン久々の絶不調。用心します。いらいらしてしまってすみません。
よく寝て回復。お騒がせしました。
カネゴンは聴いた事はないのだけど、未だに伝説として語られる阿部薫というフリージャズのサックス吹き兼ギタリストがいた。売れる前の(喜多郎みたいな髪型と鬚の)坂本龍一が阿部薫と共演したときの感想が「とにかく、あまりいないタイプの人だった。自分の中に少しでも権力体制ができたと感じたら、それを壊すためにまたサックスを吹くみたいな」だったそうだ。筒井康隆も、ピックを落して指を血まみれにしてギターを弾く阿部薫を見てぞっとしたみたいなことを何かで書いていた。カネゴンは音を聴いた事もないまま書き進めてしまいます【そんなことではおれカネゴン】。
当時は「権力体制」が何を指しているのかよくわからなかったカネゴンだけど、どうやらこの人は「手癖で吹く/弾く」ことを甘えや慣れ合いと見なして徹底的に排除しようとしていたのではと思える。おそらくこの人のせいでフリーという言葉に真向から過剰に反応して、「過去にまったくない演奏」「過去とまったく関連のない演奏」「予想もつかない演奏」にしようとしていたのではないかという仮説を一方的に立てることにする。
数学的な意味でのホワイトノイズは、まさに言葉通りすべての周波数成分を不規則に含んでいて、ある瞬間を取り出したとき、その直後にどのような値になるのかが予測がつかない。言い替えれば、その瞬間瞬間がまったく関連性がない(相関がゼロ)。TV終了時のいわゆる「砂の嵐」の画面で、ホワイトノイズを音と映像の両方で観察することができる。弱い相関を示すピンクノイズというものもあって、音で聞くとこれが単に「こもったホワイトノイズ」にしか聞こえない。
しかし人間の耳はこれまた飽きっぽくて、「予測ができない」状態が繰り返されると、すぐに単調に聞こえてしまう。ややこしいけど「予測ができない」ということが予測がついてしまうようになる。阿部薫がこれを回避して演奏するならば、今度は、ときどき出し抜けに「予測のつく(安心できる)演奏」をして、「予測ができない」か「予測がつくか」ということ自体が予測できないようにしないといけなくなり、ますますややこしくなる。このような、一階層上の予測できなさに昇格することを、とりあえず「2階ホワイトノイズ」とでもしておく。
ところが今度は、2階ホワイトノイズ自体が予測がつくようになってしまう。そうなると、「予測がつかない」か「予測がつくか」ということ自体が予測できないようにするために、さらに大きなスケールでときどき出し抜けに「予測のつく「予測のつかなさ」」で演奏しないといけなくなり、ますますますややこしくなる。これを「3階ホワイトノイズ」としてみる。
またまたこれを繰り返すなら、しまいには「n階ホワイトノイズ」とでもいうべき段階に到達し、lim(n→∞)に持っていくしかなくなる。それで単調さを回避できるかというと、やっぱりできないのではないかしら。大言壮語した割りに尻すぼみの結論になってしまった。阿部薫は早死にしたらしいけど、これは確かに長生きできそうにない方法論だと思う。死に至るメソッド。hirax.netさんならこの辺のことを喜々としてもっと厳密に表してくれるのではないかしら。
言葉を変えれば、「1,1,1,1,...」や「1,2,3,...」みたいな単調さと違う、こういう種類の単調さがあってもいいのではないかしら。極小のスケールから極大まで相関がゼロみたいな。覚えたての言葉なので使ってみたかっただけです。
ただ、こんな状態は間違っても実在はしないのではないかという気がする。実用性からっきしないし。エントロピーとやらがもりもり増大して宇宙が熱死するより、遥かに想像を絶する。この状態は、何というか「生命」と究極に反対のところにある感じがしないでもない。ヤプール人みたいなものか。切通理作が映画秘宝に書いていたことを信じれば、ヤプール人は宇宙人ではなく「純粋な悪の観念」という設定なのだそうだ。その割りに発言は人間くさかったりするけど。
阿佐田哲也によると「いつも同じ事をしていたらバクチは勝てません」とのことだけど、バクチの場合、本気でn階ホワイトノイズを目指す必要は全然なかったりする。要は相手の予想を裏切れればいいんで、苦労してn階繰り返すよりも、相手にあるイメージを持たせて、それを覆す方がてっとり早いということだそうだ。カネゴンがマージャンで散々授業料を払った経験では【高くついたなおれカネゴン】、少なくとも主観的にはこういう人為的な予測のつかなさの方がn階ホワイトノイズよりも予測がつかないような気がする。正直なところ裏付けなど何もないのだけど、この2つはランダムさの質が何か決定的に違うような気がする。どうなのでしょう。
またしても東横線で寝てしまい、渋谷の漫画喫茶で夜明かし。タクシーよりビジネスホテルより安いのはいいけど、セキュリティが心配で荷物を尻の下に敷き、「アカギ」の続きを読みながら寝たら翌朝身体が痛くて臭い。
助けてー。
Slashdot.jpに出ていたどこにでも出現する「マイクロプラズマ」。カネゴン心底しびれる。「夢がある」という言葉は今後マイクロプラズマ以外に適用すると法律で罰せられます。ヒデキ指数(検定近し)=195。こんなにほいほいプラズマが生まれて消えているとしたら、これまで行われていた膨大な物理実験の大半にマイクロプラズマのノイズが紛れ込んでいるということはないのだろうか。誰かそこらへんをとっくりとカネゴンに教えて欲しい【自分で調べいおれカネゴン】。
近い将来「プラズマを飼う」のが流行らないだろうか。もういくつ寝ると学研が「マイクロプラズマキット」を付録につけるだろう。大きくなりすぎて野良プラズマになって社会問題化したらカネゴンもう思い残すことはない。
生命科学研究の暴走に危機感。毎年夏になるとこういう話題が繰り返される【恐怖のあまりおれカネゴン】。研究の夏、日本の夏。
米国政府、「対外宣伝室」でイメージ向上を図る。涙目で言い訳すればするほど深みにはまる。愛して欲しいと素直に言えないばかりにここまでおおごとになったと思うと感慨深い【かつてあんたもおれカネゴン】。そのうち「いやだと言っても愛してやるさ」にすりかわったりして。
かつてこれほど強烈な眠気と戦ったことがあるだろうか、いやない。