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あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記
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[あけてくれ]

●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。

●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。

●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。

●敬称略。

●リンク・パクリは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。

●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。

●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。

●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。この日記は一種の羞恥プレイです。


始末書詫び状領収書の書き方をお探しの方ははてなアンテナの質問を参照してください。

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2001年01月31日(水)


今日の頭音「Side Winder」Lee Morgan

ドイツはミュンヘンからファンレターをもらう。ありがたいことです。知人です。

市民税37,000円也を払いに行ってから出社。取りにきてくれ。

ニュートラルにこれまたきんどーさんが。おやっさんから「小遣い帳つけろ」と言われる。日記にこれ以上恥さらしを書くのはまだちょっと気が引ける。カネゴンしこたま酔う。後から知人のお姉さまが入れ違いで来たらしい。

CD-ROMが家にない。しかもPHSのカードまで見当たらなくなってしまった。だから外すの怖かったのに。最近またなくしものが多い。南無阿弥陀仏。

もうすぐ春である。カネゴンは春が苦手だ。脳みそがとけていきそうなあの感じ。もっと言えば、春夏秋冬どれも苦手だ。季節の変化がない方がいい。おやっさんには、寒さの厳しくないところの食い物なんてろくなもんじゃないと反対された。

「唯摩経」というお経があって、誰かが「すごく面白い」と書いていたので読んでみたら、確かにこれはめちゃめちゃ面白い。「超能力合戦」と誰かが言っていたが、これはむしろ道場破りの話だ。主人公の唯摩が、自分こそ釈迦の一番弟子だというのを釈迦の弟子たちが聞いて、それが面白くないのでやっつけに向かうがことごとく唯摩にこてんぱんにやっつけられる(論破される)。唯摩は自分の城にいるから、逆道場破りというか出張道場破られというか。最後の最後に館長じゃなかった釈迦が出てきたら、自分から頭を下げて帰依するという、そんな話。まさに大山倍達と富樫宣資のような話。あの聖徳太子も大ファンで、自分で解説書(三経義疏)まで書いたんだそうだ。そういうことを学校で教えて欲しかった。

今「唯摩経」で検索したが、どこにもテキストがない。2000年前の本なら、とっとと公開して欲しい。なるべく、あんまりカビくさくない訳で。英語で探せばあると思うけど、英語で「唯摩経」って何て言うのかがわからない。「ヴィーマなんちゃら」だと思うのだけど。

ハッカーはクラッカーか」。この話題がハッカーの間で盛り上がったとき、カネゴンは「どっかで見たな、こんなこと」と思いつづけていたが、やっとわかった。これは「空手バカ一代」で、極真会館の初期に「空手家は暴れ者だ」と近所の人に決め付けられて生徒を引き上げられ、倍達が必死で「空手は暴力ではない!」と主張していた、まさにあれだ。

カネゴン定義によれば、武道とは「理性を持った暴力」で、「単なる暴力」と根本的に違うにもかかわらず、素人には区別しにくいという特性があると考えている。「理性を持った暴力」というのは誉め言葉だ。素晴らしいことだ。同じように、クラッカーとは「理性のないハッカー」と考えれば、すべては氷解する。見た目の区別のしにくさも一緒だし、どちらも出発点は同じという点も一緒だ。そういう意味で、すでにハッカー道というものはある程度形成されているし(ただ、まだ「道」という自覚はないと思う)、ハッカーの世界でも大小さまざまな流派と師匠が百家争鳴している。もちろん道場破りもいれば用心棒(ネットワーク管理者)もいる。コンピューター世界の大山倍達的史観。

あほなこと言っていると思うが、意外にハッカーと格闘家には共通点が多いのだ。自分の技だけを信じるというアイデンティティとか、いろんな格闘技の長所を取り入れるジークンドーのような鍛え方も似ている。極真の使徒たちが、万年塀に穴をあけたり水がめを割ったり車を飛び越えたりするのと同じように、ハッカーたちもいろいろ無茶したり、日常のセキュリティの穴を喜びを持って破る。ちなみに、カネゴンはジークンドーを「メタ格闘技」と定義している。ブルース・リーの当たり役「グリーン・ホーネット」でのカトーを指して「Kick like a Kato」とまで英語(の格闘技業界)で慣用句化しているが、それをもじれば「Hack like a Kato」となるだろうか(カネゴン説明長すぎ)。

不思議なもので、武道と同じく、凄腕のハッカーほど「自分は凄くない」「もっと凄い人がいる」と思っている。そいつを倒そうと思うかどうかは別問題だけど、これは間違いなくそうだ。ハッカーとは尊称で、でなかったらそう呼ばれてしまうもので、自分で名乗っては意味がないのだ(またハッカーはそういうパラドックスが大好き)。自分からハッカーと名乗る人に間違いなくろくなものはいないと、武道の観点からも納得できる。

その意味でもハッカー道の確立は急務である。当然「世界格闘技大会」に匹敵する会もとっくに催されている(ネット上で)ハッカーの、どこに行っても変わらないその生活スタイルは、ある意味常に山ごもりしているようなものなのだ。後は大山倍達に匹敵するスターが登場するのを待ちたい。誰にでもわからないとスターではないので。そして極真のような町道場をがんがん設立するのだ。牛のような暗号をも一撃で撃破するという伝説が必要だ。ブルース・リーのように圧倒的にかっこいい(見た目の問題ではなく)ハッカーの登場が必要だ。「キミも鍛えれば私のように(コンピュータに)強くなれる!」と布教に励むハッカーの導師が必要だ(おれカネゴンってば)。IT革命とやらでもっとも欠けているのがこの視点だ。通信教育で達人になれるわけがないのだ。

今頭の中で回っているリー・モーガンの「Side Winder」という曲は、何ともいえずかっこよい。何と言うのだろう、「不良」っぽさがたまらない。しかも頭が切れてもてまくって腕っ節も強そうな感じ。ヒロシとトオルというか(そうか?おれカネゴン)。「(音楽)学校で習いました」みたいな学生臭さがこれっぽっちもなくて、いい。カネゴンにもっともない要素だから好きなのかもしれない。

高校生無頼控。でもカネゴンは基本的にこの校長先生に賛成。惜しむらくは裏庭でこっそりやったほうがいい。騒ぎ立てる婦女子に何を言っても無駄だ。南無阿弥陀仏。

カネゴンは何であんなにたくさん雑誌を買っているのか、しかもネットでこれだけいろいろ読みながら。それはきっと、いつでも牛を殺せるように鍛えていたのだ(本当かおれカネゴン)。親指だけで逆立ちができれば牛は殺せる(実際は2本指だそうですが)。M1号がいつも柔軟体操を欠かさないように、緑の恐怖がギターにいつでも触っているように、カネゴンはわけのわからないものを切磋琢磨している。とはいうものの、カネゴンはタクシーに乗りすぎだったのは間違いない。今後タクシー代は減らします。

M1号がものすごい詩を書く。カネゴンも負けずにタイトルを変える。こういうのも切磋琢磨というのだろうか。

玩具メーカーのタカラも携帯から操作できるロボットを開発。カネゴンの知人のとある女性は、ターミネーターが死ぬほど怖いのだそうだ。もちろん映画とそのストーリーはちゃんと評価しているが、もし現実にターミネーターがいたらと思うと夜も眠れないとのこと。ロボットには理屈が通じなさそうだからという的確な自己分析つきで。特に一作目で、機械にはさまれて上半身だけになってもターミネーターが這って追いかけてくるのがたまらなく怖いのだそうだ。だからT2は全然怖くないらしい。

もうじき、こうした「ロボット恐怖症」は現実のものとなるであろう。カネゴンは死んだらキョンシーになりたい。そしたら300年かけて数学を勉強する。

あの小池一夫もターミネーターがものすごくお気に入りらしく、一時は自分の原作マンガほとんどすべてにターミネーター状のものを登場させていた。特に、ターミネーターにゴルフをやらせる怪作「クロマティ・ハラショー」は、小池一夫が自分の好きなものを二つも導入している。あと小池一夫のお気に入りアイテム「ヒトラー」も導入すれば、焼肉とすしとケーキの食べ放題みたいな趣になるであろう。

「意外な職業病」というコラムが、大昔カネゴンがよく読んでた「OMNI日本版」に載っていた。バイオリニストはあごの骨を痛めることが多く、ギタリストは片方の乳首が擦り切れるのだそうだ。本当だろうか。カネゴンのようにわけわからない切磋琢磨をかますと脳に損傷を受けるのだろうか(それのどこが職業病かおれカネゴン)。

そういえば、中学校のときバスケ部で練習していたら、足がからまって後頭部を思い切り床にぶつけてしまったことがある。そのときはうずくまっただけだが、2時間後ぐらいに吐き気がしてきて保健室で寝込んだ。今から思えば、マジで危ないところであった。

パスカルは死後解剖で脳にざっくり傷が入っていたことが判明したという。実はカネゴン、去年落ち込みが最高潮に達したときに、病院に無理やり頼んでMRIで調べてもらったことがある。結果は、ちゃんとしたシュークリームのようにむっちりと詰まっていて何の問題もなし。またしてもいらぬ心配をしてしまった。でも写真をくれと言ったら断られた。けち。月面写真みたく部屋に貼ろうと思っていたのに。

かわいい愛車(スティービー・ワンダー)。そういえばカネゴンは自分の持ち物に名前をつけない。カネゴンにとって一番大事なものは「眼鏡」だ。眼鏡がないと本当に生きていけない。危なくて風呂にも入れない。

自分のPCには管理上名前をつけている。宝塚にならって「花」「鳥」「風」「月」「夢」「星」「空」としている。タイプ量が少なくていいし、これ以上PCを増やさないという決意の顕れでもある。

コンピュータを管理するときに、惑星の名前をつけるというのはよくある(Jupiterとか)。カネゴンは名前を考えるより、そういう名前付けのシステムを考える方が好き。ガラガランダー!はどんな名前を授けるだろうか。作曲家の名前をPCにつけていたお客さんがあって、カネゴンそれには結構感心した。「今日beethovenが死んじゃってさー」などと会話したものだ。一つだけ「Gaudi」とあったが、それは建築家ではないか。今の職場では、いつの間にか「自分の好きな酒の名前」をPCの名前にするということになっている。

ついに見つけた。「ドラム」じゃなくて「太鼓」で検索しないといけなかったのだ。

表現論サマーセミナー(1982.Aug20-23)大町市 世話人河添健・鳥井新人 浦川 肇 有限鏡映群とラプラシアンの境界値問題 ―― 4次元以上の太鼓の形を 音で聴き分けることはできない――

そこからこれを見つけた。4次元以上であることが重要であるようだ。四次元ドラム。一見言葉の遊びみたいだけど、ちゃんと研究している人がいるのだなあ。とりあえずカネゴンには名前をつけることしかできないので、「RS/CW暗号」(リンゴスター/チャーリーワッツ)と名づけよう。それから基本的なドラムの解析手法。当然ながらフーリエさん大活躍。あと数学のいずみ。とてもいい仕事。

昨晩読んだSoftware Designによると、素人が星の数ほど暗号理論を発表していて、うっかり国が検証なしで採用してしまってえらいことになりかかったりしたのだそうだ。ミステリーファンの人口を考えれば、さもありなん。暗号なら入札も談合も少ないだろうけど、きちんと検証できる人がいないとえらいことだ。手抜き工事かどうかすらわからないという情けない状態。早く光子力極真研究所を作らないと(まだ言うかおれカネゴン)。

しかも、暗号を専門にやっている機関ですら、発表したとたんに他の数学者たちから鋭いつっこみを入れられて、翌日にはおじゃんになる(分厚い反論が作成される)ことすらあるのだという。まるで百人組み手だ。だったらカネゴンが間違っていても大して問題ではないですね。暗号は「ハッカー」という呼び名とちょっぴり似ていて、自分で自分が安全であると保証することはできない(というより意味がない)という困った(面白い)特性がある。

いったいどこへ行くのかおれカネゴン。それでいいのかおれカネゴン。

ナレーション: 納谷五郎

何と、隣の席の方から、2.5inch HD 6GBをただでもらう(NEC LaVieから抜いたもの)。ありがたいことです。まともに買うと3万円はするしろもの。

問題は、CD-ROMドライブとPHSのカードと、LANカードのアダプタ(本体しか見当たらない)がどこにいってしまったかということだ。ぼやぼやしているとおやっさんがメールをチェックできない。今夜がんばって片付けるか。

2001年01月30日(火)


今日の頭音「ハングマン」の終りの歌、「少年徳川家康のテーマ」

あるMLに、「アクセス数が増えないとクビになりそうなんです」という泣きとともにURLが。「http://www.qfront.co.jp/ayubihs/top/index.html」だそうです。安全だという根拠はどこにもないので、PCがどうなってもいい人はアクセスしてみてください。我が家で見た限りでは何の変哲もなさそうですが(カネゴンはJavaとJavaScriptは常にoffにしています)。

ThinkPadの内蔵HDを見つくろいに新宿に寄ったら、結構いい値段する。なぜか自分のPC用のメモリーを、しかもバルク品で購入(128MBで5000円、信じられない)。必要なファイルはバックアップしたので何とかなると思います。今から取り替えます。麻酔。

(以下内輪ネタですみません)メモリーが64MBになっていたのはメモリーが外れていたのではなく、カーネルパラメータを渡していなかったのが原因だったことが即座に判明。カネゴンまたしてもサイドブレーキを引いたまま走っていたらしい。128MBのDIMMを追加してから、append="MEM=256M" を/etc/lilo.confに追加したらあっさり256Mを認識してくれた。万歳。これで明日からスワップに悩まされることもなくなる。PCの蓋を開けたら、急にファンの音がうるさくなったので、もう一度蓋を開けて電源ファンを取り外し、そのネジを外して掃除機でホコリを全部吸い取る(なおマザーボードに掃除機は厳禁です、冬場は特に)。見違えるように静かになった。気分は最高。

ふと、起動時にBIOSでメモリーが262Mと表示されていたのを思い出し、lilo.confを262MBと書き換えて何の気なしに再起動したら...起動しなくなった! 起動中にカーネルパニックになるのだ。どうやらメモリーの指定が大き過ぎたようだ。liloを元に戻さないと。しかし運悪く、手元の起動フロッピーは、いつぞやの実験のおりに全部FreeBSDの起動ディスクになっていた。カネゴン大ピンチ。

しょうがないので、DebianのCD-ROMから起動し、インストーラからシェルを起動して何とかしようとするが、viエディタが入っていない。入っているのはaeエディタだけで、しかもどういうわけかコロンが入力できず、編集しても保存も終了もできない有り様。ここで慌て癖を発揮したらおしまいである。カネゴン呼吸を整え、精神を統一して、一度トイレに行ったらひらめいた。もう一度再起動して、bootオプションで「rescue」を選択し、プライマリのパーティション/dev/hdaをマウントし、そこから/sbin/liloを実行。さっき保存できていないと思ったlilo.confはなぜか保存できていたので、念のためその場でファイルの複製を取っておく。そして再起動して...成功。危ないところであった。

問題なく使えるようになったが、なぜかファイルシステムが「使えないセクターがある」みたいな不気味なことを言っている。fsckをかけないといかんのだけど、シングルユーザーモードにする方法を忘れてしまったので、しばし考える。何はともあれ、とりあえずはこれでよし。Netscapeで100k近くもあるファイルを開いてもスワップしなくなり、スクロールの時にもハードディスクがカリカリ言わなくなった。これだけアプリケーションを開いて、物理メモリがあと半分も残っているなんて。ありがたいことです。

そのエラーもほどなく解消。CRCエラーは、UltraDMAを使用していて、かつIDEのケーブルが長めのときによく発生するのだそうだ。FAQのホームページをごっそり吸い上げてあったので、通信せずにたいていのことは解決できる(でも新しめのことには弱い)カーネルコンパイルのオプションでDMAをデフォルトoffに設定し、make dep;make clean;make ziilo;make modules;make modules_install を実行。コンパイル完了まで10分かからない。いい時代になったものだ(昔は半日かかるものだったらしい)。不気味なエラーも見事消えた。まんせい。

速見さんからケラについて教えてもらう。ありがたいことです。そう言えば前にも教えてもらったような気がする。役者なのか音楽関係なのかがかなりよくわからなかったので、参考になりました。うまく言えないけど、80年代ネタの繰り出し方がやけにマゾな気がする。それとも本気なのだろうか。

昨晩、Javaでニュートン・ラフソン法をスクラッチで書き起こしてみた。自分用のテンプレートを作ってあったし、たった6行とは言え、カネゴン生まれて初めて一発でコンパイル/実行に成功した。精度とかかなりいい加減に作ったけど、たった6回ループを繰り返しただけで解が安定した。電卓でルートを検算しても表示桁と完全に一致。何てよくできた式なんだろう。こんなに簡単なプログラムで平方根が求められるんだったら、4004でも十分実用になるわけだ。

夜のうちにいっぱい書いておけば会社であんまり書かなくてすむだろうか。明日どうなることやら。

今更カネゴンが言うことでもないのですが、ワールドカップのチケットはデジタルBSより高値を呼び、闇商売の人たちがこぞって偽造に励むだろう。

市民税をまたしても請求される。この間払ったはずなので問い合わせたら、もう次の期なのだそうだ。このあとにも1期分払わないといけないし、毎回4万円近くも払うのはカネゴンにとっても楽ではない。払ってもいいんだけど、うちまで取りに来て欲しい。ラーメン屋だって富山の薬売りだって取りに来てくれるのに、市役所にはサービス業という自覚が足りない。粗品はいりません。

「Microsoft Diary」を導入する。ただの手帳なり。でもそう書いてある。シャレではなさそう。しかし問題は、家にある日経サイエンス付録のカレンダーとの同期処理である。コンピュータは大好きだけど電池嫌いACアダプタ嫌いのカネゴンとしては、PDA導入はまだ先のことである。かなり遅くてもいいから、この間書いた空気電池みたいなので駆動してほしい。

モビルスーツの次は鎧カブト。ペンタゴンもよく続くものだ。こういうものは、後で鑑定団に出したときに高く売れるように、超一流のデザイナー、職人を贅沢に使い、気が遠くなるような精密な金細工を全面に施し、漆やヒスイやそういう高級感あふれる素材を惜しげもなく投入して、もったいなくて戦えないぐらいのものにするとよい。それが未来のアメリカの財産になる。迷彩色を追求してうっかり侘びさびの味わいが出てしまったら、中島さんも大喜びだ。

うそだと思うなら、日本刀がまさにこの現象を起こしてコレクターズアイテムになり、よいものほどもったいなくて戦いに使えなくなったという歴史から学ばないと。当然、よろいの顔面には、あの怖い顔当てが「くわっ」と口を開くような設計にすべし。子供が泣くぐらいの仕上がりがちょうどいい。ダースベイダーと間違えられたら元も子もないので、ひとっかけらも子供や婦女子に媚びない、ちびりそうなぐらい恐ろしいデザインにすべし。それを着た人間が、間違ってもコミカルな動きができないように、死ぬほど重量感たっぷりに作ること。ハイテク装備の重量を合計すれば自動的にそうなるだろうけど。

そして数百年後、アメリカの上流階級の家で、お手伝いさんがうっかり骨董品のハイテク鎧を欠いてしまい(反陽子砲をぶっ放してしまう、でも可)、主人に手打ち(銃殺)に処され、夜な夜なお手伝いさんの霊の声がハイテク鎧の中から聞こえてくるようになるだろう。でなかったら、山岡士郎みたいなのに危ういところを助けてもらうか、そのどっちか。

カネゴンがガンダムをあまり好きになれなかったのは、きっと色使いに侘びさびがなかったからだと、そう思うことにする(子供は普通そう思わんおれカネゴン)。量産ザクの方が侘びごころあり。

賭けてもいい。これは一年、いや半年以内に日本のTV局が真似する。そしてどんどん世の中がプラレス3四郎化していく。未来はこんな形でやってくる。近未来を最も的確に予言したのがまさか牛次郎だとは誰も思わなかっただろう。SF関係者はそのことをもっと恥ずかしがっていいと思う。もしアメリカのTV局が難癖つけてきたら、プラレス3四郎に牛次郎もつけて見せてやればよい。近々「プラ3」(牛次郎の公式ページでこう略されていた)が文庫になるらしいので、カネゴン必ずや買う(マンガ喫茶にせえおれカネゴン)。

通勤中、久しぶりに黄色い雪を見かけた。フランク・ザッパの教えでは黄色い雪を食べてはいけないそうだ。かなりオレンジ色に近く、糖尿の薬でも呑んでいたのか。

ド根性科学をこよなく刺激する東大の研究室

助けてー。

スタイルシートでここまでやれる。作者は大学受験前なのだそうです。脱帽。

2001年01月29日(月)


何だか最近「空手バカ一代」がよく回る(頭の中で)。

目を覚ますと、目が異常に凝っていた。人に言えない作業Part2のせいだろう。カネゴンはPCを使用中は絶対に目を近づけられないようにセッティングしているので長時間も苦にならないのだけど、ノートに何か書くと途端に姿勢が悪くなり、目にこたえる。あわてて中国秘伝の目玉の体操(すごく昔の「子供の科学」に載っていた)を付け焼刃で実施。危ないところであった。

電車の中吊り広告で「親子三人で一日700円で過ごす秘訣!」というのがあった。五穀断ちでもしているのだろうか。親が腹を減らすのは勝手だけど、子供にはせめて腹いっぱい食わせて欲しい。

今度こそ日記を減らす。このままでは本当に仕事に差し支えるので。

カウンタが8333と「アラシ」になっていた。この間8000超えたばかりではないのか。不可思議(シュワのターミネーターが「Negative」と答えたあのニュアンスで)。

ルパンと対決するのだろうか。カネゴンの家には「ルパン対クローン人間」のLDがある(なぜだおれカネゴン)。白木みのるがかまやつひろしのズラを被って登場し、梶原一騎と赤塚不二夫が声優でゲスト出演(本当)しているこれを見ても、クローンする気になるだろうか。子供が欲しいならあっせんすればいいのだ。隠すから闇商売ができる。きちんと子供あっせんのインフラを作ればいいのだ(定期的な監視は絶対に必要だけど)。クローンの後ろめたさをなくすより、子供あっせんの後ろめたさをなくす方が楽なんだし必要だと思う。

ついにこうなるのか。ISDNも何だか昭和生まれの悲哀が感じられる。

ヒポクラテスの医学書をひょんなことから手に入れた。これがめっぽう面白い。しかも笑える箇所も多数あり。

「老人はもっともよく絶食に耐える。幼児は最も絶食に弱い」

「スポーツマンは、あまりベストコンディションが続くとかえって危険である。競技が終わったら速やかにクールダウンしないといけない。」

「未婚の乙女は、しばしば発狂する。最善の治療法は、結婚することである」云々。

あとヒポクラテスじゃなくてアリストテレスの本にあるらしい(読書猿によれば)けど、「死にかかった人間と、イッた瞬間の男は、なぜか同じように白目を剥く」とあり、映像として素晴らしい。しかもペーソスに満ちている。

医療関係者が必ず唱えないといけない「ヒポクラテスの誓い」に、「私は女性に堕胎器具を渡しません」とあった。確かに素人にやらせたらとんでもないことになりそうだ。ぶるる。

今月号のLinux MagazineでのLarry Wallのインタビューで、「地球

制服」という変換ミスがあり、しかもそのまま10回ぐらい繰り返されていた。

怒りのアフガン。この地域では、「燃えよドラゴン」とか「ランボー怒りのアフガン」(本当)のような映画がなぜか当たるが、こういうのが当たるのは珍しいかも。「地上最強のカラテ」を輸出してみてはどうか(まだ言うかおれカネゴン)。

かつて倉田保昭が真剣に嘆いていた。「日本映画は、海外の市場を何一つ調査しないで映画を作っている」と。こんだけマーケティング屋がいながら、なぜ日本映画だけすっぽり抜け落ちているのだろう。カネゴンもそう思う。ナニワ金融道を読むと、パー券同様に扱われている映画のチケットがふびんに思える。そりゃ売れるわけない。

このページを見てちょっと反省。というか、ケラって何なのでしょう? カネゴン、ケラについてほとんど何も知りません。このページを見て、ますますわけがわからなくなった。

人に言えない作業とか書くと、爆弾でも製造しているのか、とか、死体でも解体しているのか、と思われてしまいそう。まぎらわしいので今後は単に作業と書きます。それにしても今日も書いてしまった。仕事は進んでいるからいいようなものの。

2001年01月28日(日)


今日の頭音「鑑定団の鑑定中のテーマ」

またしても終日人に言えない作業。風呂に入り忘れないようにしないと。

カネゴンはTV東京の「何でも鑑定団」が大好き。力一杯持ってきた掛軸が「2000円」とか言われてがっくり肩を落す依頼人に島田紳介が追い打ちをかけるのがたまらない。単に骨董品だけではなく、プロ野球やマンガや音楽やいろんなものの成果を「思わずちゃんと評価している」のもいいし。

TV東京で、経済学者のピーター・ドラッカーのインタビューが流れていた。カネゴン、これまで経済学というものにこれっぽっちも興味を持ったことがなかった(「経済」と書いて「お金を余らせる」と読んでいたぐらい)けど、この人は全然まともだと思った。カネゴンの中ではドラッカーが、白川静と同じチョモランマの高さに一気に並んだ。どこの国にも本当の学者はいるものである(カネゴン起きなさい)。ヒデキ指数=120(カネゴンほんとに何にでも適用するのう)。あまりに人間のスケールが違い過ぎて、ゲストもインタビュアーもかわいそう。

そのドラッカーが「いつか日本は移民を受け入れなければいけない」と言っていて、カネゴン手を叩いて喜ぶ。その通り。いつまでも日本人だけでやっていけると思わない方がいい。どういうふうに受け入れるかはもうわかりきっている。「留学生を増やす」「留学しやすくする」「留学したくなるような国にする」、これしかない(誰か止めろよおれカネゴン)。経済うんぬんもITもそのついでだ。文化人類学者と民族学者と遺伝子学者は今のうちに研究を進めておかないと。今横浜市鶴見区では、スペイン系のチーマーが大暴れしているのだそうだ。

ああ、カネゴン何を書いているんだろうか。別に落ち込みはしないけど、やっぱりカネゴンどこに行ってしまうのか見当がつかない。誰に相談したらいいのだろう。教えて欲しい。「宇宙の騎士テッカマン」があの変な棺桶に閉じ込められて悶えているような心持ち。

いったいどこへ行くのかおれカネゴン。それでいいのかおれカネゴン(納谷五郎のナレーションで)。

人に言えない作業をしていたら、突然X Window Systemがダウンして画面が黒くなり、カーネルパニック。実に久しぶりである。問題なく再起動できたからいいんだけど。カネゴンは10秒に一度保存を実行してしまうほどの保存好き。コントロール+Sはもう無意識に押してしまう。おかげで、保存し忘れで致命的なことになったことだけはない。

原因ははっきりしている。Netscapeに、ちょっと矛盾のあるHTMLファイルを喰わせると、NetscapeがX Windowを巻き込んでダウンしてしまうのだ。XMLブラウザより派手なエラーの出方。

「あけてくれ」でGooで検索すると、こんなものも見つかる。「ひとみの妊娠日記」なんてのもあった。

特命リサーチリサーチ。海外旅行うんぬんのような婦女子ネタはどうでもいい。ツチノコ、久しぶりに聞いた。こういう生き物はぜひいて欲しいものだ。カネゴンとしては、矢口高雄の地元に伝わる「バチヘビ」と呼びたいところ。爬虫類には双首の奇形が出やすいという話は何だかすごくいい。やまたのおろちとかキングギドラとか。でもその後の進化論の説明はそれ自体が年代ものというか化石に近い。おやっさんが見たら激怒するだろう。南無阿弥陀仏。とはいうもののこれはいい特集。森本レオの演技もひとり勝ち状態。カネゴンは、突然変異の原因は複数あって当然という気がする。次週はダイエットがどうたらこうたらで、カネゴン婦女子ネタに盛り下がる。そんなものは「あるある大辞典」にでもやらせておけばいいのに。きっと来週は見ない。

なお、矢口高雄の絵は何だかすごくエッチくさくて、なぜそうなのか全く説明できないのだが、そこがたまらない。本人も気がついていないと思うけど、きっとその方がいい。

2001年01月27日(土)


今日の頭音「キックの鬼」

ニュートラルでThinkPad復旧をはかるが、うまくいかず持ち帰ることに。帰ってきたThinkPad。

ニュートラルにM1号、巨大フジ隊員が続々集結。金曜日なのに盛り上がる。帰りは車2台という豪華な御一行様になってしまった。いつもいつもすいません。帰り際に、M1号から紙のプロレスの「大山倍達とは何か?」という本を貸してもらう。ヒデキ指数=120。素晴らしい本だ。特に、K-1の創始者があの芦原道場の一番弟子だったというのはカネゴン初めて知った。今も読んでいる。まだうまく説明できないが、事実と真実はまったく違う概念であるということを改めて思い知らされる。「The Saga of Karate fool」は間違っていないと確信。ただ、インタビュアーの中に多少無礼者がいるのが気になった。格闘家にものをたずねるときはもうちょっと礼をつくしてもいいのではないか。腰が引ける必要もないけど、ちょっとなれなれしい。

ニュートラルでは「プリンセス・モノノケ」をやっていた。この人は、梶原一騎よりも大山倍達よりもユーモアのセンスがなくなってしまった。

それからまた人に言えない作業。外は大雪。ハードディスクは今度買いに行こう。

カネゴンは、「技術は、いつかはあまねくすべての人に行き渡る」という信念がある。おやっさんのアドバイスにより、そこに「ただし安っぽくなって」というのを追加する。

最初は一部の人のところにだけ、その技術がある。しかしそれがいつしか普及し、広がって、誰でも手に入れられるようになる。

ここで言う技術は、音楽でもコンピュータでも伝統芸能でも絵画でも格闘技でも犯罪でもすべてそうだ。どんな技術も、いつかはみんなのものになってしまう。犯罪の技術なんかは本当に極端で、誰かが新しい手口を思い付くと、梅毒よりも素早く、あっという間に国境を超えて世界中に広がるという現象を何度も見かける。ワインの入った紙袋をもってわざと旅行者にぶつかって弁償させるなんてのもそうだ。

伝わる速度に多少違いがあるものがあるし、オリジナルの凄さが広まったものに見出されることもめったにないが、しかし確実に伝わる。たまにグレイシー柔術みたいな現象も、もちろん起きる。ロシアでは長らくオンボロのコンピュータしか使えなかったために、異常に効率のいいアルゴリズム(算法)が開発されたりするようなことも起きる。

事実と真実はどう違うのだろう。これは単に辞書を引いても解決できる問題ではないような気がする。「大山倍達とは何か」でこれについて前田日明がすごくいいことを言っていた(プロレスそのものはよくわからないけど)ので、しばらく考えてみる。数年後をお楽しみに(っておれカネゴン)。

夢枕漠が同書で、「新約聖書と空手バカ一代は同等(equivalent)である」と、ものすごく正しいことを言っていた。正確には新約聖書の「福音書」だが。カネゴンは夢枕漠についてはどういう人なのかはほとんど知らないが、これはカネゴンのヒデキ指数をさらにアップした。カネゴンの人に言えない作業に大きく反映されることは間違いない。ベルトのゲージが頂点に達する日も近い(おれカネゴン、起きなさい)。

おやっさんのアドバイスに従い、「緑の恐怖殺人事件」でカネゴンが朗読する日記を別に執筆することにした。お客さんのためにも、日記にはこれまで書かなかったことに絞るつもり。幸いネタにはまったく困らない。むしろ読み切れないほど書いてしまいそうで怖い。後ろに流すBGMはすべて手元に揃っている。お客さんには「カネゴン用語集」を配布して理解を助けよう(悪化しとるぞおれカネゴン)。カネゴン、アドリブのしゃべりはまったくダメだが、これならできそうだ。まったくおやっさんの目のつけどころにはほとほど感心する。

もう一回分ぐらい書いてしまった。この10倍も書いて「あけてくれ」メンバーにセレクトしてもらおう。自分ではわからないので。

1月21日の日記を少し書き直した。おやっさんのアドバイスの意味がやっとわかった。

カネゴンはやっとわかった(え?)。科学者にとっての「極真会舘」を作らねばならないということに。日夜必殺技(数学、実験、理論)の鍛錬に励み、「キミぃ、熊と戦ってきたまえ!」と館長に言われたら「押忍」の一言で熊に立ち向かいに行く弟子(使徒)たちのように、「キミぃ、光の速度を追い抜いてきたまえ!」と言われたら「押忍!」の一言で敢然と光の速度を落す研究に励む、そういう環境が必要だ。カネゴンは冗談で書いているのではない(...)。問題は、山ごもりで数学の勉強はできるが、山ごもりで実験はできないという点だ。

ちなみに、極低温である条件を整えると、光が秒速1メートルにまで速度を落すという実験についこの間誰かが成功したばかりである。いずれ光が静止する日も近いのではないか。

深町丈太郎も好きな「大草原の小さな家」を久しぶりに見る。何だかアーミッシュの村で意地悪ばあさんとローラが対決していた。ブラボー。

教育TVで、人体の驚異みたいな番組をやっていて、低体温法について説明していた。人間は怪我をすると、ホルモンの分泌が変わっていったん血圧も体温もかあーっと上がり、ホルモンが切れると体温や血圧を下げて治療モードに入るのだそうだ。これっておそらく、こういうことなのだろうか。

人間が大怪我をするときは、単純な事故でなかったら、たいてい戦っているときだ。怪我をした途端に体温が下がっていたのではやられてしまうので、早く決着をつけるために身体機能をフル回転させて戦い、それが終ったら体温を下げないと治りが悪くなる、みたいに。何分間戦闘モードが続けばいいのかは状況によって違うけど、身体にそれを教えるわけにもいかないから、だいたい3分ぐらいにハードコードされている感じだろうか。ウルトラマン的解釈というか、カネゴンはブラックジャックとヒポクラテス以外に医学書を読んだことがないので全然適当なこと言ってます。

これまた教育TVで、江戸時代の遊女(プレイガール)の姿を描いた屏風画(国宝)が映し出されていたが、これって現代ではもう成立しないのだろうか。歌舞伎町や新宿3丁目のお姉さまお兄さまの姿を生き生きと屏風に描いたらどうなってしまうのだろう。すごくうまければ許してもらえるのだろうか。

「大山倍達とは何か?」での心暖まるエピソード。前田日明がモスクワに行ったときに部屋に押しかけてきたプレイガールがものすごく日本語がうまく、「あたしこの人達全員知ってるよ」と見せてくれたのが名刺の山で、何と日本のそうそうたる格闘家の名前がずらり。もちろん前田はジェントルマンなのでそのエピソードだけで満腹した。まさかモスクワで日本の格闘家が軒並み制覇されていたとは。

カネゴン、最近書いている内容がだんだんデンジャラス(ある中学生は「ダンゲロス」と思いっきり発音した)になっているような気がする。川内康範好きをカミングアウトして以来ある意味腹が据わってきて、それはそれでいいんだけど、どこに行ってしまうのか、自分でもさっぱりわからない。誰に相談すればいいのやら。かといってエッセイが書きたいわけでもない。

2001年01月26日(金)

今日の頭音、なぜか「ドレミのうた」しかもSound of Musicのオリジナルバージョンで。

またまたしても家から間違って日記を送信してしまった。今戻したからいいようなものの。家から一発で送信するためにシェルスクリプトを書いて実行できるようにしていたのだが、それが手癖になっているらしい。

ニュートラルに行くと緑の恐怖が。「The Saga of Karate fool」はさすがに違うんではという鋭い突っ込みが。何だか打ち所が悪くて、熊と戦っていることにも気が付かない「かわいそうな人」という感じだとのこと。うーんなるほど。そこまでは気が付かなかった。思わずカネゴン大笑い。

しかし後から思えば、これは「空手バカ一代」のニュアンスとしてますますふさわしいような気がする。大山倍達(ただし現実のではなく、空バカに登場するバーチャルなマス・オーヤマ)なら、「Karate crazyではない! Karate foolだ!」と言いそうなので。「Karate stupid」というと(文法は間違ってますが)ちょっと間抜けな感じになってしまいそう。

空バカ好きなら一度は通る道だと思うのですが、大山倍達の「世界ケンカ旅行」などの一連の著作を見ると、「空手バカ一代」の大山倍達像とかなり異なっているのに驚かされる。自伝の方では、かなり好色かつ暴れん坊なニュアンスで、空バカの感動的なエピソードも、実際には風俗帰りに襲われたとか、そういう感じで描写されていた。「女の肌が恋しい」という感じは少なくともひしひしと伝わってくる。

実際の大山倍達の家の壁には「目標のためには馬鹿になれ。汝は世紀の大馬鹿者だ」と自分で張り紙をしていたそうなのだ(デビュー前(?)の実話)。梶原一騎が感動したのはおそらくこの辺だと思う。そのイメージだけをふくらましてバーチャルな倍達像ができたのではないか。やっぱりカネゴン好きです、真剣に。

おやっさんによれば、ちばてつやはアントニオ猪木より強いとのこと。猪木を監禁した梶原一騎の原作にないことをマンガにして無事でいられたちばてつやは当然強い。カネゴン大納得。

カネゴンがニュートラルから帰った直後、おやっさんの(というかカネゴンの)ThinkPadがおっ死んでしまったらしい。電話で聞く限りでは、どうもハードディスクが飛んでしまったようだ。不吉な異音がするそうだ。やっぱり煙もくもくの環境はHDに悪いのだろう。しかし飛んだのが液晶でなくて何より。CD-ROM ドライブと Win2000 と新しいノート用HDを持って往診に行かねば。ちょうどHDを大きいものに変えようと思っていたところなので。英和/和英/国語辞書ファイルを大量に保存しておきたいという野望のため。しばらくおやっさんは通信お休みです。

今月の日経サイエンス(また買ったのかおれカネゴン)は「カーボンナノチューブ」特集。素晴らしい。カネゴンはこういう先端材料みたいなものは大好きじゃ(ヒデキ指数=90)。読めば読むほどド根性科学を刺激される(カネゴンは科学と技術をごっちゃにしていないか)。ナノチューブは、あのNECの基礎研究所で偶然発見されたのだそうだ。チューブの直径を変えるだけで、電気的特性が金属から半導体まで自由自在に変えられるというのが素晴らしい。問題は大量生産の技術。大量生産するだけなら、普通に炭焼きをやってもチューブはごっそりできるのだが、それをより分けるのが大変なのだそうだ。今は金(きん)の1000倍も高価なのだという。10年以内に、ギター・ベースにまでこの材料が使われるようになると予言しておく。応用ももちろんいいけど、でもこれによって量子力学の基礎研究が大幅に進歩しそうで、それもすごく楽しみだ。ある意味、ナノチューブは極微の量子力学的現象をナノサイズにまで拡大する装置であるとも言えるわけだから。ナノチューブの中を電子がどのように流れるかというのはまだ議論中らしい。他に「ボーズ・アインシュタイン凝縮のビジュアライズ」もよい。

「日経サイエンス」は金儲けの色が薄いのがよい。もちろん大国アメリカのポリシーが無意識に刷り込まれているというのはあるのだが、それはしょうがない。「Trigger」という新技術を専門にする雑誌があって、昔はカネゴン買っていたのだが、あっという間にベンチャー金儲け一発当てる雑誌に成り下がってしまい、購入をやめた。ヒデキ指数がマイナスにまで急激に落ち込む。失礼かもしれないけど、こういう人たちをだまくらかすのは本当に簡単だ(しないけど)。カネゴンは無数に方法を思いつく(だまされやすいのはおれカネゴンでは)。

ちょっと前に、教育TVでこんな実験をしていた。どこの家庭にもあるフッ素加工のフライパンを熱して水滴をたらすと、水滴とフライパンの間に水蒸気がたまって摩擦がゼロに近くなり、フライパンを回すと、水滴同士がまるで理想気体のように運動する。カネゴンこれを見ていたく感動した。これを立体化することはできないだろうか。宇宙ステーションでやってほしい。

君は天然色。そしてヒデキ指数=100に到達する記事

偶然見つけたコーラン全日本語訳。しかも検索機能付き。とてもいい仕事。日本聖書協会も見習うべき。たった今思い出したけど、Public Image Limited (PIL) の「Flowers of Romance」の一曲目は、もろコーランのパロディの唄い方だった。坂田明が昔このアルバムを指して「音程なんてどーでもいい、という次元で共感できる」と言っていた。カラオケに「コーラン」は入っているだろうか。アカペラだからカラオケにならないか。

すごくいいものを見つけた。音楽日めくりカレンダー。かなりジャンルを問わずに検索でき、しかもちゃんと作られている。今後愛用する。カネゴン「レイ・チャールズ」と「ブルース・スプリングスティーン」と「納所弁次郎」(「ももたろう」を作曲した人)と誕生日が同じだった。でも人名リストに「大伴家持」と「織田信長」「

安部譲二」が入っているのはどういうわけだろう。この人はキダ・タローかと思った。あとこの九州大のページも、つくりが丁寧で素晴らしい。

そういえば、昨日デロちゃんからメールをもらったような気がするのだが、メールはおっ死んだThinkPadの中で、もう読めない。

最近チェックしていなかったアレクサンドリア図書館に久しぶりに行ってみたら、なんとなくなっている。ちっとも知らなかったのだが、主催者の河上イチロー氏がトラブルに巻き込まれてサイトを全て廃止してしまったらしい。ここにあった「孫子の兵法」は知っている限り最もよくできた訳だっただけに、実にもったいない。ほかにもこの図書館にはいい文献がいっぱいあったのに。

ひまつぶし企画「あけてくれ」を(Googleで)探せ!(仕事しろおれカネゴン)。

なるべく関係なさそうなのをセレクトしました。適当につくったのでかぶっているかもしれません。

  • 清らかなる花.「オラクル…頼む目をあけてくれ…いつものように微笑んでくれ…。.
  • ... おいっ、ファレンの旦那!ねずみ駆除の仕事に来た! 今から扉をあけてくれ!!.
  • ... ステイゴールドが、なんか気になります。. 鞍上が熊沢重文だし、なんか穴をあけてくれそうなそんな
  • ... 紙面をあけてくれんか?という新名先生の依頼.
  • ... 瑞穂。会いに来たんだ。あけてくれ。」  息をのむ音がドアの向こうから聞こえたような気さえした。
  • ... みか? いるんだろ?あけてくれ!・・・早くあけてくれ!!!・・私は頭の中がパニック状態になりました
  • ... けるな、あけちゃダメだといっているのがわかります。目の前のドアからはあけてくれあけてくれと声がしています ...
  • ...あらいざらいうちあけてくれ そうすれば君を愛せるから  という嘘. ...
  • はないらしい赤ワインをあけてくれ、厨房の鈴木さんはカップケーキを2つ持ってきてくれた。マスターがどこからか
  • ... 閉めて歩くと、さっきまで寝てた猫たちが起きてきて、ドアーを”あけてくれあけてくれ’と騒ぎ出す ...
  • ... 次に古い民芸調の和ダンスに目を やると、中から声が 「あけてくれあけてくれ」 か細い声で訴えて ...
  • ... ごめん、つい。目の前に置いてあるこの一升瓶が、あけてくれ、早くあけてくれ、って頼むもんだから。」
  • ... サンジがナミにやるようなことだ。 ■ ルフィ > よし!これもあけるぞ!!あけてくれーーーー!(笑)
  • ... 岡本がそう訊ねてきたのが思いだされた。 「いまあけてくれなきゃ、夕食に間にあわないよ」「それがあけない理由 ...
  • ... さっそく仲の良い大麻臭い服屋のおにいさんにあけてくれと頼みました。.
  • ... とにかく、道をあけてください。」 「ううむ・・おい、みんな、道をあけてくれとよ!」
  • ... になるとどうも歯磨きが嫌いであまり口はあけてくれず、裏側の歯を磨くなんてとんでもない状態だったんで・・・(;_ ...
  • ... をあけて見ようとすると、老父はそのふたをあけてくれなと、合掌して止める。それでも郡吏がそれをあけてみると ...
  • ... をあけ、その後900万下に昇級。しばらく足踏みが続いているが、また穴をあけてくれそうな一頭。(HP開設時). ...
  • ... とまらないよ、ゼル。  目をあけて・・・  めを、あけてくれ・・・「ゼル、もういちど、愛してるって ...
  • ... と、あけてくれなと手を合わせて頼んだ。それにもかまわずに蓋をずらせ. ...
  • ... 誰があけるの? 誰もあけてくれなきゃ、知り合いに頼んじゃうぞ。
  • ... 大人の事情なんですけどね。 この番組半年あけないとでれないとか、1年あけてくれとか、いろいろあるのよ ...
  • ... 冷蔵庫をあけたら、智ちゃんがソーセージをとり、あけてくれと差し出す。私は、それを受け取らずに、あれこれ ...
  • ... おまえさんかえ」 「むむ、おれだ、おれだ。早くあけてくれ」と、外では小声で口早に云った。 お徳は急いで表の ...
  • ... もう穴なんか勝手にあけてくれ。」というようなすぐに許可が下りるような校舎でしたので ...
  • ... まじか。 全台、命釘が2まわりも3まわりでかい。この店はありがたいよ。新装やると他の台もあけてくれるもん ...
  • ... そして9時すぎに部屋まで来てオレをタタキ起こした、  カメラのために店をあけてくれって云ってな。」
  • ... ??? 男性はすぐに上への階段への道をあけてくれ、私と社長は9階へ。. ...
  • ... tomoちゃんも復活するし、今月はとてもいい月になりそうな予感はするんだけどな・・・梅雨だけはあけてくれ!!!. ...
  • ... 目はじっと信一を見ていた。  信一は桑原を見た。 「桑原くん、そこの戸棚をあけてくれ」 桑原は言われるままに ...
  • ... ああ・・・そうだな。サンキュー。」 「あっその前に健二その洋服ダンスあけてくれ!」「えっなんで ...
  • ... シャオ、シャオ!お願いだ、眼をあけてくれ!シャオ!!」.胸からの出血は酷く ...
  • ... 7時までやってくれ。 朝九時からあけてくれ。 祝日に図書館がやってないのはホント勘弁して欲しいね。. ...
  • ... どうでも葬式を出すまえにこの一件の埒(らち)をあけてくれと迫った。自分の家の宗旨(しゅうし ...
  • ... おまえさんかえ」 「むむ、おれだ、おれだ。早くあけてくれ」と、外では小声で口早に云った。 お徳は急いで表の ...
  • ... 面接のあとに、簡単な乾杯をやるから、夜あけてくれ」 っていわれました。JT、一次筆記試験、合格です。 「絶対に ...
  • ... 早く盆休み来てくれー!. そして、盆があけてくれー!. そうすれば、この暑さも少しはマシになるかも・・・。.
  • ... 薛平貴は扉の外で「ぼくだよ、君の夫だよ。扉をあけてくれ」と歌います。 王宝釧は扉の中で「さっきまでは ...
  • ... 消費♪ ほんとにもう最近の高校生はなかなか道をあけてくれへん(怒)!!「すみません ...

ドラマにありがちな、「お願いだ、目をあけてくれ!」というパターンがよく目に付く。今回は見つけられなかったが、「おじいさんが【扉をあけてくれんかのう】としきりに頼む」みたいなのがあって、カネゴン的にはこれがベスト。何にしろ、巨大フジ隊員が執筆中のシナリオのオチはこれでもう決まったようなものかもしれない。

たった今気付いたが、ThinkPad を復旧するのに最も問題なのは、プロバイダへの電話番号とPHS自身の電話番号だ。今日中に直すのは無理かもしれない。預かろう(ってカネゴンのや、それ)。

2001年01月25日(木)


今日の頭音、当然「太陽と戦慄 Part I.」、「銭形平次」(昔のシャッフルバージョン・クラリネットつき)

またしても間違えて日記を送信してしまった。Netscapeのキャッシュから復旧できたからよかったものの、危うく2日分消すところだった。父ちゃん情けなくって涙出てくる。しょうがないので、「邦題」の箇所にいろいろ加筆する。

自分で書いておいてナニですが、「Larks' tongues in Aspic」=「ラーメンにゴキブリのヒゲ」という解釈が当たりであってほしいとちょっと思ったりする。そうすると、この曲のPart I のサウンドの流れが、実はラーメンを食っている人の心理描写なのではないかと。最初おだやかにラーメンを食っていた(さまざまなパーカッションがおだやかに鳴りつづける)。いい心持ちでスープを呑み干していると、そこに何かを見つける(D.Crossのバイオリンが入り、一気に緊張感が高まる)、そしてそれが何かに気付いた途端に一気に怒りが爆発(Tutti)。案外もとはそういう卑近なモチーフだったのではないか。このタイトルはおそらく、ゴキブリではバレバレになるのでなるべく美しいものに置き換えたのだ(きっと違う、きっと違うぞおれカネゴン)。このシリーズに歌がないのも、それがバレないようにするためだ、きっと。

だいぶ前、カネゴンがとある女性と吉祥寺で呑んでいたとき、野菜炒めの片隅にチャバネの破片を見つけてしまったことがたった一度ある。その時は、思わず二人揃ってすごい勢いで手話で会話を始めてしまい、身振りで店員を呼び、素早く指さして手で×を作り、取り替えてもらった。騒ぎ立てては悪い(恥ずかしい)という思いの方が先に立ってしまった。なかなか「この店じゃあこんなものを客に食わせるのかぁ?」みたいな映画のようなことは言えるものではない(当たり前だおれカネゴン)。

昨日、職場ででかい屁をこいてしまい、静まり返った職場なので響き渡ってしまった。ぱらいそに逃げ込みたくなり、取り戻すのに一日かかる。しかしそれでも日記は書ける。

緑の恐怖が紹介してくれた日記才人、さっそくチェック。日記猿人というサイトが前からあるが、それの後追いだろうか。しかしカネゴン、カテゴリを見て迷う。「コミカル」(普通に書いてもそうなってしまう)「主張・こだわり」(どう書いてもそうなってしまう)ということになるのだろうか。

給料日であるにもかかわらず、今朝チェックしたら「なし」。振込み、のんびりしすぎである。こういうのって前日までにスクリプトを書いて朝9時ジャストにバッチ(処理)がガコーンと動き出して入っているものではないのか。なまじオンラインバンキングとかやるから、当日に出勤して「よっこらしょ」と振り込むからこういうことになるのだろう。いいんだけど。以前いた職場では、副社長兼経理担当者が思いっきり振込みを忘れていてパニックになったことがあるらしい(カネゴン入社以前)。

昨晩は珍しく自分の日記をさかのぼって見て夜3時半まで起きてしまった。以前は自分の日記を読み返すとぱらいそに行きたくなったが、今はかなりそうでもない。まっこと、人間の主観なんてどうにでもなるということであった。

何の自慢にもならないのだが、このかたわれの人が、そのカネゴンの職場にいた。グラフィック・デザイナーという触れ込みだったらしいのだが、雨の日に唐傘をさして下駄を履いてくる、完璧な頑固者であった。しかも愛嬌がこれっぽっちもなくて、カネゴンは正直言って怖かった。土曜日にアルバイトで出勤すると(最初アルバイトだったのだ)、たまたまこの人と二人っきりになってしまい、ものすごく気まずかった。その後、社内恋愛がどうしたこうしたで飛び出してしまってからはよく知らない(その後社内恋愛禁止令が出る)。カネゴンはブランドの知識は田中康夫の10万分の1もない。

そう、カネゴンは不思議でしょうがない。いったいみんなどこでブランドものの知識を入手するのだろう。映画秘宝にもTV Bros.にもそんなことは書いていない。教育TV で「ブランド入門 基礎編」とかやっているわけでもないし、「サルでもわかるブランド」とかいう本もないのに。

キャッシングの身分で「Linux Japan」「Software Design」「映画秘宝」を購入(一冊増えてるぞおれカネゴン)。映画秘宝はどんどん情報密度が過激になってしまい、全部に目を通すと死んでしまいそうになる。しかも、ほとんどの人が頼まれもしないのに勝手に書いているのに近い状態で、映画会社の広告などあってないような状態。今回の号では、包茎手術の次に「英会話」の広告が目につくようになった。「映画を吹き替えなしで見よう!」とある。

でもこの雑誌の読者は、日本語しか知らなくてもとっくに口真似ができるほど(意味を知らないまま)見まくっていると思うので、このマーケティング(「二番煎じ」の高級な表現)は、あんまり意味ないと思う。英語をしゃべれないことなんか全然気にしない読者層なのだから。「Don't think, feeeeel」と言えば即「ブルース・リー」と出てくるようなつわもの揃いだし、同じ口調で「Luke, use the force」と語りかけるオビワン・ケノービにダイバダッタの姿を見てしまう(それはやっぱりカネゴンだけ)。

その映画秘宝で「ユリョン(幽霊)」という韓国映画が紹介されていて、これはちょっと見たいと思ってしまった。死んだことになっている韓国海軍の幽霊部隊が、潜水艦から日本に核ミサイルをぶち込もうとするというストーリー(映画なんだからこのぐらいむちゃくちゃやって欲しいものだ)。紹介文を見る限りでは、かなりきちんと作られているらしいし。志村喬クラスの韓国の名優を押さえておいてくれればきっとすごくいい映画になるという予感。

カネゴンの人生の要所要所にデウス・エクス・マキナのように登場する、「嗚呼! 花の応援団」の薬痴寺先輩にちょっと似ている先輩がいる(性格はかなり違うが、カネゴンの心の度付きメガネを通すとそう見える)。この先輩のエピソードは数知れずだが、ごくごく当り障りのないことだけ書く。

先輩氏は、字幕のないビデオ映画を買ってきて、それを完全に意味がわかるまで繰り返し繰り返し見つづけることで体当たり式に英語を勉強したのだそうだ。そしてその語学力を手に、オーストラリアに渡ってヒッピーになり、海岸に自生するマリファナと戯れる日々となる(続く)。

昨日ちょっと書いた「リンゴ・スター暗号」について。いわゆる暗号を生成/解読するための方程式は、カネゴンのうろ覚えの理解によれば、一方向への演算は比較的簡単だが逆方向の演算がとてつもなく困難なものほどいいのだそうだ。普通よく使われるのは素因数分解を応用したもので、ある数が何と何をかけたらその数になるかを調べるのにものすごい計算量が必要になるという原理らしい。こういう一方向の特性という意味であれば、例のドラム関数(何と呼べばいいのか知らないのでこう呼ばせてもらう)は、また違う意味で理想的な一方向関数になるのではないか。ドラムを鳴らせば確実にその音がする(フーリエ級数として生成される)が、出来上がった級数を見てもとのドラムの形が推測できないのだったら、まさしくそうだ。しかしカネゴンは理論的な裏付けが極めて薄弱なので、誰か詳しい人にツッコんで欲しいものだ。

ついにきてしまった。ラオウの恐怖の支配とはこれだったのか(カネゴン起きなさい)。カネゴンは、これが民間に流出し、伝統的なヤクザや右翼や少年兵や山岳ゲリラが武装完了したときのことを考えると三球・照代のように眠れない。本当に暴れん坊米軍ってどうしようもない。何を見て思いついたかは言うまい。

中国11億の民が負けずにこれに搭乗完了したときのことをちっとは考えてほしいものだ。

もしこれが本当なら、軍隊の行動範囲が圧倒的に広がり、これまでの戦略・戦術をすべて再編成しないといけなくなるほど戦争の質が変わってしまう。インターネットが情報の発信を平等にしてしまったように、パワードスーツは、誰でも平等に戦争をしかけられるしろものになりうる。乗員はア●ロのような弱虫ばかりではない。現実にパワードスーツが通行人の前にどんと立ちはだかって自分に向かって実力行使を始めたら、どんなマニアでも座り込んでしまうだろう。相手がまったく言葉の通じない異国の少年兵だったら、恐怖は倍増する。

作ったらどうなるか考えることができないのだろうか。この記事も誰が書いたが知らないけど、そんなのんきな論調であっていいはずがない。ペンタゴンには、ツッコミのスペシャリストが絶対に必要だ。それも藤子F不二雄/フレドリック・ブラウンのようなクラスの、命がけでツッコミを入れられる男気あふれる凄い奴が。でなかったら、例によって予算分捕りのためのハッタリであって欲しいものだ。公金横領でドンちゃん騒ぎで新聞沙汰でしょぼく終わって欲しい。許す。

カネゴンは昔から、「とってもしょうもない、下らないことがきっかけで世の中が変わってしまう」という妙な信念がある。立派な考えや都市計画で変わることももちろんあるんだろうけど、同じぐらい、死ぬほど下らないことがきっかけで世の中は変わってしまうと思う。文明が壊滅するほどの事件が起きることがあるとすれば、それはきっと美しくもないし勇敢でもないし壮大でもない、人に言えないようなすっごく情けない事件がきっかけになると思っている(カネゴンもう起きましたか)。

映画秘宝はいい雑誌だが、この雑誌からまともな情報を得ようと思わないほうがいいと思う。執筆者が揃いも揃って、より面白い方向に時空をねじまげてでも書く傾向があるからだ。おかげでカネゴンは危なく「ハルマゲドン」を見逃すところだった。あんなにドリフの精神を忠実に受け継いだ映画はないのに。それはともかく、映画秘宝のような嘘八百を書くレコードレビューが揃っている雑誌があったら、きっと買う。今、殊能さんのページを見ていたせいか、口調が移ったかも。

xxx*p17*

手が痛い。生まれて初めての腱鞘炎か。

2001年01月24日(水)


今日の頭音「朝日の当たる家」(オリジナルの方)、「ドロボー」憂歌団

カネゴンが「どっこい大作」を口ずさみながらニュートラルに着いたら(お金はどうしたおれカネゴン)、たちまち10秒もたたないうちにカネゴンは口にピアニカをくわえ、ギターに合わせて演奏していた。そう、あなんじゅぱすのおふたりが曲決めをしていたのだ。あれよあれよというまに、次回2/25(日)にゲストで出ることになった。今度は「おれカネゴン」という名前で出ることにします。「あけてくれ」の宣伝もしてきます。

とはいうものの、カネゴン人に言えない作業を続行中なので、おそらく練習は2回ぐらいしか出られないと思います。

それにしても、よーこさんがうたった演歌みたいな曲はすごくよかった。こういうどろどろ系をもっと聴いてみたいものだ。ぜひ「朝日の当たる家」の日本語版をうたってほしい。よーこさんなら、どろどろ系をうたってもどっかに救いがありそうなので大丈夫だと思います。

カネゴンはピアニカで参加することになりそうですが、よーこさんがちゃんと必要なパートをおさえて吹いてくれるそうなので、カネゴンはそれを補助車輪として好きにやるということになるようです。ときどきハモったりハモんなかったり。南無阿弥陀仏。

ついにキャッシング。何としても次からは貯金する。誰が何と言おうと貯金する。とはいうものの急に無理なことをすると身体に悪いので、一応月に7万を目標にしつつソフトランディングにもっていきます。こんなに禁欲的な生活を送っているのに、なぜ金がなくなるのだろう(そりゃやっぱり本の買いすぎタクシー乗りすぎおれカネゴン)。修道院に入れてくれ。メンデルのような暮らしがしたい。たばことお茶があれば後は何にもいらないです。

言ってるだけじゃしょうがないので、めちゃめちゃ具体的な目標を立てる。

  • 本はしばらく買わない。「オイラーの贈物」を読み終わるまでは。どうしても我慢できないときは図書館に行く。せっかく武蔵野三鷹両方の図書館の会員になっているのだから。
  • 雑誌は「Linux Japan」「UNIX Magazine」「TV Bros.」「映画秘宝」「モーニング」「日経サイエンス」「週刊アスキー」に限定(それで限定かおれカネゴン)。うっかり買いそうになる「ビッグコミック」に要注意。我慢できないときはマンガ喫茶に行く(読む本を決めておけばもっともコストパフォーマンスがよい)。
  • バスに乗る回数を減らし、ときどき駅まで歩く(カネゴン自転車を引っ張られやすいため)これからあったかくなれば冬場ほど困難ではなくなるはずなので。雨の日だけバス、という状態にまで持っていく
  • ニュートラルからタクシーを使わないで帰れるよう、車を持っている人が来たときを見計らって行く(これこれ)
  • 朝飯ぐらい自分で作る。そば/うどんをゆでることはもう始めているが、まだ徹底できていない。昼はサンドイッチ状のものにする。夜一生懸命食べる。カネゴンは飯を抜くと生きていけないモグラ体質なので、欠食はありえない。遅刻しても食べてから出勤しているぐらいだ。そのかわりカネゴンはおやつを全く食べないけど。
  • ついでに朝起きる時間を7時にもどす。最近起床が9時になってしまっているので。
  • 酒・タバコは無理にやめない。その代わり缶コーヒーを飲む回数を減らし、ペットボトルのブラックアイスコーヒーに切り替える
  • 風呂代をケチらない。行く時間がないのはしょうがないが、せめて週2回は行く。すでに銭湯の回数券は購入済み。

何だか、たてればたてるほど間抜けになってしまうのはなぜだろう。まあこのうち3つも達成できれば上出来。

日記、完全に下から上に書くはずが、言った端から元に戻っていた。結局今日の頭音の位置が変わっただけ。まあいいか。

ちょっといいページ。カネゴンは例のハッカー氏から「高校の先生に数学を習うもんじゃない(レベルが低すぎるから)。大学で学んだほうがいいよ」と言われた。でもカネゴンはそれよりさらにレベルが低いので、こういうページも役に立つ。

巨大フジ隊員がついに執筆を開始。山が動いた。カネゴンは基本的に何でもやります。でもよく考えて返事しないので、コントロールにすべてがかかります。

練活、薬活、妙活。M1号の日記以外でネット上にちゃんとした解説がなかった。生まれて初めて読んだマンガが白土三平「赤目」だったカネゴンとしては日常的に使いたいぐらいにいい言葉だと思います。カネゴンは練活には不向きかも。クラッキング(コンピュータへの不正侵入)は妙活に含まれるのでしょうか。

理系/文系という有害な分類をやめて今後は「練活、薬活、妙活」という分け方にするといいと思う。「東京練活大学」とか、いい。留学生が倍増することだろう。大学生は角帽の代わりに頭巾を被るべし。死してしかばね拾うものなし。

なぜ勉強するのか、それは教科書を読めとしか言いようがない。それでも納得できない中高生がいたら、「必殺技を身に付けるため」と説明したら勉強する気になるだろうか。数学でも料理でもコンピュータでも野球でも、技を極めたらそれは必殺技だ。スポーツでは、必殺技があっても必ず勝てるとは限らないけど、いわゆる「読み書きそろばん」で必殺技を身に付けたら、それはきっと役に立つし、みんなができるようになっても値打ちは下がらないと思う。特に数学は、誰でも(アストロな意味で)超人になれる最も近道であるとカネゴンは妙な確信を抱いている(それで説得するかおれカネゴン)。

例のオカルト大好き大先輩の別の話から。

アレンジャーを生業としているその先輩が、つきあってた女に誘われてバレエを見に行くはめになった。先輩氏はバレエみたいなのが大っ嫌いで、あの変なチュチュだの白鳥の首をつけて踊るのを見せられるのがいやでしょうがなく、「絶対曲しか聴いてやらない」という決心で観劇する。

途中で、一人の男のダンサーが出てきて、上半身裸で下はもっこりタイツ。しかし彼がひとたび踊りだすと、先輩の身体にぞわぞわぞわと電流が走ったようになり、それがなぜなのか先輩にもわからなかったらしい。後で、それが世界的に有名な舞踏家(暗黒ではないです)だったと知ったのだそうだ。話を聞く限りでは、おそらくニジンスキークラスだろう。

ものすごくいいもの(というか極め尽くしたもの)は、好き嫌いを超えて訴えかけるという教訓にしてしまっていいのだろうか。こういう必殺技もあったのかとカネゴンはその点に感心した。競馬ファンにはこっちのニジンスキーの方がおなじみかも。馬に「鹿」という属性がついているのはナゼだろう。それにしてもこのニジンスキーの紹介文はただの寝言にしかなっていない。特に最終行は思わず笑ってしまった。こういうものにこそ数学者と物理学者が根性を出して挑むべきだ。数学者はニジンスキーの動きをいつかは理解しようとしないといけない。研究テーマとして狙い目。決してニジンスキーを貶めようというのではなく、その逆です。きちんと研究したほうがその凄さが余すところなくわかるのではないかと。

教科書によると「ドラムの音を聞いて、そのドラムがどんな形をしているかを当てることができるか」という有名な問題があり、厳密に「できない」という結論がすでに出ているのだそうだ。まったくおんなじ音がする、全然違う形のドラムというものがいくらでも作れるのだそうだ。これって、暗号に使えない?名づけて「リンゴ・スター暗号」。「チャーリー・ワッツ暗号」でもいいです。この二人はどんなドラムを叩いても一緒なので、逆説的にこの名前がいいと思う。ところでこの本どうやって探せばいいのだろう(カネゴン、節約節約)。

警察官の鑑。そして心温まる話。そしてミステリー。そして世界の終わり大予想。ところでこの「Borg」って何? サイボーグのこと?

報知新聞より。「あけてくれ」として応援せずばなるまい。それからこのピンク・フロイドのアルバムタイトルの由来は非常に面白い。確かに「ギター殺人者の凱旋」という言葉は完璧に流通しなくなってしまった。ベックとしても、「よ!、ギター殺人者」とか呼ばれたら本当に持ってるギターでそいつを殴り殺してもきっと情状酌量がつくと思う。

今から思えば、邦題をつけるというのは一種の特権だったのだなあと思ってしまう。フランク・ザッパの日本語版が、気が狂ったようなめちゃめちゃな邦題をつけられ放題で、ザッパが死んだ途端に忠実なタイトルにあざとく置き換わったことを思い出す。PL法対策と見た。

それはそうと、現代美術のタイトルっていったい誰が訳してるのだろう。ああいうお気楽で何の責任も問われない仕事がしたい。

今のページからちょっと引用。

クリムゾンの誤訳は他に『太陽と戦慄』が有名ですが、これらの邦訳を知らされたロバート・フリップは、がっくりしてたそうです。知らないまま、そっとしといてあげれば良かったのに。英語に疎いワタシは余り笑えず、複雑な気分です。

がんばれ!先生。もう今更変えられないけど。そう思って改めて「Larks' tongues in Aspic」というタイトルを見てみると、これって結局どういう意味なのでしょう。きっと料理の名前だ。おやっさんに今度作ってもらおうか(自分でやんなはれおれカネゴン)。先生としては、結構おちゃめなタイトルにしたつもりだったのかもしれない。「ラーメンにゴキブリのヒゲ」みたいな。そう考えれば、あのハードなサウンドはその殺意の表れなのかもしれない(そりゃきっと違うぞおれカネゴン)。

as・pic1 [__spik]_n. 【料理】 アスピック 《肉や魚のだし汁にトマトジュースなどを加えゼラチンで固めたゼリー》.[F=ASP1; ゼリーの色から]

カネゴンが大昔持っていた「太陽」のライナーノーツには「aspic には【蛇】の意味がある」なんてことを書いてあったはずだが、仕事用のオンライン辞書にはどこにもそんな意味はなかった。どこをどうつついたらそんなライナーが書けるのか(人のことは言えませんねおれカネゴン)。誤訳というより、確信犯ではなかろうか。

詳細は不明だが、カネゴンのいる会社の名前が、たった今変わった。カネゴンは「ひのえうま」を期待していたので残念。→直後、変わったのは会社名ではなかったことが判明。また慌ててしまった。「太陽」を笑えなくなってしまった。

さっきリンクした佐藤さんのページ。ちゃんと家族が解説をつけてくれている。美しき家族愛がうらやましき。

2001年01月23日(火)


今日の頭音「Time of the season」ゾンビーズ

というわけでどっこい大作である。一度この番組のオープニングを見たら決して忘れられないと思う。カネゴンはこのストーリーはからっきし覚えていないのだが、劇中に登場する「二階堂甚平」というじいさんがものすごく印象が強くて忘れられなかった。この金持ちじいさんが大作をあの手この手でいびるのである。小学校低学年なので、演技のうまいも下手も知るわけがなく、「何て憎ったらしいじいさんだ」とばかり思っていた。後年、それが名優志村喬であることを知ってのけぞる。そう思えば、大作をいびる(というよりしごく)姿は、七人の侍で、菊千代をからかう島田勘兵衛の姿そのものであった。「ほれ、どうした。それで終わりか」みたいに。


「どっこい大作」には(当時は気が付かなかったが)笠智衆までレギュラー出演していて、今から思うと信じられないぐらい豪華な番組だった。原作は確か「細腕繁盛記」で知られる花登匡だったが、いったいどんな強大なコネクションがあったのだろう。でも「たのしい幼稚園」にまでどっこい大作のマンガを連載したのはどうかと思う。

今ネットで調べたら、花登匡(はなと・こばこ)についてろくな情報がないのでここに書く。花登匡は「アパッチ野球軍」や水島新司と組んだ「銭っ子」など、数々の大衆小説のほかになぜかマンガの原作・作詞までよく手がけていた、大衆文学の大御所(川内康範とかぶるなあ)。その芸風は「ナニワど根性もの」と称され、一度見たら忘れられないはっきりした特徴がある。この人の場合タイトルにすべての思想が現れるので、どっこい大作のタイトルをじっと見ていただきたい。マンガ界におけるストーリー提供という面での貢献だけとっても計り知れないものがある。「水を飲む時には井戸を掘った人を忘れるな」と教科書にも書いてあったし。でも教科書によれば、ギターの神様はクラプトンでもジミヘンでもなく「ピタゴラス」ということになるのだそうだ。さかのぼり過ぎである(誉めてます)。

M1号の日記で初めて曙引退を知る。カネゴンは相撲のことは良くわからないが、「寺尾」はなぜかむちゃくちゃ好きだった。とても力士と思えないほどの美形。しかもそれが朝潮関に似た兄貴よりはるかに相撲人生が長かったというのも何だか意外。アンバランスなのにバランスがいいという不思議な存在であった。

ガラパゴスに非常事態宣言。総員、ただちにガラパゴスに飛んで掃除してくれたまえ。菅野(みほ)君、君はここにいなさい。

おやっさんの大フェイバリット「人間臨終図鑑」(山田風太郎)の一部がここで読める。もちろん、この本は上下2巻を通して読み、そして目次を読まないと本当は意味がない。と言いつつカネゴン「夏目雅子」で泣いてしまった。

いつの間にか、カウンタが8000を超えている。カネゴンは普段から自分で踏まないよう気をつけてはいるので、何だか自分的には前人未踏である。これもメンバーのみなさまのおかげです。いったいどんなお方たちが読んでいるのだろう。知りたい。アンケートでも取るか。

昼飯を食ったラーメン屋におなじみ「ゴルゴ13」が置いてある。カネゴン当然見る。ネタが水素自動車だったが、「水素自動車から排出されるのは純粋な水で、ボトルに詰めて売ったらヒット間違いない」と大嘘が書いてあった。ミネラルが混じっていない純粋な水は、まずくて呑めたものではない。LSI工場では完全な純水を使っているが、それを試飲したアスキーの記者がむせかえっていたほどだ。それから、「水素は爆発しやすい」とあるが、ガソリンの方がよっぽど爆発しやすい。そのデメリットより、発熱量が大きく液体という取扱いやすい状態であるメリットの方が大きいだけだ。発火点と引火点は同じ物質でもかなり異なるはずだし、空気とどのぐらい混合されるかによっても大きくコンディションが変わる。マンガに怒ってもしょうがないのですが。

まったく下らないことなのですが、日本のTVや映画を見ていると、爆発シーンが大きく2種類に分かれる。一つは煙が白いもの、もう一つは煙が黒いもの。これはどうやら爆破師の流派に2系統あるのではないかと推測できる。黒い煙は明らかにガソリンを使用していて、東映系(仮面ライダーなど)に多い。白い煙は主に東宝系(レインボーマンなど)。しかも未だに両者を同じぐらい見かける(CGを除く)。今度からTVを見るときに注意してみるといいかもしれない。

POD、これは確かにすごい。エフェクター嫌いのジミー・ペイジでも買ってしまいそうだ。今やギターアンプのアイデンティティは風前のともし火なのだろうか。DSPもここまで発達するとは思わなかった。

2001年01月22日(月)


間違って、昨日の日記を今送信してしまった。一日分消えてしまった。明日復旧しないと。

新聞をとっていないカネゴンに、たつさんからニュースが提供される。ありがたいことです。


◆「ミール」近畿通過?

大気圏に突入させて破棄することになっているロシアの宇宙ステーション「ミール」は、 落下予定日の3月6日午後9時20〓35分の間 に日本上空を通過することが21日、民間の人工衛星追跡組織「LAT」(橋本就安代 表)の計算でわかった。


軌道は時間によってずれるので、近畿地方上空を中心に、四国・中国付近から東海付近まで幅がある。橋本さんは「もし、この時間に北の空に火の玉が見えた場合は、日本付近に一部が落下する危険もあるので注意してほしい」と話している。

Mirが危なっかしいという噂は聞いていたが、よりによって日本上空とは。富士山が硫黄を吹き始めたという、おやっさんサイエンスネットワーク(本物)からの情報もあるし。鉛直線上の住民として気が気でない。稲垣くん、ただちに軌道を計算したまえ。「出ました、チーフ。あとこんなものも。」

少々うれしいことあり(人に言えない作業がらみ)。調子に乗らないよう、必死で自制する。

いまさらだが、日記を含めてこのページはすべてHTML手書きである。何一つお便利ツールを使っていない。そのためにすごく地味になっている一面はあるかもしれない。会社で隣の方(北京語がぺらぺらの、とってもいいおじさん)に見つかってしまい、「地味ですねー」と言われた。よかった、タイトルの絵が見えなくて。

手書きでHTMLを書くと、何だか修行しているような気分になる。そういえば、カネゴンは「レインボーマン」がこれほど好きであるにもかかわらず、一度もインドに行って修行したいなどと思ったことがない(本当)。何でみんなあんなに修行したくなったのだろう。あんな恐ろしい話を見て。カネゴンはやっぱりヘソまがりなのだろうか。

ついでに書けば、全体が4部構成になっているうち、カネゴンは前半の2部で終ったと思っている(カネゴンそりゃ頑固者そのもの)。後半は蛇足。妙に視聴率が良かった(Maxで27%)せいか、延長されたせいだろう。

rushの書き込みを見てちょっと反省(というほどのものでもないですが)。書くのはいいが、きっと説明が不足し過ぎているのだ(すればいいとも限らんぞおれカネゴン)。例によって、どう考えても常識ではないことを、カネゴンは常識だと思っていたらしい。グランドチェロキーに乗ってやってくる保険外交員はカネゴンの話に100%ついていき、よりすごい球を打ち返してくるのだが、それにもかかわらずちゃんと社会生活を営んでいる(?)。おそらくカネゴンの場合、どんな場合でもお構いなしにそれをかましていたのではないかと今にして思える。過ぎたことはしょうがないし、こういうのは急に直そうなんて思うとよけいにおかしくなるものだから、気長につき合うしかないだろう。

ともあれ、ネタの濃さによってはなるべく解説をつけた方がいいかもしれない。それだけでも、ネタの羅列と化した日記がもう少しすっきりするかも。あるいはカネゴン定義表のようなものを作って、用語をそちらで定義しておくようにすればいいか(それは悪化しているだけだっておれカネゴン)。うーん、どう書けば読む人にとって親切なものになるのかがようわからん。とりあえず空手バカ一代についてはこれで済ませます。

家賃、やっぱり振り込み忘れていたらしい。電話。

2001年01月21日(日)


今日の頭音「Lovin' you」

昨晩は天才トロンボーニストashの旗の台引越し祝いに出席。彼のバンドの連中は今日はやらないと勘違いしていたらしく、遅れたメンバーからバンドに問い合わせがあったときに「今日はやらない」と返事をしていたらしい。双方勘違い行き違いの可能性高し。

一方カネゴンは道中久しぶりにバージンメガストアに寄り、CDを購入。UK「ナイトアフターナイト」「ヘンリー・マンシーニ ベスト」と、あとガムランを3枚(人に言えない作業のBGM用 -- カネゴンの頭音を消すため)。おやっさんが好きそうな「ニールヤング 2000 ライブ」を試聴するが購入を見送る(カネゴンはCDでもビデオでも迷った末に買わないことが多い。本はすぐ買うくせに)。ashへのプレゼントではなかったりした。ごめん。しかもカネゴンはお金を下ろすのを忘れていたので、到着早々あわてて出かけ、ついでに酒を買う。しかし旗の台の地理がわからず、おりからの雪のせいもあって20メートル先で道に迷う。PHSがなかったら遭難するところであった(駅から極めて近し)。

ほかにashの妹と彼氏、カナダ人とフランス人も到着し、大いに盛り上がる。カナダ人はもと英語の先生(公立学校)で、かなり日本語がうまい。ジンロを調子に乗って呑みまくり、「デストローイ、US!」とカネゴン怪気炎を上げる。カナダ人はちょっと困った顔をしていたみたいだが、フランス人は完全に同調。やがて一人ずつ沈没し、フランス人はジンロで悪酔いしたらしく、夜中にタクシーで帰宅。デジカメを忘れていった。カネゴンも久しぶりに吐いた。

10時近くに目を覚ますと、PHSにとある女性から「電話した?」とメールが。どうやらロックをかけ忘れたらしく、ボタンをお尻で押していたらしい。すいません。外は見事な雪景色(でもすぐ融けた)。

1時までみんなでTVを見る。カネゴン久しぶりにワイドショーというものを見た。相変わらずオゲレツである。「鑑定団」見たかったが、腹がすいたので食事に。ashがダスティ・ホフマンに似ていると指摘したら、カナダ人はすごく納得していた。妹氏(かなりかわいい)は「それは褒め過ぎ」と一言。蛇足だが、ロボット生みの親であるゆのさと主任の妹もすごくかわいい。

ashはユダヤ人の家に遊びにいったときに、そこのおばさんに「もしかして、ユダヤ人?」と(冗談で)聞かれたのだそうだ。「そんな鼻だとあたしたちに間違えられそうね、かわいそうに」といらぬ心配をされた由。昼の明かりでash家を外から見ると、何だか映画のセットみたい。なお2LDKで10万円、かなりお買い得である。旗の台は結構住環境が充実していてよい。カネゴンも何だか引っ越したくなった(カネゴンは引越しが趣味)。

ash家で風呂に入る野望を果たせず、家に帰ると「カネゴンさん電話したでしょ」とメールが。どうやらボタンを押していたのは一箇所ではなかったらしい。すいませんすいません。

CD をかけると、UKが音飛びまくり。なぜだ。ガムランまで音が飛ぶ。レンズにヤニでもついたか。ガムランは何だかスタジオ録音みたいで、あんまりよくない。

朝起きたときにまた思い付く。昨晩やった「サイエンスアイ」で、紙にリグニン(樹木の主成分で接着剤のような作用があり、紙を製造する時に大量発生する産業廃棄物)を染み込ませると、紙がものすごく頑丈になって木材よりも硬くなり、水まではじくようになるのだそうだ。しかももとが紙なので、いくらでも好きな形に成形しておける。これを使って自動車やノートPCのボディを製造すればよいではないか(飛行機はやめといた方がいいかも)。車が圧倒的に軽くなり、燃費およびその他のスペックが劇的に向上するはず。環境は二の次でいいが、廃棄も楽になる。よその家の前に違法駐車したら家人に点火されそうではあるが。燃え残った姿はきっとタイムガイコッツみたいになりそう。

pickeyことデロちゃんから、早速デロリンマンのURLを教えていただく。まっことありがたいことです。

レインボーマン好きのカネゴンのこと、当然ながらジョージ秋山は大好きである。というより、劇画が好きなのだ(アニメ絵は意外に不得意)。ジョージ秋山のほとんどすべてのマンガに一度目を通していると思う(立ち読みで)。「マンガ少年」で連載していた「青の洞門」は忘れられない。さて、そのデロリンマン(少年マガジン版の方)にこんな話があった。

デロリンマンご一行様(もうこのころにはすっかりなじまれている)が泊まった旅館で、そこに住み込みで働くおばあさんがいろんな意地悪をしかけ、お風呂をかんかんに沸かしたりしてデロリンマンたちを困らせる。意地悪が成功するたびにおばあさんはひひひと笑うのだが、後ろ姿を見ると、足をひきずっている。

宿泊中におばあさんが突然死に、ささやかな葬式が執り行われる。その席で、「あのおばあさんがああいうふうになってしまったのにはわけがあるんです」と旅館の主人が教えてくれる。若い頃の写真を見せられ、ものすごい美人なので一同絶句。

「あの人が若いころ、東京から良家のお坊っちゃんがいらっしゃって、お嬢さんとひそかに恋中になったのです。二人があるとき岬の小屋であいびきしていると、突然坊っちゃんの家の方が小屋の戸を叩いて、【開けろ、そこにいるのか?こんな所で何をしているんだ】。お坊っちゃんは真っ青な顔になって、【このままではぼくの人生が終ってしまう、そうだ、おまえここから飛び降りろ】と無情なことをお言いになったのです。【早くしろ、ぼくがどうなってもいいのか、俺の人生を棒に振れっていうのか】と迫られ、お嬢さんは坊っちゃんを助けるために崖から飛び降りて、足に大怪我をしてしまったのです。坊っちゃんは何喰わぬ顔で【一人で本を読んでいたんですよ】と家人にうそぶいていました。」

東京に戻ったデロリンマンが、そのお坊っちゃん(今は大企業の社長)を捜し出し「線香の一本も上げてやってはどうですか」と言うが、「そんな昔のことは私には関係ないね」と車を走らせる。「人間よ、魂のふるさとへ帰れ!」とデロリンマンが大泣きする。

というようなことをある人に言ったら(よくそんなことを覚えているものだおれカネゴン)「それって、モーパッサンにそっくりな話があるよ」と言われ、カネゴンずっこける。言われて読んでみると(たった数ページなのでカネゴンでも読めた)、「クロシェート」という短篇が、デロリンマンが登場しないことや人物背景が違うのを除いてはおんなじストーリーであった。いやーな話を書かせるとおそらく世界でも3本の指に入るモーパッサンから引用していたとは、さすがである。ジョージ秋山の読者は、まずモーパッサンなんか読まないだろうし。これはパクリではなく、教養の差というべきだろう。実際、デロリンマンの方がよりいやな話(つまり出来がいい)になっている。ジョージ秋山の一本勝ち。マンガで入賞を果たしたいのなら、モーパッサンから引用しよう。モーパッサンより面白くすれば問題はないだろう。デュマも「確かにパクッたが、俺の方が面白い」って言ってたし(おやっさん情報)。

●懸賞7.「ネット時代の音楽著作権問題の解決」案例: 著作権料は徴収してもよい。ただし、自分の書いた曲に「○○を参考にしました」というクレジットを残らずつけた人だけが著作権料を請求できる(論文ではみんなやっていること)。まったく音楽を聴いたこともない人が一から作った曲に限り、クレジットをつけなくてよい(それはジーザスクライストのとんちではおれカネゴン)。著作権がらみって、何かうさんくさい。もちろん作った分の請求はあって当然だと思うが、その回りに群がっている人達が怪し過ぎ。日本での著作権の始まりは、戦前に日本に来たドイツ人が、放送局がベートーベンなんかをがんがん流しているのを聞いて怒り心頭に発して騒ぎたてたのがきっかけなんだそうだ。「じゃあいらない」って言ってあげればよかったのに。

週刊モーニングはよい、というか他の雑誌に比べてましなだけかもしれない。この雑誌は、他の青年誌のように表紙をグラビアにしないところがいい。マンガ雑誌はマンガで勝負しないと。誰かがヤングジャンプを指して「週刊広末涼子マンガつき」とすごくいいことを言っていたが、もう惰性で買っている人しかいないのでは。モーニングが「1000万部達成!」と大きく中吊り広告に書いているのに、他誌は声もない。でもモーニングも何が1000万部なのか書いていないから大同小異かも。毎週1000万部売れているわけではないだろうが、そう読めてしまう。もしかして出版社は、どっちが猪口才かを競っているのだろうか。

しかし唯一困るのは、「部長島耕作」の存在だ。カネゴンはこのマンガがすごく苦手。表紙にこれがでかでかと載ると、それだけで買うのがすごく恥ずかしくなる。このマンガ家はデビュー当時から知っていて(小池一夫原作でやっていたこともある)、例の小山ゆうも受けた地獄のマンガ特訓から生還したと思われるぐらい見せ方がうまいのはわかるが、その世界観をどう理解していいのかわからない。というより「これを描いたらいくらになる」と冷静に計算しているようなところを想像してしまって、何だか困ってしまう。夫婦揃って苦手なマンガ家。ヒデキ指数=0 の基準として制定する。

かれこれ7,8年前だと思うが、酒屋の店先に置いてあった「少年チャンピオン」の表紙を見て、目を疑った。確かに「少年チャンピオン」と書いてあるのに、フォントやタイポグラフや紙面レイアウトを極限まで駆使して、ぱっと見には「少年ジャンプ」に見えてしまうという、ものすごい荒技を使っていた。これにより、間違えて少年チャンピオンを買ってしまった人は相当数にのぼると推測される。カネゴンはこの芸術的とも言える職人芸にいたく感動したが、翌週にはなぜかもう廃止されていてもとに戻ってしまった。集英社から苦情が出たのだろうか。あの表紙だけでもとっておけばよかった。Yahoo! オークションに出たら、表紙の写真だけダウンロードしよう(これこれ)。

「買い漏らしたビックコミックが読みたいというお問い合わせが増えています。お早めに書店にお急ぎください」という小学館の意味不明(そんなにしてまで買う人がいるだろうか)のキャッチコピーにならえば、「少年ジャンプと間違えて少年チャンピオンを買ってしまったという問い合わせが増えています。少年ジャンプには少年ジャンプと表紙に書かれています」ということになるのだろうか。

恒例、特命リサーチリサーチ。大急ぎで銭湯へ。

「宇宙旅行」カネゴンこれは断然支持する。事故のひとつやふたつでびびってはだめだ。藤子F不二雄は本当に行きたかったことだろう。しかし宇宙旅行のチケットがCD-ROMとはちょっと情けない。1000万円もするのなら、金属炭素で作るとか、もうちょっとましなものにして欲しい。それから、宇宙にスーツケースを持っていくのはどうか。カネゴンは普通の旅行でもスーツケースを使いたくない。宇宙空間ではトイレが近くなるということだが、カネゴンは普段からトイレが近いので往生しそうだ。でも今回の特集は基本的にとってもいい。宇宙空間で「へ」をこくと大変なことになるというのは笑った。拡散しないで球状に移動し、それが鼻に到達すると強烈な臭いにやられてしまうのだそうだ。身が混じっていたら落ち込むだろう。歯槽膿漏の人も宇宙に行ってはいけないということか。水をこぼしたら危険というのは知っていたが、ガキは絶対面白がってやるに決まってる。普段のしつけ次第では命を失うことになるだろう。とにかく2020年には実現するというから、カネゴンそれまでは死ねない。

「動物と話ができる」ディズニーの見過ぎだ。動物に過剰な思い入れをしないほうがいいのでは。一律「ばかだな、こいつ」に吹き替えても結果は一緒ではないだろうか。言いたいことがわかったら、よりいっそう動物を甘やかす人が続出しそう。ただでさえ自分のことを人間と思い込んでいる犬や猫が増えているのに。

でもそのついでに紹介された、身体がマヒした人の脳波を読みとって手足を動かせるようになるというのはいい。これがあれば、スノボーでこけて首の骨を折った人も復活できるし、かなり実現性高し。

「透明人間の兵士」、それはペンタゴンが予算をぶんどるための言い訳ではないだろうか。

「タイムマシン」、光より早く情報が伝わるという現象については「日経サイエンス」で読んだ。現象としてはカネゴンすごく興味ある。タイムマシンにつながるにはあと2000年はかかるだろう。

「人工冬眠」これはさんざんSFでコントにされているからパス。

「不老長寿」は、映画「ソイレント・グリーン」(これも)を見ればとてもそんな気になれなくなるだろう。南米とかでよくある「懲役150年」というアホな数値が現実味を帯びるというのはあるかもしれない。人口爆発のおり、そのままでは禁止されるのは間違いない。宇宙に進出して、地球からの補給なしで人口を養えるようになるまでは。だから、宇宙進出は趣味の問題ではなく、必須だと思う(カネゴンどうしちゃったの)。ただ、ある数学者が「寿命が300年必要だ」と言っていたのを思い出した。150年かけないと現代数学をすべて学習することができないぐらい複雑になってしまったからだそうだ。残りの150年で新しいものを考えたいらしい。このぐらい目的がはっきりしていればいいけど、残りの120年をひまつぶしするには釣りでも覚えるしかないか。

三日間幸せになりたかったら、結婚しなさい。

十日間幸せになりたかったら、豚を殺して食べなさい。

一生涯幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい。

(中国のことわざ)

ってなことを開高健が何かで書いていたような気がする。コピーを繰り返してだいぶノイズが乗っているかもしれない。

「クローン人間」はやっぱり調子に乗り過ぎ。完全なクローンより、頭からっぽのままにしておいて機械制御で部屋の掃除や料理をやってもらう方がまだ現実にありそう。つまりは奴隷か。飯代が倍かかるのが欠点。カネゴンは大喰いなので深刻である。金を払っても奴隷になりたがる人が世の中には結構いるから、そういう人を奴隷として合法化する方が全然手っ取り早いのでは(カネゴン、地雷地雷)。

今はなき「ビックリハウス」の片隅にある放送作家がほんの一瞬連載を持っていて、ほかのものは忘れたが、それはなぜか印象深かった。TVの音声を消して違う音楽をかけて楽しんでいたとあった。相撲の画面で琉球音楽をかけたり、漫才の画面でフォークをかけたり(違ったかな)。あと、泥棒にしょっちゅう入られるので、ステレオの奥に一万円札をおいておき、その回りに100Vの電流を通した細い線をはりめぐらせて泥棒をトラップにかけたという話があった。今から思えば嘘だ。田舎から親父が上京した時、外出から帰ってきたら親父がステレオの前で気絶していたとあった。ますます嘘だ。いいんだけど。例のハッカーである知人は、高校生の時にパワーアンプを製作中、コンデンサを放電させておくのを忘れて直接触ってしまい、一晩気絶したことがあるのだそうだ(実話)。

カネゴンはかつて坂本龍一をほとんど崇拝に近いような状態にまでリスペクトしていた(そうかやっぱりおれカネゴン)。今はすっかり催眠も解けたが、覚えている中で3つだけ、かなりいいことを言っていた。後はいらない。

・よーく練習して、度胸をつけること。同じ技量なら、ステージでの演技力がある方がうまく見える(音楽学校では演技の仕方も教えた方がいいということか。でもかなり実用的)。

・音楽は思考の表現だ。感情の表現じゃない(誰かの孫引きっぽくもある -- これは「アレンジ」のことを指して言っているのか)。

・自然には均等なリズムはあんまりないから、音楽は人工の産物だと思う。

坂本龍一ですごく印象深いこと。カネゴンがたぶらかされた例の「遊」のすごく古いバックナンバーで、デビュー前で喜太郎のようなロン毛の坂本龍一と松岡正剛と誰かが対談していたことがあった。まだ無名に近かった(アングラではちょっとだけ知られていたらしい)坂本龍一はほとんど相手にされず、残りの二人だけで延々寝言に近い対談が続いていた。坂本龍一が「ぼくはこの間○○みたいな曲を作ったんですよ」と言っても松岡正剛は「ほう、そうですか」としか言わない。完璧にケンカ売ってる。きっとこのことは相当根に持っていただろうと勝手に邪推している。異様に難解な言葉を散りばめるようになったのは果してこれがきっかけかどうか。

NHK「サウンドストリート」でかのデモテープ特集をやっていた時のこと。その中で「はい/いいえ」という曲があって、オフコースの「Yes/No」を女の子3人が酔っ払いの宴会芸のようにポータサウンド一丁ででたらめに歌うものだった。この時、坂本龍一が死ぬほど笑い転げて、マイクにかすかに笑い声が入ってそれが遠くなったり近くなったりしていた。後にも先にも、こんなに笑い転げた坂本龍一を知らない。

2001年01月20日(土)


今日の頭音「朝日の当たる家」浅川マキ -- おやっさんがかけてくれたのが耳についた。素晴らしいローカライズ。「あけてくれ」メンバーが聴いたらきっと泣く。ヒデキ指数=85

チャンネルを何となくそのままにしていたら、セサミストリート。最近は勝手に日本語に吹替えているらしい。カネゴンご機嫌斜め。と思うと、すごくリアルな犬のお面というかマスクを被った人間が、ガチャピンのようにトラックを運転していた。犬の頭が本当にちっちゃくてスーパーリアルで、身体は立派な大人だから、何だか悪夢を見ているみたいだ。そういえば、登場人物が全員動物頭(ニワトリとかキツネとかウシとか)のイギリス映画があったような気がするけど、タイトルを忘れた。

Pickeyから懸賞に応募が。カネゴン感激。天上名「デロリンマン」を授与。

土曜の午後3時から「サイエンスアイ」の再放送をやっていることに今頃気付いた。さっそく見る。その中で、タンパク質をうまく結晶させるために、磁場を使って材料を浮かせ、重力の影響を完全にではないけどある程度遮断するという装置が出ていた。あれは何と言う装置なのだろうか。カネゴンうっかりよそ見していたので名前を聞きそびれた。知っている方がいたらぜひ教えてください。そもそも浮かせただけで何で重力の影響を遮断できるのかがよくわからないので、そのへんが知りたい。

それにしても、サイエンスアイの「名物研究室」で妙なポーズを取らされる科学者のみなさんが、一様に照れ臭そうなのは、何となくいい。こち亀でおなじみNHK演出の炸裂。カネゴンは、科学にももっともっとスターが必要だと常々思う。アインシュタインは、その研究そのものより、科学者としてスターだったと思う。ありとあらゆるマッドサイテンティストのイメージがアインシュタインになってしまうほどの影響力なんだから、やっぱりすごい。だから科学者も研究室もある程度の演出が必要だ。カッコイイと思えなければ、子供はあこがれない。研究所だ博士だ助手(女性)だ爆発だ。武蔵小金井の北に「松岡科学研究所」というのがずっと前からある(当然カネゴンはあこがれる)。こういう建物はがんがん建てる方がいい。予算が余って困っている自治体は、つまんない美術館とか建てる暇があったら光子力研究所を(必ずものすごい外見で)建設すればいい。必ず見学コースを作って、子供が社会見学できるようにしておくこと。科学者が少々調子に乗って不祥事を起こすぐらいリッチにしてやろう。白衣もSSに負けないぐらいかっこいいものにしよう。庭には手に持った試験管を凝視する岸田森の銅像をなぜか置こう。技術者育成の次は科学者育成だ(おれカネゴンってば)。

講談社のブルーバックスシリーズは、20冊に一冊ぐらいの割合で、とってもいい本がある。おおよそ、生物学系統にいいものが多く、数学ものにいいのが少ない(辞書を除く)。この間買った「場の量子論とは何か」というのは、久しぶりにとんでもなくよい本であった。いわゆる量子力学ものの入門書でまともな本は意外に少なくて(もちろんちゃんとした教科書は別)、オカルトな要素があったり勘違いがあったりすることが多く、一時期カネゴンは購入を控えていたのだが、この本は久しぶりにまともな本だった。おそらく編集者と壮絶な戦いをしながら数式を少しでも入れようとし、「今何がわからないか」をはっきり書いてくれていて、しかも下手に図で表さないようにしているのもよい。ここまで到達すると、図で書くと逆に誤解を招くこともあるということだろう。それより何より、内容は本当に凄い。教科書読んどいて本当によかった。ヒデキ指数=200に軽く到達している。読みながらカネゴンはドトールで声を上げてしまった。

昨晩のニュートラルの客はカネゴン一人だった。なぜか金曜日は暇になる傾向がある。

「バカの頭の上に国旗が立つ」のはなぜだろう。これを指摘していたのは某女流ギャグ漫画家だが、考えてみると由来がわからない。赤塚不二夫の発明? それにしてはあっさり受け入れられ過ぎている。これは日本語文化圏にしかないものなのだろうか。眼鏡と鼻が一体化した変装小道具を俗に「カトチャンめがね」と呼び(カネゴンはカトチャンメガネ不要との噂あり)、カトちゃんがあのヅラをかぶって出てくると「ハゲチョビオヤジ」と誰でもわかるが、おんなじような「笑いのコンセンサス」で、よその文化圏から見るとさっぱりわけがわからないものというのは英語圏にもいっぱいあるに違いない。「モンティ・パイソン」は、その恐ろしく早口なブロークン英語がまるで聞き取れないが、それ以上に、「このシチュエーションの中で何がカトチャンめがねなのか」ということがわかっていないので、笑いのツボがわからないのが常々残念。イギリス人もそういうことをあんまり教えてくれなさそうだし。明治時代に機関車が輸入されたとき、運転方法を教えにきたイギリス人が面白がって運転手のちょんまげをひっぱったりした(危ない)というエピソードを見て以来、そういう疑念が尽きない。以後、こういう一つの文化圏に特有の暗黙のコンセンサスを

「カトチャンめがね」とカネゴンは自分用に勝手に定義する。よそでは使いません。

アメリカのお笑いの人はどういうわけか、眉をいじってDEVOのようにする傾向があるが、あれはきっと「カトチャンめがね」に違いないと邪推する。「ギャラクシー・クエスト」の宇宙人たちが、ジム・キャリーのような前髪をパッツンパッツンに揃えた髪型なのも、あれもきっと「カトチャンめがね」だ。

というわけで今日も人に言えない作業。夕方は引越し祝いに出席。

2001年01月19日(金)


ついにYahoo!日本語版の検索エンジンも、英語版と同様Googleに置き換わっているようだ。これで、「Yahoo!で【あけてくれ】と検索するとこのサイトがトップで出るようになってしまった。南無阿弥陀仏。

でもカネゴンとしては、ディレクトリ サービスであるYahoo!が全文検索を兼用でやることはないと思う。「Yahoo!のディレクトリで見つかるかどうか」が知りたいこともある。

何だか最近社会派まがいの内容になってしまっている。この口調でこの内容だと、大地の子にけちをつけた人たちみたいで何か気が引ける。もうちょっと柔らかい表現にした方がいいだろうか。ぽよよーん。

「大地の子」が実態をゆがめているというんだったら、レインボーマンのインドのシーンはすべて埼玉かどっかでロケしていることにも怒らないといけない。インド軍兵士がどう見ても日本の高校生がアルバイトしているようにしか見えないことを弾劾しないといけない。インド政府から「インドをばかにするな」という苦情が来なかったのは、インドが寛容なのかそれとも相手にされなかっただけなのか。「大地の子」を見てあんなふうに怒るというのは、見方を変えればそれだけあの話が「本物よりリアルに見えた」ということで、単に自分たちが見事にダマされたということがはっきりしただけなのでは。どう転んでもフィクションなんだし、誰も伝記とは言っていないんだし。

ついにカネゴンは地雷を踏んでしまったのか。「人民の敵おれカネゴンをつぶせ」ムーブメントとか起きてしまったらどうしよう。ある知人がハッカー問題に善意で介入したら「××をつぶせ」とハッカーたちから逆襲されたのを知っている。その様子を想像すると笑ってしまうが自分のことだったらマジで怖い。それだけにもしそんなことになったら、カネゴンはとっても困っちゃう。まっこと善意だけで行動するのは危険であることであった。

山崎浩一というコラムニストがいて、橋本治や岡田斗司夫と同様、カネゴンが好きな文章を書いてくれている(岸田秀もエッセイとして面白いんだけど、精神分析に決定的な不信感があるカネゴンとしては、一冊読めばもう十分という感じ)。ただこの人の困った点は病的なサッカーファンで、コラムにしょっちゅうサッカーネタが乱入してくるのだ。ひどいときは前振りもサッカーで途中のほとんどもサッカーで、そこにぽこっといいことを書いていて、しめもサッカー、なんてこともあった。これを一般誌でやっていたのだからすごい度胸だ。文章は明晰で、言葉も着眼点も鋭くて、それだけにもったいないと思っていたら、おやっさんが読んでいた「サッカー批評」にコラムを持っていた。よかった。ここならどんなにサッカーネタをかましても大丈夫。

今挙げた人たちは(岸田秀を除いて)、口では結構きついことを言う割には、実は口ほどにもなくヒデキ指数50-100をキープしているナイスガイたち。カネゴンはこういう魂に炎立つ要素がないと、どれだけ切り口が鋭いことを書いていても読み通す気になれない。でも今はこういうことを真っ向から主張するとヤマトタケシと同じ運命になってしまうので、それを上手に隠すよりないのかもしれない。隠すというとヘンなので、より上手に表現しているという方がいいかも。この人たちも、意外にそういうことについて照れくさそうに書きながらも、何か確信するものがあるのではないか。岸田秀は頭のよさは一緒だけど、結構悪人だと思う。これについてはまた書く予定(カネゴン威勢がいいのう)。

今後、完全に下から上に日記を書くことにする。今日の頭音も明日から、その日の日付の直下におくことにする。

以前カネゴンがいた会社の人が主催しているページに「あけてくれ」のリンクが。ありがたいことです。ちなみに、Googleサーチエンジンの検索の基準は「よそのページからリンクが多く張られているほど重要度が高いと見なす」のだそうだ。それだけで、あんなに高精度に検索できるものだろうか。

ニュートラルで再度「ギャラクシー クエスト」上映。この間は前半しか見られなかったが、今回は後半からだったのでちょうどいい。そこにちょうどいたおやっさんの後輩の女の子にはえらく受けていた。おやっさんにはとっくにストーリーはお見通しだったが、それでも面白がっていたのでよかったよかった。

スタイルシートをいじる。まだ色が気に食わないので、微調整する予定。一応他のメンバーには影響ないようにしたはずなのだが、大丈夫だろうか。

と思ったら、早速緑の恐怖のページに一箇所線が入ってしまった。すみません。

タグを使うと色が変わってしまいます。もし気に食わないようなら廃止します。逆に言えば、
タグで囲むだけで、画面の地の色を保ったまま、かなり段落を読みやすくできます。中は普通に

タグで区切ることができます。

いいかげん仕事に差し支えそうなので、ちょっと日記の量を減らす。以前は「書いとかないと忘れちゃう」というのがあったのだけど、もともとずっと前から考えていたことばかりなんだし、2,3年以内にはまた思い出すだろう。

それに、カネゴンは、何かを見て即思いついたことは見当外れになることがほとんどだ。頭の中で2,3年転がしておいて(寝かせるのではなく)、初めて形になるような気がする。と日記を書いていて思う(いったいいくつ転がしているのだおれカネゴン)。

カネゴンは言語学についてはこれっぽっちも知らないが、以前から思っていたこと。もしかすると、「日本語」とか「英語」とか「java」みたいに、いわゆる言語と呼ばれているものは、実はメタ言語なのではないか、なんて。

Goo国語辞典によると「メタ【meta】(他の語の上について)超・高次の意を表す)」ということなんだそうだけど、普通メタ言語というと、エスペラント語とか、コンパイラの中間言語みたいなものを指すみたいなのだが。

ではカネゴンにとって「言語」に相当するものは何だろう。それはきっと「ある社会でのみ通用する言葉、言い回し」みたいなものではないか。カネゴンは、「社会の数だけ言語がある」という妙な確信が昔からある。だから、特撮ファンの社会とサッカーファンの社会で言葉が通じなくて当然だと思う。もちろん、ひとはたいてい複数の社会に所属しているので、その属している社会の数だけ言語を知っているということになる。そういう意味ではたいていの人はマルチリンガルなんだろう。

実際、自分が全然知らないジャンルの人たちが話をしているのを聞くと、本当に宇宙語のように思えてくることがある。わかるのは助動詞ぐらいで、これが同じ日本語だろうかと思える。現実は単純じゃないから、隣の社会から言葉を拝借することもあるだろうし、横浜ファンと広島ファンは、C++でいえばフレンドリなクラスなので、そう大きくは違わない。しかしJリーグファンは野球ファンをベースクラスとしている部分もあるけど昔ながらのファンもいて、多重継承を引き起す。何にしろ、この辺の継承関係は追跡調査するのがばかばかしいほど複雑怪奇になることは間違いない。ロボットの生みの親であるゆのさと主任なら力任せにやりとげてしまいそうだ。

だから「日本語がわかれば」通じるというのは、もしかすると一種の思い込みというか勘違いなのではなかろうか。だから、「日本語」だの「英語」だの「サンスクリット語」というのは、せいぜいベース言語(そんな言い方があるかどうか知らないけど)と考えるしかないんではなかろうか(さっきはメタ言語って言ってなかったかおれカネゴン)。すいません、逆さでしたね。前半は「なし」です。


見方を変えれば、ある社会ができあがると、必ずベース言語を拡張する。ナチスでもオウムでも町内会でもクラブ活動でも。単語だけじゃなくて、動詞も何でも。逆にいえば、ベース言語を拡張できない社会は長持ちしない。もちろん、ベース言語を拡張したぐらいで長生きするわけではないけど。

「言語」と呼ばれているものは、実はそういう複数の社会のうち、一応広く認められている社会の言葉の最大公約数(と思われるもの)をベースクラスとして拡張した、実は二重にあやふやなものだったのではなかろうか。「理想のプログラミング言語」を考えるときには、たぶんここまでいったんさかのぼる必要があるのではないか。たとえば、ゲームプログラミング用の言語とデータベースのプログラミング言語が完全に同じである必要はない、みたいに。何の共通点もないとただ大変になるだけだけど、クラスライブラリを使うだけじゃなくて、目的によって大胆に言語を拡張してもよいのでは。だからベースになるプログラミング言語の設計時にそのことまで最初から考えておく必要がある。万能薬は求めないけど(こんなことばかり考えていたらプログラミングできないわおれカネゴン)。

なんちって。

おやっさんによれば、カネゴンは1000円以下の金にはこだわるが、1000円以上になると自分と関係ないと思ってしまっているのではないかとのこと。うーむ。ビットに換算すれば、10ビット以上のお金は桁あふれを起こして一律「たくさん」という感じだろうか。

なに、UKのコピーバンドとな。しかし間抜けなことに、カネゴンはUKの一枚目が大好きなくせに、まだ2枚目を聞いたことがない。なぜかCD屋にもないし。

今日の頭音「ロシュフールの恋人たち」ミシェル・ルグラン

2001年01月18日(木)


カネゴンが行動の指針や判断基準にしていたものが何だったのか、少しわかったような気がする。それは「西城秀樹効果」だ。カネゴンは技巧よりも知恵よりも、魂からいかに炎を吹き上げるかどうかで判断していたようだ。コンピューターでも音楽でも科学でも工学でも、もれなく適用していたと思われる。これまで「魂の叫び」とかあいまいな用語を使用していたので、今後は「西城秀樹効果」で統一することにする(発見:おやっさん、命名:おれカネゴン)。「おやっさん/おれカネゴン効果」なら何だか「ボーズ/アインシュタイン効果」みたいでちょっといいのだが、長すぎるので不採用。

西城秀樹効果(略してヒデキ効果)は定量的な測定が極めて難しいが、カネゴンに限っては吹き上げられた炎の高さの平均値を有効数字3桁以上に厳密に測定算出してこれを西城秀樹指数として定義する。また、簡易版としてカネゴンが舞い上がった高さを測定することで、ある程度有意な瞬間および平均の擬似西城秀樹指数を得ることができる。ただし擬似指数には、単にカネゴンが調子に乗っているだけという場合が紛れ込むため、誤差の特定と除去が不可欠であり、用法に注意が必要である。今後、西城秀樹指数または単にゲージとする。

測定を行うからには、単位の制定が不可欠である。

その昔、カネゴンが雀荘に行くことになり、出かけようとしたらアパート前のチャリが見事盗まれていた。時間がないので、そこに捨ててあったようなおんぼろチャリを拝借して雀荘に向かい、もう一名とともに二人乗りでこぎ急いでいると、交通機動隊のパトカーが横に乗り付け、「ちょっと君たち」をやられてしまった。母校の正門前のことである。このときの頭音はきっと「ペッパー警部」だったに違いない。

そのときカネゴンと同乗していた約一名(特に名を秘す)は勇敢にも交機の巡査を前に一歩もひかずカネゴンをかばってくれ、「何だおまえは、名を名乗れ」と巡査に噛み付く。意表を突かれた巡査は思わず本名を口にするが、その名前が偶然にも戦後の名宰相と呼ばれたあの人の名前とまったく同じだったので「いい加減なこと言うんじゃねーよ」とますます引き下がらない。どうやって振りほどいたのか忘れたが、何とか解放してもらったことは間違いない。

このときの同乗者の男気によってカネゴンの心に立ち上がった炎をゲージ100と制定する。今から思えば、メンツが欠けるのを嫌がっただけという見方もあるが、それでもいいのだ。あとはゲージ0を制定して100等分すればよいのだが、まだ適当なものが見当たらない。

なお、後日交機の巡査はわざわざカネゴンアパートまで乗り付けてカネゴンを調布警察まで連行し、調書を取る。このとき巡査が脱いだ帽子の裏に書いてあった名前は、まさしくその名前で、しかも字まで一緒であったことをカネゴンは鋭く見つけた。また、カネゴンが拝借したチャリは、よりによってそれ自体が盗難車であったことが判明した。従って窃盗ではなく、拾得物横領罪で微罪扱いとなった。カネゴンのあたり牌の引きの強さはただものではない。一発でド安めを振り込んだようなものか。

というわけで、西城秀樹効果はほどほどにします。早くまともな社会人にならないと。そういえば、「西城ヒデキのおかげです」という日本SFがあったような気がする。

イメクラにシナリオを持ち込む、といえば、世の中に数ある著名な劇作家がイメクラに行ったら、どんなシナリオを持ち込んでイメクラ嬢に演技を強要するか、なんてことを考えてしまった。日本人でなくても可。ドストエフスキーなら、あの人なら、といろいろ広がる。できれば難解な劇を書く人の方がよい。カネゴンは谷川俊太郎のを所望(そりゃ劇作家じゃないって)。カネゴンが自分でやると身の危険を感じるので、誰かやってみてほしい。

みなさまとっくにお気づきだと思うのですが、MSOfficeは、単体でメニューから起動するとあっという間に起動するが、デスクトップからダブルクリックして起動すると目に見えて起動の速度が落ちる。いろいろ理由はあると思うが、実は単体で起動したばかりのOfficeの画面は、ある意味ドリフのステージの後ろにある書割とおんなじ状態なのだ。書割だけ作って、後ろの方でADが泣きながらあわててセットの中身を作っている(DLLをロードする)ような部分がある。Windowsでは、DLLはそのためにあると言っても言いすぎでないような使われ方をしている。本当はそれだけのためなんじゃないんだけど。だから実際に何かを実行するときにはじめてDLLがロードされるので、最初の起動が早い分、一つ一つの動作が重くなる。それだとあんまりなので、よく使うDLLだけメモリにロードしておいて、「ほらちゃんと仕事してまっせ」とお役所のようなつじつま合わせをしたりもしている。あるいは寸前まで居眠りしていてお客さんが来たらあわてて「いらっしゃいませ」と言うコンビニの店員みたいに。やっぱり猪口才だ。

この手法は、早く見せかけるための正しい(伝統的な)テクニックだし、ほかにもファイルシステムの問題とかいろいろあるのだが、こうまであからさまだとやっぱりおかしい。

カネゴンの身近にいる凄腕のハッカーは、「コンパイル何回やっても終わらない」というまるで俳句のような悪夢を見たことがあるのだそうだ。彼は当然UNIX使いなので、どうやら夢全体が単なる真っ黒なコマンドプロンプトというかターミナル画面で、コンパイルオプションを変えても変えてもエラーが出る、そんな夢だったらしい。人間も何も登場しない、「コマンドプロンプトだけの夢」、なんかすごくいい(そりゃ他人事だからおれカネゴン)。マトリックスより壮絶。

しかしこれは映画やTVでは使えないだろう。地味だし(地味だからおかしいんだけど)、コンパイルとデバッグのつらさ悲しさがわからないと、何がおかしいのか理解できないからだ。何より、「夢全体がコマンドプロンプトで、そこに本人すらいない」という状況は、それを映像化してもおそらく何のことだかさっぱりわからないと思う。妙に抽象度が高いのだ。だから映画やTVでは、仕方なくコンピューターのキーボードを叩くたびに必ず特命リサーチみたいな電子音が鳴るし、パスワードを破ると仰々しいファンファーレ(ブザー音)を鳴らして真っ赤なランプを点滅させ、雰囲気でごまかすしかない。

夢全体がコマンドプロンプトというのは、落語「あたまやま」が絶対に映像化不可能であることの、たぶんその次の次ぐらいに、知らない人に映像で一発で理解させるのは難しいと思う。「あたまやま」は最後に自分の頭に開いた池に本人が飛び込んでしまうのだから、「まんが日本むかしばなし」(これも川内康範プロデュース)でもやりたくてもやれない。

ふと思ったが、科学者はもっと映画に突っ込みを入れた方がいいと思う。ただし「非科学的」という単語を使うのは厳禁。ではなくて、「リアルに見える」か「リアルでない、安っぽい」という突っ込みだ。最大の誉め言葉は「本物よりもいい」。この場合サイエンスライターではだめだ。科学者本人からそういう言葉を聞いてみたい。バカ正直なだけが科学ではないと思う。

ハリウッドの、3時間でレンダリングしたような安っぽいブラックホールなんかの映像(カリキュラマシーンよりましなだけ)とか見ているとカネゴンは本当に悲しくなる。うそならうそで、もっと上手に子供をだました方がいい。「本物っぽく見える」方が「ただの本物」よりもいいときもあると思う。子供が「ブラックホールなんてあんなもの」「ゴジラなんてあんなもの」程度の認識に留まる方がよっぽどカネゴン的に問題。映像だけではなくて、シチュエーションやナレーションも立派に「本物っぽさ」を支援してくれるはず。カネゴンのお話番長でした。

天下りの義務化賛成。ついでに、お尻に「天」の刺青を入れるというのはどうだろう。本当はおでこにしたいんだけど。大昔のスターログという雑誌で、「おでこに

SFと書いて走り回る」あほらしSFごっこというのが投稿されてて、カネゴンそれが忘れられない。

昨晩の「アルタネイティブ緑の恐怖」が収録されていたページ、びっくりするほど投稿が多い。やっぱり、こういう風にフレンドリーなページ作りを心がけないといけないのだろう(もう遅いわおれカネゴン)。「あけてくれ」からリンクしているさわだんの掲示板は、誰が書き込んでも速攻さわだんが返事をつけている。こういうまめさがカネゴンにも必要であることを痛感。まめになろうとして、何だか違うまめさを発揮していないかおれカネゴン。

漫画家小山ゆうが、デビュー前に編集者から受けた壮烈な漫画特訓。描き上げた漫画の一こま一こまを編集者が指差し、「このコマが他より大きいのにはどんな意味があるのか」「ここでこの人物がこういうことを言うのはなぜだ」など、すべてのコマに対して説明を求められ、一つ残らずすらすらと説明できるようになるまで決して許してもらえないというものだ。ある意味大学院の数学のレクチャーみたい。これを音楽でやったら凄そうだ。「ここでチョーキングを入れた意味は」とか「ここでリフレインに戻る理由は」みたいに。こういう訓練がいいのか悪いのかはカネゴンにはわからないけど、この限りなく果し合いに近い乱取り稽古から生還したらかなりの水準になると思う。

カネゴン日記も誰か特訓をつけて欲しい。まじで。書くだけなら、ほんといくらでも書けるのだけど、それがいいのか悪いのか、面白いかつまんないかが自分ではまったくわからない。未知の領域に行くのはいいけど帰って来られなくなりそう。

となれば、パラグラフごとに「面白かった」「つまんない」ボタンをこしらえてCGIで横ちょに表示するようにするしかないのだろうか。どっかにそんなのがあったような気がする。今日はナニなので今度探してみます。

中央省庁はどこもマイクロソフトのサーバーを使っていないらしい。これって別にお手盛りではなくって、ダウンしなかったものが生き残ったと考えるのが自然かも。

2001年の大予言。この予言からきちんと読み取れる人は救われる。まじで。後になるほどよい感じ。以上2本はNo Subjectのお姉さんからでした。

今日の頭音「炎」西城秀樹

2001年01月17日(水)


量が増えすぎたので翌日へはみ出す。

ADSLに限らず、電話関連はどうしてもNTTがボトルネックになってしまう。いわゆる専用線は、申し込んでから1ヶ月で開通すればいいほうで、以前は半年も平気で待たされたことがあった。二次業者にもよると思うけど、そんなNTTに泣かされることは多いと思う。それでも状況ぐらい説明してくれてもよさそうなものだ。一方、JRAがぶっとい専用線をNTTに申請したときは、開通までたった3日だ(昔のUNIX UserでのJRAの取材記事に堂々と書いてあった)。これこれ。

ちょっと前に「電話のコンサルタント」という仕事があった。でも今週の週刊アスキーで「通信業界総特集」みたいなページを見て、この業種も先は長くないと思った。誰もが知っているような分野では、情報格差だけに便乗したコンサルティングはできないからだ(もうだいぶ忘れているのではおれカネゴン)。

ミニー・リバートン、ニュートラルでよくかかって、すごく好きなのだが、いつも名前を忘れてしまってCDを買い損なう。ここに書いておけばもう忘れないだろう。初めて聴いたときは、「病的な感じがきれいさっぱりなくなったケイト・ブッシュ」かと思った。今検索してみたら「Lovin' you」の人だとたった今気付いた。ちっとも知らなかった。

誰の曲かも知らずに、カネゴンは「Lovin' you」をよく唄う機会があった。一度酔っ払って山手線に乗ったとき、つり革につかまったまま「Lovin' you」を絶叫しまくり、目の前に座っていたオバサンが最初笑っていたが、カネゴンがいつまでたっても唄いつづけるのでだんだん不機嫌になっていったということがあったらしい(後の証言によれば)。

誰かの結婚式で演奏したこともあった。進行が一種類しかないので練習が楽でよかった。歌も別の人が歌ってくれたし。ただ油断すると今何回目なのかがすぐわからなくなる。

カネゴンは酔っ払うと基本的に寝るが、そうでないときは歌を歌ってしまう。酔っ払って家に帰って「妖怪人間ベム」の最初のAメロだけを延々唄い続けたこともあるらしい。

カネゴンは、どうやら身体は24時間周期だが、頭は3日周期で活動しているらしいことに気がつく。3日に一度ニュートラルに行くのは、その周期に組み込まれてしまっているからかもしれない。

家賃、振り込み忘れたかも。

●懸賞5「デジタルレンズ」これと「デジタルミラー」を思いついたのはかれこれ高校生ぐらいの頃だが、基本的にお話番長のカネゴンには実装する力もなく、事務手続きが極めて苦手なカネゴンには図面と書類を書く力もなく、ほっぽりだしてあったものだ。そうこうしているうちに、デジタルミラーの方はTexas Instrumentsがマイクロマシンの応用でLSI上に実装してしまい、ちょっぴりくやしかった(日経産業新聞で見た)。残るはレンズの方だ。条件は「機械的な動作を行わないこと」で、電子レンズ(TVの電子線を曲げるコイル)のようにソリッドステートなものが理想。ギターやベースのピックアップとして知られているピエゾ素子(電圧をかけるとわずかに変形するセラミック)の原理を応用すれば、レンズだってセラミックの親戚なんだからすぐできそうな気がする。要は透明なピエゾ素子を開発できればいいということか。

でなかったら、レンズを特定の方向に超高速で振動させるという方法もあるかもしれない。これは望み薄だけど、純粋に実験として面白そう。

懸賞5が一番早く実現できそうではある。天上名「デロリンマン」獲得に一番近い。

「デジタルレンズ」なんか作ってどうするのだと言われると困ってしまうが、完全に自由なホログラフを作るのに必要かと思って。

●懸賞6「携帯電話で文字を高速に入力する方法」これも3年ほど前に思いついたが、同じ理由でほっぽりだしている。現在のような「あ」を5回押して「お」を入れたり、DOSまがいの「ユーティリティ キー」のようなキーの数を減らしてコストを下げるだけが目的の猪口才なインターフェースではないものが条件。カネゴンが思いついたのは図に描かないとわかりにくいのでもうちょっと考えます。とにかくこれも天上名近し。

携帯電話は、デフォルトで(工場出荷時で)バイブレーターモードにしてほしいものだ。

悪夢のような神田のコスプレ居酒屋。カネゴンはものすごく大根なので、イメクラのようなものにはまれる人がうらやましい。自分でシナリオを書いて持ち込む人までいると聞いて、イメクラ名人にはなれそうにもないと行ったこともないのに思ったりする。そういう雰囲気作りはカネゴンが最も苦手とするものの一つ。そうやっていいムードに間違ってなったりすると、「ここで何をやったら台無しになるか」ということを強迫観念のように思いついてしまい、それを振りほどけない。

おなじ要領で、キャバクラに入れ込めない。連行されたことは数知れずであるにもかかわらず(だから自分で金を払ったことはない)、何か無理やり喋っていると、こっちがサービスしているような気にさせられてしまう。「何か意表を突くようなこと、言ってよ」と思ってしまうのはわがままなのだろうか。落語や手品でもやってくれたほうがいい。ご存知「自称コーディネーター」が、キャバクラで「タイムボカン」の話を例の名調子で語り、お姉さんたちの心をがっちりつかむのを目撃して、ますますわけがわからなくなった。

男と女のそのときに、必ず脳裏に全盛期の竹中直人がよぎってしまう。「こうして欲しいのか?ああ?」みたいな芝居がかったセリフをもし口にしてしまうようなことがあれば最後、竹中直人のステージにアテレコを入れているような状態になることだろう。それが恐ろしい。ああ、願わくばカネゴンの日記を読んだ人が、男と女のその時に、竹中直人のアップがよぎらんことを!(何なのだおれカネゴン)

今にも化けの皮がはがれそうな発明。こういう売り出し方をして当たったものって、何かあっただろうか。カネゴンには思い出せない。資金を集めるだけ集めてトンズラされないように。

スパイ博物館。21世紀早々、スパイもネタとして消化されてしまったようだ。情報機関側が黙ってても秘密を喋りたくてしょうがないのを見越して採算が取れると判断したところがいい。「われわれにもあれができるか?」というのは何を指して言っていたのだろう。やっぱり自動的に消滅するテープだろう。

殊能さんのページで紹介されていたチャーリーズ エンジェル。このサイト、ドメイン名が体を表すというやつで、前見たときはあんまり面白くなかったけど、今回のはちょっと笑ってしまった。「竹中直人の放送禁止ビデオ」で、なんきんが熱演した「家具SM」をちょっとだけ思い出した。

これ、さすがに触ると怪我しそうではある。でもカネゴンは、TVで勉強しようとは思わない。もちろんネットでも。報道がそれ自体で刑罰である以上、中立な報道はないと思っている。「あけてくれ」関係者には今更だと思いますが。

Excite サーチエンジンで「平賀源内」を検索すると、なぜか「あけてくれ」が出てくることが判明。Metaタグには入れていないのだが。アクセス解析は面白い。サッカーのページから「あけてくれ」にジャンプする人とか、F1のページからジャンプする人とか。アルタネイティブ緑の恐怖も発見。あと、嵐(ジャニーズの)と「公式」というキーワードでGooで検索すると、「あけてくれ」がトップに出てしまうことも判明。嵐ファンが間違えてどんどんなだれ込んできているのだろうか。嵐なんてキーワードは使っていないのだが。今後は、芸能プロダクションも「検索しやすい」芸名を真剣に検討するほうがよいと思う。あと、ワナとして仕掛けたMetaタグキーワード「少女」「写真」で引っかかった人もいる。悪しからずや悲しからずや。あと、「そば」で検索してガラガランダー!のページに来てしまった人もいる。何だか、だんだん引き返せないところにきてしまったような気がする。

今日の頭音「Echoes」Pink Floyd、ミニー・リバートンの何かの曲。

2001年01月16日(火)


ニュートラルにきんどーさん来襲。日記はやめない方がいいと言われた。カネゴン単純なのですぐその気になる。

カネゴンの日記が異様に饒舌だったのは、川内康範好きについて言及を避けるためだったと言っても過言ではない。これを言ってしまったからにはもう怖いものはない。

いったいどこへ行くのかおれカネゴン。それでいいのかおれカネゴン。

朝っぱらから回送電車に乗ってしまい、ドアを中から開けてもらった。2本続けて回送電車が来るとは。

N先生からメールで返事が。ほんとにほんとにすみません。

その昔、ベンタゴンかどこかが「永遠の懸賞」というものを募集していた。ちょっとやそっとでは作れそうにない、10の発明品に膨大な懸賞金をかけていたのだ。確か「何回でも使える写真フィルム」とか「空気も水ももれないチャック」なんてのがあがっていた。何回でも使える写真フィルムは、デジカメの出現で、それ自体に存在意義がなくなってしまった。今はむしろ「絶対消えない」ことの方が重要だったりして。フィルムに限らないけど。

そろそろ、これの21世紀版をやってもいいのではないか。タイムマシンとか1000年かかりそうなものではなくて、手頃な難しさで、後100年以内にできて欲しいもので、スカイカーのようなデメリットが少ない発明品がよい。何があるだろうか。考えとく。キーワードは「絶対消えない」と「自律」と「いつか必ず部品が壊れることを想定」いうことにしておく。もしみごとに受賞した方には「デロリンマン」を始めとした素敵な天上名を進呈。といきたいものだ。それしかあげるものがないとも言える。

●懸賞1「個人用フライトレコーダ」一個人が、生まれてから死ぬまでに行った移動と買い物を残らず収録できるほどの大容量で、まず故障することなく、しかも決して消えない。これがないと生活に差し障りがあるほどのものにしておけば、いやでもつけつづけないわけにはいかないだろう。記録は膨大で検索しにくいぐらいでちょうどいい。簡単に検索できるようでは悪用されまくるので。事故とか裁判とか何かあったときには、これで行動をトレースできる。解析には数十人が数ヶ月かかりっきりになる。コンピューターの性能がどれだけ上がっても、そこから情報を読み取るのは人間なので、このぐらいかかる。ドラえもんで「タイムマシンを使っても、100年の歴史を調べるには100年かかる」というすごくいいことが書いてあった。Fは本当に天才だ。

だから「死ぬほど大容量」で、単調なフォーマットで、しかも不連続なデータであることが大事。暗号化は特にしなくてもよい。それより、不連続なデータにして微分(解析)を困難にすることの方が大事。うっかり浮気もできないようでは、誰もつけてくれないからだ。本人ですらうんざりして読み出す気になれないほどなので、残念ながら日記代わりにはならない。カネゴンとしては、こういうふうにシステムや技術の根本そのものに抑止力がないと、そいつを信頼できない。「後から付け足した」セキュリティだの何だのは、必ず外せてしまうので。

問題はどうやってなくさないように/盗まれないようにするかだが、指輪/腕輪ないしは孫悟空の頭の輪、ないしはノンノンが足につけていた足輪のようなものになるのではないか。身体の中に収納すると、くさったりしそうなので。

●懸賞2「次世代経済システム」急成長もしないかわりに、暴落することもない、よい意味でネガティブ・フィードバックをその根本に備えた、自律的に安定を志向する経済システム。いろんな意味で人間のオペレーションを信用しないというか、人間がコントロールする必要がないというところまで洗練させること。まだ仮定でしかないが、「利子」という概念を取り外すことが大事なような気がする。当然、その動作原理は極めてシンプルである必要がある。仕様書とソースコード(言語は任意)をつけること。動作確認の上で天上名を進呈。クラスライブラリまで作ってくれればカネゴンは泣いて喜ぶ。ただしその経済システムにはダフ屋、テキ屋、ヤクザがさしあたって含まれていても問題ないものにすること。また、流血なくスムーズに移行できるようアップデータも開発しておくこと。最終的にはなくなるのが望ましいけど、こういう人たちを切り捨ててはいけないとカネゴンは思ったりする。クラスライブラリには people.yakuza、people.tekiya、などのオブジェクトというかプロパティを実装すること(そりゃ事件屋稼業の読みすぎだおれカネゴン)。

●懸賞3「税金を確実に回収する方法」--案例:マイクロソフトに代わりに税金を払ってもらう。その代わり毎年Windowsをバージョンアップし、アップデート代を取ってもよい。「MSにつけといて」が合言葉。ある意味タバコや塩に税金をかけるより、ちゃんとユーザーに見返りもある分わかりやすい。国税庁の職員も大幅削減できる。Linuxユーザーなら無税になる代わりに選挙権がなくなる。もっとましな案求む。

●懸賞4「交通渋滞の抜本的解決」これをやってからでないとスカイカーもくそもない。最も頭の痛い現象「道路を拡張したら、その分だけきっちり車が押し寄せる」これを、極めて自然に解決する方法はないものか。同じことはインターネットのバックボーンにも言える。明和電機と同じく、関数装置以上に複雑な装置を使ってはならないことにする。また、完全分散制御はよいが、集中制御はだめということにする。集中制御は故障やテロに弱いからだ。電気を使わないのが最高。ところでこの明和電機のページ、とってもよい。

とある経済学者が、電車の混雑を解決する方法として「ラッシュアワーには通常の10倍の料金を取り、すいてる時間帯にはただにする」というのを提案していて、カネゴンいたく感心した覚えがある。その原理は「ラッシュアワーには、混雑によって迷惑を受ける乗客自身も、そこにいることで回りに迷惑をかけているのだから、迷惑料を徴収する」というものだそうだ。


後は思いついたらおりおりに書く。だんだんトンチの懸賞みたいになってきた。

根本敬といえば、グランドチェロキーに乗ってやってくる保険外交員は、その昔彼の弟(東大生)と、根本敬が主催する「鬼畜ナイト」に行ったことがあるのだそうだ。根本敬は「こいつ、ほんとにだめなやつですねー」などとスクリーンを指差しながら、異様な早口かつ甲高い声でしゃべっていたそうだ。実は何も考えていないだけなのかもしれない。何かが彼にそう書かせているのだろうか。ちなみに弟君は、この日以来こういったものに目覚めてしまい、東大のサイトでこういう鬼畜なことを載せているらしいとのこと。

カネゴンは、いったい何のめぐりあわせか、「Be-bop High School」に登場する「ヒロシ」のモデルであるH.Kさんを紹介されたことがある。吉祥寺の、おやっさんがあまり好きでない、音楽がうるさいおしゃれな呑み屋でのことである。カネゴンが以前いた会社に、ヘンな人と知り合いになるのが異常にうまい人がいたのだ(オカマにもてた)。Kさんはとっても頭が小さい人という印象。流暢な博多弁が迫力だ。これがあの「火の玉」と呼ばれた人なのかと、カネゴンは感心することしきり。さすがに直接「火の玉だったんですか?」とは聞けなかった。H.KさんはT.Mさん(トオルのモデル)とともにマンガを手伝っているのだそうだ。

週刊アスキーで、UNIXとJavaの大功労者ビル・ジョイがとてもいいことを言っていた。ユナ・ボマーが「爆弾は一回爆発したらそれっきりだが、自己増殖するロボット/人工生命体には歯止めが利かなくなる」という主張をしていて、ビル・ジョイはそれに全面賛成(もちろんその主張だけ)なのだそうだ。

今日の頭音「ス・ト・リッ・パー」沢田研二、「お星になったシビー」ローザ

2001年01月15日(月)


作業の合間に、えらい量の日記を書いてしまった。何だか威勢のいいことばかり書いてるし。もう落ち込んだりはしないけど、誰かが怒りだしたりしないか、それだけが心配だ。

緑の恐怖の日記タイトルがいつの間にか変更。うーんやられた。ところでAikoって何?

「空手バカ一代」、このタイトルを英語で表現するなら何と表せばいいだろうか。「バカよバカ、まさに空手バカ!」とか「それにつけても恋しいのは女の柔肌」とか、どう表せばいいだろうか。教えて、rush。和文英訳は苦手なカネゴンでした。「はっはっはー、片眉のない人間の何と珍妙なことよ!これでもう里には降りられん...女どもが相手にするものかあ!」ぐらいは何とかなるかもしれないですが、芝居調の英語というのもよくわからない。アメリカで放映したら、きっと片眉がない人間が続出すると思う。

カネゴンが昔聞いたとってもイイ話。大学の大OBである某氏は、ちょっと信じ難いぐらいの豪傑で、その一方で熱い魂を恥ずかしそうに秘めているところがカネゴンは大好きなのだが、その人が自分の事務所で片腕がない人を雇ったとき、問答無用で「こいつは俺の片腕だから」とみんなに紹介したものだからもう大パニック。でもその人からは「今までいつも腫れもの扱いで、そんなふうに言ってくれる人はいなかった」と後でえらく感謝されたのだそうだ。真似すると怪我しそうな大技としか言いようがない。脱帽。ネット上に書く予定はないけど他にも豪快エピソード多数あり。

ああ、ああ、ついに書いてしまう(もうバレバレだっておれカネゴン)、止まらない。カネゴンは、実はレインボーマンが心底好きなのだ。といっても変な意味ではなく、その底に流れる思想が好きなのだ。確かにカルト扱いされてもしょうがないぐらいのものすごい怪作だし、つい吹き出してしまうような安っぽい造形とか、金がないのが見え見えの演出とか、欠点を上げればきりがない。結構美人なお姉さん(死ね死ね団幹部)が、化粧に失敗したようなものすごいメイクをさせられて無理矢理「サイボーグ」ということにさせられていたその姿が、よく知っている知人にあまりにも似ていて笑い転げてしまったこともある(とてもそんなこと本人には言えないというか言ってもわからないと思う)。お姉さんにしてみれば、そんな屈辱的なメイクをさせられてはらわたが煮えくり返ったであろうことは想像に難くない。それでも、見ると泣いてしまうのだ。「大地の子」と同じなのだ。カネゴンの中では他の特撮と一線を画してしまっている。あー言ってしまった。恥ずかしいー。21世紀早々。

それと、「正義の味方」がもし実在したら、100%間違いなくキチガイ扱いされるということをまざまざと示している子供番組というのも、他に見たことがない。結果的にそうなっただけかもしれないけど。それに気付いたカネゴンは心底戦慄した(カネゴンそりゃ大袈裟な)。実際のところ、小学校一年の時に見たときは、ひたすら怖かっただけなのですが。

だからレインボーマンが好きというより、原作者の川内康範(こうはん)が好きなのだ。カネゴンが密かに宝物にしている川内康範超ロングインタビューがあるが、最初読んだ時と後でもう一度読んだときで印象ががらっと変わっていたのに驚いたことがある。最初読んだ時は、「ダイナマイトどんどん」に出てくるアラカンがもっとしゃきっとしているみたいな、触れれば切れるような恐ろしい人という感じだったのが、間を置いてから読み返すと、意外に情けない一面を持っているところが目についた。この人は「日本は国連の常任理事国になってはいけない」という運動をしているのだが、残念ながら具体的にどうまずいのかを説明してくれていないので、カネゴンにはまだよくわからない。本を買ってもみたが、情熱の嵐が先だっていて、論点がよくわからなかった。人のことは言えないけど、この辺は研究中(?)。

こんなことばかり書いていたら、カネゴンまるで「デロリンマン」ではないか。「人間よ、魂のふるさとへ帰れ」みたいに。別に落ち込みはしないが、カネゴン自分で自分のことがちょっぴり心配になる。早く忘れてまともな社会人にならないと。とにかく、次なるあけてくれ関係者の天上名は勝手に「デロリンマン」に決定(えーかげんにしなさいおれカネゴン)。

今日の頭音「ゆけ!レインボーマン」

2001年01月14日(日)


チャリはM1号が拝借していたことが判明。なーんだ。あわてて警察に行かなくてよかった。M1号と高笑い。かんらかんら。行く手はいつも日本晴れ。

またしても作業に没頭。いいかげん運動不足になりそうだ。どうせ数年はかかりそうな作業なんだから、気晴らしに映画でも見に行こうか(それじゃ一緒やおれカネゴン)。それともメモリーを買いに行こうか(....)。

R.A.ハインラインの「夏への扉」を読んだのはいい年になってからだが、何だか「ナニワ金融道」みたいなストーリーだった。もちろん大筋は違って当然なのだが、主人公の顔が灰原に見えて仕方なかった。ナニ金を読む前だったらきっと感動したと思う。デフォルト左翼の青木雄二とデフォルト右翼のハインラインがおんなじようなことを考えているというのは、何かイイ。

岡田斗司夫は落ち込むと「夏への扉」を読んで元気を回復するそうだが、何だかわかるような気がする。何というか、ハインラインの大阪商人的気質がこの人にぴったりこないほうがどうかしている。ところでこの人の日記は最近あまり更新されないが、素晴らしく面白い。TV Bros.の連載もモノマガジンの連載も極めて面白い。しかもネタを一度も重複させたことがない(意図的にやった場合は除く)というのはかなり驚異だ。どういう頭の構造をしているのだろう。

根本敬という、おそらく地上で最も下品なマンガを書く人がいる。死体写真に吹き出しをつけてマンガにしたり。しかしこの人は、時々とてつもなくカッ飛んだ、時に宇宙規模にまで拡大するような、うっかりすると崇高なものと勘違いしそうになるようなアイディアを自分の漫画やエッセーに紛れ込ませていて、時々真意がわからなくなる。そのスケールだけは諸星大二郎クラスだったりするから、なおわけがわからない。それでいて「俺はこの世の汚い部分を暴いてやるぜ」みたいな鼻息の荒さがどこにもない。不思議だ。ただし散発的なので、引用しても何が凄いのかさっぱりわからないということになりそうなのでやめておく。マンガの下品さには時々耐えられなくなるときがあるが(物理的に汚物の臭いがしてきそうなことすらある)、カネゴンは確実にそっちのアイディアの方からは影響を受けている。最近あんまり見ないが、どうしているのだろう。プロフィールに「特殊漫画家の道をただ一人ひた走り、ついには極北にいたる」とあって、妙に感動してしまった。

カネゴンは、手品で口の中から延々引っ張り出す長い布のように節操なく書いているが、実はその場で考えたことというのはほとんどなかったりする(細かい部分はともかく)。どれもこれも、以前からそういうことを間を置いて考えていて、初めてそれを外に出したというのに近い(なお悪いわおれカネゴン)。

久しぶりの特命リサーチ。未来っぽいものが大好きなカネゴンとしては見逃せないので、大急ぎで銭湯に行く。

「ホレ薬」とか「頭がよくなる薬」みたいな情けないのは別にできなくても構わない。きっと渋谷の歩道橋にチラシが張り付けられる運命と見た。

「空飛ぶ自動車」は、暴走族が大集団でカラスのように空を飛ぶようになって、毎年正月に湘南上空に集結したときに真剣に後悔すると思う。とんだ21世紀だ。外から制御できるようにしたところで、必ずROMを交換したりする闇商売ができるに決まってる。

「家庭用ロボット」、まだまだ先と見た。ロボットにとって最も難しいのが「大掃除」だからだ。人間でさえ、捨てていいものと捨ててはいけないものを間違えるのに、ロボットが間違えないはずがない。それをしようとすると、ロボットが何か1アクションするたびに人間に聞きにいくという間抜けな状況になるだろう。それが嫌ならLOGOみたいに自分でプログラミングするしかない。それならいいんだけど、いちいち聞きに来るのではうるさくてかなわない。プログラミングしたところで、新しくものを買うたびに書きくわえるのは面倒だ。当分、ロボットが掃除しやすいように部屋を作り変えないといけないだろう。

それに、ロボットがレシピ通りに料理を作るぐらいはできるかもしれないが、そんなレトルトみたいなのを食わされるのはたまらない。おやっさんみたいにアドリブを利かした料理を作れるようになんないと嫌だ(カネゴンは料理がまったくできない)。

老人介護にロボットを使うとすると、強大な力を持った老人たちが集団でガンダムに乗ったみたいに大暴れする事件が必ず起きる。死ぬのが怖くないからかなり危険だ。それまでに自衛隊はモビルスーツを装備しなければならなくなるだろう。戦争のためではなく、国内の治安のために。笑っていいのやらいけないのやら。

インテリジェントハウス(スマートハウス)は、危なっかしくて車も運転できないカネゴンにとっては、結構怖い。はさまれて死ぬのだけは御免だ。それで三面記事なんかに載ってしまったりしたら本当に嫌だ。人がいないと自動的に電灯が消える、ぐらいならいいけど。建築材料に画期的な進化がないと、ただのビックリハウスになる可能性大。でも忍者屋敷は大好き(子供のときからの夢)だから、結局導入してしまうかも。テクノロジーをふんだんにつかった「どんでん返し」や「吊り天井」なんて、考えるだけでわくわくする。何の役にも立たないけど(結局どっちなのだおれカネゴン)。

電子インクを使った新聞、これは前からあるが、こいつはいい。でもそんなにしてまで新聞を読もうとするだろうか。競馬場では売れないと思う(赤鉛筆が使えないから)。違う使い方をした方がいい。逆に、どんな馬の過去データでも瞬時に簡単に引き出せ、その場でグラフにしたりいろいろできるようになれば、みんな目の色を変えて導入することだろう、金を払ってでも。その代わり、出馬に間に合わないといけないので、十分な速度が出るまではだめだろう。競馬場の脇には、すった客が頭にきて破り捨てた電子ペーパーがうず高く積み上げられるだろう。

家で仕事ができるようになる、はとっくに実現されている。どっちかというと、「金を余分に払うから出社してくれ」ということになったりして。

携帯電話は、すでにどんどん多機能になりつつある。しかし、それだけになくした時のショックは20倍ぐらいになるだろう。カネゴンはすぐものをなくすので。何でもこれで出来るようになったあかつきには、ドロボーさんも楽になる。となると、パスワードをいちいち入れないと使えないのでは話にならないので、指紋による認証は欠かせなくなるだろう。そうなれば、逆に犯罪捜査の決め手になったり、プライバシーがどうたらしたりいろいろ起きることだろう。

未来のエンターテイメントが「バーチャルリアリティ」とは情けない。岡田斗司夫が、「デジタルっちゅうのはな、【安かろう悪かろう】ってことや」とすごく正しいことを言っていたが、そこから考えれば、逆に「そこに行かないと見られない」ものの方が値打ちが出たりして。ライブでもディズニーランドでも。

自動翻訳/自動通訳は、思わぬ形でものになるかもしれない。機械的に翻訳する人間が淘汰される時代は、たぶん来る。翻訳コンニャクになるかどうかは知らない。その時は、「このジャップが、もう一発原爆を落して欲しそうな顔をしてるぜ」みたいなことを言われても翻訳してくれるだろうか。

「ホレ薬」、そんなに劇的に利くものができてしまったら、絶対おかしな事件が起きて、早晩全面禁止になってしまうこと間違いなし。駅でぶちまけたりして、みんな朝っぱらから発情したりして。カネゴンが観察する限り、モテる人は匂いともルックスとも無関係に、「話がオモシロイ」か「何か必殺技がある」ことの方が全然大事なようだ。逆に、顔が良くて頭が悪いと、本当に悲惨だ。カネゴンが知っているある人は、仕事もすごくできてオスの匂いがぷんぷんする人だったが(プロゴルファーの丸山似)、「金さえあれば何人でも囲える」と豪語していた。この人にキャバクラに連れていかれた時、「三人ずつねーちゃんをつけないと帰るからな」と、本当に一人前の料金で三人のねーちゃんをつけさせた。しかしカネゴンは酔っ払ってずっと寝ていたので何の意味もなし。でもあっさりその後すごくよくできた奥さんと結婚した。奥さんの方が一枚上手だったようで、旦那と同じ職場で経理を始め、しっかり尻尾を握っていた。別に旦那を監視するためではなく、経理を頼んだのは旦那の方だったりする。

マイクロマシンはいろんな意味で面白そう。こういうのは好きだ。「自動的に病気を直す化学ICチップ」は、それが完成するまでに何人死ぬか、にかかっていると思う。死刑囚を使うしかないだろう。死刑より重い「実験動物の刑」というのができたりして(まだ言うかおれカネゴン)。

「記憶力をよくする薬」は、もう別に欲しくない。忘れたいことの方が圧倒的に多いのに。「理解力を高める」薬だったらまだわかるけど。こういう薬をバカ喰いして頓死する受験生が続出するとしたら、結構壮観。

「宇宙旅行」はいい。リスクはいろいろあるだろうけど、これをやらなくて何が21世紀か(と法源調)。

カネゴンはこんなことばかり言いながら特命リサーチを見ている(しょうがないのうカネゴンは)。これはきっと、以前の仕事で「常にメリットとデメリットを考えよ」ということを叩き込まれたときの後遺症なのかも。カネゴンそういう混ぜっかえしは大好きなので、下手すると客が怒りそうなことまでいちいち考えたりしていた。まあそんなことしなくたって、ドラえもんかキテレツ大百科(フレドリック・ブラウンでも可)を一回通して読めば誰でもこうなるのでは(カネゴン、ないない)。

「トータル・リコール」という映画で、ペンでタッチするだけで色が変わるネイルと口紅というのがあったが、あれはすごくいいアイディアだと思う。あれこそ実現するべきだ。液晶の原理で、そんなに遠からず実現できるはずだ。化粧品会社はすごくいやがりそうだけど。

その後NHKでやっていた「犯罪ネゴシエーター」のドキュメンタリーは非常によかった。特命リサーチより。助けられた人質に感謝されたことがほとんどない(「何でとっとと助けないんだ」と怒る人ばっかりなんだそうだ)という話が染みる。 その後の「大人の試験」という番組もすごくよかった。「はたらくおじさん」の進化形というか、NHKがテレビ東京の職人芸番組からいい意味で影響を受けたって感じだろうか。その後の「新・アジア発見」では、北朝鮮から父親と二人で亡命した青年がソウルで大学受験に励んでいた。何だか顔も境遇も「大地の子」の陸一心(上川隆也)に似ていて、つい入れ込んで見てしまう(何かNHKばっかり見とるのうカネゴンは)。最後に見事延世大学の社会学科に合格していた(Yahoo!KoreaのHotmailで合格発表が到着)。よかった、本当によかった。

今日の頭音「They can't take that away from me」ガーシュウィン。ただしJazzアレンジではなく、「レインマン」で流れていた方。

2001年01月13日(土)


またしても終日作業。さすがに眠気に耐えられず、久しぶりに昼寝。その後吉祥寺某所で新年会・打ち上げ。しみじみ何を食べてもおいしい店であった。そのままニュートラルへ。たまたま持っていた「Galaxy Quest」を上映。

打ち上げの前に銭湯に行こうとすると、チャリが盗まれていた。がく。仕方なく歩いて銭湯に行くとこれまた休み。がく。

自分のPCはメモリー128MBのはずなのに、topをかけたら64MBと表示されている。もしかして外れてる?最近スワップが多いわけだ。

カネゴンは、サンフランシスコのホテルで、アニメ版「ゴーストバスターズ」を見たことがある。映画と違ってシリアスな展開。バスターズの一人が車椅子に乗っていたのが映画と違っていて、そこが非常に気になった。車椅子のまま、器用にビルからビルへ飛び移ってブラスターをぶちかましていた。これは、スタートレックなんかでよくある「メンバーには黒人と東洋人をバランスよく配合せよ」(でもリーダーは白人ね)というやつなのではないか。あちらもののTVや映画は長らくこうなっていて、日本人しか登場しない日本のTVや映画とは大違い(ヤクザ映画を除く)。それが進んで「車椅子も配合せよ」ということになったのだろうか。

となれば、残るは「裸の大将」しかないではないか。「裸の大将」がバランスよくメンバーに配合されて、「ぼぼぼぼくは兵隊の位で言えばににに二等兵なんだな」とかやる日をカネゴンは心待ちにしている。いや、きっと真顔でやるに決まっている。その点だけは石ノ森章太郎は早かった(サイボーグ009)。ちなみにKids' TVでは「ゴーストバスターズ」の次はアニメ版「Men in Black」だった。日本がマンガ→アニメ化なら、あっちは映画→アニメ化という流れが確立されているのかもしれない。

ニューヨークのホテルでは「キャプテン翼」が、しかもスペイン語吹替えで流れていた(何しに行ったのだおれカネゴン)。翼くんが「マリオ」と呼ばれていたのがすっごく気になった。ともあれ、かの地のサッカー小僧の魂に火をつけているのはよし。アストロ球団を流したらかの地の野球小僧の魂に火がつくだろうか。「空手バカ一代」を流したら、魂からぼうぼう炎を吹き上げた空手小僧が激増するのは間違いない。今の極真の舘長は「空手バカ一代」を読んで空手を志したのだというのだから。

バンド小僧の魂に火をつけるマンガというのには、どういうわけかお目にかかったことがない。修行のシーンをカットしているせいだろう。音が出ないせいではない。スターウォーズでもレインボーマンでも何でも、修行シーンは大事だ。最初からできても面白くもなんともない。「一休さん」にいたっては全編修行シーンみたいなものだが、ちゃんと成り立っているではないか(何なのだオレカネゴン)。

「空手バカ一代」は、日本でおそらく初めて「空手」が主役になったマンガなのだそうだ。それまでは圧倒的に柔道が主役で、空手は悪役専門という通念だったので、連載開始時に編集部が反対したのを、梶原一騎が押し通したのだそうだ(「なつ漫探偵団」より)。インド映画ではネパール人が悪役専門で、同じ人がネパール映画では善玉で登場するという話を思い出した。プロレスでは善玉と悪玉を興行地によって使い分けるというのはよくあるみたいだが、映画も一緒ということか(おれカネゴン、オチは?)。

今日の頭音「北風小僧の寒太郎」堺正章 (口笛つき)

2001年01月12日(金)

井上陽水が初めてカバー曲(コーヒー・ルンバなど全4曲)をシングルにするんだそうだ。ほとんどおやっさんに知らせるためだけの記述。

人には言えない作業をやっていたら、いつの間にか朝4時。いかんなあ。その割には元気いっぱい。

しかし、いいとししてやっとわかってきた。こういうときにでかい失敗をする可能性が上がるのだ。それが何と同期しているのか知らないけど(月齢とも太陽黒点とも光通信の株価とも相関関係なし)、こういう「男の生理」みたいな時期は、とにかくじっとしているに限る。誰しも、「あ、こういう日に車運転すると何だか事故りそうだなあ」という日があると思うが、カネゴンの場合はもとが頼りないので、よりそれが顕著に顕れる。用心用心。

つかまったときの言い訳がいい感じ。マスコミで名前が知れ渡るというのはそれだけで十分刑罰なんだなあとしみじみ思う。報道が刑罰だなんて考えているマスコミ関係者は一人もいないだろうけど。「あけてくれ」で恥ずかしい天上名を使用しているのはそういう理由(それはカネゴンだけなのでは)。本名の方が100倍恥ずかしいので。

そう思うと、死刑制度に賛成するなら死刑を生中継することを考慮してもいいのではないか。どんな番組になるのだろう。

きっと放送時間はいっさい予告されず、全社いっせいに流さなければいけないだろう。録画スクランブルをかけて、ビデオに撮ったりできないようにしておく。ある日突然、画面に白地に黒い筆書きで太々と「死刑」と表示される。音楽もアナウンスも一切なく、本人の顔を写した下にテロップで罪状が淡々と流れる。カメラは一切切り替わらず、一台だけでひたすら追いつづける。囚人はカメラに向かって毒づいているが、音声が切られているので、何を言っているのかわからない。音がないので画面で囚人が首を垂れるまでじっと見ていないと執行されたかどうかわからない。全てが完了すると「執行完了」と画面にバーンと出て、おしまい。突然そこからにこやかなCMが「エバラ焼肉のたれ!」と流れる。というような具合になるのだろうか。

見る人に確実にトラウマを残し、お笑いにする要素を一切排除して、しゃれにならない演出をこころがけるのだろうか(それはカネゴンが昔見た悪夢だろう)。

逆に死刑制度に反対するなら、ものすごく恥ずかしい格好をさせられたところを全国生中継、で代用するとか。いや別にそのカネゴンはそんな何も言っていませんよ。

だめだ、ついに眠気が。最後に、やっと公開されたこれを。

これ、どこが買ってあげれば一番幸せなんだろう。間違ってもソフトバンクではないだろう。ある意味他人事ではない。

今日の頭音「日本の未来はおうおうおうおう」

2001年01月11日(木)


ニュートラルで呑み過ぎたせいか、思いっきり遅刻。ずうずうしくも、連絡後そのままユニクロにトックリセーターを買いに行ってから出社。ユニクロの安さに今頃驚く。これは確かに、おやっさんでなくても他で服を買う気になれなくなるわけだ。

ふろに入りたい。

これ、勘違いであることを祈りたい。これが本当なら、オーバードーズでがんがん死人が出ること間違いなし。そしてご禁制の品となり、闇取引されたり渋谷の歩道橋にバイアグラと並べてチラシが張られるだろう。こうなったあかつきには、バイアグラに群がる中年男性を、世の婦女子が笑えなくなること請け合いである。基本的にカネゴンは、「○×さえあれば何とかなる/健康になる/儲かる/幸せになれる」あるいは「どこかにそういう○×があるはずだ」という思想にも技術にも与したくない(誰の口調かおれカネゴン)。うれしそうに研究するのはいいけど、そこから先は?

「あけてくれ」にはひそかにメーリングリストがある。しかし、なぜか今日カネゴンがメールを出しても、さっぱり返ってこない。おかしいと思ってもう一度出すと、いっぺんに二つ返ってきた。どこかでふんづまっていたみたいだ。

とってもイイ話を聞いた。あるコンピュータ会社で、日本語がまったく通じないインド人エンジニア5人をやとって、英語の全くできないSEと組ませて半年かけて作ったシステムが、ピクリとも動かず、他のエンジニアが見てみたら、「あーこれは動くわけないですね」とあっさり言われてしまうほど支離滅裂なコードだったのだそうだ。また半年かけてすべて作り直し、「やっと最初のコードが一つもなくなりましたよ」と報告されたとか。インド人だから頭がいいという愉快な勘違いが生み出した喜劇(他人事だから)。カネゴンがこういう人の上に立ったら、3日と経たずに発狂するだろう。

その5人のうち、一人だけはものすごく優秀だったのだそうだが、最初にその人に「他に誰かいませんか」と聞いたら、知り合いを片っ端から呼んでいただけだったようだ。しかもこのチームには締め切りが近づいてもまったく緊張感がわかず、「クッタ イヌ」とかホワイトボードに書いて日本語の勉強とかをのんびりしていたらしい。さすが悠久のガンジス、スケールが違う。

カネゴンは、別の職場でインド人とパキスタン人のエンジニアが隣り合って仕事をしているのを見たことがある(どちらもすごく優秀)。ちょうど核実験をたてつづけに成功させた時期だったから、他人事ながら心配になったが、本人たちは一向に気にしていない様子。でも仲がよかったわけでもなかった。

10日未明の「今世紀最初の月食」を、11日未明と勘違いしていたことが判明。カネゴンは、ハレー彗星が1999年に飛来するという小学校の時の情報をまったくアップデートしていなくて、1997年にとっくに飛来していたことも気が付かなかった。

磁気バブルメモリーは、昔一瞬だけMSXパソコンに使われたがその後姿を見かけなくなってしまった。「なつかしもの」に分類されることが多くて、NTTパンフで見かけて以来、磁気バブルメモリーの大ファンであるカネゴンとしては心痛んでいたのだが、こんなところで生きていたとは。カネゴンは、ハードディスクみたいな高速回転するデバイスを信用できない。LPプレーヤーだってベルトが切れたりするのに、1分間に7000回転もするようなものがいつ止まっても不思議ではない。こういう磁気バブルメモリーのようなソリッドステートなものにとってかわる日をずっと待ち望んでいる。というより、プログラミングのありかたをひっくり返す可能性があると勝手に考えている。バブルメモリーの研究者は物理学者ばかりだが、計算科学をやっている人が参入すればがらりと変わるという気がする(カネゴンみんなをおいてきぼり)。

そんな(どんな?)カネゴンは、日経産業新聞と電波新聞が大好きだ。しかし、どっちも業界紙なので、わざわざ取ると高く、置いてある奴を勝手に読むしかできなかった。と思ったらこんなのを見つけた。

今日の頭音、頭痛の勝ち。→その後「待ってください」第三期クリムゾン。

2001年01月10日(水)


これ、カネゴンには根拠がよくわからない。ジャイナ教ぐらい徹底していれば別だけど。「赤犬はウマイ」ってはだしのゲンにも書いてあったし、カネゴンは昆虫とホヤみたいな原生動物系統以外は、いけます。昔はキュウリの青臭さが苦手だったけど、今は平気。

有機物を食べて動くロボット?時間がないのでちゃんと読んでない。

家に帰ってメールをチェックすると、おかしなメールが到着。それに続いてプロバイダから「ウィルスに注意!当社のユーザーに無差別に送りつけられました」とある。カネゴンのPCには関係ないからいいのだけど、いい加減rwhoコマンドを使えないようにして欲しい。と思ったら、いつの間にか封鎖してあった。正確には、rwhoは使えるのだが、ユーザー名が表示されなくなっていた。

きんどーさんが新しいMacを買った。うらやましき。FireWireがあるのがいい。カネゴンはFireWireの内部仕様書しか持っていない(そんなものだけあってどうするのだおれカネゴン)。そういうカネゴンも、実は新発売のコンピューターを買ったことが一度もない。手元にあるのは中古、発売中止寸前に買った新古品、ショップブランド、もらいもののみ。

マイラインがもうすぐ使えるようになるらしい。たぶん誰かが速攻でkakaku.comみたいに、一番安い電話会社ランキングというか組み合わせ調査サイトみたいなことをやると思う。「あけてくれ」で誰か人身御供になれば、アクセス数急上昇か?スポンサーもうしろだてもいない「あけてくれ」は、中立性に関して申し分ない。勝手に人身御供募集中(するなって)。でも万が一アクセス数が増えたら、「掲示板あらし」対策しないといけなくなるのだろうか。

「五穀断ち」との釣り合いを考えて、日記のタイトルを変える。何だかお線香の匂いがただよってきそうな按配。機会を見てがらっと変えてみるつもり。そう言えばジョンレノンの曲で「Instant Karma」(曲ができてからマスタリングまで24時間かからなかったらしい)というのがあったが、歌詞をまったく知らないので、タイトルが意味不明。

今日の頭音「真っ赤なスカーフ」、「Trans Europe Express」クラフトワーク

2001年01月09日(火)


昨日と同じく人に言えない作業に終日没頭

夜になって、セールスお姉さんから電話。カネゴンは、こういうときに必ず長々と話をして、そんなつもりはないのに相手にいろいろ無関係なことをしゃべらせてしまう。相手が面白いように自分のことを話し始める。途中で横で見ていた上司らしきお姉さんが交代。でもやっぱり関係ない話に持っていってしまう。

直後、実家から電話。年末年始に何の連絡もないことをなじられる。カネゴンまた忘れていた。死ね死ね団と戦うためにマカオに出張したことを親に言えず、おふくろさんからおにぎりをぶつけられたヤマトタケシのような心境。

今日の頭音「ヤマトタケシのうた」

2001年01月07日(日)


雀魔王戦の後、カラオケへ。終ったあと結構気持ち悪くなった状態で、よせばいいのに牛丼を食う。ガラガランダー!も「Galaxy Quest」を飛行機の中で見て一発で気に入ってしまったそうだ。

人には言えない恥ずかしい作業を延々とやっていたら、いつの間にか外は雪(夜一時頃)。

雪と言えば、小池一夫は雪が好きだ(?)。「東京は雪に対しての備えが都市にいっさい存在しない。だからほんの2センチも積もっただけで東京の機能はマヒしてしまう。俺達はその雪になるんだ」なんてことを、自分のマンガでテロリストに言わせていた。この話、小池一夫の他のマンガでも何回も見かけた。麻薬0号といい、気に入ったネタなら時代劇だろうが何だろうがお構いなしに使ってしまう小池一夫は、関西系か?

M1号を雀魔王戦に呼べなかった。M1号の方は問題なかったみたいで何よりだけど、ちょっとすまなかった。その代わり「ジョンレノンミュージアム」に行っていたのだそうだ。カネゴンも行ってみようかな。M1号はソバージュにしたとのことだが、実はカネゴンは、どういう髪型をソバージュと呼ぶのかいまいちよくわかってなくて、これまでずっとヤマカンで使っていた。これもソバージュなのだということに今更のように気付いた。

M1号によれば、オノヨーコの最初の旦那は、現代音楽の作曲家、一柳慧(いちやなぎ・とし)だったのだそうだ。ちっとも知らなかった。カネゴン部屋には、なぜか一柳慧の譜面が1枚だけある。その昔、坂本龍一のサウンドストリートでかかっていて、何となく買ってしまったのだ。この「Piano Media」という曲、右手がずーーーーっと同じフレーズを繰り返して(かなりクルクルな旋律)、左手だけがむにゅむにゅ変化して、しまいには右手と完全に衝突するようなフレーズになって、音域が重なってしまうという、「作り中のプログレ」みたいな感じの曲。この人の他の曲は知らないが、一発ギャグだけに、二発目はなかったようだ。よくはわからないけど、ディシプリンの方がいいな。

その昔、NHK-FM でショパンのピアノ曲を聞いていたときのこと。実はカネゴンはあんましショパンが好みでなくて(好きなダサさじゃないから)、「こういうのも聴かなきゃ」みたいな感じで聴いていたのだが、そろそろ終りそうな所で突然曲が中断し、アナウンサーが「...失礼しました」と一言つぶやいてもう一度最初からかけ直した。何と、最初にかかっていたのは回転数を間違えていたのだ。それにまったく気がつかなかったおれカネゴン。もともとゆっくりした曲だから、少々早くなったぐらいではわからなかったとはいえ。そのカネゴンと大差ない失敗をやらかしたエンジニアの心中を想像すると、他人ごとだったらめちゃめちゃ面白いということに気付いた。

これまた昔、「大衆音楽の真実」という国語辞典みたいな大きさの本(再生紙)を確か持っていたはず。何でも、世界で最初の歌謡曲はインドネシアのクロンチョンであるとか、そんなことがいろいろ書いてあった。資料的価値はすごくあったと思うけど(よくこれだけ調べたもんだと思う。真似できない)、その論調がめちゃくちゃ左翼なのが困った。間違ってもこの人に出会いたくないと思う。嫌いだからではなく(他人ごとだったら気にしないたちなので)、こういう人を呼び寄せてしまう不思議なフェロモンを発しているカネゴンのこと、確実にとっつかまって朝まで赤ちょうちんで説教されるに決まっているからだ。冬場は特につらかろう。

今日の頭音、ガムラン(TVで流れているんで移ってしまった)

2001年01月06日(土)


所用があって吉祥寺「のろ」に立ち寄ると、アマチュアバンド(中年)が貸切りでライブをやっていた。ベンチャーズってすごくかっこいいということに今更のように気付いた。

お腹こわしたらしい。ニュートラルでワイン一本空けたのがまずかったか。人気英語講師 Sister Akkieに久しぶりに会った。

これから雀魔王戦。

カネゴンは、「ニュアンス」とか「味わい」とか「雰囲気」とか「色気」とか「セクシー」とか、そういう要素をまったく音楽に持ち込むことができない。もともと存在しないものは逆さに振っても出てくるわけないか。だから当然「バラード」は死ぬほど苦手だし、速い曲、宙返りしているみたいな曲、盲滅法に突っ走ってガンガンぶつかるような曲が好きなのだろう。「セクシーなカネゴン」は、ちょんまげのない侍と同じくらい想像を絶する。

今日の頭音、ライカ & the Astronauts(ベンチャーズそっくりな曲を大量生産して、しかもめちゃくちゃうまくて、かっこいい、カネゴンが正体をよく知らないバンド。当然全部インストで、全曲速い曲ばかりでバラードが一つもないという男気あふれる演奏。)

2001年01月05日(金)


(permission denied)

仕事始め。

巨大フジ隊員から、表紙の更新を依頼されていたにもかかわらず、まるっきり見逃していた。今急いで更新。

遅ればせながら今年の抱負(果していつまで続くのやら):

  • 「慌て癖」を少しずつ改善する
  • 日記の内容をもう少しましなものにする(下らないことを語らないようにする)
  • ちょっとでいいから貯金する以上。

職場の廊下で流れるBGMが正月一色。そばが食いたくなる。

ついに出た。日月はこれでつぶれてしまうのだろうか。最近ハードディスクの異音が激しいので、いきなりアップグレードをするのは少々いやな予感。この間カーネルが壊れたし。雑誌に添付されるまで待とう。ファイルのバックアップ体制をもう少しまじめに考えないとおれカネゴン。

月替わりなので、殊能さん日記を見に行く。

今日の頭音「六段」八橋検校

2001年01月04日(木)


(permission denied)

例の教科書は、何度読み返しても魂に火がついてしまう。西城秀樹の曲よりも高く高く炎が上がる。これはいい意味でものすごく危険でスキャンダラスな本だ。これを読んでしまった子供は一発で学問に邁進してしまうことうけあいだ。大人も仕事をやめて勉強したくなってしまうだろう。昔だったらハーメルンの笛吹きみたいに子供がみんな出家してしまうだろう(学生=坊主の頃なら)。大政翼賛体制下なら禁書間違いなしだ。革新的に優れた本は、どの時代でもスキャンダラスだったんだし。あんまりいい本だから、下手な引用はしないことにしているが、冒頭の「方法序説」で、日本サッカーへの熱い思いを吐露した、これまで見たこともないような文章があった。(何て単純なんだおれカネゴン)。

何となく教育TVにしていたら、「ドイツ語会話」のオープニングにすてきな音楽がかかった。しばらくすると、突然「カリキュラマシーン」のBGMが会話の後ろで流れていた。どうなっているのだ。どんなにしょぼくても自前でBGMをこしらえるNHKとも思えない。

正月番組で、泰の始皇帝の「兵馬よう(漢字が出ない)」がTVに映った。1/1スケールで一つ一つ表情を変え、靴の裏のスベリ止めまで本物そっくり、一個師団をコンプリートでジオラマ再現し、劣化に強い石や金で馬車やよろいカブトまで作らせたとは、地上最強のフィギュア王だ。どんなコレクターも裸足で逃げ出すというか、当事者っていうのが一番強い。こんなに長い間隠しておくあたりに、コレクターらしい性格の悪さがうかがえる。

スピルバーグ、奥さんのいいなり。他のわがままと引き替えに言うこと聞かざるを得なかったのだろうか。

あっ何ということだ。M1号が書いていた「ハッチポッチステーション特別編」の再放送が、「おじゃる丸」の後にやっているではないか。(何をしているのだおれカネゴン)。何という幸運。ありがたいことです。堪能しました。唯一、ブライアン・メイのギターがフライングVだったのが気になった。さて、次は「忍たま乱太郎」だ(忍ペンまん丸の方が好きだけど)。あっしかも脚本が浦沢だ。(...)

今日の頭音「情熱の嵐」西城秀樹

2001年01月03日(水)


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トランペットを吹く中嶋悟という異名をもつ数学者の卵の先輩から、カッコを使うとそれでもう計算の順序が変わってしまうのではという指摘があった。言われて見れば、カッコは演算の順番を変えるための演算子だった。ということは、上のJと下のJはもう違う級数ということなのか。I>Jも、実は「和を比較している」んじゃなくて「増加のしかた」を比較していると考えれば、しかも「常になりたつ」ということではなくて「少なくともそうだ」ということを言っているのであれば、なんとなく筋が通らないでもない。うーん、まぎらわしい記号を使わないで欲しい。やっぱりカネゴンの早とちりのようだ。

先輩のKing Joeさんから「雀魔王戦」の誘いの電話が。メンバーを集めるため、M1号にも声をかける。おやっさんはスナフキンになってしまったので連絡がつかずだそうだ。

カネゴンが全然年賀状をチェックしていなかったことをM1号から教えてもらった。忘れてた。あわてて見に行くと、何と「Galaxy Quest」のビデオが!!早速M1号とともに観賞。いやー素晴らしい。英語半分ぐらいしかわからなかったけど、確かに「サボテン・ブラザーズ」に並ぶいい映画でした。SFファンは世界中どこに行っても同じだということもわかって勉強になった。いい正月になりました。ありがとう、ありがとうKanamong夫妻!ニュートラルでも上映します。代わりに何か送らなきゃ。

今日の頭音「ニャンマゲにとびつこう」

2001年01月02日(火)

昨日の問題がどうしても解決がつかず、思い余って、母校の恩師のN先生に半ば強引に連絡を取り、事務所にFaxを送ることに。正月から本当にすいませんでした。本当にいい人だ。

それでいいのかおれカネゴン。どこへ行くのかおれカネゴン。

Faxを印刷しようとしたら、Win95(デュアルブート)のカーネルが壊れた(どうもクロックアップがきっかけでディスクに傷が入ったらしい)。しかもフロッピーからWin95 CD-ROMのインストーラを起動するとフリーズしてしまう。クロックを落せばいいのかもしれないが、もういやになった。極め付けで、慌てた拍子にカバンの中に灰皿(中身ぎっしり)を落っことしてしまう。つくづく確率を超えて失敗を呼び込むカネゴンであった。

正月といえば、NHKで毎年必ずやるマジックショーである。今回もまじまじと見てしまった。中に2つ3つ、泣けるほど美しいものがあった。ドイツのマジシャンで、ピーター・ローレみたいな小男が「カリガリ博士」みたいなセットでやるマジックが、自分でも理由がわからないが最もきれいだった。歯車が特に美しい。

なんちって。

今日の頭音「がんばれロボコン」

2001年01月01日(月)

ニュートラルで年越&朝まで。巨大フジ隊員とロボット2号も来た。

カネゴンはどうやら重度のおたくなのだそうだ。

(permission denied)

わからなくなった。誰か教えて欲しい。

調和級数(I = 1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + ...)という無限級数があり、I は発散するのだそうだ。よく似た形の級数(1 + 1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 +...)が収束するのに I は発散してしまうという不思議な結論になるというので、よくひきあいに出されている。でもカネゴンには、I が発散することの証明に使われている論法で、どうしても納得できない部分がある。

「明らかに発散する数列 (J = 1 + 1/2 + 1/2 + 1/2 + 1/2 +...)をおき、IとJの大きさを比較すると、

I =

J =

1 +

=

1 +

1/2 +

=

1/2 +

1/3 + 1/4

>

1/2 +

1/5 + 1/6 + 1/7 + 1/8

>

1/2 +

1/9 +...+1/16

>

1/2 +

...

>

...

となるから、I > J となる。Jは確実に発散するんだから、Jより大きい調和級数 Iは発散するに決まっている」ということなのだそうだ。さまざまなテキストにこの論法が使われていて、簡単に証明できると書いてある。

でも、まったく同じ論法を使って、ちょいとくくりかたを変えると(コーシーによると、足す順番は変えてはいけないのだそうだ)

I =

J =

1 +

=

1 +

1/2 +

=

1/2 +

1/3 +

1/2 +
1/4 + 1/2 +
1/5 + 1/2 +
1/6 + 1/2 +
1/7 + 1/2 +
1/8 + 1/2 +
... ...
I < J であるという、 まったく逆の結論を出すことができてしまうんですけど。しかも、左辺の I のくくりかたを変えただけだ。そうすると、「Jは確実に発散するんだから、Jより大きい調和級数 Iは発散するに決まっている」ということが言えなくなってしまうんですけど。ほかにも証明はあるみたいだからいいんだけど。 そもそも、発散する無限級数の和同士であるIとJの間に不等号を持ち込むこと自体、カネゴンにとっては意味不明だ。極限値があるとか、符号が互いに異なるならわかるけど。なんで発散するとされている無限級数同士を比較できるのだろうか。部分は確かに比較できる。でも、だからといって無限和が比較できるとは限らないのではないか。教えて欲しい。 カネゴンの考え方のどっかに間違いがあるのだろうか。それとも、この方法(無限級数の個々の部分を比較する作業を無限に行なって全体の大きさを比較するという方法)に問題があるのだろうか。何かまた、まずいことを言ってしまったのだろうか。 高校数学でもこの「無限数列の収束と発散」でつまづき、その後何度勉強し直しても同じところでつまづいたカネゴンのこと、勘違いの可能性の方が圧倒的に大きいが。

今日の頭音「いちたすにーたすいちたすにーたすサーンバールカーン」

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