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あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記
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あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

[あけてくれ]

●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。

●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。

●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。

●敬称略。

●おしゃべりがどうしても治りません。

●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。

●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。

●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。

●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。

●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。


始末書詫び状領収書の書き方をお探しの方ははてなアンテナの質問を参照してください。

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2004年06月29日(火)

今日の頭音: (Key=F)

汽車汽車ぽっぽぽっぽしゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ

ぼくらをのせて しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ

スピード スピード まどのそと

はたけもとぶとぶ 家もとぶ

走れ 走れ 走れ

トンネルだ トンネルだ たのしいな

いろいろあって日記の量がしばらく減ります【しばしさらばのおれカネゴン】。

今日もビタミンB2錠剤を失敬。

某所で「金融裏稼業のあくどい手口」(タイトルは完全うろ覚え)みたいな文庫本が落ちてたので少し読む。筆者は元証券マンあがりのジャーナリスト。その本の冒頭からいきなり「バブル崩壊の最大の元凶は、突然の金融総量規制であり、出力最大で飛行中のジェット機のエンジンを急停止するのに等しい無残な所業で、これによって資金調達が不可能になった仕手筋がほぼ壊滅した」との恨み節で始まり、「それは某政治家一族が空売りで大儲けするために命じたものだ」との暴露話につながっていた。カネゴンはそもそも総量規制というものがあったこと自体知らなかった【うかれておったおれカネゴン】。うう。

皆様は、普段使用しているユーザーインターフェイスがどんな材質に感じられますか(見た目だけでなく操作感も含む)。カネゴンの場合、Windowsは何かゴムゴムしいものでできているような気がします。X Window の場合もっと硬くてちべたい感じです。Mac OS Xの場合、人造大理石みたいな感じがします。

昨日NHKで放映していたスイスの新型路面電車(LRT)が恐ろしくモダンでおしゃれな造りで打ちのめされる【またも暗示におれカネゴン】。早く導入した日本の地方都市から順に町おこしが成功すると予想。成功のコツは架線と中吊り広告を一切排除することと、歩行者が軌道に足を挟まれないようにすること【第一号にはおれカネゴン】。

「面白い」が科学の対象になったことってあるだろうか。なぜ人は同じギャグを2回以上聞かされると徐々に苦痛を感じるのか。定量的に測定したら何かわかるだろうか【手足固定でおれカネゴン】。

2004年06月28日(月)

今日の頭音:「Walk on the Wildside」ルー・リード(Key=C)

今更の糸井重里ロングインタビュー。感染力が大変強く、うっかりするとダメな自分を無反省に肯定してしまう可能性があるので注意【すねに傷持つおれカネゴン】。

「おやじ」の全国組織が発足。いよいよ日本を真っ二つに割って全面戦争に突入するのだろうか【どっちについてもおれカネゴン】。

土曜の夜遊びが祟って仕事中気が遠くなりかかり、ふと見上げると棚にビタミンB2錠剤があるので2粒ほど失敬。おかげで少し持ち直す【拾って食うとはおれカネゴン】。

2004年06月27日(日)

今日の頭音: (Key=Am)

わしはダメダメ ダメオヤジ

今日も家ではオニババが

早く帰れと爪を砥ぎ

わしの帰りを待っている

ゲバラバ ヘバラバ テレビレビ

ゲバラバ ヘバラバ テレビレビ

ゲバラバ ヘバラバ テレビレビ

ゲバラバ ヘバラバ テレビレビ

ダーメ ダメダーメ ダメオヤジ

ダーメ ダメダーメ ダメオヤジ

昨日、都内某所でDeep PurpleのBurnを飛び入りで演奏し、運動不足のせいか息が上がりそうになる【青息吐息のおれカネゴン】。

最近都内に出るたびに、街中がゴミ臭いのが気になる。

2004年06月25日(金)

今日の頭音: 「激しい恋」(Key=Fm)

世界最小の燃料電池。これが実用化すれば、メタノールさえ確保できれば電子機器が使えることになりそう。(エタノールだけど)緊急時のウォッカ駆動も夢ではないかも。

昨日、駅の線路に人が入り込んで駅員に追いかけられるところを目撃。最初何が起こったのかよくわからなかったのだけど、そばにいた家人が機転を利かせて非常ベルを押してくれなかったらどうなっていたか【凍って動けぬおれカネゴン】。

稲葉振一郎氏の連載再開: 先進国は途上国を(少なくとも大して)搾取してはいない。「グローバル化の列車にいったん乗ったら途中下車できない」「未開社会は原始社会の状態が保存されたものではなく、交易ネットワークから切り離された社会がどうなるかというものを如実に示すものだ」とも。詳しいことはわからないけど、広い意味での社会科学から「願望」を切り離すのはえらく難しいという気がしてくる。もう少し考えます。

ふと気付いてみると、カネゴン日記は周期的に増減を繰り返している。カネゴンの何らかのバイオリズムを反映しているのだろうか【寝不足反映おれカネゴン】。

殺しの算数といえばこんな由緒正しい問題があったのを思い出した(パズルショップ・トリトのコンテンツ)。

はてなアンテナが死んでいるらしい。

直りました。

現代音楽の極端な例。「生きているメスクジラによじのぼって中へ入る」「5年間片目をえぐり出したままじっとしている。5年たったらもう片方の目をえぐり出す」は有名どころ。

面白いのは、以後この種のアイディアがほとんど続かなかったこと。仮にあらゆる楽曲を集めて一種の有限集合と考えた場合、その外側で現代音楽によってこんな風に激しく拡張された集合の方が遥かに大きいような気がするのだけど、そちらの空間は思ったより豊かでなかったということでいいのだろうか。それより、果たして楽曲を集合と考えることに問題はないだろうか【きっとありありおれカネゴン】。譜面のようにデジタイズされた形である限りは集合と考えても大丈夫そうだけど、それが実際に演奏されるとなると何だかその範疇に収めてはいけないような気がしてきた。集合を拡張したものよりカバー集の方がはるかに豊かに思えてくるので。

otsuneさんずばり

裏オンライン和英辞典。パーソナリティと一つ目小僧のやりとりが基本的に全部同じ。

ところで、英和訳/和英訳では「動詞→名詞」または「名詞→動詞」変換を行う方が訳文がスムーズになるケースが割りとあるような気がする(コンピュータ英語ではまず不要だけど)。と思っていたら、いつだったかある米国人が「それは意味深だねえ」という意味で「It's deep!」と言ったことがあり、あまりに見事に対応しているので一瞬かつがれたかと思ってしまったことがある【深読みするとはおれカネゴン】。

むさ苦しい男を精密に描かせたら日本一むさ苦しい谷口ジローの「神々の山嶺」全5巻を漫画喫茶で一気読み。カネゴンは谷口ジローの絵のむくつけき登場人物(フェロモン過剰なのになぜか美人でない女性も含む)が好きだったのだけど、坊ちゃんの時代とかのあたりからそういう婦女子に受けなさそうな要素が急速に漂白され失われて非常に悲しかった覚えがある。そればかりか、人物までがそれにつられてどんどん無気力になりため息ばかりつくようになっていた。一時期は、この人が鬱病になってしまったのかとカネゴン見当違いな心配をしてしまいました。

それがこの漫画ではそのむさ苦しさを一気に取り戻していてカネゴン一安心。獣臭が立ち込めているような錯覚すら覚えた【風呂の嫌いなおれカネゴン】。漫画喫茶の冷房が物凄く強かったせいもあり、細密極まる冬山の描写がいっそう堪えた。アウトドア好きがこれを読んだら一発で轟沈すると思う。とにかくこの人にはむさ苦しい漫画以外描かせてはならないとすら思う【手打ちにいたすおれカネゴン】。

後、セリフが実に枯淡にして流麗だと思ったら原作: 夢枕獏だった。この人が重症の格闘技マニアということ以外に何一つ知らないカネゴンだけど、冬山で遭難中にかじかんだ手で書きつけるメモの内容が徐々に正気を失っていくアルジャーノンのような描写といい、さすが本職と思わずにいられず。ただ最終巻はだいぶストーリーがほつれていた(10年間エベレスト登山禁止をくらったはずなのにまたすぐ山に登れた、1つしかないカメラを異なる人物から2回ももらった、など)。

メモ: X86でPowerPCをエミュレートするPearPC

2004年06月24日(木)

今日の頭音: 「(アメコミの)スパイダーマン」(Key=Cm)

歌詞(2002/06/24 (月) 14:41分参照)を知っていたのは日下三蔵氏ただ一人。

この曲はリズムがかなり変わっていて、シャッフルなのかイーヴン(=跳ねてないということ)なのか判然としない。

おなじみsvnseeds氏が見つけたEPRパラドックスからベルの不等式へ。非専門家に(こそ)読んで欲しいとある。

やはり皆が求めている(いた)のは完全な予知能力であることを痛感。実用的な範囲内かそうでないかの区別を無視すれば、(ミクロ/マクロを問わず)未来を予言できなければ意味がなく、未来を予言できてこそ完全な理論であり、皆が血眼になって探している(いた)のはまさにその予知能力(を与える方程式)なのかも。

ややこしいのは、未来は一度過ぎ去って過去とならないと観測も確認もできないこと。そう考えれば、未来を予言するのも過去を説明するのも実はまったく同じことだったりして【駄法螺を吹奏おれカネゴン】。

今月の映画秘宝で一番笑ったのは、スパイダーマンの伯母メイ(心臓が弱い)が亡くなり、人間姿のスパイダーマンがベッドに駆け寄って慟哭するが、実はそれは

影武者で本物は生きていたことが後にわかるというエピソード(コミック版)。原作者が早まって殺してしまったキャラクターを後から蘇らせたい衝動にかられるのは古今東西変わらないらしい。

メモ: はてなやブログのテキストを好みのエディタで編集できるAreaEditor(from 怖がり - 模倣犯)。

ファンがデザインしたiPOD

20年近く前のキーボードマガジンで、「未来のシンセサイザー」のアイディアを絵つきで募集するという夢あふれる企画があった。選者はあの「隠れた名エッセイスト」福田裕彦氏で、集まった作品群も願望を存分に吐き出すいい内容だった。手書きの図面がびっしり掲載された様はどこかコロコロコミックの読者欄のよう。特に印象深いのが「足の指で弾くキーボード」に「ライブの後、臭う」とコメントした福田氏。

実装とか組み立てラインとか金型とか投資対効果とかそういうものをまったく無視したこういう企画は、実は案外馬鹿にできないと思う【される方とはおれカネゴン】。こういうアイディアの残量が実はその製品またはジャンルの寿命を表しているような気がする。今募集したら果たしてどのぐらい集まるか。

坂村健今昔。この日記の作者は坂村健に心底惚れぬいているらしく、他にも多数の健さん写真を発見。

2004年06月23日(水)

今日の頭音: 「千のナイフ」のボコーダーが延々と(Key=Cm)

電気不要のデジタル日時計(via extra + ordinary)があまりに素晴らしくて見とれる。これと同じ要領で、電気を使わないコンピュータというものがあってもよさそう。演算は何だか死ぬほど速そうだし。

すぐに思いつくのは、アナログコンピュータのようなワイヤードプログラミング。とはいうものの、DSPやASICのような専用チップならともかく、このような一切の記憶素子を持たない牧歌的なコンピュータでは今どきおぼつかない。無理に実用にしようとするとつまらなくなるかも。

あるいは、光線または球の角度を変えると、縦軸と横軸の角度に対応した計算式と答えが映し出される(相当数の式と答えを事前に焼きこんでおく)ような水晶球を作るとか。傍目には占っているようにしか見えないけど実は計算しているようなものを【脇見運転おれカネゴン】。それともそんな事前に答えを焼き込んだしろものは計算しているうちに入らないとカネゴン石もて打たれるのだろうか。

説得する情報技術。人間の態度や行動の変容を自発的に促すコンピュータ、つまり人間を「説得する」コンピュータについての研究らしい。何と言うか、妖刀村正を手にするとむらむらと人が斬りたくなるような感じなのだろうか【もしやダジャレのおれカネゴン】。

カネゴン父が最近インターネットにつないでみたいと言っていた。このページ、案の定見せられないしろもの【日陰のドクダミおれカネゴン】。うう。

アラブ世界で流行る日本のアニメ。情報量が大変多い。

2004年06月22日(火)

今日の頭音: 「What'd I say」レイ・チャールズ(Key=E)

そういえばカネゴンも歯の治療が終わったのだった【次は皮膚科におれカネゴン】。

yomoyomoさんの「批評家について」。

カネゴンはかっこつけてテレビを見ない時期があったため、今にして思えば「やっぱり猫が好き」や「カノッサの屈辱」など数々の重要な番組を見逃していた【我慢のつもりのおれカネゴン】。朝ナマも実は見たことがないのだけど、これは単に徹夜に弱いせいかもしれない。

先日ある外人が、日本のシットコムで一番好きなのがこの「やっぱり猫が好き」だと言っていた(シットコムという言葉もこの人から教わった)。本場のシットコムにとても似ているからだとのこと。鋼鉄製のSF三角帽子を被せられ市中を引き回された不幸なシットコムライターとも言うべき吾妻ひでおも好きかどうか聞いてみようかと思ったけれどやめておいた。

言語の進化(PDF)(from 最上先生)。カネゴンは、冗長でも読みやすくなる方がよかったりします。スタイルシートをあてたらだめだろうか【軟弱者とはおれカネゴン】。

C言語がタイプ量を減らすことを主眼に置いているように、数学の記号はほとんどが手書きの手間を最小限にするように発達してきたような気がする。それならいっそ板書用などに速記文字みたいな記号(できれば視認性もよいもの)を使ってみたらどうなるだろう。秘密結社みたいでかっこよさそうだし【退化するとはおれカネゴン】。

孔子伝が下敷きにしている「孔子家語」は偽書らしい。偽書とは言っても既に2000年ほど流通してしまっているので、引っ込みをつけるのは大変そう。

ついでに見つけた孔子スレ

カネゴンもカフェ・シアンティフィックをKQ線沿線に切望いたします。キャバクラなどよりよっぽど面白そうだし、チェーン展開したら案外笑いが止まらないぐらい儲かるのでは【煽ってみるとはおれカネゴン】。ときどき乱闘が起こったり、棲みついてしまう学者がいたりしたらもう言うことないです。条件は学問の種類を限定しないことと、子供の宿題を代わりに解いてやらないこと(見つかったら全員におごる)。

女の子の対人暴力は「報復」の要素が強い(via 小生にうす)。

小池一夫からデュマまで、復讐譚といえばストーリーを盛り上げるのに欠かせないけど、女性を主人公にしたらさらに盛り上がるだろうか。

嫌煙者から喫煙者へのFAQ。逆のような気がするのは気のせいだろうか。「嫌煙者から喫煙者に贈るFAQ」とする方が間違えないかも。

渡辺千賀さんの理想の英語教育。英語が嫌いだったというのが意外。

みなもと太郎の大名作レ・ミゼラブルがいつの間にか復刊。気のせいかやけに高いけど致し方なし【そして何するカネゴン】。一応Amazonでも

2004年06月21日(月)

今日の頭音: 案の定「ロシュフォールの恋人たち」が渦巻く (Key=いろいろ)

アラン・ケイの「未来の作り方」。

100年単位で考えるなら、常に「できる」方に賭けるのが戦略としては有利。その代わり生前はトンデモ呼ばわりされ嘲笑われることを覚悟しなくてはならない。逆に、現世利益が欲しいなら、常に「できない」方に賭けるのが戦略として有利。その代わり、100年後に嘲笑われる可能性はかなり高い。理論そのものではなく、どちらが欲しいかを決めることが重要。

21世紀は数学小説を読もう

瀬山 : どうやらぼくが数学を選んだのは,『第四次元の小説』との出会いが非常に大きかったような気がする.たぶんそれが自分の数学観をいちばん底のほうで規定しちゃってるんですね.

 根上 : そういう意味だと,ぼくには,講談社ブルーバックスの『第四次元の世界』が重要な体験をつくっている気がします.

カネゴンが幼虫(小学校3年)の頃、ついうっかり「驚異謎だらけの四次元!」というゾッキ本を買ってしまったことがある。上の対談で取り上げられている本とタイトルは似ていても中身は思い切り違うところがポイントで、こちらはオカルト色が極めて強かった【パチもん掴んだおれカネゴン】。小学生向けの本であるにもかかわらず、特殊相対性理論の方程式の展開をナマのまま載せるなど、今から思えばカネゴンが最初に触れた数学っぽい本なのだけど、この著者が、カネゴンが別ルートで見聞きしていた男と同一人物であることをつい最近知った。

津島秀彦は、どういう縁か松岡正剛と一時組んでいたことのある神秘主義者(自称「六次元博士」)で、オカルト書籍の総本山の大陸書房からいくつも本を出していたらしい(この辺のことは当時も知らなかったけど)。オカルト一色かと思いきや、津島本人が語っていた半生が実に極道で、「大学生のときに、バクチの終着駅とまで呼ばれているテホンビキにどっぷりはまって巨大な借金をこしらえ、実家が経営する大病院を手放すことになり、嫁入り間近だった姉から深く恨まれた」「その後懲りずに先物取引に手を出してすべてを失い、命を狙われたが何とか逃げおおせる」「競馬で70連勝して妻子を養った」と、まるで名物編集者の末井昭かノストラダムスで有名な五島勉を思わせるジェットコースター人生。予想どおりといおうか、その後の津島本人はある時期から魔太郎のように完全に行方不明なのだそうだ。オカルトは有から無を生み出すものであることを痛感。

お気付きのとおり、「驚異謎だらけの四次元!」の著者がまさにこの人であることをGoogleの検索であるとき知ったのだけど、現在はなぜかキャッシュに残っていない。結局どういうつもりで突然こんな本を出していたのか。気長に信者を獲得するために、辛抱強く小学生に種を撒いていたのだろうか。いずれにしろカネゴンは出発点からして腐ったリンゴであったことが判明。うう。

メモ: 時間を遡れるOmniscient Debugger

読書記録ChangeLogを読んでて、第二帝国は神聖ローマ帝国ではなくビスマルクの方だと知る。

2004年06月20日(日)

今日の頭音: 「David」矢野顕子 (Key=Dだと思う)

バックスラッシュに円記号を割り当てたのは(6月3日分)。他の話もえらく面白い。カネゴンもこの話をどこかで読んだ覚えがあるのだけど、もしかすると遠藤諭の本あたりだったような気がする。

ビデオで録画していたミュージカル映画「ロシュフォールの恋人たち」を家人と見る。このサントラのCDはずっと前から持っていて、胸の中が真空になりそうなぐらい大好きだったのだけど、実は映画を見るのは初めて。どんな素敵なことを歌っているのかと思いきや、「近所でバラバラ殺人事件が起こった」「あの人のこと好きだったけど、名前が変だから別れたの」「お嬢さん、下着がはみ出てますぜ」「服が裂けた」みたいな歌詞だったりと、思いきり先入観を覆される【地響き立てておれカネゴン】。映像はとことんお洒落で、かと思うと踊りが割りと緩く(特に脇役の明和電機っぽいコンビ)、昨今のきびきびした踊りと一味違う。ストーリーはまるで昔のレビュー映画のようにひたすら色恋沙汰に終始し、それ以外の要素はきっぱりと排除。全体としては相当アンバランスであるにもかかわらず、それゆえに忘れ難いという点では、まるで「プロゴルファー猿」のような一品。

主人公の2人(顎のガッシリした双子の姉妹)が「早くこんなところ(ロシュフォール)を出てパリに行きたい」とのたまうのだけど、日本人から見ればそこでも十分おしゃれなのに何を贅沢なとつい思ってしまう【上目使いでおれカネゴン】。パリから電車で4時間とあるので(電車ではなく自動車とのツッコミいただきました)、ロシュフォールはさしずめ日本で言えば金沢あたりに相当するのではと想像。

ともあれやはりミシェル・ルグランの音楽は素晴らしく、これだけでいいとすら思ってしまう。虫歯がうずきそうな甘い旋律が、異常かつ過剰なアレンジ(すべて計算づく)に乗ってこれでもかというぐらい押し寄せてくる。ところで、CDでは「ミファソラーミレ、レミファソッソッソファレド」と階名で歌っている箇所が映画ではなぜか「レミファソーレド、ドレミファッファッファレドシ」と1音低くなっていて、どうもCDとは別バージョンらしい。

お年寄りはなぜ総じてダルマの掛軸を床の間にかけるが好きなのだろう。60年前だか70年前だかに、一体どんなブームがあったのだろう。カネゴンも年を取ったらいつしかダルマを愛さずにいられなくなるのだろうか【わしらは好きだがおれカネゴン】。

2004年06月18日(金)

今日の頭音: 「I wanna be your man」The Beatles (Key=E)

CDをかけながら、もらったピアノをそうっと弾いてみると、チューニングが全体に下がっていることがはっきりわかった。合わせて演奏すると気持ち悪いことこの上ない。この分だと調律も安くは済まなさそう。

皆様はビートルズをレコードやCDで聴いたとき、どっちの声がジョンでどっちがポールかわかるまでにどのぐらいかかりましたでしょうか。ポールが割と作り声で唄うことが多かったせいか、カネゴンそこに随分幻惑されていたらしい【ジョージわからぬおれカネゴン】。

風野さんのぱど厨関連記事を見ているうちに、ずっと以前に読んだ小松左京の短編を思い出した(タイトルは思い出せない)。時は近未来、若者たちが交わす言葉が完全に意味不明になっていて、何とかそれについていこうとして若作りしながら右往左往する中年男が最後に若者たちに吊るし上げられるというような話。小松左京の創作した未来の若者言葉は当時のカネゴンも頬を赤らめるほどどこか小っ恥ずかしかった覚えがあるけど、コミュニケーション不全に突き落とされた中年男の悲哀は胸に迫った。こういう未来を皆で仲良く共有するときが来るとは誰そ思う。

カネゴンが幼虫(中学)のときに買ってもらった自転車にはシンクロメモリー(上から2番目)という機構が取り付けられていたのだけど、実は当時そのシンクロメモリーが結局何を意味するのかずっとわからず、乗ってる間じゅう不安なままだった【底が抜けてるおれカネゴン】。

今検索した限りでは、シンクロメモリーというのは単にギヤチェンジのときのレバーがカチッカチッとなるというだけのことだったらしく、心の中でうなだれる。当時カネゴンは普通のスポーツ自転車の機構を知らなかったので、レバーがカチッカチッとなるのは

当然だと思っていたため見逃していたらしい。うう。たったそれだけのものをドリフを使って宣伝していたとは。

その点、同級生が持っていたナショナル自転車クイックFF(資料ナシ)の仕掛けの方がずっとよくできていて、当時うらやましかった覚えがある。チェーンの空回り機構が後ろタイヤの軸ではなく、ペダルの軸についていたという逆転の発想で、自転車が進んでいれば足を止めたままでもチェーンが回りつづけ、それによって楽にギヤチェンジできた。これは今でも通用すると思うのだけどなぜその後見かけないのだろう。

2004年06月17日(木)

今日の実音: 「A線上のアリア」(Key=C)

カネゴンがこの間リーマン予想について適当に書いたことは案の定間違いだらけであったことが判明。ツッコミ感謝です。

この日記の感想で触れられることの多い「先祖からの叱責」【】なのだけど、そう言えばどうしてこういうことを始めたのだろう。たぶん元はと言えば、書かずにいられなかった自己嫌悪の産物で、そのまま書いたら面白くも何ともないものをどうやってオブラートにくるもうかと試行錯誤しているうちにこんな風になってしまった気がする。最初はもっと長々と書いていたようなのだけど、いつの間にか韻を揃えるようになっていた。考えてみたら俳句よりさらに厳しい字数制限なのだけど、自分を責める言葉には事欠かないせいか、実は今までこれで苦労したことはなく、むしろ先祖の言葉を書きすぎないようにセーブする方が大変だったりする【言わんでおいちゃるおれカネゴン】。

ついに満を持してあすなひろし作品選集の刊行が開始された。以下続刊。皆の者、船じゃ、でっかい汽船をドックから引きずり出せい。

お気付きの方もいるかもしれないけど、小池一夫の劇画のうち、CIAが仮想敵である作品「I・飢男ボーイ」と「傷負い人」は妙な終り方をしている。前者は途中で池上遼一が突如作画を降りて松久由宇(鷹人)と交替し、実に中途半端な終り方(池上遼一の病気のせいらしいけど)。後者もCIAが本当の敵であることがわかってさあこれからというところで突然終了。カネゴン思うに、もしかするとCIAを敵として設定したのが洒落になっていなかったのではないかと。そういうストーリーを劇画で詳細に展開しようとするとどこからともなく多数のメンインブラックが現れて大金を渡し、白い手袋をはめた手に握った葉巻で作画家におしおきを加えつつ代わりのストーリーを考えてくれたりするのではないかと。裏付けはないけど、ゴルゴ13にもCIAをもろに敵に回す話がなかったような気がする【プチ陰謀とはおれカネゴン】。もしFoggy Bottomが廃人同様になった漫画読みをたくさん飼い殺しにして情報収集に励んでいたらどうしよう。

黒人英語についての論文

関係ないけど、エディ・マーフィーが何かの番組で「Mr. クロコダイル」といういかにもオーストラリア人をからかったキャラクターを演じていたとき、満面の笑みを浮かべてペコペコしながら「アイナブユー、アイナブユー」をしきりに繰り返していたのを思い出した。

大阪の賭博場で主婦など女性客急増。「若い組員の礼儀が正しいのでつい」という感想が気になる。一般の若い衆の礼儀の低下が口うるさく叫ばれて随分経つけど、もしそれが本当なら、今や「礼儀が正しい」というだけで相手をだまくらかせるような状態になっていたりしないだろうか。となれば、相手を食い物にする意図のある者ほど大変な努力を払って、わざとらしさすら排除した完璧にさりげない言葉遣いと礼儀作法を身に付けようとし、逆に相手を食い物にする意図のない者は相変わらず礼を失したままの状態が続くという、一種の逆転現象が起きたりして。礼儀作法が必殺技になる時代というか、おれおれ詐欺の次はこっち方向に圧がかかりそうな予感【予感のつもりのおれカネゴン】。言葉遣いを一点の失礼も馴れ馴れしさもないまともなものにすると、ベイズ理論に基づいたスパムフィルタも最初ぐらいは案外楽々通過してしまうかも。

今週のドラゴン桜はさらに1ランクアップの素晴らしい内容。カネゴン読むたびに叱り飛ばされているような心持ちになる【もっともっととおれカネゴン】。カネゴンの発する恥知らずな疑問は常に単発で終わり、有機的に関連していないことに今更気付かされる【針飛び再生おれカネゴン】。

諸星大二郎食玩がもしあれば。まず「諸星大二郎は絵が下手」という極めて有害な先入観/固定観念を覆す必要がありそう【止める間もなくおれカネゴン】。彼の絵には「イラストとして(うまいこと)体裁を整え(ることに没頭して楽し)よう」などという意図がこれっぽっちもないだけなのだと思う。よく考えればヘビメタ文化で偏愛されそうな絵なのに必ずしもそうならなかったのはそのせいかもしれない。それでもじっくり見ていれば、そのうちみんなの大好きなギーガーに見えてくるかもしれない。

ついでに見つけたWeb漢文体系は現在も着々と進行中らしい。カネゴンのアンテナの特別席にこのリンクをご招待。

今更だけど、蛭子能収の呪いとは何か

今更だけど、今どきの人は持てるエネルギーの約70%を「いじめられない」ことに費やしているらしいと気付く。

2004年06月16日(水)

今日の頭音: 「イデオン」(Key=E)

大人になったティム・バートン。永野のりこがあっち側に無事(?)帰れたのはカネゴンにとってうれしい限り。さみしいというより、ずっとここにいてはいかんのだと【ぐずぐずするとはおれカネゴン】。このよく似た資質の二人を見ていると、重要なのは子供ができることなのかもしれないと思えてくる。いずれにしろ、こちら側からあちら側への長く苦しい旅路は、誰にとっても主観的には指輪物語または河童の三平に匹敵する壮大な叙事詩となる【JAROは知ってるおれカネゴン】。

皆様に常日頃「使えない人」呼ばわりされる人々に何らかの手術または投薬または特殊な訓練を施すことにより、一人残らずギンギンに使える人々になったら、皆様はうれしいとお考えでしょうか。たぶん三秒経たないうちに深く後悔し、数万倍激しくなった競争社会から振り落とされないよう必死でしがみつくより他なくなる予感【暗い復讐おれカネゴン】。絶対に知られたくない秘密が世にある限り(プライバシー暴露装置としての)タイムマシンが永遠に作られることがないように、人類揃いも揃って負けず嫌いである限りこういう改造手術も永遠に行われることはないのかもしれない。

「No Woman No Cry」の意味。そう言えばカネゴンもかつて同じ疑問を抱き、今は御殿場で英語教師をやっているセミネイティブに尋ねたときは「『女がいなければ泣かなくて済むのに』じゃないのかなあ」とのことだった。その後、黒人英語ではやたらとNoを重複使用するというのを何かで読み、もしかすると違うのではないかという疑問は残ったままだった。同じ「I shot the sheriff」の続き「But I didn't shoot no Deputy」なんかもNoが重複していた。

今はなきニュートラルのマスターから、この曲はもともと、浮気がばれたボブ・マーレーが奥さんのリサ・マーレーに言い訳する歌なのだという説を聞いたことがある(根拠不明)。

聴いたことはないのだけど、日本の労働歌ベストは一番下の感想がストレート。あの時、松本隆クラスの詞と伊福部昭クラスの曲をつけておけば違っただろうか。この音楽の品質に合わせたプロモーションビデオを今になって作ってみるというのは如何【石もて撃つとはおれカネゴン】。

木村秀政著「模型航空機の基礎」は限定1000部。こんなところに紙飛行機のバイブルがあったとは。

2004年06月15日(火)

今日の頭音: 「東京音頭」(Key=Am)

オタクグローバリズム

関係ないのだけど、アリーことアリストテレスの何かの本で、若者と年寄りの一般的な気質を比較するコーナーがあり、「若者: 人を信じやすい、熱狂しやすい云々」とあった。年寄りはそれらをすべて逆にした気質で、中年はその中間ぐらいとも。当たり前といえばそれまでだけど、当たり前な説は長持ちしやすいということでいいのだろうか。

UNIX師匠のページで見かけたバリテクノロジー EXPOはネタのようでいて実は最先端のエンジニアリング。ところで「バリ」は日本語かと思いきやburrだったことを初めて知る。光る泥団子出品希望。

カネゴンが知りたかったことがいろいろと書かれている趣味の経済学/民主制度の限界(from 圏外さん)は大力作。こういう仕様書が来たらSEは泣くだろうか【泣かされてたとはおれカネゴン】。

脱ロッテンマイヤー。と言いつつカネゴンはロッテンマイヤーさん好きだったりします。本人の気付かないところで行動が結果的にユーモラスになってしまうあたりが。陰気でないのも重要【かつては陰気なおれカネゴン】。

昨日のワールドビジネスサテライトで、家の庭に深さ10m程度の穴を掘り、冷房の廃熱をそこに捨てる(温水をパイプに通して冷やす)ことによってヒートアイランド現象を抑制するというアイディアが紹介されていた。なぜ今までこれをしなかったのかとカネゴンが興奮したそのとき「コストは一軒あたり300万程度」と付け足され、一気に萎む。この上井戸水を損なうと近所から訴えられたらますます実現が遠のきそう。

カネゴンも、冷房の廃熱を通すパイプを下水道に通してそこに廃熱を送り込み、一箇所に集まった熱をどうにかして活用するということができないかと考えたことがあったけど、結局本当に切羽詰るまで作ってもらえないような気がする。あまりの暑さに鳥が落ち、竜巻が一日一回発生するぐらい都心があったまれば物凄い勢いで作ってもらえるかも【海辺に住むとはおれカネゴン】。

中国演劇史。中国にも、シェークスピアや近松門左衛門みたいに戯曲を大量生産した人がいそうな気がする。

2004年06月14日(月)

今食べたいもの: 豚のしょうが焼き

もらいもののピアノが昨日家に届く。長らく引き取り手がなく空家に置かれていたためか、あちこちかびていたのをようやく拭き取る。鍵盤が黄色かったので象牙かと思ったら、全部汚れだった。ピアノの移動後なので調律は当然不可欠なのだけど、アクションの故障は見当たらないのでたぶん整復まではしないで済みそう【予想の甘いおれカネゴン】。

hiraxさんの「一人称で語れ」。

はるか大昔にオッド・ジョンという小説を読んだのだけど、ストーリーがどことなく悪魔くんみたいだったこと以外に詳細を思い出せない。

以前にもこの日記で書いたけど、名作とされる「夏への扉」をいい年になってやっと読み、カネゴンはなぜか真っ先に「ナニワ金融道」を連想してしまう。ディテイルは当然違うに決まっているのだけど、数々のえげつないテクニックを駆使して相手を出し抜くしたたかさが何とも言えずナニ金テイストで、おかげで主人公の顔が灰原に思えて仕方なかった。以来カネゴンの中ではハインラインは関西弁です。

巨人を2つに割ったら元に戻るのではないだろうか。表巨人と裏巨人。

青山南さんの文を読んでて、「ミスターロボット」で聴こえた「キルロイ」とは何なのかわからないままだったことに気付く。さっそく調べた限りでは、どうやら怪人赤マントとかトイレの花子さんみたいなものではないかと思えてきた。もう少し詳しい紹介も発見。それにしても「キルロイ参上」というセンスはどことなく暴走族風。

2004年06月12日(土)

今日の頭音: 「Marcator」P-MODEL(Key=Em)

プロミュージシャンは脳の違うところを使う。プロは脳の前のあたりを使っているとのことだけど、もっと凄い人は脊髄反射だけでこなしていたりして。

金曜の日記を上書きしてしまった。うう。月曜に復旧します。

皿洗い中にコップを割る。

よく言われていることなのかもしれないけど、月のうち数日、「今もし車を運転したら絶対事故る」と確信できるときがある【言い訳するとはおれカネゴン】。魅入られたように失敗することがある。カネゴンはこれを適当に「男の生理」と呼んでいたのだけど、周期性があること以外に意味がないので、改めて「魔の数日間(damnable days)」略して魔日と呼ぶことにする。この期間中は物忌みしてひたすら蟄居したいのだけど、さまざまな事情がそれを許さない(無生物主語)。何にしろ、「いつもベストコンディションである」ということを前提にはできないことを痛感。

2004年06月11日(金)

今日の実音: 「びっくり日本新記録」で表彰された後かかる曲(Key=Gm)

モラルハザードを自動検出するシステムというのは果して可能だろうか。現在の自動翻訳および人工無能の進捗から考えて当分の間無理そうなので、それまでは人間がせっせとモラルハザードを検出しないといけないことになるのだろうか。

百万人のキャンドルナイト。カネゴンは火事だけが心配です【八百屋お七のおれカネゴン】。洋の東西を問わず、昔の劇場の灯りはすべて蝋燭だったので、しょっちゅう火を出しては多大な死傷者を出していたという話を思い出す。

仕事のストレスで自殺した人の半数が残業100時間以上。統計的裏付のためにはもっと人数が欲しい【あの世も賑わうおれカネゴン】。

いつも愛読しているサイトで、カネゴン日記のタグの一部で"記号が閉じていないとの指摘があり、直ちに修復。危ういところありがとうございました。

スミルノフ教授のサイトで「日本でカバーされたクリムゾン」を知る。我らがヒデキのカバーは有名だけど、フォーリーブスは盲点。

随分昔の高中正義のインタビューで、「クリムゾンキングの宮殿でアレンジを勉強しましたよ」と何回も主張していたのを思い出した。カネゴンが初めて「エピタフ」を聴いたとき歌謡曲かと錯覚したことがあったけど、順番が逆だったのですね【ロールオーバーおれカネゴン】。

久しぶりにSlashdot.jpを見たらリーマン予想解決?の見出し。とりあえず例の掲示板を見ると何も書いてない。カネゴンの以前の日記(8/17)を見ると、もしリーマン予想が肯定的に解決されたら、素数を多項式時間で判定できる(つまり暗号的な危機が生じる)かもしれないとのこと【右から左のおれカネゴン】。ちゃんと読まないとわかるはずもないのだけど、何となく空騒ぎの予感。

大昔に読んだ吉田秀和か誰かの本で「ワーグナーは並外れて構成力が低い」みたいなことが書かれていた。実はカネゴンどの辺がそうなのか今ひとつわかっていないのだけど、今にして思えば、これは藤子不二雄Aとかフェリーニのことでもあるのではないかとも思えてくる。構成力が低くても、一貫したストーリーなどより常に瞬間瞬間の衝撃の強さのみを重んじる作風のため、この三人にとっては特に致命的ではなかったりするのかも。

ブラックメタルファンのためのクラシック講座。他のページもめちゃくちゃ面白い。

2004年06月10日(木)

今日の実音: 「天花」(Key=C)

メモ: 検索指南。同じページの日本語ミスを探せ英語方言ダイジェストも面白そう。会員限定のページが多いのがくやしい。

駅で隣の人が読んでいた新聞に「日本人の出生率が1.2x倍にまで低下。政府の予想を下回る」とあったのを見かける。近年若い人ほどまぐわっているらしいのになぜ低下するのだろう【まぐわえなかったおれカネゴン】。急遽懸賞金をかけて、出生率を向上させる頓知を集めなければ【罰金ならばおれカネゴン】。モラルハザードの発生にだけは注意したいのだけど、どう動いてもぶつかってしまうような気がする。物理学者はこういう問題を嬉々として解いたりしないのだろうか。

  • 出産の方が快楽を感じられるように脳をいじる(薬でも可)
  • 皇居を巨大な保育園/幼稚園にする。見栄をいい具合に刺激するし、交通至便でセキュリティも万全。
  • 高額な私立の小中高を全廃し、全部公立にする(単に米国と同じになるだけかも)
  • 夫婦は共働きであることを前提として社会の仕組みを最初から作り直す
  • 親子四代まで長生きすることを前提として社会の仕組みを最初から作り直す
  • 未婚の男女に子供ができても肩身狭くならないようにし、税金も優遇も既婚者と同じようにつける
  • 子供の数に比例して出世するようにする(養子可)。4人で満貫打ち切り。
  • 高級女性誌で「美しい死に方」を特集する(2000万人はひっかかる)
  • 気付かれないように高齢者の数を減らす
  • 子供を輸入し、高齢者を輸出する【前も言ってたおれカネゴン】
  • 炊事洗濯子育て人生相談俳句の創作から軍事まで何でもこなす完全なロボットの開発を急ぎ、彼らにすべて働いてもらって税金も納めてもらう。100年もしたら、がんがん太って動けなくなった人間に代わって彼らが日本人と呼ばれると予想。

世界最大のギター(from X51.Anal)。こうなったらアンプも建造希望。つい1/8計画を連想。

J-ROCK 80'Sをうっかり見てしまい、手馴れた手つきでてきぱきと購入しようとしている自分に気付く【食いしばらねばおれカネゴン】。悲しいほどにストライクゾーン。もしかすると次の企画はウェザー・リポート(ジョジョの登場人物でない方)の影響をもろに受けた後の日本のエレクトロニックジャズ大全だったりするのだろうか【ありもせぬのにおれカネゴン】。

三上寛の「夜中の2時に」(少し下にスクロールします)は、曲を知らなくてもズーンと落ち込む。

オタクと司法。あまりに衝撃だったのでちょっと長めに引用させてください。

(前略)アメリカがこの不要不急の訴訟によってどれほどの社会的リソースを浪費しているかについては当のアメリカ人も自覚的である。

「訴訟を起こされるリスクがある」ことについてしだいにアメリカ人は「それなら、やらない」という選択をする傾向が強まっている。それがビジネスにおける発意や創造性を深刻に損なっていることをアメリカのビジネスマンも法律家も指摘し始めている。

かつてトマス・サスは、市民が身に起きるあらゆるトラブルについて、その責任者を訴え、賠償請求をできるような社会では、市民の側に「トラブルを事前に回避するための社会的能力」を育てるという動機づけが失われることを指摘した。

逆説的なことだが、「つねに悪が罰され、正義が勝利する」社会において、市民たちは、目の前で犯罪が行われ、不正が横行しても、それに対して鈍感になる。

だって、そうでしょ。「正義の社会」では、ただちに犯人は捕縛され、不正は罰されることが確実なんだから。目の前でどれほど残虐な犯罪行為が行われていても、見ている方は別に心が痛まないし、身を挺してそれを阻止しようという気も起らない。

だって、ほっとけばいずれ正義が執行されることが確実なんだから。

それは神が全能であり、すべての不正がただちに神によって罰される社会では、人間が倫理的である必要がないのと同じことである。

「トラブルは必ず解決される」という信憑はアメリカの「病気」である。

それはアメリカが「銃社会」であることと根本的なところで通じている。

銃は「これから起きるトラブルを回避する手段」ではなく、「すでに起きたトラブルを解決する手段」である。銃による自衛権を憲法が保証している社会では、「トラブルを事前に回避する」ための市民的知恵の育ちようがない。

起こりうるトラブルを網羅して、そのすべてに対処できるシステムを作ることと、なるべくトラブルが起きないようなシステムを作ることのどちらがコストがかかるか考えれば誰にでも分ると思うけれど、日本はアメリカに倣って、次第によりハイコストの社会制度にシフトしようとしているようである。

カネゴンはこれまで法律というものに積極的な興味を抱いたことがなかったのだけど、もしかすると経済を知らなかったのと同じぐらい損していたのだろうか【恥じるがよいぞおれカネゴン】。それにしてもこんな面白い智恵がいっぱい隠れていたとは。

2004年06月09日(水)

今日の頭音: 「はじめてのアコム はじめてのむじんくん」(Key=A)

中々読み進める暇のなかった「美しくなければならない」を数ヶ月かかってやっと読み終わる。本編もさることながら、一番刺激的かつ物理学の底知れなさ(orきりのなさ)を垣間見せたのがワインバーグの短いあとがきだったりする。まったくのうろ覚えだけど、「今や、マクスウェルの方程式はどんなときにでも成り立つというものではなくなった。振動数が恐ろしく高くなり、光が光を散乱させるほどの状態になるともう成り立たない。」「一般相対性理論は(たまたま)二階偏微分方程式で記述されたが、今や無数の項が隠されていることが徐々に判明し、エネルギーが恐ろしく高いか極めて微小な世界では最早成り立たない。」「ディラック方程式は反粒子の存在を予言したが、後になってそれは式が正確だからではなく、本当に偶然に過ぎなかったことがわかった。」みたいな感じだったと思う【雰囲気優先おれカネゴン】。うちに帰って読み直したら全然違ってたりして。「それでも、これらの式の偉大さはいささかも損なわれないし、解釈の余地は常に残しておくべきだと思う」とも。ともあれ、最先端の人でないとできそうにない発言。

このような理論の有効範囲は案外説明してもらえないことが多いのでありがたい。

またもや借力さんの「対決型小説」。我と思わん方はどうぞ。

カネゴンは小説を読まないのでわからないのだけど、もしかすると、最近の推理小説の中には20人ぐらいが頭を突き合わせて徹夜で会議を繰り広げ、死闘の後に決をとってストーリーを作ったりするものがあるだろうか。

昨日の続き。20年に一度と言わず、2年に一度のペースで日本国民全員がくるくると名前を変えることを義務付けたら、少しはスパムメールが来なくなり、セキュリティも向上し、高値で売り買いされる名簿の価値を暴落させることができるだろうか。だとしたら下手に履歴を追跡できない方がいいかもしれない。後、死んだら名前固定ということで合意。

まったくもって気付くのが遅すぎたのだけど【遅いが一番おれカネゴン】、ジミー・ペイジが最も心を砕いていたのは、どうやら「アルバムに収録される曲を1曲たりとも同じ雰囲気にしない」ということだったのかもしれない。何が何でも雰囲気を変える、そのためならどんなことでもやるということだったのかも。ジャズのアルバムが全曲ジャズみたいに、全曲ハードロックで埋めるのが耐えられない性格だったと思われるのに、当時のファンはどうも逆の期待をしていたみたい。

どの巻だったか、ゴルゴ13を拷問するときに聖なる館をヘッドフォンで大音量で聞かせるというのがあったけど、あのアルバムなら1曲目を乗り越えたら後は大音量でも結構快適なのではないかと当時疑問に思ったことがある。

再び話題のさよなら、青い鳥

自分に引き寄せたくはないのだけど、18才前後のカネゴンの後を一体いつの間につけ回していたのかと思わせるほど、これと変わり映えしない暮らしぶりだった【引き寄せてるとはおれカネゴン】。当時は、自分がいつホームレスになってしまうのかと毎日それにばかりおびえて暮らしていた。この苦しさから解放されさえすればもう他には何もいらない、あらゆる幸せも知識も技能も力も放棄して構わないとすら思った【もしや今でもおれカネゴン】。

思い出すにつけ馬鹿丸出しだったのは、特効薬がどこかにないかと、ほんのちょっとしたコツだけで意外と何とかなるのではないかと、そういう猪口才なものから探し回っていたためにとんでもなく遠回りしたこと。さらに丸出しだったのは、自分の歩き方がおかしいのではないかということが苦になってしまい、普通の学生なら数学や物理の勉強に励む時節に、途方もない時間をかけて普通に歩く練習に打ち込み、かえって歩き方が不自然になってしまったこと。今でも歩き方は人間もどきなのだけど、年を取って厚かましくなったせいか気にならなくなった。

その後、色川武大あるエッセイを読んで、「どんな形であれ、立ち止まらないこと」と教えられ、「意志が弱い/努力が苦手ということは長所になりえない」と叱られ、どうやら特効薬というものはどこにもないらしいとうっすら気付くに至る。

色川武大は周期的に鬱に陥っていたようで、有名な「人生は9勝6敗を目標にせよ」と同じ言葉の裏返しである「立派な人生も愚かな人生も、終わってしまえば大した違いはない」は、今見れば明らかに鬱の最中に発せられたと思える。

ついでに見つけた高校生必読本/映画/音楽。カネゴンは禁書リストなら思いつくのですが【禁じられたいおれカネゴン】。

たとえば、ファントム・オブ・パラダイスという映画は、カネゴンに子供がいたら成人前には絶対に見せない。偶然とはいえ、自分はその時期に見ていなくて本当に良かったと思う。精神の頭蓋骨が固まっていない時期にこんな素晴らしくも不健康な映画を見てしまったらどんな恐ろしい結末が待っているかと考えるだけで総毛立つ。親の目を盗んでアダルトビデオを見るなど、これに比べたら何の問題もない。

素晴らしく良いのだけど、(多少ではなく)根本的に不健康な作品というのがある。芸術とか著作権とかを神輿に乗せるときにこれらが区別されていることはまずないだろうけど、親として、作品の不健康さを見分けるための嗅覚を備えていて損はしないかもしれない。カネゴンはその大事な嗅覚が最初からつぶれていたために、いたずらに刺激を求めて不健康な作品を呼吸してしまっていたかもしれない。それを弾圧したりする必要はまったくないのだけど、大人の心をもって臨まないと鑑賞してはならないものは、確かにある。

ここでは健康/不健康という言葉を使ってしまったけれど、実はそれが社会通念に照らし合わせて道徳的かどうかとはまったく無関係なので、通常の「健康/不健康」とは意味が異なる。まだうまく説明できそうにないのでまた今度【せんでよいとはおれカネゴン】。

2004年06月08日(火)

今日の頭音: アントニオ・カルロス・ジョビン (Key=F)

knoppix 3.4の導入がうまくいかず、結局3.3に戻す。何をしていたのだろう。3.4がもう少し熟すまで待つことに【渋柿かじったおれカネゴン】。

カネゴンが幼虫(小学校高学年)の頃、学校の近所の家に生えていた柿が落ちていたのを拾って食べたら、いきなりバシィッと感電した。しばらくの間その場を動けず、唇と口内が完全にしびれた状態であることに気付いて、どうやらこれが話に聞いた渋柿というものらしいと身に沁みて理解した【犬か猫とはおれカネゴン】。

YMO Bookという本の後半に、YMOのディスコグラフィーと当時のレコード評を集めたページがあり、確か青木誠という音楽評論家だけがものすごく的確な評論を書いていたのを覚えている(違う人だったらごめんなさい)。

この音楽の最も面白いところは、「土の匂い」がする要素を注意深く排除していることだ。空にぽっかり浮かんだ飛行船といったところだろうか。その代わり、「そうでない何か」をイメージさせるという点では大成功を収めている。

調べたことはないのだけど、評論家の打率(的確さ加減)もやっぱり3割に到達したら大打者ならぬ大家ということになるのだろうか。当たっても花火が上がるわけではないので今ひとつ地味なのだけど。

働く女性の実情。ポイントと概要とあらましは違うものなのだろうか。

狂犬病防止策として輸入犬にマイクロチップ。「清浄国」という響きが怖い。発生国以外の反対語は何だろう。

yomoyomoさん引用するところのオカズ漫画をカネゴン全部読んでたことに気付く。

先日引用した歪(hizum)を誤ってhizumiと書いてしまいました。失礼しました。

借力さんの「こころはいずこにありしや」。紹介されている本のサブタイトル「恋に落ちた経済学者」が既視感溢れる。

今朝電車で隣に座っていた人が赤旗を広げていた。珍しいので存分に読む。

昔の元服に習い、20才、40才、60才、80才になったときにその都度名前を変えていいということになったら、人生が4倍ぐらいに感じられないだろうか【戒名欲しいかおれカネゴン】。かつ名前と同時に職業もがらりと変えないといけないとしたらなおいい。カネゴン早くもこんな名前にしたいと思案中。名前が変わるとGoogleで検索しにくいとお嘆きの向きにはミドルネームにごく短いハッシュを固定で採用するというのは。

2004年06月07日(月)

今日の頭音: 「東鳩のキャラメルコーン」(Key=G)

朦朧少しだけ解消。

昨日の続き。knoppix 3.4 のブートCD作成と起動まではうまくいったものの、その後はまる【期待どおりのおれカネゴン】。PS2キーボード(HHK)とPS2マウスの一方、または両方がなぜか認識されない。CDブートでは頻度が少ないものの、/usr/sbin/knoppix-installerを実行してハードディスクにコピーしてブートすると5回に4回はキーボードを認識してくれない。キーボードがたまたま認識されるときは逆にマウスが認識されないというドリフのようなギャグをかまされる。おそらく、昨今の風潮でUSBキーボード/マウスを優先したタイミングになっていて、PS2キーボードを検出する前にしびれを切らしているのではないかと推測。dmsgには「AT keyboard not present」と表示されたりするのだけど、この表示の有無とキーボード認識の失敗が一致しない(表示されても認識されることがある)。kernel 2.6でブートしたせいかとも思ったけど、2.4にしても大して変わらず。knoppixのautoconfigurationあたりをいじれば何とかなりそうな気はするものの、まだ見通しは立たず。3.4自体はいったん動けばkernel 2.6とハイパースレッディングのおかげで見違えるように速くなっているだけに、元の環境に戻すのも何だかくやしいのだけど、朦朧状態が続くのでひとまず打ち切り。しばらく家で日記が書けなさそう。うう。

メモ:knoppix FAQに PS/2マウスの対応方法が記載されていた。

MLによく似た問題が投稿されていた。

各所で話題のゆるいコミュニティを読み進めるうちに、鈴木くにえさんが入試を受けた頃の話を目にし、なつかしく思う。カネゴンがそこで入試を受けた頃、東京では珍しい大雪だったため、帰り道が本当に途中でわからなくなり、キャンパス内の広大な森の中で遭難しそうになった覚えがある【世話を焼かすはおれカネゴン】。その後宿に戻ってからは即パチンコ屋に繰り出した(当時はパチンコ病がかなりひどかったので)。

個々人が努力して自分にとって最良の結果を得る場合、集団全体も自動的に集団全体にとって最良の結果を得られるということがありうるのだろうか。カネゴンがちょっと考えただけでもそんなにうまくいくとは思えないのだけど、現実の様々な場面ではこのことが無意識に前提とされているような気がして仕方がない。

カネゴンとしては、企業による搾取云々についてもっといいソリューション(or頓知)がないかとつい考えてしまう【するだけ無駄のおれカネゴン】。ゲーム理論だか行動心理学だかの定理によると、「人が納得するのは、要求が満たされるからとは限らない」、つまり人は要求を満たすことより、むしろ「(要求を捨ててでも)仕返しをする」ことの方に高い満足を感じてしまうらしい。ということは、搾取する者に対して(血を流さない程度の)合法的な意趣返しのシステムを構築または権利を保障したら、案外うまく回ってくれないだろうか。上に立つ者の責任に、「パイ投げを甘んじて受けること」を付け加えるとか。うまくいったら地域紛争およびハルマゲドンがすべてパイ投げに置き換わるかもしれない。未来は実はパイまみれの世界だったのかも【時制がおかしいおれカネゴン】。

定番とも言える水木エヴァはちょっと唐澤なをき風【狙い撃たれたおれカネゴン】。

1年ほど山ごもりしたらだめだろうか。収容所/ゲットーでも可。

コラボレーションをいかにうまく機能させるか。これに限らず、タイトルや装丁で損をしている本は多いかもしれない。学に従事している人はすべてを網羅する(どちらかというと難解な)教科書を重んじて、見た目に軽そうな本を買うことを恥と思う傾向があると思うのだけど、そういうカネゴン自身がそういう偏見にとらわれてしまっていたりして。今後は恥ずかしい装丁やタイトルの本でも勇気を出してどしどし買えるように頑張ります。

2004年06月06日(日)

今日の頭音: 「ノー・スモーキング・オーケストラ」(Key=F#m)

本日も朦朧中。

knoppixをリブートしたら、入れた覚えのないNISやNFSが続々起動。しかもKDEが3.2になったせいかものすごく重くなっていた。

hiraxさんのヒーローと正義にうなづく【たいていうなづくおれカネゴン】。

kernel2.6をうまく導入できず、結局knoppix 3.4をCD-Rに焼いて導入することに。localeのconfファイルの不具合も同時に解消することを期待。近所のスーパーで数年ぶりにCD-Rを購入。実は自宅でCD-Rを焼くのはこれが初めて。

LinuxでのCD-Rの焼き方はここにまとまっていた。PCにWin環境を入れていないので、必然的にcdrecord(コマンドベースのツール)を使用するはめに。

knoppixダウンロードサイトから3.4とmd5をダウンロード。ついでにknoppix/mathもダウンロード。cdrecord -dummy speed=4 dev=0.0.0 -tao knoppix_20031119-20040202-math.isoを実行すると「そんなドライブはない」と言われる。よく見ると、デバイス番号の区切りはピリオドではなくカンマ。気を取り直してcdrecord -v speed=4 dev=0,0,0 -tao knoppix_20031119-20040202-math.isoを実行すると、数秒で完了。随分速くなったと思ったら、isoファイルのダウンロードに失敗していて最初の数十MBしかダウンロードできていなかったと気付き、再度ダウンロード。今度はちゃんとmd5sumも実行し、ファイルが壊れていないことを確認。

2004年06月05日(土)

今日の頭音: 段々速くなるコサックダンス(Key=Ebm)

本日も朦朧中。

考えるツール*p4*

日中よく晴れて爽やかな満月の夜を迎えた頃、風呂から上がってさっぱりしてからビールを片手にQuest for the RestSamorostをじっくり時間をかけて遊びたい(via ノシ from Weekly Teinou 蜂 Woman)。とにかく映像と音楽が素晴らしい。どこかで聴いたことがあると思ったら、David Bowieの「Five Years」もカバーしているとの内部情報を得る。カネゴンは普段ゲームをやらないので知らないだけなのかもしれないけど、もしかするとこういうジャンルのゲームが既にあるのかもしれない。それでも一つ一つの画面の完成度が高いので、ガツガツ面を進める気になれない。操作に迷ったらTabキーを押しまくれば何とかなる。ときどき進み方がわからなくて途方に暮れることもあるけど、それもまたいい。会社にいるときなど、時間に余裕のないときにはお勧めしません。

2004年06月04日(金)

今日の頭音: 「Captain Fingers」リトナーだったと思う(Key=Cm)

風邪ひいたかも【頭朦朧おれカネゴン】。

イスラエルがEUに加盟したいと言ってきたらどうなるか。

メモ: 歪(hizum)(from 師匠のサイト)。SmartDocにまったく動きがないので、こちらに浮気しそう。hizumとRandomNoteのいいとこどり、または相互補完が起きると楽しい【人にさせるはおれカネゴン】。

昨日引用した圏論を眺めていると、今更とは思いながら訳語がどうしても気になって仕方がない。functor=関手はあんまりだと思う。演繹/帰納(deduction/induction)もそうだけど、数学関連の訳語はセンスに欠けるものが多い。いっそカタカナが氾濫する方がましかも。

2004年06月03日(木)

今日の頭音: 「There must be an Angel」ユーリズミックス (Key=C)

カネゴンのUnix師匠がついに沈黙を破り、PukiWikiを公開していたのを発見。お元気ですか。リンクが迷惑になる可能性があるので、とりあえずここからはリンクせず【ひっそり読むとはおれカネゴン】。

一読して、カネゴンが知りたかったことがびしばしに書いてあることに感激(個人的な内容ではなく、師匠が関心を持つ一般的な話題という意味)。カネゴンはインタビュー能力が極限までに低いので、面と向かったときにこういう話をするところまで辿り付けず、毎回おのれにじれったさを感じるばかりだった。

高林さん(まだnamazu.orgは回復していないらしい)の言うとおり、できる人ほどめったに語らないし、カネゴンのように俄かな者ほど語りたがることを痛感【殊勝な振りとはおれカネゴン】。

日経サイエンスは近年になるほどページが減り、まるでパンフレットみたいになってしまった。

その日経サイエンスで「先進国のようにあらゆる面で選択肢が豊富なところでは、逆に幸福を感じられる度合いが減る」という記事があった。今後この分野は狂ったように研究が進みそう。如何にして幸福な奴隷になるかを研究するのが一番早かったりしないだろうか【ゴーアヘッドのおれカネゴン】。カネゴン自身は「早く楽になりたい」と願うことはあっても、自分が幸福かどうかを考えることはまずなかったりする【こっちは楽ぞえおれカネゴン】。

考えてみれば、最初からあるものに有り難味を感じられないのは当然で、技術的な解決を求めるなら、やはり以前日記に書いたように子供の頃は収容所で赤貧洗うがごとき生活を送らせ、そこからわらしべ長者またはドラクエのレベルアップのように「携帯電話」や「奨学金」「本当の両親」「本当の友達」などのアイテムを少しずつゲットし、そのたびに涙が出るほどの幸福感と有り難味を感じさせることが今後先進国の上流階級の間で流行るのではないかと思われる。仮想空間というのはそのために準備されつつあるのかと思ってました。問題は、大人になって夢から醒め、自分が世界の中心でも主人公でもないとわかったときに、ショックを受けずに二本の足で立てるかどうかかも。

白いまんまに手を合わせ

とうちゃん かあちゃん いただきますと

涙こらえて 食べたことない

そんなあんたに 何がわかる

あんたが大将(あんたが大将)

あんたが大将(あんたが大将)

あんたが大将(あんたが大将)

あんたが大将

この記事でも取り上げられていた「機会費用」という言葉を、svnseeds氏に貸してもらった教科書で知ったとき、「ということは、多芸多才な人は才能が一つしかない人より遥かに損をしていることになるのだろうか」とまず真っ先に思ってしまった。それを解決するのは「無限の時間」以外になさそう。

また、記事のお終いでは「コンピュータのソフトウェアも、選択肢の多さ(自由度の高さ)ばかりを競うことで幸福感を損なっているのではないか」と当然のように指摘されていた。もう一度チューリングマシンからやりなおしたいと皆が願えばきっと叶う。

伝播投資貨幣PICSY。どことなく必殺技っぽい響き。大昔、まだカネゴンが経済について何も知らなかった頃、これと似たような「コント」(contributionのもじり)というものを妄想してみたことを思い出した【誰しも一度はおれカネゴン】。とかくこういう新しい概念の通貨は、如何にして膨大な数の関西人を納得させられるかがポイント。百人組手のごとく、黒づくめの衣装に黒いストッキングを被り、暗がりから次々に凶器を手に襲いかかる関西人のツッコミをすべて撥ね返して初めて免許皆伝なのかもしれない。グローバル化するのであれば中国人にも同じことをやってもらうとか。

モナドのすべて。これに関連する圏論も。

hiraxさんのところで見つけたはてなダイアリー占い

おれカネゴンさんは 映画 のことを書きましょう。

あなたは、温和でソフト、とても人当たりの良いタイプです。ものわかりが良く、誰とでも公平に接することができるので、周囲の人々はあなたを慕い、信頼しています。その証拠に、なにかと相談事を持ち込まれることも多いのでは。あなたも困っている人を見ると放っておけないので、ついつい力を貸してしまうようです。ですが、他人の相談には乗ってあげられても、いざ自分のことになるとなぜか秘密主義に。周囲に迷惑はかけられない、自分の力で解決しなければと思うあまり、ストレスを溜め込んでしまいそう。悩み事や迷い事は素直に相談してみて。いつもあなたに助けられている人たちは、いつかあなたの力になりたいと願っているのです。

特に末尾を信じてよいものかどうか【縁なき衆生のおれカネゴン】。他人に相談するのが下手な上に相談内容を笑われ続けた結果、自分のことを相談できなくなったというのは本当。

「占いでどんな結果が出たらうれしいと思うか」を占うところはないだろうか。

これも日経サイエンスによると、来週火曜日14時頃から121年半ぶりに金星が太陽の前を通過するとのこと。

2004年06月02日(水)

今日の頭音: 「Condition Red」Wayne Shorter (Key=なし)

男性の不妊症が世界的に急上昇(および関連記事)に震える。

これが女性の不妊の急上昇だったら滅亡は目前なのだけど、男性というところがまだ救いかも。将来妊娠させる力のある男性がたった一人しか残らなくても、その一人の男が死ぬ気で頑張れば十分何とかなりそう。そのような名誉ある立場を勝ち取るには全世界規模でデスマッチを執り行って世界の王として生き残らないといけないので、宝くじが当たるより遥かに困難であると想像できる。とは言ってもその後そういう男性が生まれなくなったらいずれにしろ人類はお終いなのだけど【そわそわするとはおれカネゴン】。

おそらくカネゴンの気のせいではなく、頭を酷使する人ほど頭痛に襲われる傾向があるみたい。肉体運動を行えば筋肉が痛くなるのは当然と思えるのだけど、頭を使うと頭が痛くなるというのは前者ほど当然とは思いにくいのはなぜなのだろう。なまじ「頭が痛い」という表現が比喩としても使われているので、そういうことを言うのがどこか気恥ずかしくなってしまうせいなのだろうか。

ロボっ子ビートン」というアニメは、自分を操作するリモコンをお腹にしまいこんで自分で自分を運転するロボットが主人公なのだけど、当時子供心に「自分を動かすリモコンを自分で操作するというのはいくらなんでもおかしいのではないか」「そんなことをしたら、指令がフィードバックして発振してしまうのではないか」「たとえ可能だとしても、最終的にはいったい『誰が』操作しているのか」という些細なことが気になって仕方がなかった【些細が無難のおれカネゴン】。

蜘蛛の巣の不思議。紹介されているJavaプログラムの実行結果がどことなくスピログラフを連想させる。同じものではないのに似ている不思議。

2004年06月01日(火)

*p1*今日の頭音: 「飾りじゃないのよ涙は」(Key=F#m)

NHKアーカイブスで「円空」の番組を見る。ご多分に漏れず、カネゴンも円空と言えば社会科で習った「荒っぽく彫った仏像」という印象しかなかったのだけど、それを完全に覆された。まず、もっと江戸時代臭いかと思っていたのが恐ろしくモダンで、木の素材を活かした彫刻の中には寄生獣かネオデビルマンみたいなものすらあった。しかも、そのまま後期になればなるほど彫り込みが最小限に抑えられ、300年も前にピカソに匹敵する抽象性を獲得していていた。箸程度の大きさの木っ端に彫りこんだおびただしい仏像は、京の神社仏閣あたりのお土産サイズにもかかわらず、大量生産に極めて不向きな完成度。彼が描いた仏画も、同じテーマの絵を数千枚も繰り返し描いているうちに抽象性がどんどん高まり、お終いの方ではアフタヌーンで即連載可能な画力を感じさせた【漫画の他にはおれカネゴン】。生まれるのが300年遅ければ、確実に流通機構および中間業者を肥え太らせることができただろう。

電話で懺悔。王様の耳はロバの耳。

新オバケのQ太郎」で、キザくんがわざと土管に向かって懺悔し、それを見た皆が真似してこっそり土管に懺悔するところをキザくんが土管の奥でこっそり聞いて楽しむ、という実に普遍性の高い話があった。やがてこっそり土管の前にやってきたオバQの懺悔が:

くうだらない失敗しちゃったんだよね。道にさ、バナナが落ちてたんだ。拾って食べたら、なんとそれが犬のウンコ!

ときたためにキザくんが笑いをこらえきれず、オバQに見つかってしまった。カネゴンは懺悔と聞くと反射的にこれを思い出してしまう。

実際問題、教会の懺悔室でこういう面白すぎる懺悔を不意に聞かされた場合、神父または牧師はどうやって緊急対処しているのだろう。懺悔室ではなかったけど、カネゴンもいたって真面目な相談を何度も医者から吹き出されてしまい、二度と来るものかと夕日に誓ったことがあったので【不憫な者とはおれカネゴン】。

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