司会とお話の両方が当たる。
司会はもうだいぶ慣れた。問題はお話だ。テーマは「慈愛」、 つまり、神の愛あるいはアガペについてだな。
しかし、愛について語るのは私よりも結城浩さんの方が似合っていると思うのだが (私はどうしてもテレてしまう)、まあ、そういうわけにもいくまい。
で、子供っぽい「条件つきの愛」や「男女の愛」と対比して、 慈愛について考えてみた。うーん、言いたいことが伝わったかどうか。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
[1コリント 13:4-7より引用]
うむ、できてない。 自分で実践しきれていないことについて語るは、なかなか難しいものだ。
聖書に「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできない」、 とある(マタイ 18:3)。
ちょうど、身近に幼な子(1才3ヶ月)がいるので、イメージしてみた。
たくさんの、まん丸い頭をしたかわいい子が「にぱっ」と口を開けながら大笑いしている イメージが脳裏にひらめいた。そんな天国に行きたいものだ。
単なる親馬鹿である。
親馬鹿だっていいじゃないですか(#^.^#)?子供はかわいいもんですよ。でも、なかなか幼子のようにはなれない私・・・